巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

真実一途ーー三谷隆正

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「だが友よ、君が真実やりたいと思うことは何であるか。君がいのちに懸けても欲しいと思うものは何か。

...われらは真実生きがいのある人生に想いを定めて、一路ただ真実なる一生を眼がけ励めばよい。しかる時、われら真実の人生を握らずに終わるということはない。そうしてもし人生の真を握り得ば、かくてついに真実に生くるを得ば、他の何を失おうと何の悔いがあろうか。

貧何かあらん。

病なにかあらん。

血肉の悲劇また何かあらん。 

人生の真をひたに求め続けてついに得ずということはあり得ない。既にこれを得ば、他はすべてむなしきもの、求むるに値せざるものである。若き日は若き日の夢を持つ。真面目であればあるほど美しい夢を持つ。しかし、それは要するに無知な人間の浅はかな夢想でしかない。人生の実相はもっと苛辣である。真摯なる生活者の一生は失意失敗の連続であることが珍しくない。この意味においては、人の一生は到底その人みずからのつくる所ではない。多くはその人みずからの造ろうとした所と逆な一生である。

 

にもかかわらず、真摯なる生活者の真実なる一生は、その人みずからの願いしより以上に、一層深刻にその人の願いの通りの一生にまで完成する。...人の企画は浅薄幼稚である。その幼稚なる企画が実行されずして、神の博大高邁なる深謀遠慮が実行されるということは、何という幸福であろうか。」三谷隆正『幸福論』より

 

目次

 

小馬

 

私が「人生の旅路なかばに立ち」、わが過去を顧み、踏み来つた経路を省み思ふとき、私は一匹の若い小馬であつたとしか自分を考へられない。ただひたすらに走ることのみをこれ望み、正しい道がどこにあるかに、全然盲目な小馬にすぎなかつた。

 

岩角多い路を越え、茨の藪(やぶ)をぬけ、或時は、繁茂する樹の葉をもれる僅かの日光が、おぼろに道をてらす大きな森にふみ迷い、小馬はただ、盲ら滅法に走つたのである。

 

雨の降る日も彼は止り得なかつた。激しい嵐の日にも、彼はいやが上に狂気のやうにはげしく走つた。

 

然しある日、彼は荒涼たる嚝野(こうや)のただ中に、疲れ果てて死んだ様に倒れたのである。

 

その手足、胸、頭に至るまで打傷に蔽はれ、出血する傷口も少なくなかつた。彼は来たりし方をふり返つて、進んで来た距離が僅かなものであることを知つた。

 

彼は前途をながめ、目標は遥けく、何年か前と同じく遥かに、目の届かぬことを知った。しかも道は決して平坦でない。この場所は、都会に遠く隔たり、寂寥であつた。そこに彼は傷き倒れ、顧みる人もなかつた。

 

彼がこの悲惨の境地に気づいたとき、傷つける頬に、涙は滝のやうに流れた。

 

然し、それにも拘らず、神の慈愛の手は、常に小馬の上にあつたのである。彼の凡ての過誤と彷徨に拘はらず、彼は決して神の愛の守護から、はずれ落ちることはなかつた。

 

彼の被った傷そのものまで、実は神の愛の証拠以外の何物でもない。彼は深く根ざす消し難い欲求を持つていたことを知っていた。果たして何を求めてか?

 

悲しい哉、彼はただ盲目的に求めた。そして盲目的に焦慮したのであつた。

 

然るに神は忍耐強くいまし、人生の数多い十字路を越えて、忍耐をもて彼を導き給ひ、つねに底なき奈落の断崖から、彼を護り給ふた。

 

彼は欲求を持つと知りながら、「自ら祈るべき所を知らず。」然るに、神はその何なるかを知り、求められずともそれを彼に与へんと決し給ふた。

 

このことを思へば、彼は奮ひ起ち、目を輝かせ、手足の振ひ立つ力を感ずるのであつた。

 

私は若い頃、当然に甚だ自信に充ちていた。エマーソンの論文の中、「自恃(=自らに寄り恃(たの)む)」と題するものが、私の特愛の一文であつた。

 

体格において、私はやや蒲柳(ほりゅう)の質とされたにも拘らず、身体的精力に附ては、私は確信を持つていた。頭脳の精力について、私は口に謙遜でありながら、友人の誰よりも高慢であつた。

 

かくて私は、意気昂然と闊歩していた。何処を目ざすあても知らず。それが主我的自恃人の姿であつた。

 

しかもその時、「永久(とわ)なる不死の愛」は私を憐み、その恵みの手をさしのべ、御力によつて私を引き戻し給ふた。ああ、いかばかり私はこの力に抗し争つたか!私はもがき闘つた。

 

私は怒りわめいた、然しそれは「棘ある策(むち)を蹴る」が如くであつた。

 

かくて、私は止め難い涙の中に泣き悲しみぬいたが、凡て無益であつた。「他者」の意志の如くに事柄は進んだ。私の意志の如くにではなかつた。

 

私がこれ迄に恵み深い神の許し給ふまでに、集積し得た何程かの人生体験は、私に全面的な自己不信を教へてくれ、それに代へて、確固たる他者信頼(オルター・コンフィデント)を教へてくれた。

 

人生の溶鉱炉において、事物は人の意図するやうに型どられない。

 

神の意思に依ること、自我の意思の、神意に対する激しい抗争において、征服し彼らを強制するのは、神の御手にあり、彼らの分は打ち倒され余儀なくされるにあること、

 

