「神の恵みによって、私は今の私になりました。」ーー服装およびベールについての告白と証
自分がかつてどこにいたのかを想うとき、神の恵みに感謝せずにいられない。(出典)
目次
「神の恵みによって、私は今の私になりました。」1コリント15章10節
「私の若い時の罪やそむきを覚えていないでください。あなたの恵みによって、私を覚えていてください。主よ。あなたのいつくしみのゆえに。主は、いつくしみ深く、正しくあられる。それゆえ、罪びとに道を教えられる。」詩篇25篇7-8節
女性の服装についてーー私の告白(2014年7月9日付)
私自身の罪の告白
、、でもどうか誤解しないでください。私は、こういったことを、裁きの高台から見下ろすようにして言っているのではありません。もし私が裁きの矢をだれかに射るのだとしたら、それはまず、他でもない自分自身に突き刺さるでしょう。
というのも、私は過去、自分の服装のことで、教会の兄弟をつまずかせてしまったからです。その事で、ある一人の姉妹が個人的に、私をいさめてくださったことさえありました。
でも私は「自分には罪を犯しているという感覚がない。私の側に悪気があって彼をつまずかせたわけではないよ。」と答え、かたくなにも自分流のファッションを続けたのです。海外でも一度、タイトジーンズのことで、ある姉妹に、同じような事で忠告をうけました。しかしこの時も私は心を低くして、忠告に耳を傾けることをしませんでした。
そんな私を、主は忍耐し続けてくださいました。そしてある日ついに、主ご自身が直接、私を叱ってくださったのです。それは次のことばによってでした。
イエスは弟子たちにこう言われた。
「つまずきが起こるのは避けられない。だが、つまずきを起こさせる者は、忌まわしいものです。この小さい者たちのひとりに、つまずきを与えるようであったら、そんな者は石臼を首にゆわえつけられて、海に投げ込まれたほうがましです」(ルカ17:1,2)。
このみことばによって、一人の兄弟をつまずかせることの罪の大きさ、深刻さが、その時、はじめて分かったのです。
数年前に、姉妹から戒められた時には、涙一つ流さず、平然としていた私ですが、その日の夜、私は自分の犯してきた罪を嘆き悲しみました。その後、タンスを開け、自分の服を一着、一着、主の前に広げ、「あなたに喜ばれない服、そして兄弟たちを挑発するような服を示してください」と祈りました。そして示された服をことごとくビニール袋に詰め、可燃物用のゴミ箱に捨てに行きました。
「神よ。御恵みによって、私に情けをかけ、あなたの豊かなあわれみによって、私のそむきの罪をぬぐい去ってください。どうか私の咎を、私から全く洗い去り、私の罪から、私をきよめてください。」(詩篇51:1,2)*1
ベールの証(2014年9月13日付)
ことの始まり
7、8年前にさかのぼりますが、私は新約聖書を通読していました。Ⅰコリント11章にさしかかり、
「しかし、女が、祈りや預言をするとき、頭にベールを着けていなかったら、自分の頭をはずかしめることになります、、、」(11:5)の節を読んだ時、突然、「えっ?ちょっと待って。」と思いました。
〈私、祈る時、頭に何も着けていないけど、これって、どうなんだろう?〉
今まで何十回もこの箇所を読んだことがあったはずなのに、その疑問が湧いたのはその時がはじめてでした。
〈でも、私の尊敬する姉妹たちは誰も被り物とかベールなんて着けていない。おそらく、この節の背景には、私みたいな若者が知らないような深い事情があるんだろう。うん、きっとそうにちがいない。〉
それで、その後は特に考えず、次の12章に移っていきました。でも、数カ月して、通読の箇所が再び1コリント11章に巡ってきた時、今度は、前回にも増してすっきりしないものを感じました。普通に読めば、この箇所でパウロは、「姉妹たち。祈る時や預言をする時は、頭にベールを着けなさい。」と言っているように確かに聞こえるのです。
でも、そうであるはずがないのです。だって、こんなにたくさん聖書に通じた牧師先生やクリスチャンがいるのです。その人たちがベールのことを教えていないのだから、やっぱり、そうであるはずがない、、、のです。
でも、パウロの言っていることはなぜかストレートに聞こえる、、、、そう思うと、だんだん不安になってきました。それで、注解書の先生方は何と言っておられるか、それを読んでみようと思いました。そうして注解書をひもといてみると、
