巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

私の辿ってきた道ーーマーク・マックニール師の信仰行程

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目次

 

Mark Mcneil, My Conversion, 2011, Mark McNeil: Former "Jesus Only" Pentecostal, , 2003, 2018(抄訳)

 

若き日のペンテコステ運動との出会い

 

私にとってのキリスト教との初めての接触はバプテスト信者を介してのものでしたが、間もなくして十代の私はペンテコステ運動に関わるようになりました。

 

ペンテコスタリズムは霊的賜物、特に、「異言を語ること」にフォーカスを置く運動として知られています。また大半のペンテコステ信者は、自らの異言体験を、聖霊を受けたことに対する「最初の証拠 “initial evidence”」として慣行化しています。

 

私自身もまた異言で語ることを学び、その他の霊的諸体験をも与えられました。この間、非常に多くの出来事があり言及し切れませんが、とにかく私はこの「最初の証拠」という教えを受け入れるようになり、また自分の宗教体験にかんする信仰行路に影響を与えるような異言体験を数回することになりました。

 

ワンネス・ペンテコステ派

 

しかも私は単なるペンテコステ信者ではなく、「ワンネス」ペンテコステ派信者でした。(非常に有能で卓越したワンネス派キリスト教教師との出会いを通し、私はこの派の忠実な信者になりました。)それではワンネス・ペンテコステ派とはどういうものなのでしょう。

 

これを説明するためにまずはペンテコスタリズムについて簡単に概説したいと思います。ペンテコスタリズムというのは、20世紀に興った運動であり、この運動は、聖霊の働きおよび異言で話す「賜物」に関する独特の神学の発展から生まれてきました。

 

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ペンテコスタリズムの発祥地ーーカリフォルニア州アズサ・ストリート、1906年(出典

 

ペンテコステ運動の根拠づけは極めてストレートなものです。ーーすなわち、聖書の中で人々は、聖霊の賜物を初めて受けた際異言を話した(使2:4、10:48)。そしてこの「パターン」は今日においても起こるべきものとして捉えられる、というものです。

 

そして大半の人々は、聖霊の賜物は、キリストに対する信仰を通し来る「救い」の体験に続く形で与えられると考えました。そして私たちがその賜物を受けるのは、世界宣教の働きのためにキリスト者を強めるためです。

 

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ペンテコステ運動初期の礼拝風景(出典

 

ペンテコスタリズムは当初より、初期キリスト教から失われてしまった諸真理を「回復」するための刷新・改革運動としての自己認識をしていました*1。そして人々は、これまでの世紀に破棄され、あるいは歪曲されてきた諸真理を探すべく熱心に聖書を調べました。その後、ペンテコスタリズムは、霊的賜物(特に異言と神癒)に重点を置いた上での、「ウェスリアン主義」と「バプテスト諸思想」の改訂版綜合という形をとっていきました。

 

しかしながらペンテコスタリズムの揺籃期、そこにはまた一つの独特なる神学的提示がなされていました。(そして今日に至るまで彼らは別個のペンテコステ諸組織を形成しています。)

 

つまり、大半のペンテコステ派信者は三位一体説を信奉していますが、この運動内にはまたアンチ三位一体説の立場を採用する人々が存在していたのです。聖書データに関する妥当なる神学的綜合としての三位一体説に疑問を投げかける、という彼らの立場は、水のバプテスマに関する彼らの特異なる理解から生じてきていました

 

大半のペンテコステ信者は、バプテスマを、キリストへの信仰を宣言する、成人のための「礼典(“ordinance”)」として理解していました。そして洗礼行為は通常、伝統的な三位一体様式に則った完全浸水によって執行されていました。

 

しかしこの運動内のある人々は、「バプテスマというのは元来、三位一体の名によって執行されていたのではなかった」と主張していました。彼らによると、新約聖書のバプテスマは本来、「イエスの名によって」(使2:38)実践されていたのです。

 

「でも、それでは、マタイ28:19の御言葉と矛盾してしまうではないか」と反論される方がおられることでしょう。しかし「矛盾はしていない」とワンネス派の人々は言い、次のように論じています。

