巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

初代教会期のかわいい子どもの手紙を和訳しました!【楽しいコイネー・ギリシャ語の世界】

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目次

 

〔初稿2016年8月〕

 

テオンくんがパパに宛てたお手紙

 

今日はちょっと息抜きに、ある子どもの書いたとってもかわいい手紙をみなさんに紹介したいと思います。手紙の書き主は、テオンくんという8才~10才くらいの男の子です。そしてこの子がこの手紙をしたためた日時は、なんと使徒時代から何十年か経った頃の、AD2-3世紀です。場所はエジプト。

 

少し前の記事の中で、「コイネー時代の民衆の手紙やメモ書きがパピルス文書の形でわんさかエジプトで発見された」ということを書きましたが、発見されたテオンくんの手紙もその中の一つなんです。

 

この手紙が書かれた背景

 

テオンくんのファミリーは、コイネー期のエジプト南部にあるオクスィリンホス(Oxyrhynchos, Ὀξύρργυχος)という都市に住んでいました。オクスィリンホスは、カイロから160キロくらい南に下った所にある都市です。


Oxyrhynchos_map.gif


地図でみても分かるように、オクスィリンホスは内陸部にある都市です。


でも、テオンくんは、おそらく学校のお友だちから、「アレクサンドリアっていう所は、大きくてすごいんだぞぉー。海もあって、すいすい泳げるし、晴れた日には、そこからヨーロッパも見えるんだって。」っと、北方の大都市アレクサンドリアの魅力について常々聞かされていたのかもしれません。


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アレクサンドリアには巨大な図書館がありました。旧約聖書のギリシャ語翻訳も、この都市でなされました。*1


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当時の図書館はこんな感じだったそうです。


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現在のアレクサンドリア市 (エジプト)


さて、テオンくんのパパが、今度、その大都市アレクサンドリアに何かの用事で行くことになりました。さあ、テオンくんは、なんとしてでもパパに「ぼくも連れてって~」とせがみます。手紙は、その子の切なる嘆願をつづったものです。〔*なお、テオンくんのお父さんの名前もテオン(Θέων)なので、便宜上、息子はテオン・ジュニア(テオン Jr.)と呼ぶことにします。〕

手紙の日本語訳

 

テオンJr.から、おとうさんへ。あいさつ。


 ぼくを街に連れて行ってくれなかったなんて、ひどいよ!

 もしも今度、ぼくをアレクサンドリアに連れて行ってくれなかったら、、、そしたら、ぼくはもうパパに手紙とか書かないし、話しかけもしないし、「行ってらっしゃい」ってパパを見送ってやったりもしないから。
 そして、もしパパだけがアレクサンドリアに行くなら、ぼくはもうパパの手、握ってやんないし、もう二度とあいさつなんかするもんか。
 もしぼくを連れて行ってくれなかったら、そうなるよ。[分かった、パパ?]ママがアルヘラオスにこう言ってたよ。「置いてかれたら、この子はたいそうがっかりするわね」って。

 12日、パパが船にのった日に、ぼくにプレゼント送ってくれてありがとう。今度は、リラ(=たて琴, lyre)を送って。リラ、ほしいよぉ~、パパ、お願い!でも、もし送ってくれなかったら、ぼくはごはん食べないし、飲み物だって飲まないぞ。

