巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

パウロ六世と古いミサ典書禁止について(ヨーゼフ・ラッツィンガーの回想録より)

なぜ現代カトリック・ミサの多くは、外観においても精神においてもプロテスタント礼拝と見分けがつかなくなりつつあるのだろう?その原因はどこにあるのだろうか。(写真

 

目次

 

ベネディクト16世ヨーゼフ・ラッツィンガー著(里野泰昭訳)『新ローマ教皇ーーわが信仰の歩み』(春秋社)より

 

私のレーゲンスブルグ時代のはじめに当たって、第二の大きな出来事は、パウロ六世のミサ典書の刊行です。これは、いままのミサ典書を、たった一年半の移行期間を猶予として、ほとんど完全に禁止するものでした。

 

出典

 

公会議後の試行錯誤の時代に、典礼の姿は深く変えられてしまったので、ふたたび規範的な典礼本文が出されるのは喜ばしいことでありました。しかし私は、古いミサ典書が禁止されるということについては、深い驚きを感じざるをえませんでした。全典礼史を通じて一度もなかったことです。しかし、それは、まったく当り前のことであるかのような印象が与えられました。

 

「現行のミサ典書は、トリエント公会議後の1570年に、ピウス五世によって制定されたものだから、400年後の新しい公会議の後では、新しい教皇によって新しいミサ典書が制定されるのは当然だ」というのです。

 

しかし真実はそうではありません。ピウス五世は、当時現存したローマ・ミサ典書に手を加えただけなのです。このような改訂は、歴史的な発展の一環として、世紀を通じて常に行なわれてきたことでした。

 

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ピウス五世(1504-1572)出典

 

ピウス五世の後も、ミサ典書の改訂は行われましたが、以前のものを使用禁止にしたことはありませんでした。それは成長と純化の連続的なプロセスであり、そこにおいて連続性が破壊されたことは一度もなかったのです。ピウス五世によってまったく新たに制定されたミサ典書など存在しません。長い成長の歴史の中で、ピウス五世によって手を加えられたものがあるだけです。

 

トリエント公会議の後につくられた新しいミサ典書は、今回のミサ典書の刊行とはまったく違う性質のものでした。宗教改革は特に、典礼の「改革」というかたちで始まりました*1。カトリック教会とプロテスタント教会という二つのものが、はじめから別々のものとして、平行してあったわけではありません。教会の分裂は、ほとんど気づかれることなく進行したのです。もっともはっきりと目に見えて現われ、歴史的にもっとも深刻な影響を与えたのは、典礼における変化でした

 

この変化は、場所によってもさまざまで、その結果、カトリックであるか、もはやカトリックでないのかの境界線を引くことは、ほとんどできないような状態でした。

 

典礼についての統一的な規則の不備と、中世における複数の典礼形態の並存の結果として生じたこの混乱の状態に直面して、ピウス五世は、200年以上の典礼の歴史を示すことのできない地域教会に対してのみ、疑いなくカトリック的なものとして、ローマ市教会の伝統的なミサの本文であるローマ・ミサ典書を導入することを決定したのでした。200年以上の歴史を示すことができれば、そのカトリック的な性格は確実であると見なされ、それまでの典礼にとどまることができたのです。

 

ですから、今までの、そして今まで合法的であると見なされてきたミサ典書の使用が禁止されたわけではなかったのです。古代教会の聖体秘跡書以来、何世紀も綿々とつづいてきたミサ典書の使用禁止は、典礼の歴史における断絶を意味するものであり、その影響は計り知れないものです。

 

「今までも行なわれてきたようなミサ典書の改訂であるが、今回は、典礼に各国語を導入するということで、今までよりも根本的な改訂になった」というのであれば、それは意味のあるものであり、公会議によって正当に求められたものということができましょう。

 

しかし、今回起きたことは、それ以上のことだったのです。古い家を壊して新しい家を建てたのです。もちろん大幅に古い家の材料を使い、古い設計図によってということですが。

 

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出典

 

この新しいミサ典書において、実際に多くの点が改良され、また豊かなものとされたのは疑いのないところです。しかし歴史的に成立してきたものに対して、新しい家を対立させこれを禁止したということ、典礼を生きたもの、成長するものとしてではなく、学者たちの仕事、法律家の権限によってつくりだされたものとしたことーー、これらが私たちに大きな損害を与えたのです。

 

