19世紀後半のスコットランド人伝道者オズワルド・チェンバーズが著作の中で、自分の妻ガートルードのことに触れ、「これほどまでに受容的かつ従順で、自分を信頼してくれる妻が傍にいてくれるおかげで私は生涯を通しどれほど助けられてきたか分からない」と述べている箇所を読んだことがあります。
2行ほどの短い文章だったのですが、その時私は、「この伝道者の背後には、彼を理解し支え続けたこのような奥さまの存在があったんだなあ」と感銘を受けました。*1
また西部開拓時代のクリスチャン・ホームをモデルに書かれた『大草原の小さな家』の中でも、夫チャールズの下すさまざまな決断に対し、妻キャロラインがしずかに「あなたの良いと思うようになさってくださいな、チャールズ。」と答えている姿がとても印象的でした。
受け入れ、受容するーー。ガートルード・チェンバーズやキャロライン・インガルズの、妻としての静謐なあり方に倣い、それ以後私も、主人が何かの決心をした際、祈りの内に「あなたの良いと思うようになさってください。信頼していますから。」と答えるよう努めてきました。
もちろんなかなかそうできない時もありますが、それでも主は私を助けてくださり、そのような受容の心(receptive spirit)が魂に据えられるよう働いてくださっています。典礼が礼拝者を造形していくように、信仰者としての妻のあり方もその本質において造形的(formative)なものだと思います。
先日、ルカの福音書1章を読んでいましたところ、御使いガブリエルがおとめマリアの所に遣わされる箇所に目が留まりました。
「ご覧なさい。あなたはみごもって男の子を生みます。名をイエスとつけなさい、、聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます、、」(ルカ1:21,35)という驚くべき告知を聞かされたマリアは、言いました。「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように」(ルカ1:38)。
受胎告知
世間の常識では考えられないような告知に対し、それを神からのものとして受け入れ、「どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように」と答えた聖母マリア様の受容の心と信仰に感動しました。このような反応は一日にして生まれ得るものではなく、おそらくそれまでの彼女の人生の中で深く造形され培われてきていたのだと思います。そして聖書はそのような彼女のことを(エリザベツの口を通し)「女の中の祝福された方」(ルカ1:42)と表現しています。
聖母マリア様のこういった心のあり方は、現代文化が促進する女性像とはかなり異なっています。しかし聖霊の宮とされた私たちクリスチャン女性にとって、マリア様の謙遜、マリア様の信仰、そしてマリア様の受容の心は他の何にもまして尊ぶべき美しい模範ではないかと思います。
願わくば、礼拝堂の中、そして家庭の中にあって、私たち女性の心が静澄なるスピリットで満たされ、私たちのかしらである可視的/不可視的κύριος(主、主人)の前に、真にうやうやしく、またreceptiveな心を持つことができますように。
ーおわりー