巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

父なる神、世界の王(♪ Dum pater familias, Rex universorum)【カリクストゥス写本、12世紀】

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使徒ヤコブ(出典) 

 

カリクストゥス写本(Codex Calixtinus)は 12 世紀に作られたもので、スペインのサンティアゴ・デ・コンポステラ巡礼に関連する様々な文書を集めたものです。

この写本は5つの部分と補遺から成っていますが、その中の2か所に楽譜が含まれています。第1部分の最後には多数の単旋聖歌、補遺に当たる部分には多声音楽(2声オルガヌム)20 曲が集められています。いずれも中央ないし北フランス式ネウマで記譜されていますが、4線上に書かれているため音高は容易に判別できます。

これらの2声オルガヌムは、リモージュのサン・マル シャル修道院周辺で作られたとされるいわゆる「アキテーヌのポリフォニー」とともに、初期多声音楽の発展過程を示す重要な史料といわれています。(参照

 

 

〔ラテン語、日本語拙訳の順〕

Dum pater familias,/ Rex universorum, /Donaret provincias Ius apostolorum, Iacobus Yspanias / Lux illustrat morum.

全人類の父なる神、世界の王が使徒たちにご自身の領地を分割された時、主はスペインに聖なる光輝を示すべくヤコブを任命された。

 

*Primus ex apostolis / Martir Ierosolimis, Iacobus egregio / Sacer est martirio.

エルサレムで殉教した、使徒たちの第一の人。ヤコブは傑出した殉教により、聖性をきわめた。(リフレイン)

 

Iacobe Gallecia / Opem rogat piam,/ Glebae cuius gloria / Dat insignem viam,/ Ut precum frequentia /Cantet melodiam.

ヤコブのガリシアは私たちの敬虔なるわざを求めている。しるしとして道を切り開きつつ、栄光を確固たるものにする。それと同様、私たちの祈りも、旋律豊かな歌へと高まっていく。

 

Herru Santiagu,/ Got Santiagu,/ E ultreia, e suseia,/ Deus adiuva nos.

偉大なる聖ヤコブ、サンティアゴの守護聖人!世界のために神に祈りたまえ。今も、そしてとこしえまで。

 

*Primus ex apostolis / Martir Ierosolimis, Iacobus egregio / Sacer est martirio. 

エルサレムで殉教した、使徒たちの第一の人。ヤコブは傑出した殉教により、聖性をきわめた。(リフレイン)

 

Iacobo dat parium/ Omnis mundus gratis,/ Ob cuius remedium / Miles pietatis/ Cunctorum presidium/ Est ad vota satis.

ヤコブ、あなたは世界中の人々の間でたたえられている。私たちのために治癒策を得給え。聖潔の兵士よ!あなたの守りにより私たちはあらゆる事において助けを受けるだろう。

 

*Primus ex apostolis / Martir Ierosolimis, Iacobus egregio / Sacer est martirio. 

エルサレムで殉教した、使徒たちの第一の人。ヤコブは傑出した殉教により、聖性をきわめた。(リフレイン)

 

Iacobum miraculis/ Que fiunt per illum./ Arctis in periculis/ Acclamet ad illum,/ Quisquis solvi vinculis/ Sperat propter illum.

ヤコブによって為された数々の奇跡。危険の脅威にさらされる時、彼を呼べ。彼の執り成しの祈りにより私たちは解放される。彼の助けに希望を置こう。

 

*Primus ex apostolis / Martir Ierosolimis, Iacobus egregio / Sacer est martirio. 

エルサレムで殉教した、使徒たちの第一の人。ヤコブは傑出した殉教により、聖性をきわめた。(リフレイン)

 

O beate Iacobe,/ Virtus nostra vere,/ Nobis hostes remove/ Tuos ac tuere/ Ac devotos adhibe/ Nos tibi placere.

おお祝福されたヤコブ、力と真理により、われわれの敵は取り除かれる。あなたと信奉者たちは、常に共に祈っている。

 

*Primus ex apostolis / Martir Ierosolimis, Iacobus egregio / Sacer est martirio. 

エルサレムで殉教した、使徒たちの第一の人。ヤコブは傑出した殉教により、聖性をきわめた。(リフレイン)

 

Iacobo propicio/ Veniam speremus/ Et, quas ex obsequio/ Merito debemus/ Patri tam eximio/ Dignas laudes demus./ Amen.