「当時のコリントでは、売春婦だけがベールをかぶらずに外を行き来していた。パウロはコリントの姉妹たちがこういった売春婦たちに間違われることを懸念し、ベールを着けるように指導していた。」というような説明がしてありました。*2
〈あっ、そうなんだ。じゃあ、これはコリントの姉妹たちだけに向けられた掟で、私はこの御言葉には従わなくていいってことなんだ。ああ、安心した。〉
そうして私の良心はとりあえずなだめられました。
ーーーーーー
その後、ある時期、私は、どのような論法で人々が、聖書が×(バツ)と言っていることを○(マル)とあえて主張しているのか(例えば、ジェンダー問題)調べていました。調べていくと、そこには共通したパターンがあることに気が付きました。そのパターンとは、
1)原典のギリシア語をいじる。(つまり再解釈する。)*3
2)「当時の文化は、、、」と言って、聖書の原理を「文化論」に切り替える手法でした。*4
実際、さらに調べていくと、「当時の文化は、、」という説明には、史実に乏しいフィクションがかったものが多くあることに気づきました。*5
〈えっ、じゃあ、Ⅰコリント11章のあの文化背景の説明はどうなんだろう?鵜呑みにしちゃったけど、あれは果たして信ぴょう性のあるものだったんだろうか?〉
一応、おさまっていた心の波が再び荒れ始めました。
探究はじまる
こうして再び私は1コリント11章をじっくり読み始めました。
「しかし、あなたがたに次のことを知っていただきたいのです。すべての男のかしらはキリストであり、女のかしらは男であり、キリストのかしらは神です。」(3節)
「男はベールを着けるべきではありません。男は神の似姿であり、神の栄光の現われだからです。女は男の栄光の現われです。」(7節)
〈ちょっと待って。やっぱりこれって、コリント文化うんぬんの問題じゃないよね。パウロは、創造の秩序のことを言っている。その最大の証拠に、10節では、「ですから、女は頭に権威のしるしをかぶるべきです。それも御使いたちのためにです。*6」って書いてあるじゃない。それにこのセクションには一言だって『文化』という言葉が書かれていない。うーん、どうやらここも文化論で片づけることのできない箇所らしい。。。*7〉
また、「コリントの売春婦云々」説も、いったい何を源泉資料に主張されているのか、掘り下げてみました。そして、19世紀の注解者アダム・クラーク氏が、最初にこの説を唱えはじめたということを突き止めました *8。でも、不思議なことにアダム・クラーク氏はその説をどんな一次資料から導きだしたのか明らかにしていませんでした。
さらに探究していく中で分かったのは、神殿娼婦制度のあった古代のコリント市は、紀元前146年に破壊されていたということでした*9。ユリウス・カエサルがその後、100年後に、コリントをローマ帝国の都市として再建しましたが、Ⅰコリント人への手紙が書かれた時期は、すでに神殿娼婦制度が廃止されて200年余り経っていたのです。
また、アレクサンドリアのクレメンスやテルトゥリアヌスといった初代クリスチャンの著作を読みはじめると、さらにいろいろなことが分かってきました。
一番目に、ベールの慣習は、コリントに限定された地域的なものではなく、ヨーロッパ、北アフリカ、中東にまたがった初代教会全体で守られていたものだったということ。
二番目に、「コリントでは当時、売春婦が、、、」という説を唱えている人は初代クリスチャン著作家の中に誰もいないこと。
発見したのはそれだけではありませんでした。クリスチャン女性は、1世紀からつい最近(1960年頃)まで、実に1900年以上に渡って、御言葉通りにベールを着用していたのです*10。しかしフェミニズム運動の勃興と共に、ベールの慣習も消えていきました。そしてⅠコリント11章はいわゆるpolitically incorrectな章として敬遠されるようになっていったのです。
葛藤のはじまり
でも、こういうことが明らかになっていけばいくほど、私の心は複雑になっていきました。聖書の真理を探究することはいいことです。でも、発見した真理を実際に生きなければ、その真理は頭だけの知識で終わってしまいます。そして頭だけの聖書知識は、人を高慢にし、偽善者にします。
〈え、、でも、私が、教会でベール?そんなことできない、、、人の目がこわいし、恥ずかしい。右を向いても、左を向いても、ベールを着けている姉妹なんていない。たった一人で始めるなんてそんな勇気、私にはない。神さま、どうかこれだけは勘弁してください。〉
情けない話ですが、私は人目が気になって仕方がありませんでした。