要するに、我らの小さな計画は常に敗れ、神の意図は決して敗れざること、それが我が慰めであり、また私に無上の確信を与へる。かく保障されて、誰かいつまでも不信失意に止らうとする者ぞ。

 

内省して無益にも自己の内に善を見い出さんとするとき、私に不安と失望がある。然し私が仰ぎ見て高きに在す彼に祈りを捧げるとき、私は確信と慰安に充たされる。その時、失意そのものも却つて、わが慰めとなる。

 

たとえ私自らが盲目であり、我が求むる所を識らずとも、私は少くとも神が愛であることを知る。たとへ私は何を祈るべきかを知らずとも、私は少くとも神は知り、愛し給ふを知る。

 

少くとも私は「聖旨(みむね)を成させ給へ」と祈り得る。

 

そして一切の祈りの中、聞かれることを確信し得るものがありとすれば、それは同じ「聖旨を成させ給へ」といふものに違いない。

 

然り、もし彼の意思でなければ、誰の意思を成らしめようといふのか。そしてもし、彼の意思の成ることが確実であり、彼が全能の愛であるならば、猶(なお)も失意と不孝の理由がどこにあり得ようか。

 

顧みて、私は自分の脆弱さと頼り難いことを、ひしひしと感ずる。かつて抱いた自信は、今や去って、無い。

 

然しそれに代へて、私は神の我らに対する驚くべく優れた配慮を識るに到った。

 

もし人生が、我ら個々人の独立の力のみによつて築き上ぐべき建物であつたならば、それは人にとっては余りにも大きな仕事であったらうし、現世の何物をも押し流し去る力に、単身よく対抗し得る者は稀であらう。

 

人生の建物を自ら建てる者のいかに少いことか。更に少きは、人生の計画の初志を自ら貫き得る者ではないか。

 

然るに、生命は神の計画し、遂行し給ふものであるから、人生の外見的の失敗も苦難も、我らの神への信頼を強める助けをなす。

 

私にとつて少くとも、私の目を「摂理」と呼ばれるかくれた力に向けさせ、摂理に認むべき神の人格的の愛と導きに目を開かせたものは、人生の辛苦にみちた試練であつた。

 

それらは有り難くない試練ではあつた。然し来てから後は、その夫々の相貌は次第に変つた。私は、試練の怖ろしい仮面の下に、親しむべき容貌を認めないことは無かった。

 

約言すれば、神の前に、正しい道に歩むといふ自分の力に、私は自信がない。然し、私は神の慈愛を信ずる。彼が彼の道に私を導き、その道にはずれず歩むやう、私を強ひ給ふことを確信する。

 

私の今日あるは、私の意思によるのではない。神が他の歩き方を私に許し給はなかつたからである。その強要は屡々(しばしば)不愉快なものではあつた。

 

その重圧の下で、私はうめき、悲嘆したこと稀ではない。然し、それにも拘らず、私は、少しずつ神の愛と、智慧の深さ、広さを知るに到らざるを得なかった。

 

彼は私の些少の望みを拒み、私に遥に大きく高い望みを抱けと教え給ふた。彼は全く力づくで、私を乳と蜜との流れる国に引込んだ。それはたしかに力づくといへよう。

 

それであるから私は確信を持ち得、絶対に保証されて、幸福なのである。これが私が自分のものと主張し得る唯一の幸福である。そして何人もこれを主張し得ないといふことはない。

 

私はこれだけの幸福で満足である。然りこれこそ私にとつて、想像し得べき最大の幸福、祝福された保障である!

 

この様に私が語り終へた時、我が若い友は沈黙し続けた。月は昼のやうに照つていた。空に風なく、家は寂として声なかつた。

 

崇高な静寂は天をすべ、平和は地に溢れていた。

 

『三谷隆正全集』第四巻より

 

君が人生に於いて真にやりたい事は何か?

 

一生を富のために傾注して悔いないと君は言ふか。よろしい、君は君の富を追ひたまへ。徹底的に追ひたまへ。きっと富者になれる。

 

権勢を得たい、そして思ふ存分に力を振るってみたいと君は言ふか。よろしい、それも痛快だらう。脇目もふらずに君の道を勇往したまへ。

 

君にして不屈不撓、志を変へることがないならば、いつかは君の思を遂げることができるであらう。

 

況や或ひは、医学、或ひは物理学、或ひは生物学、機械工学、法律学、経済学、史学、語学等々、いづれとしてひたすらなる追求の前に不落の城たるはない。

 

才の乏しきを憂へる必要もない。純粋無雑なる勤勉を以て、其堂に入り得ぬといふことはない。

 

然しまた或る魂は、学も権勢も富も、何を以てしても、その欝勃たる志念を鎮むるに足らず、宇宙人生を支配する真理そのものに参ぜずしては已み得ないものがあらう。

 

多くの現代人はそれに対して言ふであらう。そんな真理なんていふものがあるものかと。古ギリシャのソフィスト達がさう言って、ソクラテスを嘲笑った。

 

然しその時、ソクラテスが死を以って証明したやうに、真理はある。澎湃(ほうはい)とただ束の間だけ人の世の或る一部分を支配するに止まるものではない。

 

これを富貴に比べれば、富貴はまことに浮雲の如くである。随って、富貴の追及はその本質において、浮雲の追及たることを免れ得ない。

 

然し真理は永遠に支配し、永遠に死なない。真理を追ひ、且つ之を得るものは、永遠にその所得を失ふことがない。

 

