巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

教団内のフェミニズム問題、リベラル背教の問題に苦しむ教職者、信徒たちのための慰め、そして避難所ーー属人区カンタベリーの聖オーガスチン会衆

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出典

 

1992年の女性の司祭按手容認という決議から、2014年の女性主教按手容認という決議に到る歳月の間、聖公会内の忠実な信仰者たちは孤立化と行き場のなさという二重の苦しみを味わってこられたと聞いています。

 

相補主義(complmentarianism)を保持し、対等主義化したメインラインの日本聖公会から分離していた「日本キリスト聖公会」は、2015年属人区カンタベリーの聖オーガスチン会衆としてローマ・カトリック教会とのフル・コミュニオンに入りました。

 

属人区(personal ordinariate, "Anglican ordinariate"*1.)というのは、メインライン聖公会のフェミニズム問題とリベラル背教により行き場を失い、苦しんできたアングリカンの教職者、信徒たちのために備えられたカトリック教会内の「特別避難所」という位置づけではないかと思います。

 

こういった一連の状況は何を意味しているのでしょうか。私は個人的に、ここに人知を超えた神の摂理を見ています。メインライン・アングリカン主義のリベラル崩壊により、忠実な聖公会信者たちはなかば強制的に家を追い出され、ローマ・カトリック教会の懐に飛び込まされた感があります。しかしそれは、ある意味、「先に行って道を備える」先駆者的使命を帯びた「テヴェレ川越境」だったのではないでしょうか。

 

ステパノのことから起こった迫害によって人々はなかば強制的に「散らされました」(使11:19)。しかし一見悲惨にみえるこの出来事をも主はお用いになり、散らされた彼らを通し、フェニキア、キプロス、アンテオケ等、各地に福音が宣べ伝えられていきました。そして「主の御手が彼らとともにあったので、大ぜいの人が信じて主に立ち返りました。」(使11:21)

 

実際、メインライン聖公会内で起こっていることは、段階や濃度の差こそあれ、今、福音主義教団教派すべてにおいて起こっている現象ではないかと思います。

 

私は翻訳作業を通し、福音主義内の漸進的対等主義拡大化(progressive egalitarianization)現象の分布図が、ほぼ全教団・教派にまたがっているのを目の当たりにしてきました。*2

 

そして、どの教団・教派においても、その濁流を必死に食い止めようとしている少数の教職者および信徒たちの群れが存在していることにも気づきました。これらの人々もまた、忠実な聖公会信者たちと同様、メインライン教団内で孤立化し、行き場を失うという苦しみの中にあって、それでもなんとか主に仕えようと最善を尽くしておられます。

 

私は、「属人区カンタベリーの聖オーガスチン会衆」が、今後、日本各地に存在するそのような少数の福音主義教職者や信徒たちにとっての「悩み相談所」、「たましいの避難所」として尊く用いられていくのではないかと思っています。

 

以下が連絡先です。

 

The Right Reverend Harry Entwistle, Promonotory Apostolic The Ordinary 教区長 
Monsignor Harry Entwistle, Protonotary Apostolic
ハリー・エントウィッスル

 

Fr. Kajiwara 司祭
ラファエル梶原史朗
Fr. Raphael Kajiwara
e-mail: raphael@td5.so-net.ne.jp