巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

典礼における時間と空間(ヨーゼフ・ラッツィンガー著『典礼の精神』)【アド・オリエンテムの深遠なる意味】

 

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アド・オリエンテム("to the East")。東の方角を向いて祈るのはなぜだろう?

写真

 

目次

 

ヨーゼフ・ラッツィンガー著(濱田了訳)『典礼の精神』(現代カトリック思想選書21)サンパウロ社、p.82-90, p.74-79より一部抜粋

 

第二部 典礼における時間と空間

 

第2章 聖なる場所ーー教会建築の意味

 

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Abside Santa Maria Trastevere Roma(出典

 

私はこれまで長く会堂を描写しましたが、それはキリスト教の礼拝式空間が基本的には変わっていないことがすでにここにおいて明瞭になっているからで、再び新約・旧約聖書の根本的一致が明らかになります。

 

今、略記した会堂の形態に比して、キリスト教信仰の本質から三つの革新点が挙げられます。それらは同時に、キリスト教典礼の、固有で新しい側面を際立たせるものです。

 

第一に、人々がエルサレムの方向を向かなくなったことが挙げられます。壊滅した神殿は、もはや神の臨在を示す地上の場所とはみなされなくなりました。石造りの神殿はキリスト者の希望をもはや表現しません。その垂れ幕は永遠に引き裂かれています。

 

人は今や、昇ってくる太陽の方角、東を向きます。それは太陽崇拝などではなく、キリストについて語る宇宙世界です。詩篇19(18)の太陽賛歌は、ここでキリストに対するものと解釈されます。「太陽は花婿のようにそのねやを出て、、天の果てからのぼり出て、その果てまでめぐり行き、、、」(6-7節)。

 

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ルーマニアにある教会(出典

 

この詩篇は、創造の称賛から中継ぎの句もなく突然、律法の賛美へと移行します。それは今やキリストから理解されます。キリストは生きているみことば、永遠のロゴスであり、そして歴史の真の光です。

 

ベツレヘムにおいて、処女である母の花嫁の部屋から現れ出て、今や全世界を照らします。東の方角はエルサレム神殿を象徴として引き継ぎ、キリストは、太陽のうちに示されて、生きている神の真の王座であるシェキナ(神雲)の場となります。

 

受肉において人間本性が本当に神の王座の場となり、そしてそれは永遠に地と結ばれて、私たちの祈りを受けやすくします。東を向いて祈ることは初代教会においては、使徒的伝承の一つと見なされていました。

 

東に向くことの始まり、つまり神殿を仰ぎ見るのを止めることが、たとえ正確に年代を定めることができないとしても、これが最初期の時代にさかのぼるものであり、常にキリスト教典礼の(さらには個人的祈りにおいても)本質的特徴と見なされてきたことは確かです。

 

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アド・オリエンテム(出典) 

 

このキリスト教的祈りの「東向性」は、いろいろな意味合いと結びついています。東を向くことはまず、キリストを神と人との出会いの場として見つめることを単純に表示しています。それは私たちの祈りのキリスト論的基本形式を表します。

 

人がキリストを、昇る太陽に象徴して見ることは、終末論的に規定されたキリスト論を示唆しています。太陽は、歴史の終局的な日の出である主の再臨を象徴しています。東を向いて祈ることは、来るべきキリストを迎えに出ることを意味しています

 

東に向けられた典礼は、いわばキリストにおいて私たちを迎える、新しい天と新しい地を目指す歴史の未来への行進に入ることです。それは希望の祈願であり、その受難と復活が私たちに示すキリストの生命に向かう途上の祈りです。

 

そのため、かなり早くからキリスト教圏の各地では、東向性が十字架によって強調されました。これは黙示録1章7節とマタイ福音書24章30節との結びつきから来たものかもしれません。ヨハネの黙示録では、「その方は雲に乗って来られる。すべての人は彼を見、ことに彼を突き刺した人々は彼を仰ぎ見る。地上のすべての種族は皆、彼の故に嘆く。そのとおりだ。アーメン。」となっています。

 

黙示録著者はここで、ヨハネ福音書19章37節に基づいています。その箇所は十字架の場面の終りに引用された、神秘に満ちた預言のことば、ゼカリヤ書12章10節で、突然それは具体的な意味を与えられています。「自分たちが突き刺した者に、彼らは目を注ぐであろう。」

 

最後にマタイ福音書24章30節では、次のような主のことばが伝えられます。「そのとき(終わりの日に)、人の子のしるしが天に現れる。するとそのとき、地上のすべての民族は悲しみ(ゼカ12:10)、そして、人の子が大いなる力と栄光を帯びて、天の雲に乗って来る(ダニ7:13)のを見るであろう。」突き刺された者、人の子のしるしは十字架であり、それは今や、復活した方の勝利のしるしになりました。