さうしてこの真理は又必ず得られる。真理にしてひたぶるに求め続ける限り、必ず得られる。その代り、真理の為めには、富も名も一切のものを棄てる覚悟が要る。

 

殊に深刻なる痛苦と艱難とを満喫する覚悟が要る。何故ならば、痛苦と艱難とを満喫することなしに、すべて人生において意味深き事、力溢れるものを経験することはできないからである。

 

苦難のみが、人をして人生の真に徹せしめる。まだ一度も骨を削るが如き悲涙にむせび泣いたことのない人に、人生の真理はわからない。

 

それはつらいことである。悲しいことである。然しこの悲涙の底に喜びがある。滾々(こんこん)として力湧き、望み溢れ、歓呼を爆発せしむる所の喜びがある。この喜びを現物とする時、一切を棄てた事が、実は一切を得たことであることを知るだらう。

 

これがなんで運命であらう。我らが切に求めた所を今得たのである。苦難も悲涙もすべてが、其結果から見れば、我らが自ら求めた鍛錬に他ならない。求めざるに負はされたる運命などでは決してない。

 

我々の運命は、我々自ら之を造るものである。真理を求めて倦まざるものは、真理を得るし、虚偽を以ていい加減に人生を綱渡りするものは、いい加減のものしか掴まない。

 

それは宿命ではない。我らの追及が真摯なりや否や、我らが生の目的とする所、いづこにありやの問題である。

 

凡そ人生に於いて、真に価あるものは何であるか。真摯に之を追及する者にして、之を得ずといふことなしである。

 

諸君、二度とない一生である。真実やりたいと思ふこと、又やるに値ひすること、その事をやるがいい。一生を賭してそれをやるがいい。めしの心配などはすることなかれ。

 

たとへ時利あらずして陋巷に貧居すと雖も、やりたいと思つたことをやり続けたのならば、丈夫適意の一生ではないか。何の悔いる所があらうぞ。

 

三谷隆正『世界観・人生観』「運命ー卒業生諸君に餞す」より

 

人生に於いて一番貴い事

 

パスカルが言ふ。

 

「神を疑ひ、未来を疑ふと称する人たちは、真実自らさう疑ふのでなしに、他を真似て疑ふふりをしているに過ぎない。

 

疑ふことを見栄と心得ているのである。疑と不安とが見栄だといふ。なんたる見栄ぞ」と。

 

げに虚栄から不信を看板にし、懐疑を鼻の先にぶらさげている人が実に多い。斯る人々に対して、余は難詰して問ひたい。「汝は真実、神を疑ふや?真剣に未来を否定せんとするや?」と。

 

おそらくは彼等の多くは愕然として身震いしつつ、答を曖昧にするのであらう。

 

小ざかしき哲学の片鱗を乳臭の口辺に漂わせて、誇りかにも神と永生とを否定し去らんと流行を追ふ若き男女よ。

 

汝は真に一切を空(くう)と確信せりや?

 

それは汝自身の確信なりや。汝自身の体験なりや。

 

悔悟は義への憧憬と決意とを前提する。即ち悔悟とは悪になじまずして義を追ひ求むるの心でなければならぬ。

 

然らば、悔悟とは自己の醜を識認するの心であるよりは、むしろ自己の義を何処かにか求めて得んと欲するの心、斯る精進をその特色とするものでなければならぬ。

 

さればこそ悔いたる心は神を仰ぐ。神の義を慕ふ。卑僕の罪を赦して、なんじの義の裡(うち)に抱き給へと祈る。

 

見よ。ユダは主を売りて後、その罪を知り終に首をくくって死んだ。なぜ彼は罪の赦しとその潔めとを求めなかったか。なぜ自己に失望し切っていたか。

 

ユダの誇りよ。人間の誇りよ。その誇りが幾度か人を神より遠ざけ、彼の悔改を妨げ、而して彼を滅亡の淵に陥しいれた事であらう。

 

神よ、なんじはこの誇りをも赦し給ふや。我らを試みにあはせず、悪より救い出し給へ。

 

「お前は罪を犯した。お前の汚れは最早、言い逃るべきやうもない。お前のやうなものは、もう駄目だ。悔いたと?それはお前の言い訳だ。なぜお前は、お前の醜さを直視してそれをそのままに受け入れる事をしないか。お前は駄目なのだ。さう悟る事が真個の悔悟だ。お前自身に絶望せよ。」

 

さういう声を心の奥にきくことがある。然しそれは悪魔の声だ。

 

基督はさういう風に言われなかった。彼はいつも愛に溢れて、「来れ」とのみ呼び続けられた。

 

神の赦免は、単なる放免ではない。抱擁である。罪を責めないだけでない、愛の接吻である。人ひとりひとり、その残らずが彼の愛児達である。さうだ。余は余自身に絶望してはならない。

 

罪人はその罪にのみ執着し、着目してはならない。我等は義とせられなければならない。義を追ひ求めて休んではならない。神の賜ふ義、それを被る迄は止まってはならない。神よ、我等を潔くしたまへ。汝の義を以て義としたまへ。斯して誠に汝の子たることを得しめたまへ。

 

然り。人は本来、神の子であるべきである。神の子は義の子、光の子であるべきである。罪と暗きと、それは人の本質ではない。

 

