巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

試練と痛みの中にある東欧の兄弟姉妹のために共に祈ろう。【ウクライナ正教会を巡る宗教政治問題】

東欧の信仰者たちは迫害と動乱の中を懸命に生き抜いてきた。彼らに主の御加護があらんことを。(出典

 

「もし一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、もし一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。」1コリント12:26

 

目次

 

ウクライナ正教会を取り巻く動き

 

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ウクライナ正教会を取り巻く動き(出典

 

ウクライナの混沌(2018年10月15日、出典

 

以下、10/14(日) 11:20配信 sankei newsより


10月11日、コンスタンチノープル総主教庁により正式な教会組織だと承認されたことを受け、ウクライナの首都キエフで会見したウクライナ正教会(キエフ系)のトップ、フィリアート総主教(ロイター) 写真

 

キリスト教の三大教派の一つ「東方正教会」の権威を代表するコンスタンチノープル総主教庁は11日、トルコ・イスタンブールで主教会議(シノド)を開き、ウクライナ正教会に対するロシア正教会*1の管轄権を認めないとする決定を行った。イタルタス通信などが伝えた。

 

ウクライナ正教会が求めていたロシア正教会からの独立が事実上、認められた格好だ。“正教会の盟主”を自任してきたロシア正教会は強く反発。ロシア正教会にとって、下部組織と位置付けてきたウクライナ正教会の独立は権威や求心力の低下を招きかねないばかりか、自身の正当性さえ揺るがしかねない事態だ。正教会が分裂する恐れもあり、影響は広範囲に及ぶ可能性が指摘されている。(モスクワ 小野田雄一)


クリミア危機が契機に

ロシア正教会は17世紀、ウクライナ正教会(中心はウクライナの首都キエフ)を下部組織とする決定を行い、以後、人事などの管轄権を持つと主張してきた。

ウクライナ正教会は旧ソ連崩壊期までに、ロシア正教会の権威を認めるモスクワ系と、立場を異にするキエフ系などに分裂。ウクライナ国内で最大の信徒数を持つキエフ系は、ウクライナ正教会の独立を主張したものの、ロシア正教会に阻まれてきた。また、ロシア正教会がモスクワ系だけを承認してきた経緯もあり、キエフ系は他国の正教会から承認されていなかった

しかし、2014年のロシアによるウクライナへの軍事介入を機に、ウクライナでは正教会独立の機運が決定的に高まった。今年4月には、反露路線を取るポロシェンコ大統領が、コンスタンチノープル総主教のバルトロメオ1世にウクライナ正教会の独立の承認を訴える嘆願書を提出した。

これに対し、ロシア正教会のキリル総主教も8月31日、バルトロメオ1世と会談。

 

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今年の8月31日にトルコのイスタンブールで行なわれたキリル総主教(ロシア正教会)とバルトロメオ1世(コンスタンチノープル総主教)の会談。写真

 

キリル総主教は「ウクライナ正教会はロシア正教会の管轄下にある以上、コンスタンチノープルにウクライナを独立させる権限はない」とする立場を伝えていた。

しかしバルトロメオ1世は9月、2人の総主教代理をウクライナ正教会に派遣することを決定。これはウクライナ正教会に対するロシア正教会の管轄権を認めず、ウクライナ正教会の独立を認める意向の反映だとされた。ロシア側は反発し、コンスタンチノープルとの交流断絶を示唆していた。

ロシアの管轄権を否定
 

ロシア正教会は従来、自らをスラブ民族圏の正教会を代表する存在として位置付けてきた。また、正教会内において最大となる約7500万の信徒数を背景に、正教会内の主導権をコンスタンチノープルと競ってきた経緯がある。

今回のシノドで、コンスタンチノープルは、キエフ系などを正式な教会組織と承認し、ロシア正教会によるウクライナ正教会への管轄権を否定する決定を下した

インタファクス通信によると、決定を受け、ウクライナ正教会(キエフ系)トップのフィラレート総主教は11日、分裂した国内の教会組織を統合し、新たなウクライナ正教会を立ち上げる考えを示した

一方、ロシア正教会は強く反発。「コンスタンチノープルとの交流を断絶せざるを得ない」との立場を表明した。正教会がロシア側とコンスタンチノープル側に分裂する恐れが出ている

外交関係者によると、ウクライナやコンスタンチノープルの動きの背後には、ロシアの国際的影響力を排除しようとする米国の働きかけがあったという。実際、米国務省のナウアート報道官は9月25日、「ウクライナの宗教的独立の動きを強力に支持する」などとする声明を発表している。

ペスコフ露大統領報道官が11日、「ロシアは正教会を分裂させるいかなる動きにも同意できない」と話したように、問題は宗教の領域にとどまらず、国際情勢にも影響を与えそうだ。

歴史的な経緯は…

ウクライナ正教会の独立問題の背景や影響を深く理解するには、歴史をひもとく必要がある。

スラブ圏での正教は10世紀、キエフを首都とした「キエフ大公国」のウラジーミル1世がギリシャ正教を国教として受容したことで始まる。

 

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ウラジミール1世(Владимир Святославич;955年頃ー1015年ウラジーミル1世 - Wikipedia

 

キリストの弟子の聖アンドレアがキエフ地域で布教したという伝承もある。いずれにせよ、スラブ圏の正教の発祥地はキエフだとされてきた。

スラブ諸国の間でロシアが勢力を強めるにつれ、スラブ圏の正教の中心はモスクワに移り、最終的にロシア正教会は17世紀末、ウクライナ正教会に対する管轄権をコンスタンチノープル総主教庁に認めさせたと主張してきた。こうした歴史が、スラブ圏におけるロシア正教会の権威を担保してきた。

しかし、外交関係者によると、今回のウクライナ正教会の独立問題の最大の焦点は、このロシア正教会の決定が有効なものだったかどうかだったという。

正教を国教としていた東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の首都だったコンスタンチノープル(現イスタンブール)は1453年、イスラム勢力の侵攻で陥落。以後、コンスタンチノープル総主教庁は正教内における権限を失ったものの、権威はなお保有していた。

 

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1453年、コンスタンティノープル陥落(出典

 

このため、ウクライナ正教会を管轄下に置くとしたロシア正教会の決定がコンスタンチノープルによる完全な承認の下で行われたものではなかったとした場合、ロシア正教会が主張するウクライナ正教会に対する管轄権は、根拠が揺らぐことになる

今回のシノドでも、この論理に基づき、ロシア正教会による管轄権が否定されたものとみられている。

 

影響どこまで?
 

約1500万人の信徒を持つウクライナ正教会の独立により、ロシア正教会は正教会内での影響力や求心力を失いかねない。さらに、ロシア正教会が管轄しているベラルーシといった他国の正教会でも独立の機運が広がる可能性もある。

さらに、プーチン露大統領は欧米的なリベラル主義に対抗して国民を統合する価値観として、国家や民族、宗教的伝統を重視する正教を活用してきた。

 

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プーチン大統領と共にアトス山修道院群を訪れるキリル総主教(A Russian Orthodox Church Website

 

しかし、スラブ圏の正教の権威的中心地であるキエフの喪失やコンスタンチノープルとの対立は、ロシア正教の正当性をも揺るがしかねないもので、国民内に動揺が広がる恐れも否定できない。

オーストリア・ウィーン在住のジャーナリスト、長谷川良氏は「ウクライナ正教会は、ユシチェンコ大統領時代の2008年にも、ロシア正教会からの独立をコンスタンチノープル側に打診したが拒否された。ただし14年のウクライナ紛争後、状況が変化した。コンスタンチノープル側は、モスクワがバルカン半島の正教会を管轄下に置こうと画策してきたことに不快感を覚えていた」と指摘する。

その上で「(キエフ系の)フィラレート総主教の背後ではポロシェンコ大統領が、(ロシア正教会の)キリル総主教の背後ではプーチン大統領が動いている。ウクライナ正教会の独立は、政治的にも大きな影響を与えることが予想される」と分析している。

 

ー終わりー

 

【追記】日本ハリストス正教会はどこに位置しているのだろう?

 

日本ハリストス正教会は、1970年に、自治教会の承認を受けました。(モスクワ総主教庁とアメリカ正教会による承認。ただしコンスタンディヌーポリ総主教庁は不承認。)

 

*コンスタンディヌーポリ総主教庁は日本正教会の自治教会としての地位は認めていないものの教会法上の合法性は認めており、コンスタンディヌーポリ総主教庁と日本正教会の間にはこれまで首脳同士の相互訪問も行われているそうです。(参照) 

 

日本ハリストス正教による1970年以降の他正教会との交流年表出典

 

この年表に示したもの以外にも、特に母教会であるロシア正教会を中心に交流が行われている。

 

1974年10月 フェオドシイ永島府主教がロシアを訪問、ピーメン総主教から神学校援助金を受ける。

1983年5月 フェオドシイ永島府主教、ギリシャ正教会の主教会議、およびコンスタンティノープルを訪問、コンスタンディヌーポリ全地総主教ディミトリオスと会見。

1985年9月 カリストス・ウェア主教来日講演。

1990年10月 グルジア正教会のイリア総主教から招待を受け、フェオドシイ永島府主教、グルジアを訪問。

1992年5月 フェオドシイ永島府主教、ギリシャとルーマニアを公式訪問。

同年10月 フェオドシイ永島府主教、コンスタンディヌーポリ総主教庁とギリシャ正教会を公式訪問。

1993年12月 ルーマニア正教会の総主教庁聖歌隊、日本ハリストス正教会を訪問。

1995年4月 コンスタンディヌーポリ全地総主教ヴァルソロメオス1世、ニコライ堂を訪問。

同年12月 フェオドシイ永島府主教、ルーマニア正教会をテオクティスト総主教からの招待に応え訪問。

1996年9月 フェオドシイ永島府主教、キイウ(キエフ)とチェルノブイリを訪問。チェルノブイリ原子力発電所事故被災者児童を見舞う。

同年12月 ウクライナ救援募金が行われる。

1998年3月 セルビア正教会のニコライ府主教、および香港・東南アジアのニキタス府主教、日本ハリストス正教会を訪問。

2000年5月 モスクワ総主教アレクシイ2世来日。ダニイル主代府主教、首座主教として着座。

 

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*1:原文では‟露正教会”と記述されていますが、本ブログ内での訳語の統一を考え、ロシア正教会と書き直しました。あしからずご了承ください。