私たちの助け手、ヤコブ。希望を運んでくる人!そして、私たちの従順により、私たちはあらゆる誉れを受けるにふさわしい御父と共に住まわることを許される。アーメン。

 

*Primus ex apostolis / Martir Ierosolimis, Iacobus egregio / Sacer est martirio. 

エルサレムで殉教した、使徒たちの第一の人。ヤコブは傑出した殉教により、聖性をきわめた。(リフレイン)

 

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教皇ベネディクト十六世の56回目の一般謁見演説「大ヤコブ」より一部抜粋(引用元

 

ヤコブはペトロとヨハネとともに、ゲツセマネの園でイエスが苦しんだ時と、イエスの変容の時に居合わせることができました。ですから、これらの場面はそれぞれたいへん性格を異にしています。

 

一つの場面で、ヤコブは他の二人の弟子とともに主の栄光を目にします。ヤコブは主がモーセとエリヤと語り合うのを見ます。彼はイエスのうちに現された神の輝きを見たのです。もう一つの場面で、ヤコブが目にしたのは、苦しみとへりくだりです。ヤコブは、神の子が自らへりくだって、死に至るまで従順となられるのを、その目で見ます。
 

ヤコブにとって、後者の経験が、信仰を成熟させるための機会となったことは間違いありません。すなわち、それは、最初の経験を勝利へ導くものとして偏ったかたちで解釈するのを改めさせました。

 

ヤコブは、ユダヤ人が勝利者として待望してきたメシアが、実際には、ほまれと栄光に包まれたかたであるだけでなく、苦しみと弱さに囲まれたかたであることを知らなければなりませんでした。キリストの栄光は、まさに十字架の上で、わたしたちの苦しみにあずかることによって実現されたのです。


この信仰の成熟は、聖霊降臨のとき、聖霊によって完成されました。それは、最高のあかしを行う時が来たとき、ヤコブが引き下がることがないようにするためでした。ルカの伝えるところによれば、1世紀の40年代の初めに、ヘロデ大王の孫のヘロデ・アグリッパ王は「教会のある人びとに迫害の手を伸ばし、ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した」(使徒言行録12・1-2)。

 

詳しい話が何もない、この短い報告は、一方で、キリスト信者が自分のいのちをもって主をあかしすることが普通のことだったことを示しています。他方でそれは、ヤコブがエルサレム教会で重要な地位を占めていたことを示します。この地位は、イエスの地上の生涯の間にヤコブが果たした役割に基づくものです。


少なくともセビリアのイシドロ(560頃-636年)にまでさかのぼる、後の伝承は、ヤコブがスペインにいたことを伝えています。それは、このローマ帝国の重要な版図に福音を宣べ伝えるためでした。

 

別の伝承によると、ヤコブの遺骸はスペインのサンティアゴ・デ・コンポステラ市に運ばれました。ご存知のように、このサンティアゴ・デ・コンポステラの地は、大いに崇敬を受けるようになりました。今日でも、ヨーロッパのみならず世界中から、多数の巡礼者がこの地を訪れています。

 

そこから、ヤコブが、巡礼者の杖と福音の巻物をもった姿で描かれるわけを説明できます。それは「よい知らせ」を告げようと努める、旅する使徒を示すとともに、キリスト者の人生の旅を示してもいるのです。


それゆえ、わたしたちはヤコブから多くのことを学ぶことができます。すなわち、主がわたしたちに、わたしたちの人間としての安定という「舟」を離れることを求めたときも、主の招きをすぐに受け入れること。わたしたちが前もって思い描いていないところであっても、熱心に主に従い、主がわたしたちに示す道を歩むこと。勇気をもって、必要であればいのちという最高の犠牲をささげて、進んで主をあかしすること。

 

このようにして大ヤコブはわたしたちに、キリストへの寛大な従順についての優れた模範を示してくれます。ヤコブは初め、その母を通じて、キリストの国で、兄弟とともに、師であるかたの隣に座ることを願いました。彼は、まさしく最初に受難の杯を飲み、使徒たちとともに殉教にあずかりました。


終わりに、これらすべてのまとめとして、わたしたちは次のようにいうことができます。ヤコブの歩んだ道は、変容の山から苦しみの山に至るまで、外的な意味だけでなく、何よりも内的な意味において、キリスト信者の生涯の旅を表す象徴です。第二バチカン公会議が述べる通り、キリスト信者の生涯の旅は「世の迫害と神の慰めを通って」(『教会憲章』8)続けられるからです。

 

わたしたちも、ヤコブのように、イエスに従うことによって、困難の中にあっても、正しい道を歩んでいることを知るのです。

 

ー終わりー