見よ。白き輝ける衣、我等のため備へられて彼処(かしこ)にあり。兄弟よ、希望を失ふなかれ。兄弟よ、信頼を失ふなかれ。兄弟よ、神は我等すべてのために輝きの聖国を備へ給ふのである。ハレルヤ。

 

人生において一番貴い事は、正直であること、誠実真摯、真理を追うて倦まないこと、自己一個に屈託しないことである。

 

道の為めの勇猛心、それにも勝(まさ)って立派な力強い堂々たる偉観があらうか。

 

「もはや我、活けるに非ず。基督、我に在りて活けるなり。」

 

さう謂うことの出来たパウロの総身にはどんなにか力が溢れ、勇気が漲った事であらう。

 

自己に死なんとの野心の胸中に高鳴りするを覚える時、なんだか飛び出して天下に絶叫し度いやうな勇奮を余も感じる。

 

余の野心はこれ以外にない。あらしめたくない。

 

己を全き献物として神の聖壇に上すこと、真理の為めに一切の私を投じ尽して了ふ事、余はこれ以上の偉業を考へ得ない。

 

余はこれ以上の野心を持ち得ない、又持ち得度くない。

 

 

三谷隆正『問題の所在』「感想と祈念と」より

 

絶望

 

もし神の大愛を以てしても、どうしても赦すことのできない罪があるとしたら、それは人が自分自身に絶望することであろう。

 

又もし人が神の国に迎え入れられることを絶対に妨げる障碍があるとしたら、その障碍は人が「自分自身に恃(たの)む」という事であろう。

 

我々は自分自身に絶望してはならない、決してならない。然しまた同時に、我々は自分自身に恃んではならない、決してならない。それならば、我々はどうすればいいのであるか。

 

自分自身に絶望しないでいて又同時に自分自身に恃まないでいる事が出来る事であるか。

 

自分自身に恃まないと共に、自分自身に絶望しないでいる事が出来る事であるか。

 

むしろ我々が自分自身に絶望し切った時、その時に、我々は真個に自恃自誇を棄て得るのではないか。

 

まず自己に絶望せよ。しかる後、自恃を去るを得べし。しかる後、真に謙遜なるを得べし。かういう論法は、論理的には甚だ強力な論法である。

 

私は其処にある真理の存する事を否認するものでない。然しもし実際に、我々が自分自身に絶望し切ったならば、その時、我々は真実謙遜な者になり得るかどうか。私はそれを省察したい。

 

絶望は暗い淵である。

 

其処には光の片影さえない。冷たい堅い扉を光明に向けて、希望の一閃(いっせん)をさえもらし入れまいと守るのが、絶望の城廓である。

 

光明は天地に遍照して毛ほどのすき間、針の孔(あな)ほどの隙をものがさじと押し寄せて来る。

 

その光明の強襲を頑強に堅固に防御し、撃退するのが、絶望者の態度である。

 

己が城を渡さじと守るもの、ひた寄せによせ来る光明軍の前に、暗黒なる鉄扉を堅く閉ざして、一人をも入れじ、一歩も退かじと健闘するもの、それが絶望者である。

 

彼こそ最も頑強に自己に恃(たの)み、自己を守るものでないか。その何処に謙遜があるか。

 

我々が独り、静かなる時に、我々の犯した数々の過を省みる時、我々は殆ど耐えがたいまでの悲しさと恥ずかしさとを感ぜずには居られない。

 

もし我々が人の記憶からも、神の記憶からもいささかの痕跡もなしに消え去り得るものであるならば、そうやって隠れを了(はか)る事が出来るものならば、どんなにか気安い思いをするだろう。

 

然しそれでも我々は、我々自身の記憶からのがれ去る事ができない。

 

他人はたとい我が罪科を忘れ果ててくれようと、我自らの霊の痛みを如何にせん。かく思い悩む人の心にキリストの福音は何たる喜びの訪れであろう。

 

曰く「我は正しき者を招かんとにあらで、罪人を招かんとて来れり」と。

 

それは余りに勿体(もったい)ない思召(おぼしめし)である、殆ど信ずるに難い恩恵である。

 

現に幾多の人が信ずるに難しとした所であった。然し我らの救済は、是以外にない。

 

神は、われらの犯す如何なる罪を赦し給うとも、この福音を拒斥する事、さうして自己に絶望する事だけは、決して赦し給わぬであろう。

 

もし人は各々絶対の主人であって、各自は各自の絶対的所有物であるならば、我々が自分に絶望すると否とは、我々の自由の権利であるかも知れない。

 

然しもし神が我々を造り、我々をしろし給ふものであるならば、神の我らをすて給はざる前に、我ら自ら我らを捨て去るとは、己を塵芥(じんかい)に委するという事でない。

 

己自ら己の主人たらんとするの野望を捨てて、神の前に己を返還せよとの謂である。

 

己を塵埃視し、糞土視する事、さうやってむやみと己一個をけなしつける事が謙遜なのでない。

 

自己に対する自己主権を放棄して、神の前に自己を奉献する事、何事にも自意を主とせずして、一切を神の大御心に委ねまつること、ただ神に於いてのみ誇り、又恃む事、それが真の謙遜である。

 

故に、うなだれた首が謙遜のしるしでない。

 

小児の如くに快濶に、小鳥のごとくに喜べる、晴々と暢々(のびのび)した心こそ謙遜なる人の心である。

 

たとい世の人はこぞって我を侮辱しようと、もし私自らが私を侮辱しない限りは私の品位は少しも傷つけられない。

 