 

「なぜなら、マタイ28:19の聖句は、御父、御子、御霊の名(name;単数形)のことを言及しているからです。そしてここで言及されている単数形の『名(name)』とはイエスのことを指しています。ですから、(御父、御子、御霊を包括しているところの)イエスの名によって洗礼を受けていない人のバプテスマは正当なものでもなく合法的なものでもありません。」

 

尚、「イエスの名」を強調する様式は、バプテスマを単なる信仰宣言以上のものとして理解する傾向が強いといえます。彼らの多くにとり、バプテスマというのは、罪の赦しをもたらす従順行為として理解されていました。それゆえ、彼らによると、イエスの名によるバプテスマは、オプショナルなものではなく、必要不可欠なものなのです。

 

様態論的な神理解

 

そうしますと、バプテスマを巡ってのこの論争は瞬く間の内に、神の御性質を巡っての論争に変わっていきました。

 

仮にイエスというのが、御父、御子、御霊の「名 “name”」であるとしたら、そこから自然に導き出されるのは、神に関する様態論的概念です。そうすると御父というのは単に、多様な様態(modes)、イエスの諸活動・諸役割の中の一つに過ぎないということになります。

 

例えば、私は現在、父親であり、息子であり、夫ですが、にも拘らず、一つのペルソナです。同様に、(彼らによると)神は多様な役割の中で機能してしますが、依然としてただ一つのペルソナです。大半のペンテコステ派信者たちは、神の一つの性質の中に存在する三つの永遠なる神的ペルソナを是認していましたので、この論争は非常に深刻な意味を持ったものでした。

 

これは神礼拝や神理解に影響を及ぼしただけでなく、これらワンネス・ペンテコステ信者が、より広範なるキリスト教史の中において自らをどう位置付け、自己理解しているかに関する声明文をももたらしました。そして最終的に、こういったワンネス・ペンテコステ派/アンチ三位一体説グループは、独自の諸組織および信仰告白を形成していくようになりました。

 

↑ 国際ワンネス使徒教会、国内大会の様子(2016年、フィリピン)

 

ワンネス・ペンテコステ主義に関し、私は別の場所でさらに詳述しています。彼らの立場は深刻に欠陥があり、釈明義務を負っていると思います。且つ、ペンテコスタリズムのこの一角は、神理解、キリスト理解、救済理解という中心的諸問題に関し、意識的に「伝統的」キリスト教と袂を分かつ選択をした、ということを付け加えておきたいと思います。

 

ワンネス派のバイブル・カレッジに進学

 

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米国ノース・カロライナ州にあるワンネス・ペンテコステ教会(出典

 

さまざまな出来事を通し、気が付くと私は青年期の7年間を、ワンネス・ペンテコステ信者として送っていました。

 

私はワンネス派の聖書理解こそ真の聖書理解であると確信しており、それゆえ、できるだけ多くの人に自分たちが信じているこの真理を伝えようと努めていました。またさまざまな場所に出かけ説教の奉仕をし、教えをなし、三年間、ワンネス派の聖書カレッジで学びました。(1990年に卒業。)

 

しかしながら神学校卒業後まもなくして、私の神学的諸確信はぐらつき始め、危機に陥りました。なぜそうなったのかと言いますと、神学校での学びの大半を私は三位一体説の研究に注ぎ込んでいたからなのです。

 

私は三位一体神学という(偽りの)体系の歴史およびその(偽りの)聖書的基盤を徹底的に研究することによって、それがいかに間違っており、聖書に反しているのかということを人々に決定的な形で論証できたらと考えていました。

 

しかしながら私の研究がたどり着いた終着点は、「三位一体説は、私たちワンネス派の神論よりも、より忠実なる聖書データの綜合である」という結論でした。いくつかの聖句は実際、御言葉に対する深刻なる歪曲なくしては自分たちの理論に圧入できないのです。(例、ヨハネ16:13、17:5)

 

教父文書との出会い

 

またこの研究の期間を通し、私は古今の著述家たちの智慧と洞察に深く感銘を受けました。その中でも特に惹かれたのが教父たちの作品でした。それを読むと、キリスト教最初期の数世紀の間に、キリスト教神学がどのように発展していったのか、その軌跡を知ることができることに気づき、私は歓喜しました。まさしく自分が今まで一度も足を踏み入れたことのない未踏の神学領域が目の前に拡がっていたのです!

