巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

測り知れない神の智慧(by ジョン・マクダフ)

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出典

 

John MacDuff, The Wisdom of God(全訳)

 

「その英知は測りがたい。」詩篇147:5

 

神の御経綸は時になんと困惑をもよおすものでしょう!その不可解さを解こうとすればするほど、私たちは、自分にとって最も理に適う地上的解決の内にとにかく落ち着きたいという衝動に駆られます。「あなたのさばきは大きな淵のよう」(詩36:6b)

 

しかし、「これらのことが皆、私にふりかかってくる」(創42:36)と感覚が嘆くところで、信仰は別の判断をくだします。「神はすべてのことを働かせて益としてくださる」と(ローマ8:28)。

 

全き信頼をもって神の御腕に寄りかかり、「主はご自分のすべての道において正しい」(詩145:17)と告白するーー。これは信仰の領域に属するものです。

 

私たち人間は神のことを「予見する方」と言います。ですが神にあってはそのようなものはありません。過去、現在、未来は神にとってどれも一様です。神は初めより終焉をみておられます。私たちは近視眼的にしか判断することができず、その判断は往々にして誤りを含み、歪んだ媒介を通してなされます。およそ地上に存在する機構にあって、不完全な構造の中に美しさを見い出すことはきわめて稀です。

 

もっとも強力なる科学の製品であっても、製造のプロセスにあっては、それらは混沌としたカオスのようにみえます。実に完成してみて初めて、全体の中における各部位が互にどのような関連性と調停性をもっているのかを見、私たちは驚嘆します。

 

神の倫理的ご統治という機構においても同様のことが言えます。現在それはなんと不可解に見えることでしょう!しかし、永遠の光に照らしてみた時、私たちは力強い御計画の成就を深く思いめぐらし、やがて歓喜の内に叫ぶことでしょう。「主のみわざはなんと偉大なことだろう」と。(詩篇111:2参)

 

「耐え忍べ。やがて時が訪れ、

天が、細いろうそくの光に勝る光を注がれるとき、

その時、鈍い耳ははっきりと聞くことができるようになるだろう。」

 

友よ、あなたの神が今なさっている事が不可解なものに映っているでしょうか。あなたは今まさに暗黒の雲の中に入らんとし、「まことにあなたはご自身を隠す神です(イザヤ45:15)」と叫んでいるでしょうか。雲の中に入ることに尻込みしているでしょうか。勇気をお出しなさい!

 

変貌の山に登った弟子たちと共にあったように、それはあなたと共にあるでしょう。そこであなたは全く思いがけない天的栄光の一瞥を見、救い主のご臨在と愛のしるしを知るに到るでしょう。神があなたを雲の中に導こうとしておられるのなら、この御方の後について行きなさい。

 

もしも神があなたを強いて舟に乗らせようとするなら、彼に従いなさい。雲はやがて数々の祝福になっていくことでしょう。そして(たといそれが嵐の海にあっても)、舟は最終的にあなたをやすけき港へと導いていくでしょう。荒れているのは海洋の表面だけです。海底には深い静寂さが満ちています。

 

おお、主を信頼なさい。この御方こそ「神の智慧」なのですから。神はあなたの相談役であり、そこにおいて、無限なる神の知識と共に、人間の経験および同情が結び合っています。神は各人の事情を熟知しておられ、それぞれの魂にふさわしい鍛錬をもっとも賢明にお用いになられます。

 

「おお、汝はご自身の智慧をもって私の道を導いておられます。

たとい今、その道が厳しいものに見えようとも、

わが不信仰が『ここには何ら智慧がない』と言うことがありませんように。

主よ、仮に今、汝がわが霊を低くしておられるのでしたら、

私が愛だけを見ることができますように。

一打を与えるまさにその手が、かつて私のために刺し通され、

御傷を受けたのですから。」

 

「あなたの光のうちに光を見る」、開示のその日まで、私は辿り、突き止めることのできない智慧に信頼し続けることでしょう。そして暮れの闇が私を取り囲む夜ごとにそれを繰り返すでしょう。ーー永遠の日の始りを前にして、地上の無知なる夜闇が消え去るその時まで。

 

「わたしは安らかに伏し、また眠ります。主よ、わたしを安らかにおらせてくださるのは、ただあなただけです。」(詩4:8)

 

「ああ、私は床の上であなたを思い出し、夜ふけて私はあなたを思います。」(詩63:6)