 

このように十字架と東の方角の象徴は重なり合って移行します。両方とも一つの同じ信仰を表現するもので、イエスの過越の記念を現出させ、それに来るべき方を迎えに出るという希望のダイナミズムを与えます。

 

東に向き直ることはまた、宇宙と救いの歴史が対になっていることも意味します。宇宙は一緒に祈ります。宇宙もまた救いを待ち望んでいるのです。まさにこの宇宙的次元は、キリスト教典礼にとり本質的なもので、それは決して、人間が自分たちでつくり上げた世界の中だけで行なわれるのではありません

 

それは常に宇宙的典礼です。創造のテーマはキリスト者の祈りの内に深く植え込まれています。もしこの関連を忘れるならば、キリスト教典礼はその大きさを失います。

 

そのために使徒時代からの東向性の伝統を、教会建築においても、典礼執行においても、可能な限りどこでも、必ず再び取り上げなければなりません。私たちは典礼的祈りの定めを述べるときに、この問題に戻りましょう。

 

会堂に比しての、二番目の革新点は、会堂では与えることのできない全く新しい要素にあります。今や東側の壁、あるいは後陣に祭壇が置かれて、その上でエウカリスチア〔=ユーカリスト〕のいけにえが執行されます。*1

 

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ユーカリストのいけにえ(出典

 

エウカリスチアは、すでに述べましたが、天上の典礼に加わり、イエス・キリストが捧げる崇拝の行為と同時化することであり、そこにおいて、キリストはその体を通してこの世の時間を取り込み、同時に絶えず自己の殻を破ってそれ自体を超えさせ、永遠の生命の交わりに導き入れます。*2

 

それで祭壇は、東である方が、集められた者たちの共同体に入っていくことと、また共同体がこの世の牢獄のしがらみから出ていくことを意味します。それは今や、開かれた垂れ幕を貫き通り、過越に参与し、キリストが拓いたこの世から神への「橋渡し」を通して出ていくことです。

 

後陣の祭壇が「東」を向いていることと同時に、それ自体が東の一部であることは明らかです。人が会堂において、みことば厨子である「契約の柩」を通してエルサレムまで仰ぎ見ていたのであれば、キリスト教の祭壇によって新しい重点を得ました。祭壇において、かつて神殿が意味していたものの新しい現在的意味があるのです。

 

まさに祭壇は、私たちがロゴスのいけにえとの同時性を得るのに役立つものです。それは天を、集められた者たちの交わりの内に保ち、あるいはむしろ、祭壇は彼らをすべての地域とすべての時代の聖人たちの交わりの内に連れて行くものです。

 

私たちはまた次のように言うこともできます。祭壇はいわば、天が開かれる場です。それは教会空間を、閉じるものではなく、永遠の典礼の中へと開くものです

 

BEATO ANGELICO - Morte e Assunzione della Vergine, dettaglio - circa 1432 - tempera e oro su tavola

出典

 

私たちはキリスト教祭壇の意味の実際的な結論についてもっと語ることになるでしょう。祭壇の位置が向けられる方向についての問題が、公会議後の論争の中心となっているからです。

  

第3章 典礼における祭壇と祈りの方向性

 

ここまで述べてきた会堂からキリスト教礼拝式に至る変革は、すでに見てきたように、旧約聖書と新約聖書の連続性が建築上にも明確に認識されています。それによってキリスト教本来の礼拝式、「エウカリスチア(=ユーカリスト)」とそれに付随する「みことばの祭儀」のための空間的表現がつくり出されました。

 

、、何が礼拝式の本質に合致していて、何がそこから取り去られているか?これらの疑問に対して、私たちがちょうど考察したばかりの、セム語とセム的思考のキリスト教圏の礼拝式空間の形態は、見落とすことの許されない基準を立てています。

 

まず第一に、すべての異同を超えて、第二千年期のかなり遅くまで、全キリスト教圏に一つのことが明らかに残りました。それは、東に向けた祈りの方向性です

 

これは原初からの伝統であり、宇宙と歴史、救済史の一回限りの出来事にしっかりと繋がれることと、来るべき主を出迎えることについての、キリスト教的な表現です。すでに贈られたものへの忠実さに並んで、進歩するダイナミズムも同じように表れています。

 

