巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

カルヴァンやツヴィングリやウェスレーは聖母マリアのことをどのように考えていたのだろう?

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目次

 

ジャン・カルヴァン

 

John Calvin by Holbein.png

ジャン・カルヴァン(Jean Calvin、1509 -1564)は、フランス出身の神学者。マルティン・ルターやフルドリッヒ・ツヴィングリと並び評される、キリスト教宗教改革初期の指導者。また、神学校として1559年に創設されたジュネーヴ大学の創立者である。カルヴァンの神学は、ルター派など一部を除き教派の違いを超えてプロテスタント諸派に大きな影響を与えた。プロテスタント教会のひとつ改革派教会は彼の思想的流れを汲む教会である。(参照

 

「エリザベツはマリアのことを主の母と呼んだ。キリストの二性におけるペルソナが一つに結合しているため、マリアの胎に宿った〔死を免れぬ運命にある〕人間が同時に永遠の神であるということを言い得たのである。」*1

 

「別の場所でもすでに述べたことであるが、ヘブライ人の慣習においては、すべての親戚は『兄弟たち』と呼ばれていた。にもかかわらずヘルウィディウス〔4世紀の異端者〕は、いくつかの聖句に、彼らがキリストの『兄弟たち』と呼ばれているというただそれだけを根拠に、『マリアには多くの子どもがいた』と言っており、自らの無知をさらけ出しているのである。」*2

 

「〔マタイ1:25〕ここで彼〔ヘルウィディウス〕がそれから引き出している推論というのはこうである。ーーマリアは最初の出産までは処女性を保っていたが、その後、彼女は夫によって他の子どもを持ったのだと。・・キリストの誕生後何が起こったのかに関しての、こういった言葉からは、正当にして根拠の明確ないかなる推論も引き出し得ない。確かにキリストは初子(first-born)と言われているが、それは、キリストが処女からお生まれになったということを我々に告げ知らせるという目的ゆえに他ならない。その後起こったことに関し、歴史家は私たちに告げ知らせていない。・・・誰であれ、論駁に対する偏愛なしには、〔ヘルウィディウスのように〕こういった強情な議論を続けられるものではないであろう。」*3

 

「『兄弟たち』という言葉に関してであるが、ヘブライ人たちはーー婚姻関係の度合いがいかほどであれーーこの語の中にすべてのいとこたち、およびその他の親戚を含めていた。」*4

 

「今日に至るまで、われわれは、マリアに対する装飾・崇敬として神がわれわれに与えてくださったものについての黙想なしに、キリストにあってわれわれにもたらされた祝福を享受することはできない。」*5

 

「マタイ1:25の箇所を引用しつつ、『乙女マリアには神の御子以外にも子があり、ヨセフは〔キリスト誕生後に〕彼女と関係を持った』というような事を提示したがっている奇怪な連中がいる。おお、彼らはなんと馬鹿げたことを言っているのだろう!福音書記者は〔キリスト誕生後に〕何が起こったのかを記録することを望んでいなかった。ここで福音書記者は、ヨセフの従順さおよび、主の御使いをマリアの元に遣わされたのは神であったということを真に確かなものとして示したかったのである。それゆえ、ヨセフは彼女と関係を持っていなかった。・・・

 

 さらに、われわれの主イエス・キリストは初子と呼ばれている。福音書記者がこの語を用いたのはそこに二番目、三番目の子がいたからという理由ではなく、先行(precedence)という事実にわれわれの注意を向けさせようとしていたからである。それゆえ、聖書は、二番目の子がいるかいないのかということと無関係に、初子という名称を用いている。故にわれわれはここに聖霊の御意図を見るだろう。こうして、自らを荒唐無稽な機微に預けることは、聖書の誤用へとつながっていくのである。」*6

 

フルドリッヒ・ツヴィングリ

 

フルドリッヒ・ツヴィングリ(Huldrych Zwingli、1484-1531)は、スイス最初の宗教改革者。スイス改革派教会の創始者で、チューリッヒに神聖政治を確立しようとした。「聖書のみ」を信仰の基準としたこと、信仰そのものが大事だと説いたこと、万人祭司説を説いたことはマルティン・ルターと変わらなかったが、それ以外の部分においてルターと意見を異にしていた。彼らはマールブルク会談で多くの論点について合意したが、聖餐論で一致することができなかった。カトリック諸州との内戦の中で戦死した。47歳だった。(参照

 

「他のいかなる被造物にも属していないものがマリアには与えられた。そう、肉において彼女は神の御子を産んだのである。」*7

 

「私は次のことを堅く信じている。ーーつまり、福音書の言葉によると、汚れなき乙女マリアは私たちのために神の御子を産み、出産の際にも、キリスト誕生後も、そしてとこしえからとこしえに至るまで、純粋なる処女であり続けたということを。また、祝福された者や御使いたち、それら全ての被造物を凌ぐ永遠なる至福に入るべく、マリアは神によって高められたということを私は堅く信じている。」*8

 

「私はこの事を、チューリッヒの聖なる教会の中において、そしてすべての著述の中で述べている。すなわち、マリアが永遠なる処女であり聖なる方であることを。」*9

 

「私は神の母であり、とこしえなる処女、汚れなき(immaculate)乙女マリアに対し、大いなる敬意を払っている。」*10

 

「キリストは、、、最も汚れなき処女から生まれた。」*11

 

「このような聖い御子が聖い母を持つことはふさわしいことである。」*12

 

「人の内でキリストに対する愛と崇敬の念が増し加わっていくにつれ、マリアに対する敬意と称賛の念も増し加わっていく。なぜなら彼女はわれわれのために、偉大にして、且つ同情と憐れみに富んだ主であり贖い主を産んだからである。」*13*14*15

 

トマス・クランマー

 

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トマス・クランマー(Thomas Cranmer 1489-1556)は、カンタベリー大司教。イングランドの宗教改革の指導者であり殉教者。(参照

 

「『とこしえなる処女』としてのマリアを受け入れることにより、彼らがこれまで受け継いできた伝統に従った。」*16

 

ハインリヒ・ブリンガー

 

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ハインリヒ・ブリンガー(Johann Heinrich Bullinger, 1504 - 1575)は、スイスの宗教改革者で、フルドリヒ・ツヴィングリの後継者として、宗教改革で重要な神学者。「契約神学の父」と呼ばれる。彼はまたトーマス・クランマーの義理の兄弟でもある。(参照

 

「乙女マリアは、、恵みにより、そして御子の血潮により完全に聖められ、聖霊の賜物をあふれるばかりに豊かに受けた。・・・今や彼女は至福の内にキリストと共に天で生きており、永遠なる乙女そして神の母として呼ばれ、とどまり続けている。」*17

 

「おお神の目に、乙女マリアは、その敬虔、純潔、聖、徳においてどんなに卓越した存在として映っていることだろう!それゆえに彼女はその他いかなる聖人たちとも比べられず、彼ら全てに勝る存在として高められてしかるべき権利を持っているのである。・・・神の母、処女マリア、聖霊の宮ーー純にして汚れなき具現ーーつまり、彼女の聖なるからだは、御使いたちによって天に引き上げられたということをわれわれは信じている。」*18

 

ジョン・ウェスレー

 

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ジョン・ウェスレー(John Wesley、1703-1791)は、18世紀のイングランド国教会の司祭で、その後メソジスト運動と呼ばれる信仰覚醒運動を指導した人物。この運動から生じたのがメソジスト派というプロテスタント教会であり、アメリカ合衆国・ヨーロッパ、アジアで大きな勢力をもつに至った。特にアメリカではプロテスタント系で信徒数第2の教派である。聖化を強調し、『キリスト者の完全』を唱えた。これはウェスレー派のメソジストときよめを強調するホーリネスに継承されている。(参照

 

「祝福された乙女マリアは、キリスト誕生後も、純潔にして汚れなき処女であり続けた。」*19

 

ー終わりー

 


参考資料

Juniper Carol, editor, Mariology, 3 volumes (1955-1961)

Max Thurian, Mary: Mother of All Christians (Herder, 1964)

Ludwig Ott, Fundamentals of Catholic Dogma (TAN, 1974)

John Henry Newman, Mary: The Second Eve (TAN, 1982)