「互いの栄誉は受けても、唯一の神からの栄誉を求めないあなたがたは、どうして信じることができますか。」(ヨハネ5:44)
決心
でもついに、ある時点で、私は神さまの前に一人で立ちました。
「主よ。あなたは私が人一倍、臆病者だということをご存知です。正直、今この瞬間にも、私の肉は、いやだー、と叫んでいます。私は、あなたの御言葉に従うよりも、自分の安全ゾーンで、ぬくぬくと生きていきたいと思う時が多々あることを告白します。でも私はあなたの恵みにより、Ⅰコリント11章のすばらしい真理を垣間見ることが許されました。そして、この60年余り、この聖書的真理がないがしろにされている事実にも気がつきました。ただ私にはそれを実行する勇気がありません。でも、このままだと私は偽善者になります。主よ、あなたの御言葉に従い、今後、ベールを着けたいと願っています。どうか、私の意志が揺らぐことのないよう私を支えてください。」
「人の目によく映りたい」という願望が十字架につけられる体験
礼拝の時や祈りの時に、ベールを着け始めてしばらく経った後、私はある姉妹から、「P宣教師の奥さんが、あなたがベールを着用するという奇習を始めたとか何とか言って陰口を叩いていたよ。」と聞き、私は縮みあがってしまいました。
〈ああ、やっぱり、今どき、ベールを着用するなんて変なのかな?私は頭がおかしくなったのだろうか。〉
また、ある晩、某国出身の牧師夫妻の家に招かれました。帰る前に、皆で祈りましょうと牧師がおっしゃったので、私は誰にも見えないようにコソコソとバッグからベールの布を取り出し、皆が目をつぶった頃合いを見計らって、ひそかにベールを着けようと思っていました。
ところが、この牧師はめざとく私の手に握られていたベールを発見し、「はっ?ベール?!」とすっとんきょうな声を挙げました。そして、「変な姉妹だね、この人は。」というような目つきで、隣りに座っていた奥さんと目配せを交わしました。
私の顔は恥ずかしさで火のように真っ赤になり、どっと涙がこみ上げてきました。とてもこの道を一人で進んで行けそうにありませんでした。かといって、他の場所で祈る時に人を恐れてベールを着けないのは、証し人として一貫性に欠けており、自分の良心にかけてもそういった日和見的行為はできませんでした。
祈りのベールが私の人生にもたらした祝福
その後も4年以上、私は一人でベールを着けて祈っていました。一人でしたが、でも、私は今までよりもずっと、祈りの中で主を近くに感じることができるようになりました。
ベールを着用して祈ると、神>キリスト>男>女(Ⅰコリ11:3)という天において定められた美しい創造の秩序の中に自分が置かれていることをもっとリアルに感じ、その認識は私の魂に深い落ち着きと安心感をもたらしました。*11
ベール自体は象徴にすぎないと思います〔←2014年当時の見解。〕*12。ですが、それが従順を伴う信仰と結びついた時に、神さまは私たち姉妹の魂にすばらしい霊的祝福を与えてくださるのだと思います。*13
ー終わりー
*1:
↓私の友人のmodestyに関する証。"Skirts & Dresses Only"という彼女の採っている立場に関しては、若干、彼女と意見を違わせています(この記事内では詳述しません。)が、実践面では彼女と同じく私も毎日楽しくロング・スカートを履いています♡
*2:
*3:再解釈の実例:⑦「1テモテ2:12の翻訳が間違っています。
⑧「1テモテ2:12の動詞アウセンテオー(支配する)は比較的まれなギリシャ語であり、意味を把握するのが非常に困難です。」
⑩「1テモテ2:12の『許しません』は現在形動詞であり、一時的な命令であるに過ぎません。」.
*4:「文化論」に切り替える実例:
⑪「1テモテ2:12-15も、創造に関する創世記の記述も、文化的に相対的なもので、今日性を持ちません。」.
*5:
〔その2〕
*6:
*7:
*8:Adam Clarke’s Bible Commentary .
*9:Shipley,G. The Greek World After Alexander 323-30BC. London:Rontledge, p.384-385
*10:
*11:
*12:2014年当時、「ベール」や、聖餐の「パン、葡萄酒」、バプテスマの「水」といったクリスチャン・シンボルについて私は踏み込んだ洞察をしていませんでした。しかし、その後、シンボルが単なる象徴に過ぎない、という従来の私のプロテスタント的見解に徐々に変化が生じていくようになります。関連記事
*13: