巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

「典礼乱用」と「聖職者の性犯罪/ゲイ・ネットワーク」の密接なる相関関係について

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今日における教会の危機は、以下に挙げる二つの姿勢の中に現出している。すなわち、『グノーシス主義的スピリチュアリズム*1』と『水平的自然主義』である。ーーアタナシウス・シュナイダー司教*2

 

↓「典礼の女性化」と「ホモセクシュアリティー」


「神に対する信仰の弱まり、自己中心性の高揚、ミサ出席者の減少等は、元を辿ると、神への畏敬の念に欠ける誤った形でのミサがその根本原因である。」レイモンド・レオ・バーク枢機卿、元最高裁長官*3

 

「今日、我々が通らされている教会の危機は、主として、リトルジーの崩壊にその端を発していると私は確信している。」教皇ベネディクト十六世*4

 

「典礼の中で(誰か人間による達成により)拍手が沸き起こる時、我々はしかと知らなければならない。その時、リトルジーの本質が完全に消滅し、その場が今や宗教エンターテインメントに置き換わったのだということを。」教皇ベネディクト十六世*5

 

「プロテスタンティズムの本質は、『受肉』に関する真理の豊満性の拒絶にある。そしてそこから、①教会(Church)の可視性に対する拒絶、②サクラメント生活の可視性に対する拒絶、③ユーカリストにおけるキリストの実在の具体性に対する拒絶、④典礼の受肉的諸特徴に対する拒絶が引き起こされている。」アタナシウス・シュナイダー司教*6

 

「信仰危機の芯奥にある根は、人間中心主義と自然主義にあり、それらは、神的啓示および神的礼拝に関する真理を、合理主義的にして純然たるヒューマ二スティックな基準/移り変わる人間の歴史の基準でもって図ろうとする態度のことを指す。そしてこのような態度から、教理的・倫理的・典礼的相対主義が生み出され、それらは最終的に、人を深刻な信仰欠陥、そしてついには背教や異教主義へと追いやっていくのである。」アタナシウス・シュナイダー司教*7

 

「マキャリックはホモセクシュアリティーを促進する司教たちで構成されるネットワークの一員であり、彼らはフランシスコ教皇に取り入りながら、司教任命の過程を操作してきた*8。それにより、自分たちの不正をカバーし、教会内の高位ヒエラルキーおよび教会全体においてホモセクシャル・ネットワークを強化するためである。フランシスコ教皇自身は、この腐敗に結託・共謀してきたか*9、もしくは、自分のやっていることを自覚しつつ、それに対峙し、それを撲滅することにおいて甚大に怠慢であったか、そのどちらかである。」カルロ・マリア・ビガーノ大司教、元駐米大使の証言*10

 

「二番目の沈黙に関してだが、非常に深刻なるこの危機は、私たちが事の真相を名指しで呼ばない限り、正当に対処することができず、解決することもできない。これは、ーーその仲介者、その動機、改革を拒否するその抵抗におけるーーホモセクシュアリティーの惨事が原因の危機である。聖職者たちの間でのホモセクシュアリティーが大規模な疫病になっていると言っても決して誇張にはならない。そしてこの問題は霊的な武器によってのみ根絶され得る。

 性的虐待を非難し、犠牲者たちのために泣くと言いながら、無数の性的虐待を引き起こしている根本原因ーーホモセクシュアリティーーを糾弾することを拒むというのは恐ろしいまでの偽善だ。一連の惨劇が、聖職者の霊的生活における深刻な危機及び、それを治療するに当たって必要な諸段階を踏むことに対する失敗にある、という事実を認めようとしないのは偽善である。」カルロ・マリア・ビガーノ大司教、元駐米大使の証言*11

 

 ↓マイケル・マット記者が、「典礼乱用」と「聖職者の性的腐敗/犯罪」の密接な相関関係について解説しています。彼は「フランシスコ教皇体制下の一連の隠蔽工作やリベラル路線に危機感をもつ世界中のカトリック教徒が今や目覚め、感謝なことに一致と伝統回帰の気運が高まっている。信徒のみなさん、共に戦いましょう。」と激励しています。【ローマからの現地報道】