之に反して、千万人が私を尊敬しようとも、私自らが私を尊敬する事を得ないならば、他よりの尊敬は徒(いたづ)らに、私を苦ましむる因たるに過ぎない。

 

而して、たとい全世界の人がこぞって私を棄て去ろうと、もし私自ら私を棄てないならば、私を棄てざるものが猶二人ある。神と私と。

 

只一人恋人の彼を棄てざりしが為めに、世をこぞりて彼を棄てたるにも拘らず、終に自己に絶望する事を得ざりし人があった。

 

況や(いわんや)、神、我を棄て給はざるに、何を早まって、我自らを棄てようぞ。

 

さうして神は決して人を棄て給わない。一人をも棄て給わない。それがキリストの福音である。

 

人の犯し得る最大の罪は、自分自身に絶望する事である。一番悪魔的な事は、絶望することである。

 

妻と子を失っても

 

十数年前、私がまだ岡山に在住の頃の事である。

 

春なほ浅き3月7日朝9時15分、女児出生、初めてのお産であつた。

 

その朝、南国の春の空は真っ青に澄んで、まばゆいほど晴れ晴れと明るかつた。私たちは晴れ晴れとした心持で生れた児に晴子といふ名をつけることにした。

 

産前の妻の健康が順潮でなかつたので、このお産は随分案じていたお産であつた。

 

然し格別の事もなくて割合にやすやすとお産がすんで終つた時、私達はどんなに安心し、どんなに喜んだことか。

 

諺に案ずるより産むは易いといふ。全くその通りであることを腹の底までこたへるほど感じた。まことに案ずるより産むは易いであつた。

 

私は此時始めて、人間一匹が如何に貴重なものであるか、殊にその親にとつて子が如何にかけがへなく貴いものであるか、その事を悟つた。痛切に自覚した。

 

さうして私が学生たちを見るその眼が、此日を境にしてがらり一変して終つた。なるほど神様は99匹の羊を野に置いて、迷へる1匹を尋ね探したまふ筈だ。

 

神様は天にいます我らの父上でありたまふのだもの。その事が私に初めて納得できた。

 

それから二、三日過ぎての夜。風もなく、雲もなく、来客もなく、なごやかな静かな春の宵であつた。

 

私は妻の枕頭に坐つて、唯二人きりそこはかとなく物語りつつあつた。勿論そこには赤ン坊の赤い赤い寝顔がある。私達二人は赤ン坊の将来について、夢のやうな希望や期待を語り合つた。

 

わざと薄暗くしてあつた電燈のやはらかい光、みどり児特有の愛すべき乳臭、静もりかへつた夜気。

 

其夜其時の光景は今もなほまざまざと私の眼底にある。如何に平和な、如何に清らかな、その団欒のよろこびであつたか。

 

それが私たち三人この地上に於て持つことを許された短い、然り余りにも短い一家団欒のよろこびであつた。

 

何故なら、その翌日あたりから妻は異常な高熱のため苦しみ始め、二十日ばかりで幼き晴子が先づ天にかへつたからである。

 

それにしてもあの夜の団欒は楽しかつた。その祝福をわたくしは忘れることができない。

 

やがて春も暮れ、南国のぎらぎらと強烈に暑い夏がやつて来た。その7月4日、妻また晴子の後を追つた。其頃、私自身亦、終にたふれて、臨終の妻をみとりすることができなかつた。

 

私は病褥に横臥のまま黙々として妻の柩を目送した。其時は涙さへ湧かなかつた。

 

然し五日過ぎ七日過ぎて、私は漸く黙々たるに耐へ得なくなつた。強ひて黙せば胸がはりさける。たまらなくなつて私は無茶苦茶に三十一文字を並べては枕頭の手帳に記した。

 

いも逝きて十日を経(ふ)なり朝まだき

ふと泪わきて とどめあへざり

 

君逝けど 君のいましし室にいて

もの言ひかはす まねしてみたり

 

が幸いにして私の病気は順潮によくなつて行つた。熱もほぼとれた。或る朝私は床を出て、まだ埋葬せずにある二人の遺骨を合はせてひとつ壺に納め、それを床の間に安置した。

 

いもとあこと灰にしあれど ひとつ壺に

をさめて なにか心なごみぬ

 

灰となりて かたみにいだくか あこといもと

わが膝の上の骨つぼをはや

 

やがて秋が来た。私はほぼ恢復した。なんだか体も心も何物かに洗ひ浄められて、秋空のやうに澄み切つているやうな気持がしていた。

 

まだ体力に不足はあつたけれども、良し、これからは葬ひ合戦だとばかり、学校にも出るし、予定の計画に基く勉強にも精を出し始めた。

 

極めて静かな、然し底深い力が、どこか天の方から来て私を支へてくれるやうな感じがした。

 

家の周囲に林のやうに群生していたコスモスが、何百枚かの友禅の晴衣を野一面にうちひろげたやうに眼もあやに咲き揃つた。

 

毎日のやうに近所の女学校の生徒たちがその花を貰ひに来た。妻はこの花がすきであつた。

 

風さやにコスモス咲けり この花を

ともにめでにし 妻よ月日よ

 

君逝きて この秋をなみだしげけれど

さやけきひかり 天にあふるる

 

聖国(みくに)にて君われを待てつちにいて

われ きみを仰ぐ ちからあはせん

 

地上生活に於けるささやかな謙遜なよろこび。パンひとつ、果物ひとつを分けあふ喜び。それは他の何物をも措いて求むべき不滅の宝ではないであらう。

 