Luigi Gambero, Mary and the Fathers of the Church (Ignatius Press, 1999 English trans, orig 1991 in Italian)

Scott Hahn, Hail, Holy Queen: The Mother of God in the Word of God (Image / Doubleday, 2001, 2006)

William Ullathorne, The Immaculate Conception of the Mother of God, an Exposition (orig 1855, Christian Classics, 1988)

Dwight Longenecker and David Gustafson, Mary: A Catholic-Evangelical Debate (Brazos Press, 2003)

 

カトリック教会の聖母マリア観

東方正教会の聖母マリア観


*1:John Calvin, Calvini Opera [Braunshweig-Berlin, 1863-1900], Volume 45, 35

*2:Commentary on Matthew 13:55

*3:Harmony of Matthew, Mark & Luke, sec. 39 (Geneva, 1562), vol. 2 / From Calvin's Commentaries, tr. William Pringle, Grand Rapids, MI: Eerdmans, 1949, vol. I, p. 107

*4:Pringle, ibid., vol. I, p. 283 / Commentary on John, (7:3).

*5:John Calvin, A Harmony of Matthew, Mark and Luke (St. Andrew's Press, Edinburgh, 1972), p.32

*6:Sermon on Matthew 1:22-25, published 1562

*7:Ulrich Zwingli, In Evang. Luc., Opera Completa [Zurich, 1828-42], Volume 6, I, 639

*8:from Augustin Bea "Mary and the Protestants" MARIAN STUDIES Apr 61) [Ulrich Zwingli, Zwingli Opera, Corpus Reformatorum, Volume 1, 424]. Zwingli used Exodus 4:22 to defend the doctrine of Mary's perpetual virginity.

*9:January 1528 in Berne, cited in Max Thurian

*10:E. Stakemeier, De Mariologia et Oecumenismo, K. Balic, ed., (Rome, 1962), 456

*11:E. Stakemeier, De Mariologia et Oecumenismo, K. Balic, ed., (Rome, 1962), 456

*12:E. Stakemeier, De Mariologia et Oecumenismo, K. Balic, ed., (Rome, 1962), 456

*13:Zwingli Opera, Corpus Reformatorum, Berlin, 1905, v. 1, pp. 427–428.

*14:ツヴィングリは、1522年、キリストの母マリアの永続的処女性を抒情詩的に擁護した。・・・マリアが、御子の誕生以前、出産時、そして誕生後において、処女であり続けた(inviolata)ということを否定することは、神の全能性を疑うことに等しかった。そして『アベマリア(Hail Mary)』というーー祈りではなくーー御使いのあいさつを繰り返すことは正しく、また有益なことであった。神は(聖徒たちや御使いたちを含めた)すべての被造物の上にマリアを高く置いた。マリアの純潔、無垢、そして揺るぎない信仰を、人類は模倣すべきである。しかしながら、祈りは、、神にのみ捧げられなければならない。・・・彼の最後の小冊子('Fidei expositio')、、、そこにはマリアの永続的処女性に対する格別なる主張がなされている。」G. R. Potter, Zwingli, London: Cambridge Univ. Press, 1976, pp.88-9,395 / The Perpetual Virginity of Mary . . ., Sep. 17, 1522

*15:ツヴィングリは、1524年に、「とこしえの乙女、マリア。神の母」と題する説教録を出版した。Thurian, ibid., p.76

*16:Timothy Bradshaw, "Commentary and Study Guide on the Seattle Statement Mary: Hope and Grace in Christ of the Anglican – Roman Catholic International Commission").

*17:In Hilda Graef, Mary: A history of Doctrine and Devotion, combined ed. of vols. 1 & 2, London: Sheed & Ward, 1965, vol.2, pp.14-5

*18:cited in Thurian, page 89, 197, 198

*19:"Letter to a Roman Catholic" / In This Rock, Nov. 1990, p.25 / Holden, Harrington William (1872). John Wesley in Company with High Churchmen. London: J. Hodges. p. 119. In his profession of faith Wesley includes the Perpetual Virginity of "the Blessed Virgin Mary, who, as well after as before she brought Him forth, continued a pure and unspotted Virgin." xix 6. (1749.).