それじゃ、てがみ、おしまい。*2




theonletter.png
これがパピルスに書かれたテオンくんの手紙のオリジナルです。


そして、以下が手紙の原文です。やっぱり小学校低学年の子どもの書いた作文なので、いたるところに、スペルミスや文法ミスがあります。ミスの部分は(*) です。

1. Θέων Θέωνι τῷ πατρὶ χαίρειν.
2. καλῶς ἐποίησες(*) οὐκ ἀπενηχες(*) με μετε ἐ-
3. σοῦ (*)εἰς πόλιν. ἠ(*) οὐ θέλις(*) ἀπενεκκεῖν(*) <με> με-
4. τὲ(*) σοῦ εἰς Ἀλεξάνδριαν οὐ μὴ γράψω σε(*) ἐ-
5 πιστολὴν οὔτε λαλῶ σε(*) οὔτε υἱγενω(*) σε,
6 εἶτα ἂν δὲ ἔλθῃς εἰς Ἀλεξάνδριαν οὐ
7 μὴ λάβω χειραν(*) παρὰ [σ]οῦ οὔτε πάλι χαίρω
8 σε λυπόν(*). ἂμ(*) μὴ θέλῃς ἀπενέκαι(*) μ[ε]
9 ταῦτα γε[ί]νετε(*). καὶ ἡ μήτηρ μου εἶπε Ἀρ̣-
10 χελάῳ ὅτι ἀναστατοῖ μὲ(*) ἄρρον(*) αὐτόν.
11 καλῶς δὲ ἐποίησες(*) δῶρά μοι ἔπεμψε[ς](*)
12 μεγάλα ἀράκια πεπλάνηκαν ἡμως ἐκε[ῖ](*)
13 τῇ ἡμέρᾳ ιβ ὅτι ἔπλευσες(*). λυπὸν(*) πέμψον εἴ[ς]
14 με παρακαλῶ σε. ἂμ(*) μὴ πέμψῃς οὐ μὴ φά-
15 γω, οὐ μὴ πείνω(*)• ταῦτα.
16 ἐρῶσθέ(*) σε εὔχ(ομαι).
17 Τῦβι ιη.
v
18 ἀπόδος Θέωνι [ἀ]π̣ὸ Θεωνᾶτος υἱῶ(*).

 

テオンくんの作文添削 ♪

 


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2行目 
ἐποίησες →ἐποίησας
ἀπενηχες →ἀπενέγκας

3行目
εἰ
θέλις→θέλεις
ἀπενεκκεῖν→ἀπενεγκεῖν

4行目
μετ→μετ
σε→σοι

5行目
σε→σοι
υγενω→ὑγιαίνω

7行目
χειραν→χεῖρα

8行目
λυπόν→λοιπόν
μ→ἂν
ἀπενέκαι→ἀπενέγκαι

9行目
γε[ί]νετε→γίνεται

10行目
μ→μ
ρρον→αἴρων

11行目
ἐποίησες→ἐποίησας
ἔπεμψε[ς]→ἔπεμψας

12行目
ἡμως→ἡμς

13行目
ἔπλευσες→ἔπλευσας
λυπν→λύραν

14行目
μ→ἂν

15行目
πείνω→πίνω

16行目
ρῶσθέ→ἐρρῶσθαί

最後の行
υἱ→υἱοῦ


おわりに

 

みなさん、どうですか?この子の手紙を読んで、どんなことを感じましたか?小さな子が「あれがほしいよぉー。あそこに連れて行ってよぉー」とねだりつつ、「そうしてくれなかったら、パパの手なんかもう二度と握ってやんないから。」と子どもなりの「脅し手法」(笑)を使っている点など、2000年前も今も、子どもはーーそして人間はーー変わっていないなあと思わず微笑んでしまいます。


また、新約聖書が書かれているコイネー・ギリシャ語で、小さな男の子が実際に、手紙を書いているーー。この事実もまた、私たちをさらに生きたコイネーに近づかせ、より一層の親近感をもってこの言葉に接するきっかけにもなるのではないかと思います。


ταῦτα. (タフタ)
(=それじゃ、記事、おしまい) ←テオンくんのまね。

 

【補足】聖書ギリシャ語をどういう風に発音したらいいのかなぁ?

 

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ΒΙΒΛΟΣ―、さて、私はこれを「ビブロス」と発音しようかな?それとも、「ヴィヴロス」と発音しようか?うーん、こまった。。。

 

〔初稿2016年8月 〕

 

以前の記事の中で、私は「文法は苦手。でもぜひ聖書ギリシャ語を学んでみたい」と思っていらっしゃるみなさんに「音から入りましょう」とお勧めしました。

 

でもそうなると、次のような疑問が湧いてきます。「それじゃあ、私はどんな音を聞けばいいんだろう?どんな発音法を選択し、どんな発声をしていけばいいんだろう?」

 

4つの発音法

 

ギリシャ語には大きく分けて4つの発音法があります。

 

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1.エラスムス式発音法(Erasmian Pronunciation

2.歴史的アッティカ発音法(Historic Attic Pronunciation

3.歴史的(復元式)聖書発音法(Historic Biblical Pronunciation*3

4.現代ギリシャ語式発音法(Modern Pronunciation*4

 

おそらく、日本の大学の西洋古典学科や神学校の多くは、1のエラスムス式発音法を採用しているのではないかと思います。

 

 

例えば、ヨハネ1:1をエラスムス式(=古典ギリシャ語式)に発音すると上のVTRのようになります。

 

エン アルケー エーン ホ ロゴス

カイ ホ ロゴス エーン プロス トン セオン

カイ セオス エン ホ ロゴス

 

それから、復元版聖書発音法では以下のようになります。(ヨハネ1章1-8節)

 

下は、現代ギリシャ語式発音法での朗読です。(ヨハネ1-6章)


 

そもそも「発音」って大切なのかな

 

しかしながら、どの発音法を選ぶかということを考える前に、もう一つみなさんとご一緒に考えてみたいことがあります。

 

それは、発音はそもそも大切なのかどうかという点についてです。ある言語をどのように発音するかというのは大事なのでしょうか。それとも、それは枝葉末節な問題なのでしょうか。

 

例えば、日本語には〔th〕の発音がありません。ですから、考える(think)という動詞の発音は、私たち日本人にとってはけっこうやっかいです。そのため、日本人が「I think」と言う時、ネイティブの英語話者には、それが「私は沈む(sink)!ああ、沈んでしまう!(アイ シンク!アイ シンク!)」と言っているように聞こえる場合があるそうです。

 

でも英語をコミュニカティブな視点で捉えず、「私はあくまでシェークスピアの作品を原語で読めるようになればそれでいい」という目的をお持ちの方なら、thinkを「thンク」と英語風に発音しようが、「シンク」と和風に発音しようが、それはある意味、「どうでもいいこと」なのかもしれません。

 

そのように「原書を味わう上で、発音は特に大切ではない」という視点に立ってものごとを考えた場合に、私がまっさきに思い出すのは漢詩です。たとえば、以下は杜甫のあの有名な「春望」の一節です。

 

æç«æ¥æ

 

杜甫春望

國破れて 山河在り(くにやぶれて さんがあり)

城春にして 草木深し(しろ はるにして そうもくふかし)

 

このようにして私たち日本人は、発音も文法構造も異なる中国の詩を、見事に内面化し、和風の発音でこのように抒情的に詠い上げているのです。これは本当にすばらしいことだと思います *5。しかし別のある人は、こう考えるかもしれません。

 

「私は杜甫の詩が大好きだ。でもできることなら、返り点などに頼らず、ネイティブの中国人が読むようにストレートに漢詩を読み、中国人が発音するように杜甫の詩を朗読し、詠い上げてみたい!」

 

さあ、みなさんはどうでしょう。新約聖書のコイネー・ギリシャ語をどのように発音したいのかという点に関しても、同様のことが言えるような気がします。これについて、『新約聖書ギリシャ語小辞典』の編者織田昭氏が、次のような印象深いことを言っておられます。

 

 「新約聖書の内容、特に、その福音的使信を読み取ることを目的としてギリシャ語の聖書を読む場合、発音のことはそれほど大切だろうか、という疑問が当然起こってくる。元来、新約聖書の研究者は、聖書の時代の言語学的環境の考証や、パウロの説教の音声学的再現に興味を持っているのではなく、この書の中から、自己の霊的生死にかかわる福音的内容を読みとろうとするのであるから、印刷されたギリシャ文字をどう発声するかということは、実は「どうでもよい」第二義的なことである。

 

 しかし、にもかかわらず、わたし自身の意見では、新約ギリシャ語を学ぶ際には、発音のこと(実際に音に出して朗読すること)は無視すべきではない。否、はなはだ大切なことである。というのは、決して読む人がギリシャ人の発音どおりに、あるいは一流のギリシャ語学者や音声学教授のされるように正確に、きれいに発音せねば、という意味ではない。

 

 どんな読み方でも、どんなに不完全でもかまわないから、できるだけ口に出して発音、朗読し、口と耳とを通して新約聖書の言語に親しむことが大切である、という意味である。これは人間の「言語」というものを学ぶ際の必須条件であり、一つの言語の持つ、生きた思考様式に自然に慣れていくためにも大切なことである。

 

 「死語」という言葉がある。しかし私たちがその言語の世界に入り込み、その思考形式によって思考しようとするとき、死語なるものはもはや存在しない。要は、その言語を読む者自身が、それを死語とするかしないかであって、ひとたび私たちが言語の生きた思考形式の中に入り込んでいくとき、死語も復活するのである。

 

 この意味で、新約聖書のギリシャ語を生き生きとした、身近な、リアルな、生きた言語として捉えるために役立つ一つの手段は、これを常に実際に発音して、音声として自分の口で再現し、また自分の耳で聞くことである。発音されざるコイネー・ギリシャ語は、演奏されざるモーツァルトの楽譜のごときものである。」*6

 

タイムスリップ!

 

みなさんに質問です。今の日本に、レコーダーを始めとする録音機器が一切存在しないと仮定してみてください。それどころか、テレビもラジオも何もありません。つまり日本人は皆、アーミッシュのように生活しているのです。

 

さて、タイムスリップし、今ここは2516年の未来の日本です。

 

ある未来の言語学者が、テレビ番組でしきりに、「21世紀初めにも、日本人は依然として、『わたしは、田中です』を「ワタシha、タナカ デス」と発音していました」と主張しています。

 

あなたは心の中で「それ、絶対違うよ!」と叫びます。さあ、21世紀初頭に、「わたしは」の「は」が、「ハ」ではなく「」と発音されていたことを、みなさんなら、どのように立証しますか?

 

私なら、日本語学校のアーカイブ書庫に直行すると思います。そして、外国人学生の書いた答案やエッセーなどを大量に収集し、そこに溢れているであろうスペル・ミスに注目します。

 

サンプル1) きょー、わたし、おとーさんに会いました。

サンプル2) わたし、せんせーがすきです。

 

特に初級クラスの学生さんたちの答案は、音声学的にいえば、「生きた日本語」を映し出す最高の鏡です。なぜなら彼らは、まだ、書き言葉の制約を受けておらず、巷で日本人が普通に話している生の日本語を聞き、それをそのまま素直に書き表しているからです。

 

パピルス文書と民衆の「スペル・ミス」

 

そして、なんと初級日本語クラスで起こっていることと同じことが、コイネー期のエジプトで繰り広げられていたのです!そうです、発見された無数のパピルス文書はまさに、コイネー版「アーカイブ書庫」だったのです。

 

かわいらしいスペル・ミスがこれでもか、これでもか、という位、わんさか出てきて、ダニエル・ウォーレス博士たちのような聖書学者を狂喜させました。(←たぶん)

 

αι ε

 

それではそのアーカイブ書庫を少し覗いてみることにしましょう。BC5世紀の古典期には、αι は、〔アイ〕、ε は〔エ〕と発音されていました。つまり、「そして」を意味する και は〔カイ〕と発音され、「時期、時代」を意味する αιων は、〔アイオーン〕と発音されていました。

 

さて、サンプルとして以下に挙げるのは、エジプトや死海近辺で発見されたパピルス文書から採取された、民衆のスペル・ミスの一例です。

 

             スペル・ミス  正字  

Papyrus 99.4 (BC154)   ειδηται    ειδητε

Ben Kosiba line11        ποιησηται   ποισητε

Babatha 16.16(AD127)  αινγαδδων (属格複数形)

Babatha 11.1(AD124)   ενγαδοισ  (与格複数形)

Babatha 37(AD131)    εταιροισ   ετεροις

Babatha 24.18 (AD130)  αποδιξε   αποδειξαι

 

つまり、こういった実証資料から、次のような音声学上の発見があったのです。

 

αιは、前4世紀頃よりエ音化し、前3世紀のアレクサンドリアではすでに[e:]と発音されていた。*7

コイネー期の地中海世界一帯で、αι は、ε と同じ発音であった*8

 

言い換えますと、「そして(και)」と言う時、古典期のプラトンたちが、「カイ」と発音していたのに対し、ペテロやパウロやテモテは、「」と発音していたということが音声学的に実証されたわけです。

 

その他、コイネー期の〔ει〕と〔ι〕、〔ω〕と〔ο〕、〔οι〕と〔υ〕それぞれの音声についての実証研究およびケース・スタディーについては次の論稿およびVTRをご参照ください。

 

Randall Buth, Koine Pronounciation, Notes on the Pronounciation System of Koine Greek

 


 

コイネー期の発音

 

こういった実証研究から、新約聖書が書かれた時代のコイネー・ギリシャ語の発音がおおよそどのようなものであったかが分かってきたのです。ワクワクしますね!それを以下、簡単にまとめてみます。

 

αιε は同じ発音

ει ι は同じ発音

ωο は同じ発音*9

οι υ は同じ発音 *10

β は〔v〕と発音。(古典期は〔b〕)

θ は〔th〕と発音。

φ は〔f〕と発音。 

χ は〔ch〕と発音。(Bachとドイツ語発音した時のch音。あるいはそれより幾分弱い音。)

η は〔e:〕もしくは〔i〕。*11

 

それから新約コイネー期には、硬気息(‘)はすでに発音されなくなっていました。豆つぶのようなこの硬気息符というのは、語が〔h〕音によって始まることを示す記号です。(例えば、ὃ =ホ、ἃ=ハ)。ということは、コイネー期には、ἁμαρτια(罪)は、ハマルティアではなく、アマルティアと発音されていたということですね!

 

ー終わりー

 

 

*1:参照:「アレクサンドリア図書館にはどんな分野の本があったの?

*2:参照:Papyrus Oxyrhynchus 119.

*3:

*4:

*5:ここで、小坂永舟氏による「春望」吟詠の美しい調べを聴くことができます。

*6:織田昭 「新約聖書ギリシャ語の発音について」p652~53

*7:織田

*8:R.Buth

*9:古典期には、〔ω〕は長母音の〔オー〕、それに対し〔ο〕は短母音の〔オ〕でしたが、コイネー期にはそのような長母音・短母音の区別もほとんどなくなっていたようです。これについてさらに詳しく知りたい方は、上述の論稿のPhonemic Vowels in Koine Greekの Pair 3 の項をお読みください。

*10:〔υ〕は、元来、地域的偏差があって、〔y〕とも〔u〕とも発音されていたそうです。〔οι〕と〔υ〕は、現代語では〔i〕音で発音されていますが、コイネー期には、まだ古い発音がなされていたようです(織田、Buth)。したがって、結論として言えるのは、コイネー期の〔οι〕と〔υ〕の発音は、だいたいドイツ語の「u ウムラウト」の音だったと考えていいと思います。口の形は「ウ」にしつつ、がんばって「イ」と発音してみてください。それが「u ウムラウト」の発音です。

*11:コイネー期の η の発音については学者によって意見が分かれています。というのも、ヘレニズム期に、この音が元々の〔e:〕から、どんどん〔i〕音に変遷していったことは確かなのですが、使徒時代はちょうどその過渡期だったからです。朗読を聞くと、Buth氏は、η をどちらかといえば「エー」に近い音で発音しておられます。その一方、織田昭氏は「新約聖書が記された頃は、すでに η は〔i〕と発音されていた」とおっしゃっています。ですから、使徒時代には、αγαπηを「アガペー」と発音する人と、「アガピー」と発音する人が混在していたのかもしれませんね。しかしAD3世紀までには、ほとんどの人が「アガピー」と発音するようになっていたことは最近の研究で明らかになっています。