、、祭壇はどうでしょうか?エウカリスチアの典礼において、私たちはどこに向かって祈るのでしょうか?ビザンチン典礼の教会建築では、大体において上述した構造が保持されていたのに対して、ローマ典礼では少々異なる配置に発展しました。

 

司教席が後陣の中央に場所を移しました。それに伴い、祭壇は身廊に押し出されました。ラテラノ大聖堂と聖マリア大聖堂では、9世紀に至るまでこの形であったと思われます。

 

これに対して聖ペテロ大聖堂では、大グレゴリウス教皇(590-604年)のもとに、祭壇は司教席の近くに移動しましたが、それは彼が聖ペテロの墓の上にできる限り立ちたいという単純な理由からだったでしょう。

 

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 聖ペテロ大聖堂(出典

 

私たちが、主にいけにえをすべての時代に及ぶ聖人たちの交わりにおいて祝祭することは、意義深い表現を導きます。祭壇を殉教者の墓の上に築く慣習は、かなり古くまでさかのぼり、同じ動機に由来します。

 

殉教者とは、キリストの自己謙渡を歴史の中に続ける者です。彼らは、いわば教会の生きている祭壇であり、石で造られたのではなく、キリストの身体の部分となった人々から成るものであり、そして新しい礼拝を表現するものです。いけにえは、キリストと共に愛となった人間性なのです。聖ペテロ大聖堂の配置はその後、ローマの周辺教会に、多く手本とされたようです。

 

これらの事柄について論議されている詳細は、私たちの考察にとって重要ではありません。20世紀の論争はむしろ、もう一つ別の革新点から引き起こされました。地形的な事情から、聖ペテロ大聖堂は西を向くことになりました。

 

参会者がキリスト教的祈りの伝統に従って東を向くと、司式司祭は会衆の後に立って、その方向、つまり結果として会衆の方向を見ることになります。どのような理由があるにせよ、聖ペテロ大聖堂から直接影響を受けた一連の教会建築では、この配置設計を見て取ることができます。

 

20世紀の典礼刷新は、推測されたこの形態を取り上げて、そこから礼拝形式の新しい考えを発展させました。すなわち、エウカリスチアは「会衆に対面する形」(versus populum)で執行されなければならないはずだというものです。

 

祭壇は聖ペテロ大聖堂の規範的な形態に見られるように設置されなければならず、こうして司祭と会衆が向かい合い、共に祝祭する者の輪をつくり上げるというものです。それだけがキリスト教典礼の核心である積極的な参加への使命にふさわしいとされ、そうすることによってのみ、原型で最後の晩餐にも相応するとされました。

 

この推論は、ついに余りにも強く表れ、公会議の後に(公会議自体は「会衆を向いて」ということについて語っていません)至る所で新しい祭壇が築かれました。「会衆に対面する形」での執行形式は今日、まさに第二バチカン公会議による典礼刷新の固有の実りとして紹介されています。

 

出典

 

実際、新形態の最も際立った結果は、典礼の場所についての外的な配慮だけではなく、典礼の本質を「会食」とする新しい観念を導入したことにありました。

 

ローマの大聖堂とその祭壇の配置の意味をこのように解釈するのは、確かに誤解であり、またイエスの晩餐を引き合いに出すことも不正確です。これについて、ルイ・ブイエの言うところを聞きましょう。

 

 「会衆に対面する形(versus populum)での祝祭が原初の形式であり、とりわけ最後の晩餐の形式であったとする観念は、キリスト教あるいはキリスト教以外であっても、古代の会食を単純に誤って紹介したものに全面的に依存しています

 初期キリスト教時代には、会食の主人が参会者と反対側に席を占めることは決してありませんでした。全員がコの字型あるいは蹄鉄型に曲がった食卓に沿って、座るか、横たわっていました。・・・

 古代キリスト教時代のどこにおいても、会食の主人役が会衆に対面する形(versus populum)で自分の席を定めなければならないような観念が生じることはなかったはずです。会食の共同体性はまさに反対の座席配置によって強調されます。つまり、実際に行なわれたこと、すべての参会者が食卓の同じ側に座るということです。」*3

 

もちろん、「会食形態」の分析には、さらに付け加えることがあります。キリスト者のエウカリスチアは「会食」の概念では全く不十分にしか描写され得ないということです。なぜなら主は、キリスト教礼拝の新しさをユダヤ教的な過越しの会食の枠組みで制定されましたが、しかし、主は、この新しさだけを繰り返すように指図したのであって、会食をそのものとしてではありませんでした。

 

この新しさは非常に早く、古い文脈から抜け出し、自分に合った固有の姿を見い出しました。それはまず、すでにエウカリスチアが十字架に戻ることを指し示し、それによって神殿のいけにえが「ロゴスにふさわしい礼拝」に変化することです。

 

このように、会堂でのみことばの典礼は、キリストの死と復活の記念が「エウカリスチア」に融合し、まさにそのようにして「これを行ないなさい」という指図への忠実さが現実化されることにより、キリスト教的に刷新され、深められました。

 

新しい集会の形態はそのものとして単純に会食から導き出すべきではなく、神殿と会堂との関連、みことばとエウカリスチア、宇宙的次元と歴史的次元との関連から決められるべきです。

 

Photos - sacred vessels during and after Holy Mass

出典

 

それは、セム的キリスト教圏における初代教会の典礼構造に私たちが見い出した形式に表現されています。また当然のことですが、ローマ典礼にも根本的に残っています。これについてもう一度ブイエを引用してみましょう。

 

「司祭が会衆と一緒に祭儀を捧げるのは、会衆の前なのか、あるいは後ろなのかという問題に、以前は(つまり16世紀以前には)決して、どこにおいても、ほんのわずかでも意義や注目を浴びたという、ほのめかしすらも見られませんでした。チリル・フォーゲル(Cyrille Vogel)教授が確認しています。

 要するに、何か重要性があるとすれば、それは司祭がエウカリスチアの祈りを、他のすべての祈りのように、東を向いて唱えなければならなかったことです。・・たとえ教会の建築方向が、司祭に祭壇で会衆を向いて祈ることを可能にさせたとしても、忘れてはならないのは、司祭だけが東を向くのではなく、会衆全体が彼と共に向いたということです。*4

 

これらのつながりは、率直に言って、現代の教会建築や典礼執行においてあいまいにされ、あるいは意識的に見落とされました。そう解釈する以外に説明できないことですが、今日では司祭と会衆が同じ方向を向くことを「壁に向かって執行している」とか「会衆に背を向けている」とか決めつけて、それでもって、いずれにせよ不合理で全く受け入れがたいものとされているようです。そう解釈した時にだけ、なぜ今や会食が、キリスト者の典礼執行の規範的概念になったのかが明確になるはずです。

 

本当のところ、これによって以前には決して存在しなかったある種の聖職者主義化が入り込みました。司祭(今や人が好んで呼ぶところでは「司式者」)は、実質的に典礼全体の要となります。

 

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出典

 

すべてが司祭によっています。司祭と一緒に行動し、司祭に応答するために、人は司祭を見つめなければなりません。司祭の創造性が典礼全体を包みます。

 

人がさまざまな典礼行動を分担し、「創造的な」形態に準備されたグループ、特に「自らがかかわる」のを望み、そうすべきだとするグループに委託することによってまさにつくり出されたばかりのこの役割を再び小さなものにしようと試みているのは当然です。

 

神はますます視野から遠ざけられ、反対に、人々が行なうことのすべてがますます重要となります。その人々とは、そこに集まる者で、「定められた形式」に従うことなど全く望まない者たちです。

 

司祭が会衆に向くことは、信徒共同体がそれ自体で完結した社会を形成することになります。それは、その形態からして、もはや前方へ、また上方へ開かれたものではなく、自分自身の内に閉じこもったものです

 

こぞって一緒に東を向くことは、「壁に向かってミサをささげる」のではなく、司祭が「会衆に背を向ける」ことを意味したのではありませんでした。司祭がそれほど重要とは受け止められていなかったのです。なぜなら会堂で一緒にエルサレムを仰ぎ見たように、ここではこぞって「主に向かって」仰ぎ見ているのです。

 

第二バチカン公会議の典礼憲章を起草した教父の一人であるユングマンが表現したように、むしろ司祭と会衆が、共に主を迎える行列を意識して、同じ方向を向くことが重要なのです。彼らは、互いに見合う仲間内に閉じこもるのではなく、東に向かって、つまり、私たちを迎えに来られるキリストに向かって出発する、旅する神の民なのです

 

、、司祭を見ることが重要なのではなく、こぞって主を仰ぎ見ることが重要です。そこでは対話ではなく、共に崇拝することについて、来るべき方への出発が中心です。閉じられた社会が生起する事柄の本質に対応しているのではなく、こぞって向き直ることに表現されている、一緒に出発することがそれに符合するのです。*5

 

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「東に向かって、つまり、私たちを迎えに来られるキリストに向かって出発する、旅する神の民なのです。」J・ラッツィンガー

 

ー終わりー

 

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*1:訳注: 

その2】【その3】【その4】【その5】【その6

*2:管理人注:関連記事

*3:p.54以下

*4:同著, p.56.

*5: