昨晩、カトリック教会の復興を祈る世界中の信徒/聖職者が、マイケル・ヴォリスの証に涙したと思います。
テーラー・マーシャル博士は次のように的確にコメントしています。「2013年以来、ヴォリスは吠え続けてきた。しかし人々は彼の報道に疑心暗鬼だった。しかし今年の夏、世界を震撼させたあのマキャリック・スキャンダルを境に全ては変わった。そう、その時、我々は気づいたのだ。ヴォリスの報道は根本的に正しく、真実なものであったのだということをーー。」
ヴォリスは数日前の報道の中で、「私たちカトリック信者が認識しなければならないこと、それは教会の中に、国際的に組織された犯罪シンジケート(international organized crime syndicate)が存在するということです」と言っています。
今年夏、ペンシルベニア州の最高裁判所が神父たちによる性犯罪の報告書を公開しましたが、来年以降、米国刑事法(Rico法)及び連邦捜査機関によるさらなる追求捜査により、現在、聖衣をまとっている高位聖職者たちの隠蔽工作の有罪が確定し、「彼らの多くは囚人服を着ることになるだろう」とヴォリスは予測しています(ココ)。
また「なぜ男性たちは教会に来たがらないのだろうか?*1」という記事の中でロッド・ドレハー氏は、女性化が進むカナダの西方教会の中にあって、唯一、正教会だけが男性減少の問題を抱えていないことを指摘した上で、「現在、西方教会の中で、従来の健全なmasculinity(男らしさ)やmanhood(男性像)の回復が緊急に求められている」という事を論じています。
(マーシャル博士は、現在、米国カトリック教会司祭の約50%がホモセクシャルであり、その内の半分、つまり25%がアクティブなダブル生活を送っていると報告しています。)
そんな風潮の中にあって、ヴォリスの男らしさは、正教の修道士たちに引けを取らないくらい*2際立っているように思います。ここから私が学ぶのが、ある男性の内で古典的カトリシズムの精神及び実践が回復されていけばいくほど、その人は、より男らしく、より勇敢になっていくのではないだろうかということです。
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その時代を生きる預言者というのは、
神によって完全に受け入れられる一方、
人からは全く拒絶される存在である。
彼らは、危機的な時代に 神によって備えられた緊急人(emergency men)である。そして、そういった預言者の払うべき代価ーー それは、彼が孤独のうちに生きなければならないということである。
偉大な神の人というのは、これまで例外なく、非常に、非常に、孤独であった。
預言者は、失われし宝を探し当てる神の探偵である。そして彼の有用性の度合いは、その人の「不人気度」によって決定される。
妥協というのは彼の知らざる所のものであるからだ。
神の人は、その顕現の日まで隠されている。しかしやがて現れる。
その人はその務めの間、日々、苦しみのパンを食べ続け、その一方において、彼に聴く者に、いのちのパンを供給する者である。
今日、とてつもない空白がある。
そう、預言者の不在である。
尋常でない炎を宿す人。
この世的な一切のものから離れている人の不在である。
この種の人間は、他の人からーー他の善良な人々からでさえもーー拒絶される。なぜなら、彼らの目に、その人はあまりにも厳格でいかめしく、打ち込み方も尋常でなく、あまりに否定的かつ非社交的に映るからである。
おお、彼をしてバプテスマのヨハネのように簡素たらしめよ。彼をして、現代神学および、「よどんだ教会主義」という名の荒野で叫ぶ「声」となさしめよ。
彼をして、使徒パウロがごとき無私の男とならしめよ。 彼をして、「我は、この一事に努める」と言わしめ、かつ生かしめよ。彼をして、教会的人気をことごとく拒絶せしめよ。
彼をして、自己否定者、
「非」自己追及者、
「非」自己アピール者、
「非」自己義認者、
「非」自己顕示者、
「非」自己実現者とならしめよ。
彼をして、自己に人を引き寄せるいかなる試みを拒絶せしめ、ただひたすらに、人を神の元に引き上げることのみを言わしめよ。
日々彼をして、聖なる神の御座より出さしめよ。物欲的な催眠状態にかかったこの時代において、彼をして、財貨のガチャガチャいう音で耳が鈍くなっている何百万人の耳を開かしめよ。
彼をして、今世紀未聞の「声」を持って泣かしめよ。
なぜなら彼は、今世紀誰も見ることのなかったある幻を見たからである。
「超」物質主義という荒野。そこでは 情欲という名の毒蛇がわれわれに噛みつき、霊的にまったく盲目の啓蒙家たちが、到来しつつあるハルマゲドンに我々を導こうとしている。
おお神よ、〈モーセ〉をわれらに送りたまえ。
そして、我々をこの荒野から導き出したまえ。
神よ、我々を憐みたまえ!
そして我々の元に預言者を送りたまえ!
ーレオナルド・ラーベンヒル