然しやさしく美しき喜びである。人生のさうしたつつましき喜び、ささやかな幸福、それは決して無意義なものではない。

 

家庭のうちのこのちひさき喜びを賞美することを、私も少しく学ばしていただいた。この些細な祝福のためだけでも敢へて冒(をか)して家庭生活に飛び込んだことは充分に意味のあることであつた。

 

なぜなら結婚は私にとつては乾坤一擲(けんこんいってき)の大冒険であつた。私が自分の一生の使命と信じて居る学問、それをさへ場合によつては妻子のために犠牲にしよう、さうする方が百巻の大著を完成するよりも、より真理に徹したる生き方である。

 

さう覚悟して後、初めて、私は敢へて一人の婦人を己が妻とすべく決意する事ができたのであつた。私はこの覚悟に充分報いられて居つた。家庭のうちなるつましき喜びに祝福あれ!

 

十数年前の平和な春の一夜のひと時の団欒。私にとり永遠に祝福せられたる思ひ出の団欒である。家庭の団欒に祝福あれ、そのつましきよろこびに祝福あれ。

 

天の川 親星子星百千(ももち)星

ちさく紅きは 嬰児星(みどりごぼし)かも

 

 

『三谷隆正全集 第二巻』「家族団欒」より

 

信仰は冒険なしには成立し得ない。

 

...然し、その冒険は、理論的にのみ不安なるものであつて、実践的には不可抗的に安定である。断じて冒して起つ時、信仰はもはや何の危惧をも持たない。彼は冒さざるを得ずして冒し、信ぜざるを得ずして信ずる。

 

かくの如くにして、神について我らの体験し得る確かさは、信仰への決意を通して初めて湧く所の体験にあるのならば、宗教とその信仰とはその根柢に於いて、厳密に個人的なる内経験であらざるを得ない。

 

信仰は一人一人の身みづから体しなければならぬ実験である。如何に偉大なる聖者と雖も、自己の体験を以て他の者の体験を不用に帰せしめる事は出来ない。

 

神に対しては誰もが単に受動的なる立場を持するわけにはいかない。神を信じ得んと欲するか。然らば敢て身みづから起たねばならぬ。身みづから一身を賭して信仰への冒険を断じなければならぬ。

 

此個人的なる親しき冒険の実践を廻避しつつ、猶且つ神についての確かさを把握せんとするが如きは、水に入らずして水泳に熟達せんとする者よりも、より以上に虫のよき注文である。

 

断じて起つの勇気と熱心とのないものは、終に信仰の安住と歓喜とを体し得べくもない。その例証は、イエスの伝道を録したる四福音書を通読して見ただけでも、随処に之を発見し得るであらう。

 

神は自を絶して他なるもの、その意志は人の我意を絶して他なるものである。故に我らが実践的に神に近づくべく決意する時、我らの意志の方向も亦、我意を絶して他なる方向になければならぬ事は確かである。

 

我らが自己一個に執していてはならない事だけは、極めて明瞭確実である。故に信仰の冒険の第一歩は棄私であらざるを得ない。

 

然しそれは他者を求めての棄私であつて、絶望的な自殺ではない。故にその棄私の断ぜられる瞬間に於て、棄てられたる己れは、新たなる生命に甦るのである。

 

然り、他者の体験に於て生長する。信仰に於て生長する。生長せずんば萎縮する。

 

進むか退くか、我らの生命は精神的にも身体的にも、一瞬時として静止しない。随って又信仰の冒険は、ある瞬間を限りとして完了し、それで爾後いつまでも有効であるような、そういふ〈ひと仕事〉ではない。

 

モエリケは愛は不断の冒険だとうたつた。フィヒテは「愛するが生くるなり」と断じた。然らば生くることは不断の冒険でなければならぬ。げに人生は不断の冒険である。

 

故に信仰に生くるの人生は、不断に私を棄てて他者を求むるの冒険ではあらざるを得ない。それが神を愛するという事である。

 

そうやつて不断に愛の冒険を冒すとき、我らは次第に神を識るの智慧に於て生長する。而して愛の冒険の不断である如く、それに基く他者の体験に於ての生長が不断である如く、

 

その如くに又、我らが信仰の生長は、不断にして、決して完了しないであらう。

 

神は僅々、五十年七十年の体験に於いて了智せらるべく余りに偉大にして測る可らざるものである。神は畢竟するに識られざる神である。

 

然り、彼が識られざる神なるが故に、我らは只彼を信じて険を冒すのだ。信仰は決して了智ではない。神を認識する事ではない。神を見るの神秘的体験を持つ事ではない。実践的に神を求める事である。

 

神を求めて私を棄てる事である。「起ちて父のもとに往く」(ルカ伝15:20)ことである。

 

まことに若し神の眼を以て見るならば、真理は既に完き全部であるかも知れない。然し人の立場からは、真理とは宿題である。理想である。日夜希求し、刻々実現せらるべき価値であり、生命である。

 

教理(ドグマ)だけで何故真理を伝へ得ないか。それは活ける真理を死せる型の裡に独占しようとするからである。信仰が信仰箇条中に封ぜらるる時、何故宗教に生命がなくなるか。

 

それは活ける宗教的真理を、死せる固定箇条中に監禁し、信仰の自由なる生長を阻止するからである。

 

「神は人の手にて造れる殿に住み給はず。」人智が如何に進まうとも、人の側に於いては問題は決して尽きないであらう、宿題は決して終らないであらう、真理は決して完了しないであらう。

 

斯して永遠に発展し、顕現し、生活する所の統一的動向、その生命、その活潑々地たる経営、それが真理である。そうしてそれが為めの絶えざる努力と労作とが人の使命である。

 

神をそのあるがままに見究めることは、神にのみ可能の事であって、人の力にない事である。故に「今われらは鏡をもて見る如く見るところ朧(おぼろ)」に、「今わが知るところ全からず」であらざるを得ない。唯「されど、かの時には顔を対(あは)せて相見ん」と期待し、「されど、かの時には我が知られたる如く、全く知るべし」と信ずるのが信仰である (コリント前書13章終り)。

 

信仰による体験が持つところの、そうした超主観味、或ひは客観的確実性が、どれほど深刻に凱切に体感せられるか、それが我々の実践生活のみならず、我々の認識の世界にさへ、初めて強固なる基礎と確からしさとを与へるものであるという事は、未だ起つて信仰の冒険を断ぜざる人に向かつては、之を説明し得べくもない不可思議である。

 

若し我らにして他者を求めつつやまないならば、我らの衷は日に日に私を減じて、彼の他者の印象を深く濃くして行く事であらう。

 

 

三谷隆正『信仰の論理』 七、信仰の本質、八、信仰の冒険の内容より

 

他者の体験

 

およそ人という人にして、何らかの形において名誉心を持たないものはあるまい。その名誉心とは如何なる心であらうか。何が名誉の内容であらうか。

 

結局、自己一個の存在が己れ自身に対してのみならず、他に対しても意義を持ち、価値を有するものであるといふことが明確にされること、その事が名誉の内容であると私は思ふ。

 

自己一個の存在が、己れ自身の為めに役立つの外、終に他に対して何の意義をも価値をも持たないものであるならば、一己の存在は空の空なるものである。

 

おほよそ我々が我々の意志を縛るべき何ものをも見出さないとき、天の下に我が聴くべき意志とては、自己一個の意志の外何ものもない時、我が胸中の淋しさと不安とは怖るべき程度のものである。

 

反之、一己が身を投じて奉仕すべき対象の与へられてある時、一己の意志を縛るべき大いなる意志の見出されてある時、我が前に我が一身を献げて拝跪すべき他者の姿をありありとおろがみ得る時、その時に一己は、謂ひ難きの力と平安と満足とを得、歓喜に充ち、希望におどるのである。

 

愛のきずなは我等を縛るが故に甘美である。神は我等を強制するが故に、然り、絶大の力を以て、我等欲せず、我等意識せざる間に、我等の知らざる方へ強ひて我等を導くが故に、我等が安心立命の大盤石たることを得るのである。

 

已むなくモーゼは起つた。神に強ひられて起つた。その大事業は決してその野心の産物ではなかった。エホバの意志に対する服従の産物に外ならなかった。

 

然りモーゼの力の源は服従にあつて自恃になかつた。エホバに対する絶対服従にのみあつた。その他力にのみあつた。同じ服従と同じ他力とが、イエスにとつてもその力の源であつた。

 

些(すこし)の私をもとどめず、全身全霊ただ神の命のままに行動したのがイエスであった。彼自身は能ふべくんば此苦き杯を免れ度いと願った。然し神の意志は十字架にあった。故に彼は神の意志に従つて十字架に上つた。

 

その一生を通じてイエスは神に強ひられたる人であつた、、そうして起つた。そうして力溢れた。揺籃より十字架まで、彼を導き彼を支へたるものは、神以外の何ものでもなかつた。

 

イエスはその絶望の極に於ても猶「わが神」と叫んで、決して他の何者にもすがらなかった人である。そこに彼の力の秘訣がある。

 

如此して私は、我に或る大いなる他者を思念し感得するのみならず、私の僅ばかりの来し方をかへり見て、そこに如実に他者の他力を体感し得る。その来し方を彩る大なる転機にして、私が自ら計画し、その計画した通りに成就したのであるものは、殆ど一つだにない。

 

私は私の一生を導くものが、私自身の思案工夫でなくして、或る大なる他者の力であることを実感する。私は、私の私意私案が、私の為に大なるもの、力あるもの又貴きものをもたらして呉れた事のあるを知らない。

 

私の私案は、いつもつまらぬものであつた。徹底せぬ欲求であつた。妥協的愚案であつた。偶々(たまたま)その愚案の実現せられた時、私は自意を就げながら、猶不満であることを免れなかった。

 

然し、私のその愚案が紛砕せられて、思はぬ痛苦が私の身に臨んだ時、その時に私は、予期せざりし満足と激励と感謝とを己がものとすることが出来た。

 

私は私の大なる幸福と、人の想に過ぐる満足とが、決して私の私案によつて招来せらるるものでなく、私の願はざる苦痛と思はざる艱難とを通して、他より与えらるるに相違ないと信ずるようになつた。

 

私は最早、私自身の計画の成就されぬ事に失望しない。私は、私を導く力が、私自身よりは遥かに大に、遥かに賢くあり、私が私自身を愛する以上に強く且つ正しき愛を以て私を包む、彼の他者の力と智慧とであることを信じて、安んじて勇躍して、人生てふ不断の冒険を冒したく思ふ。

 

単に無限を想ふとか、絶対普遍なるものを思念するとか、敬虔なる感情を以て大いなる者の前に額く(ぬかずく)とかいふだけの事では宗教の根柢たり、信仰生活の動力たるべく、余りに力弱く且感傷的である。

 

信仰は智識ではない如く、また感情でもない。ただ誠実なる意志とその具体的実現に伴ふ、他力の実践的に如実なる体験、それが活ける信仰の活ける基礎である。

 

信仰の基礎はかくのごとくに、個人的である。宗教は終に一般的概念を基礎として立つ事を得ない。又単なる受動的感情を以てその根柢とすることを得ない。

 

三谷隆正『信仰の論理』六、他者の体験、p56-67より

 

私は人生における蹉跌(さてつ)と失敗とを恐れない。

 

かくて幸福とは、地上においても天上においても、さかんなるいのちに充ち溢れることだ。そのためにはわれら人間の限りある貧しきいのちが、もっと豊かな永遠的ないのちにつながれなければならぬ。

 

そのためにはただ見たり悟ったりするだけでなく、もっと突っ込んで、いのちを以ていのちに迫るのでなければ駄目だ。天上においても地上においても、この挺身的な没入、そのひたむきな帰依が幸福の奥義である。だから地上では、すべての悪と偽りとを敵にまわしての不断の健闘。

 

天上では勝ち誇る愛と真実との活発発地たる建設経営。これが幸福の奥義であり、また人生の真意義である。故にすべて真実なる人生を生き、随ってまた真実なるよろこびに与りたくおもう者は、何よりもまず極めて積極的に、真実こめてこの人生を生きぬけるべく覚悟しなければならぬ。

 

そうしてそのためには、われらこの色身をもてこの地上にある限り、あらゆる虚偽不真実と戦いぬく覚悟をしなければならぬ。そのためには肉体の健康のためにも、精神の教養のためにも、家庭のことも、社会のことも、その他各種の生活条件についても、誠実細心なる用意を配る必要がある。

 

真理のため祖国のため、はた又神の国と神の義のため挺身すると言っても、むやみやたらにただ投げ出しさえすれば良いのではない。己を捧げるからには、最上の己を捧げなければならぬ。心身共に自分として力一杯磨きあげたものを奉らなければならぬ。

 

〔結婚の意義を述べた後で〕だが健康の故障やその他の原因で結婚できない人がある。殊に今日のような戦時においては(註:1944年当時)、多数の豊かな天分を持つ婦人が、その天分を充分に活かし伸ばすべき場処を得ずして、孤独なる生涯を幸うすく過ごさなければならぬことである。これは悲しむべきことである。けだし人は男女ともその天分のうちの最もゆかしきものを、家庭において始めて充分に伸びしめ得るもののようである。

 

わけても婦人はそうである。家庭は婦人のための天与の職場である。しかるに若くして心身の備え豊なる婦人のすくなからざる数が、この天与の職場につくことができないということは、まことに悲しむべき社会問題である。

 

しかし結婚だけが人生のすべての意義づけの源であるのではない。ある人々にとっては、一生娶らず嫁がず、一切の家庭的繋累(けいるい)から解き放たれて、一意専心あるひとつの仕事のために献身するということが、その人の天職である場合があろう。あるいはまた、時世非なるがために、一生良縁を得ずして、孤独のうちに忍苦し続けて、人生の隘路(あいろ)を健歩することが、その時その人に託されたる時代の使命であることもあろう。

 

健康とか家庭とかいう生活条件を蔑視することは間違いであるけれども、これらの生活条件を人生の目的視するのも大きな間違いである。人生の意義目的は健康以上結婚以上である。

 

天は若き日の夢を粉砕することによってその人の身魂を練るのだというのである。この意味においては、真摯なる生活者の一生は失意失敗の連続であることが珍しくない。

 

この意味においては、人の一生は到底その人みずからのつくる所ではない。多くはその人みずからの造ろうとした所と逆な人生である。にもかかわらず、真摯なる生活者の真実なる一生は、その人みずからの願いしより以上に、いっそう深刻にその人の願いの通りの一生にまで完成する。

 

人の企画は浅薄幼稚である。その幼稚なる企画が実行されずして、神の博大高邁なる深謀遠慮が実行されるということは、なんという幸福であろうか。

 

私は人生における蹉跌(さてつ)と失敗とを恐れない。

 

それらの浮沈に拘わりなしに、生くるに値する真実の人生は必ず与えられる。真実もて求むる限り、必ず与えられる。この新しきいのちさえ与えらるるならば、健康を失っても、家庭がなくとも、職場さえ奪い取られても、われらは生気とよろこびとに溢れたぎつことができる。

 

しかしこの奪うべからざる幸福の鍵は、われら人間みずからの裡にはない。...ただ信仰により、超越的創造の主たる神の恩賜として、ただただ恩賜として受領するよりほかない。イエスはこの受領ぶりをたとえて、幼児のごとくに受けると言った。

 

こうした宗教的境地を通ることなしに、不壊(ふえ)の幸福をつかむことは不可能であると思う。

 

それにはどうしたらよいか。真実一途の生活をすることだ。ほかに道はない。

 

ただただ真実の一本槍、一切の虚偽虚飾を敵に回して、終始一貫ただ真実を守って生きぬくことだ。しかる時たとえもし一生を苦しみ通し、悩み通すことありとも、それは深く祝福せられたる、充ち足らえる一生であるであろう。なぜならば真実なる一生にも増して神の祝福に値するものは他にないから。

 

 

三谷隆正『幸福論』(岩波文庫)第6章より