 

それと並行する形で、初期教父たちの信仰と自分のそれを比べた時、私は深い歴史的孤独感を感じざるを得ませんでした。その当時、私はカトリシズムについてほとんど無知の状態にありましたが、それでも、教父文書の中に織り込まれている‟カトリック的”諸思想に気づかずにはいられませんでした。(例:サクラメント、伝統、使徒継承など)。

 

もちろんこの時点において私は自分がカトリックになるべきだとかそのような事は考えていませんでしたが(そのような考えが頭をよぎったことすらそもそもなかったと思います)、一つ自分の中で確かになっていたのは、ーーワンネス・ペンテコスタリズムに特徴づけられているより個人主義的なアプローチーーではなく、もっと歴史意識に裏打ちされ、教会信条を重んじるキリスト教に接近すべきだということでした。

 

アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団に移籍する

 

「僕はこの先、どこに行けばいいのだろう?」懐疑と葛藤の末、私は、アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団に転じることにしました。*2

 

アッセンブリー教団というのは、三位一体説を奉じるペンテコステ派教団であり、私はそこですばらしい人々に出会いました。そしてその後数年間に渡り、教団内の幾つかの諸教会で教え、二つのアッセンブリー集会においては牧会活動も行ないました。それと同時に学士、修士レベルでの聖書学の修学も続けていました。

 

それから、(当時もまだアッセンブリー教団での教職に就いていましたが)私は二度目の修士として、テキサス州ヒューストンにあるカトリック系の神学校で歴史神学/組織神学のコースを履修することにしました。

 

アッセンブリー教団の方々はフレンドリーで、親切かつ、心開かれた人々でしたが、「じゃあ今後も自分はずっとアッセンブリーのこの文脈の中にとどまり続けるのだろうか?」ということに対しては、正直、完全には平安を得ることができていませんでした。

 

ますます増し加わっていく歴史、伝統、サクラメントに対する感覚、そしていくつかのプロテスタント固有思想に関する問題意識も加わり、私の中で、カトリック的信仰をより真剣に探求してみようという思いが高まっていったのです。

 

実存的チャレンジを受ける

 

そんなある日、テキサス大学のキャンパスでキリスト教弁証に関するパネル・ディスカッションが催され、私もパネリストの一人としてそれに参加していました。すると一人の女性が私に次のような問いを突き付けてきたのです。

 

「いろんな人たちがそれぞれのバージョンの『真理』を受容するよう、私たちに絶えず迫ってきます。そこであなたに訊きたいのですが、なぜ私はあなたのバージョンの聖書解釈を受け入れなければならないのでしょうか?」

 

その時どんな答えをしたのかもう覚えていません。でもその晩、帰路に就く3時間のドライブの間中、私はその問いに苦しめられ続けました。「実際本当にそうだ。そもそもなぜ人は私の解釈に耳を傾ける必要があるのだろう?」そしてこの問いになんとか満足行く答えを与えようと忙しく頭を働かせていました。

 

そんな中、繰り返し繰り返し脳裏に浮上してきた唯一の説得力ある答えは、初期教父たちの中に見い出されるものでした。すなわち、受容されるべきキリスト教信仰というのは、使徒たち及び彼らに続く司教たちを通した、途切れることなきキリストからの継承を介し受け継がれてきたものであるーー、というものです。

 

実際、私たちの信仰の源泉にまで溯ることのできる教えという、真にして、公的かつ客観的な連続性のリアリティーは、‟秘められた”啓示ないしは私的判断という、よりグノーシス主義がかった観念よりも、ずっと説得力があるように思われました。

 

さらなる危機ーー聖書正典の形成史に直面

 

さらに悪いことに、この時期私は、聖書それ自体に関する危機にも陥り始めていました。聖書が神の真理を伝達しているという点に関しての確信自体は決して揺らいでいなかったものの、聖書が今日の形で私たちの手に届けられているその形成史を考慮することなく聖書を論じることに対し、私は困難を感じ始めていたのです。*3

 

聖書が歴史的過程を通し、認識され、編纂され、解釈されてきたということを私は否定できませんでした。また「こういった歴史的過程に関わってきた先人たちの諸判断が正しかった」ということを潜在的に自分は常に前提してきたということも否定できませんでした。

 

それゆえ、聖書に対するわが愛が、否応なく私に、長い歴史的連続を通しその諸目録を伝達してきた教会(Church)の神的導きを認めさせました。つまり、聖書を受容したいという自分の願いゆえに、気が付くと私はキリストおよび使徒たちからの継承をもつ教会を受容せざるを得ない状況にどんどん置かれていったのです。

 

権威の所在を巡ってのこれらの危機により、私は古今のカトリック文献を手当たり次第熟読していきました。カトリシズムを学ぶにつれ、私はその首尾一貫性と美しさを発見していきました。カトリック信仰の中でかつて自分が受け入れ難いと思っていた事柄は、カトリック世界観の内側からみると逆に魅力的なものになっていきました。

 

思えば自分は、カトリック教理に関する源泉資料に依拠することなく、単に不正確な諸主張を鵜呑みにしていました。そして源泉資料を実際に読み始めるや、それを信じる信仰が与えられました。こうして私はカトリック信仰を受容し、教会に参入する決意をしました。

 

大学院で聖トマス・アクィナス神学研究を始める

 

またその決断と同時に、私は修士課程の専攻を聖トマス・アクィナス思想研究に変更し直しました。キリスト教弁証学に対する私の愛がこの方向へと自分を強く引っ張っていきました。こうして私は大学院で、アクィナスを始めとする中世の偉大なカトリック思想家たちと対話しながら、主として古代・中世哲学を修めました。

 

私たちの偉大なるキリスト教伝統のさらなる深みに入っていきつつ、アクィナス等の学びをすることができたこれらの歳月は本当に幸いな時であり、私はこの事を生涯感謝し続けると思います。

 

教会に参入してから間もなくして、私はヒューストンにあるストレーク・イエズス会予備大学というすばらしい学校で教鞭を取り始めました。また数年後、私は聖トマス大学で非常勤講師をも務め始めました。これほどまでに自分の人生に深遠なるインパクトを与えてくれた学校になにか少しでもお返しすることができるのならそれは至上の喜びです。

 

おわりにーーカトリック信者として

 

カトリック信仰に入って13年が経ちましたが、最後に、この信仰が自分に及ぼしてきた影響を以下、三点挙げさせていただきたく思います。

 

まず一点目ですが、カトリックになったことで、私は以前よりもずっと真剣に、この世界における神の普遍的諸目的について省察するようになったと思います。

 

「Catholic」という言葉自体、教会の普遍的使命を物語っています。古今の偉大なカトリック神学者たちは皆、人間理性の諸洞察と、信仰の諸洞察の綜合に努めてきました。この伝統をありがたく思うと共に、そこから他者をより良く理解したいという願いが自分の中で起されていったように思います。

 

また、自分自身を、壮大なる開示的神の御計画に存在する一つのちいさな部位として認識するようになっていきました。実にこの御計画は人知を超えるものですが、その究極的実現に当たり、キリストこそがその鍵であるとの確証を私たちは信仰から得ています。

 

自分よりもずっと広大な伝統の中に息づくというのは真に豊かなることです。そしてこの伝統は、「今ここで」神の御業の内に共に与る招きと共に、「やがて来たる生」を共有する私たちの希望をも強めてくれます。

 

二番目に、私は典礼(liturgy)を愛するようになりました。教会の暦を用いることで、私たちは、その年のさまざまな季節、記念日、信仰の諸神秘、日々こもごもの変遷を、無限にして時を超越した神に対する真の気づきをもって共に旅することができます*4。典礼というのは、不安定な世界のただ中における真に安定した避難所であることを私は知りました。

 

三番目に、私は明らかに前より「柔らかく」なったと思います。若い時分、私はめったなことでは泣いたりしませんでした。でも今では、幼児の洗礼を見、ミサ曲を歌う中で、まさしく「この場所において」一人一人の人間がどれほどかけがえなく、神のかたちをもった尊い存在であるのかという事実に圧倒され、目がうるんでしまってどうしようもありません。

 

いつも新しいなにかを学ぼうとするよりは、すでに知っていて周期的に経験するものをより深く黙想することの方により大きな喜びを見い出しています。キリストの道に従っていこうとする中で、愛の神秘および至福に対する私たちの切望心は日々私を引きつけます。

 

時々、九死に一生を得た人々の話を聞くことがあります。その人たちは、死が目の前に迫ったその一瞬の間に過去の自分の人生を鳥瞰したと言います。実際、これは死の瞬間に万人に起こることなのではないかと考えることがあります。

 

私がこの地上での最後の息を引き取る時、おそらく自分の愛する人々や学生たちの顔が脳裏にきらめくのかもしれません。たとえ自分の銀行口座が空であっても、その瞬間、信仰を共に共有することができた何千という人々の顔をみることができるのなら私の人生はその目的を果たしたと言えると思います。

 

またこの瞬間、(多くの点で私は変わりましたが)、にも拘らず、幼少の時に私の心と精神を呼び覚ましたーー神、キリスト、そして聖書に対する土台的信仰の諸確信について自分が変わらずずっと忠実であったということを見ることができたらと願ってやみません。

 

人生行路をいく中で、私はカトリック信仰という文脈内において自分は最も忠実に神に仕え、キリストに信頼し、聖書を理解することができるということを発見しました。カトリック信仰を受容することは知的な満たしという点だけにとどまらず、それはまた、この世界における人間存在のもつ多くの様相を深く理解する生き方そのものでもあります。

 

こういった壮大なる包括信仰という文脈の中に生きることで、私たちは絶えず内的堅固さを持つことができます。そして迷いの多かったかつてのバプテスト時代、ペンテコステ時代とは違い、私はもうここ以外の他のどの場所に移動することも、考えることもできません。

 

もちろん、こういった自伝的省察の中で提示されている諸理想に私ははるか届いていないことを自覚しています。しかしながら、私たちの信仰の歴史が、聖書テキストそのものと同様、欠陥ある人々ーー私のような人々ーーに対する神の忍耐深い御働きをつづった長いストーリーであるという事実は私にとっての慰めです。

 

自分自身を知るということは、神の慈愛と恵みに依存して生きるということです。カトリック信仰はコミュニティーです。そして恵み、慈愛、希望はユーカリスト祝祭の中でサクラメント的に映し出されています。そしておそらくこれが、私がカトリック教会をマイ・ホームと呼ぶ、最大の理由なのではないかと思います。

 

ー完ー

 

ペンテコステ運動に関する関連記事

*1:訳注:「回復」運動としてのプロテスタント歴史観/神観についての関連記事およびそこに見る私自身の見解変遷の足跡

↓この記事を書いている段階(2018年6月)ではまだ、私はよろめきながらも依然としてプロテスタントの土壌に立っていました。

↓それから二カ月後(2018年8月)の以下二つの記事の中で、私はカトリック教会および正教会の歴史観の正統性を認めるに至っています。

*2:訳注:アッセンブリーズ・オブ・ゴッド(Assemblies of God)はアメリカ合衆国ミズーリ州スプリングフィールドに本部を持つ、キリスト教プロテスタントのペンテコステ派世界最大の一派です。米国では米国福音同盟に加盟し、日本では日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団が日本福音同盟に加盟しています。2004年の調べによると、世界規模での信徒は約1500万人。教会の数では、アメリカ合衆国に12,277、世界規模では268,022ほど点在するそうです。韓国のヨイド純福音教会やオーストラリアのヒルソング教会などが有名です。(参照

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アッセンブリーズ・オブ・ゴッド(三位一体信奉派)のバプテスマ、1919年9月(出典).

*3:訳注:

*4:訳注:

典礼暦/移動主日・祝祭日表.