これによって、典礼は人間に先立って神から与えられたものではなく、つくられたもの、人間の裁量の領域のうちにあるものであるという印象が出来上がってしまったのです。そうすると今度は、「なぜ学者や中央機関だけが決定権を持つのか、最終的には個々の共同体が自分たちの典礼をつくってもよいのではないか」と考えるのは、論理的です。

 

しかし、典礼が自分たちによってつくられたものとなってしまえば、典礼は、典礼本来の賜であるもの、すなわち、私たちの生産物ではなく、私たちの根源であり、私たちの生命の源であるところの信仰の神秘との出会いを、私たちに与えることはできません。

 

教会がいきいきと生きていくことができるためには、典礼意識の革新、すなわち、典礼の歴史の連続性を認め、ヴァチカン公会議を断絶としてではなく、発展として理解することができるような、典礼における和解の精神が欠かせません。

 

私たちが今日経験している教会の危機は、「もし神が存在しなかったとしても(etsi Deus non daretur)」の原則に従って行われた改革の結果である典礼の崩壊が原因であると、私は確信しております

 

 

今日、典礼において、神が存在しており、神が私たちに語りかけ、私たちの祈りを聞いてくださるということは、もはや問題外のこととなっているのです。

 

もし典礼において、信仰の共同体、世界にひろがる教会の一致とその歴史、生きているキリストの神秘が現れるということがもはやないのであれば、どこにおいて教会はその霊的な本質を現わすのでしょうか。そこでは共同体は自分自身を祝うだけであり、それは何の役にも立たないのです。*2

 

共同体は、常に主から与えられた信仰によってのみ、ひとつの教会として存在するのです。教会は自分自身において存立しているのではないのですから、このような条件のもとでは、教会が自分自身を引き裂き、党派的な対立と党派への崩壊の道を辿ることになるのは必然的なことであります。

 

それゆえ私たちは、第二ヴァチカン公会議の本来の遺産に、ふたたび生命を呼び醒ますような新しい典礼運動を必要としているのです。*3

 

ー終わりー

 

教皇ベネディクト十六世の全世界の司教への手紙ーー1970年の改革以前のローマ典礼の使用に関する「自発教令」の発表にあたって

 

大きな信頼と希望をもって、わたしは司牧者である皆様に、1970年の改革以前のローマ典礼の使用に関する新しい「自発教令」をお送りします。この文書は長期にわたる考察と多くの協議と祈りの成果です。


十分な情報なしに行われた報道や判断が少なからぬ混乱を生み出してきました。実際にはその内容が知られていない計画について、喜びを伴う受容から強い反対に至るまでのさまざまな反応が生じました。

 

この文書はニ種類の不安と正反対のものです。わたしはこの手紙の中でこれらの不安について少し詳しく説明を行いたいと思います。


第一に、この文書は第二バチカン公会議の権威を損なうのではないか、すなわち、第二バチカン公会議の根本的な決定の一つである典礼改革を疑問視するものではないかという不安があります。この不安は根拠のないものです。

 

この点に関して、第一にこういわなければなりません。すなわち、パウロ六世が発布し、その後ヨハネ・パウロ二世が二つの版で改訂したミサ典礼書が、感謝の祭儀の「通常の形式(Forma ordinaria)」であり、今後もそうであり続けることは明らかです。これに対して、教皇ヨハネ二十三世の権威のもとで1962年に公布され、公会議中も使用された、公会議前のローマ・ミサ典礼書の最終版は、典礼の「特別な形式(Forma extraordinaria)」として用いることが可能です。ローマ・ミサ典礼書のこの二種類の版があたかも「二つの典礼」であるかのようにいうのは適切ではありません。むしろそれは、唯一かつ同一の典礼の二通りの使用だというべきものです。


ミサ典礼の「特別な形式」である1962年のミサ典礼書の使用に関して、わたしは次のことに注目していただきたいと思います。すなわち、このミサ典礼書が法的な意味で廃止されたことは決してありません。したがって、このミサ典礼書は原則的にはつねに認められてきたということです。

 

新しいミサ典礼書が導入されたとき、それまでのミサ典礼書を場合によって使用することに関して特定の規定を発布することは不要と思われました。それは現場で事例に応じて解決すべき、少数の個別的な問題だと考えられたのかもしれません。

 

しかし、その後、少なからぬ人が、子どもの頃から親しんできたこのローマ典礼の使用に強く愛着をもち続けていることがすぐに明らかとなりました。このことがとくにいえるのは、典礼運動によって多くの人々が優れた典礼教育を受け、かつての典礼の形式に対して深い個人的な親しみを感じている国々です。

 

わたしたち皆が知っているとおり、ルフェーヴル大司教が指導した運動の中では、かつてのミサ典礼書に忠実であることが自分たちのあり方を表すための外的なしるしとなりました。しかし、そこから生じた分裂の理由はもっと深いところにありました。

 

けれども、第二バチカン公会議に従わなければならないことをはっきりと受け入れ、教皇と司教に忠実な多くの人々も、自分たちが親しんできた典礼の形式を復興することを望みました。このような望みが生じたのは、何よりも、多くの地域で、新しいミサ典礼書の規定が忠実に守られなかったためです。

 

それどころか、実際に、新しいミサ典礼書が「典礼を創造的に行うこと」を正当化し、さらには要求しているとまで考えられたからです。この「典礼を創造的に行うこと」は、しばしば耐えがたいしかたで典礼をゆがめました。わたしは経験から述べています。わたしもあの希望と混乱に満ちた時期を体験したからです。そしてわたしは、典礼を勝手にゆがめることが、教会の信仰に完全なしかたで根ざした人々をどれほど深く傷つけたかを目にしてきました。


そのため教皇ヨハネ・パウロ二世は、自発教令『エクレジア・デイ(1988年7月2日)』により、1962年のミサ典礼書の使用に関する指針を示す必要があると考えました。

 

しかし、この文書は詳しい規定を述べずに、1962年のローマ・ミサ典礼書の使用を求める信者の「正当な願い」に司教が寛大にこたえるよう一般的なしかたで呼びかけました。当時、教皇はまず、聖ピオ十世会がペトロの後継者との完全な一致を回復する助けとなることを望み、これまでになく深い傷をいやすことを目指しました。残念ながらこの和解はまだ実現していません。

 

とはいえ、多くの共同体がこの自発教令が与えた可能性を感謝をもって用いてきました。これに対して、こうしたグループ以外の場合、詳細な規定がないために、1962年のミサ典礼書の使用はあいかわらず困難な問題となっています。それはとくに、司教がこの問題に関して、公会議の権威が疑問視されることにならないか心配することが多いためです。

 

第二バチカン公会議直後には、1962年のミサ典礼書の使用は、この典礼書とともに育った古い世代に限られると考えられていました。しかし、やがて、若者もこのミサの形式を再発見し、この形式に引きつけられ、これが至聖なる聖体の神秘と出会うためのとくに自分たちに適した形式だと考えていることが明らかになりました。

 

こうして1988年の「自発教令」当時は予見できなかった、明確な法的規定が必要となりました。今回の規定は、さまざまな状況にどう対応すべきかをいつもあらためて考慮しなければならないことから司教の皆様を解放することも意図しています。


第二に、今回の「自発教令」の公布を前にした議論の中で、1962年のミサ典礼書を広く使用できるようにすると、小教区共同体の中に混乱や分裂さえ生じるのでないかという不安が表明されました。この不安もわたしにはまったく根拠のないものと思われます。以前のミサ典礼書の使用は、ある程度の典礼教育とラテン語の知識を前提します。このいずれも、決して多くの場合に見られるものではありません。

 

この具体的な前提から考えれば、新しいミサ典礼書がローマ典礼の通常の形式であり続けることはいうまでもないことです。それは法的規範だけでなく、信者の共同体の現実の状況に基づいています。


昔のラテン典礼の伝統に魅力を感じる信者の態度と不適切なしかたで関連する、誇張や、場合によって社会的な側面が存在することは確かです。皆様の愛と司牧的な賢慮は、こうしたことがらを改善するための刺激また導きとなります。いずれにせよ、ローマ典礼の使用に関する二つの形式は相互を豊かにし合うことができるものです。

 

以前のミサ典礼書に新しい聖人やいくつかの新しい叙唱を追加することができますし、また追加すべきです。「エクレジア・デイ」委員会は、「旧来のミサ典礼書の使用(usus antiquior)」に努めるさまざまな団体と連絡をとりながら、実践的な可能性を検討します。

 

パウロ六世のミサ典礼書に従って行われるミサは、多くの人の心をかつてのミサ典礼書の使用へと引きつけた神聖性を、これまでにない力強いしかたで示すことができます。パウロ六世の典礼書が小教区共同体を一つに結び合わせ、小教区共同体から好まれるものとなるためのもっとも確かな保証となるもの――それは、この典礼書の典礼規則に従ってできるかぎりうやうやしく典礼を行うことです。このことは、このミサ典礼書の霊的な豊かさと深い神学的な意味を明らかにします。


そこでわたしは、今回の自発教令によって1988年の自発教令を更新するようわたしを促した積極的な理由を述べたいと思います。すなわちそれは、教会の中心で内的な和解に達したいということです。

 

過去数世紀にわたってキリストのからだを引き裂いた分裂を振り返るたびに、感じずにはいられないことがあります。それは、分裂が生じた危機的な時代に、教会指導者は、和解と一致を維持ないし回復するために十分なことをしなかったということです。この分裂が固定化したのは、教会の怠慢に責任の一端があるということです。

 

このように過去を振り返るとき、現代のわたしたちはしなければならないことがあります。それは、心から一致を望むすべての人が、この一致にとどまることができるように、あるいはこの一致を回復できるように、全力を尽くすということです。

 

わたしはコリントの信徒への手紙二のことばを思い起こします。そこでパウロはこう述べます。「コリントの人たち、わたしたちはあなたがたに率直に語り、心を広く開きました。わたしたちはあなたがたを広い心で受け入れていますが、あなたがたは自分で心を狭くしています。・・・・あなたがたも同じように心を広くしてください」(二コリント6・11-13)。

 

パウロが別の文脈で話しているのはいうまでもありません。しかし、パウロの勧告はまさにこのテーマに関して、わたしたちの心をも動かすことができますし、また動かさなければなりません。わたしたちの心を惜しみなく開こうではありませんか。そして、信仰そのものが受け入れようとするすべてのことを受け入れようではありませんか。


ローマ・ミサ典礼書の二つの版の間には何の矛盾もありません。典礼史には、成長や発展はあっても、決して断絶はありません。過去の人々にとって神聖だったものは、わたしたちにとっても神聖であり、偉大なものであり続けます。それが突然すべて禁じられることも、さらには有害なものと考えられることもありえません。

 

わたしたちは皆、教会の信仰と祈りの中で成長してきた富を守り、それにふさわしい場を与えなければなりません。いうまでもなく、完全な交わりを生きるためには、以前のミサ典礼書の使用を守る共同体の司祭も、原則として、新しいミサ典礼書に従って典礼を行うことを排除すべきではありません。実際、新しい典礼を完全に排除することは、新しいミサ典礼の価値と神聖性を認めることと相いれません。


親愛なる兄弟の皆様。終わりにわたしは、この新しい規定が、典礼に関しても、皆様の信者に対する司牧的配慮に関しても、皆様のもつ権限と責任を決して弱めるものではないことを強調したいと思います。

 

実際、すべての司教は自分の教区における典礼の責任者です*4。それゆえ、何も司教の権限から取り去られることはありません。司教の役割が、万事が平和と平穏のうちに行われるよう留意することであることに変わりはありません。小教区の司祭が解決できないなんらかの問題が生じた場合には、地域の裁治権者はつねに介入することができます。ただしその際、この自発教令の新たな規定の定めに完全に従わなければなりません。


親愛なる兄弟の皆様。さらにわたしは皆様に、この自発教令の施行の3年後に、皆様の経験に関する報告を聖座に送ってくださるようお願いします。真の意味で深刻な問題があることが分かった場合は、その解決方法を検討することに致します。


親愛なる兄弟の皆様。わたしは感謝と信頼をもってこの自発教令の本文と規定を牧者である皆様の心にゆだねます。エフェソの長老たちにあてた使徒パウロのことばをいつも思い起こそうではありませんか。「どうか、あなたがた自身と群れ全体とに気を配ってください。聖霊は、神が御子の血によってご自分のものとなさった神の教会の世話をさせるために、あなたがたをこの群れの監督者に任命なさったのです」(使徒言行録20・28)。


わたしはこの規定を、教会の母であるマリアの力強い執り成しにゆだねます。そして、心からわたしの使徒的祝福を、親愛なる兄弟の皆様、皆様の教区の小教区主任司祭の皆様、すべての司祭の皆様、皆様の協力者、そして皆様のすべての信者に送ります。

 

2007年7月7日、サンピエトロ大聖堂にて、
教皇ベネディクト十六世

(カトリック中央協議会のサイトより)

*1:訳注: 

その2】【その3】【その4】【その5】【その6

*2:管理人注:関連記事

*3:管理人注:関連資料

*4:『典礼憲章』22「聖なる典礼の規制は、教会の権能によってのみ行われる。この権能は使徒座にあり、また、法の規定によって司教にある(Sacrae Liturgiae moderatio ab Ecclesiae auctoritate unice pendet quae quidem est apud Apostolicam Sedem et, ad normam iuris, apud Episcopum)」参照