巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

リジューのテレーズの信仰詩集

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私は主の手の中にある一番小さな鉛筆です。
この鉛筆はごく細かなところを描くのに使われます。

 

目次

 

汝の聖い御顔を見つめます

 

愛しいイエス!

汝の聖い御顔を見つめます。

ここよりわが道は、はじまります。

 

汝のご表情は恵みにあふれ、

私にとってそれは 

地上における天国です。

 

愛は 私の心を魅了しました。

涙粒で濡れた汝のやさしい眼。

私自身の涙を通して

汝にほほえみかけます。

 

深い汝の悲しみのうちに

わが痛みは消え去ります。

 

忘れ去られる、、

もしもそれによって 

汝のうずく心を

お慰めすることができるのなら、

私は喜んで 

人目に隠れたところで生きていきましょう。

 

隠された汝の美しさは

地から離れて歩む魂に

顕されます。

 

おお、汝の元へ

ただ汝の元へ飛んでいきたい!

 

イザヤ53章

Thérèse of Lisieux,Canticle to the Holy Face, 1895(私訳)

 

茨の中のゆり

 

おお、とこしえより威厳高く、力強い王!

  

イエス、わが最愛のお方。

これほどの特権が他にまたとあるでしょうか。

 

私は本当に何者でもありませんのに、、

こんな私がいったい汝に何をなしたというのでしょう?

 

しかし今、純白の服に身を包み、天的な歓喜のうちに、

子羊であられる汝にお従いしていくことが

私の至福です。

 

ああでも、私はよく知っております。

自分はまったく無きに等しい者であり、

かよわく、貧しいのです。偉大な徳に富んでいるわけでもありません。

 

しかし、それにもかかわらず、汝は私の心をご存じです。

私はこれまでいつも、汝ご自身を慕い求めてきました。

そして、ただ汝のみを待ち望んでいます。

 

若き日の私の心が初めて、赤々と燃える愛の炎を感じた時、

汝が来てくださったのです、おおキリスト!

私はその炎をただ汝の元にのみ、携えて行きます。

 

汝以外のなにものも、わが魂を満足させることはできませんでした。

ああ、わが唯一の喜びよ。

無限なる方のみ、焼きつくようなわが霊の渇きを満たすことがおできになります。

 

安全な囲いから遠く迷い込んでしまったちいさな羊のように、

私はかつて愚かにもそこで遊び、

そこにある危険のことなど全く無知だったのです。

 

そのような深く恐ろしい落とし穴の縁で遊んでいた私は、

その時、遠くのカルメルの丘が

私に手招きしているのを見ました。

 

そして、あの険しい頂に登っていく人は、

愛について学び、

天の永遠へと羽ばたいていくのだということを悟ったのです。

 

愛しい主、

汝の心は、御使いの聖さを好んでおられます。

天的な歓喜のうちにいる、雪のように白い御使いを。

 

それならば主よ、この地上で、汝のために、泥や汚れから分かたれ、

雪のように白く保たれている一輪のゆりをも

汝は愛してくださいませんか。

 

そして私の衣をも、

白く無傷で、確かなものとして保ってくださいませんか。

汝に対するおとめ心は、わが日々の宝です。

 

Thérèse of Lisieux, A lily amidst thorns(私訳)

 

夜明けに

 

夜明けに、マグダラのマリヤは

墓のところに一人たたずみ泣いていました。

 

マリヤは、死んで埋葬されたイエズスを探していたのです。

主が去った今、何ものも彼女の心の空洞を

満たすことはできませんでした。

 

そして耐えがたいこの悲嘆を和らげてくれる人もいませんでした。

そう、天の大天使であるあなたがたでさえも、

その悲しみの日に彼女を慰めることができなかったのです。

 

彼女はただひたすら、埋葬された王を探し求め、

その亡骸を引き取ろうとしていました。

 

墓の脇に彼女は最後まで残り、そして夜の明けないうちに、

再び墓の所に戻ってきました。

 

そして、そこに救い主も彼女のために来てくださったのです。

主の彼女に対する愛は、彼女のそれを凌ぐものでした。

 

やさしく主は彼女にご自身の御顔を顕してくださり、

その深い心の芯奥から、一言を発せられました。

 

マリヤは主の御声を知っていました。

その恵み深き声を。

 

それは全き平安に満ちたものであり、

彼女の心を祝するものでした。

 

おおわが神!

いつの日か、私も、マグダラのマリヤのように、汝を探し求めたい。

そして汝に近づきたい。

 

広大な大地、どこまでも拡がる平原を駈け抜けて、

私はわが王にまみえようと、主を探し求めました。

緑色の木々、そして蒼穹の空の下に

美しく花々が咲き乱れていましたが、

私はわが主を求めて泣きました。

 

おお光り輝く自然。

王を慕い求めるわが眼が、主の御顔をまみえない限り、

自然よ、あなたでさえも広漠とした一つの墓場に過ぎません。

 

私を慰め、祝してくださる一つの心を私は必要としています。

そして決して消え去ることのない力強い支えを。

 

自分のか弱ささえもひっくるめて、私を丸ごと愛してくださる方、

そして昼も夜も決して私を見放さないでいてくださる方を。

 

この地上の被造物の中で、

そのような愛をもって私を愛し、

決して死を見ない人は誰一人いません。

 

人となった神。

このお方以外に、私の必要を知っていてくださる方はいません。

この方、そうです、この方だけが、

私の涙と叫びを理解してくださいます。

 

愛しい主、

私が必要としている全てを汝は分かってくださっています。

私の心を勝ち取るために、

天より汝はおいでくださいました。

 

そして私のために、汝の尊い血が流されたのです、

おお慕わしいわが王!

そして私たちの祭壇の上に、汝は宿ってくださっています。

 

ですから、たとい、この地上で汝の御顔を見ることができなくても、

そして、汝の御声という天的な調べを聴くことができなくても、

それでも、汝の恵みによって、

私は毎瞬間を、生きていくことができます。

 

そして汝の神聖なお心の中で、私は喜ぶことができます。

おおイエズスの心。優しさの宝庫。

わが喜びは、汝ご自身であり、

汝のうちに、私は安心して身を隠します。

 

小さい時から、汝は私の心を魅了してこられました。

わが人生の最期の夕べまで、どうか私と共にいてください。

 

私の持てるものはことごとく、汝にお捧げしました。

わが内にある深い願いは、全て汝に知られています。

 

誰であれ、汝のために自分のいのちを失う者は、

それを自分のものとします。

 

どうか、私のいのちが、永遠に汝の内で

 ただ汝の内のみで失われたものとなりますように。

 

万事を見通す汝の目から見るなら、私の内にある義など

全く無価値なものであることを、私はよく存じております。

 

呼吸の一つ一つを、わが心は汝より汲み取らなくてはなりません。

そうして初めて、人生を通した自分の犠牲は意味をなします。

 

御使いでさえも、汝の目には汚点なしには映りません。

そして汝の律法は、雷鳴の中で与えられました。

 

しかし、私のイエス様!

私は汝を怖がっていませんし、おののいてもいません。

私のために、カルバリーの丘で、汝の心は引き裂かれました。

 

汝と顔を合わせ、その栄光のうちに、汝にまみえるために、

魂は、炎の中を通らなければなりません。

 

この地上で、

清めのためのそういった場所を選ぶことができるのだとしたら、

汝の大いなる心望という燃えるような愛を私は望みます!

 

そうすれば、この地に追放されしわが魂は、

全き愛という一つの叫びをもって、

死の命令に対し答えを出すでしょう。

 

そうして後、御父の国である天に、まっすぐに飛翔していき、

時を置かずして、

上なる家に辿り着くでしょう。

 

 

1895年10月

Thérèse of Lisieux, To the sacred heart(私訳)

 

暗い夜にーー信仰と疑いのはざまで(病床にあったテレーズの詩)

 

詩 『私の喜び』

 

青空が暗黒の雲で覆われ、

私が見捨てられてしまったようであるとき

 

私の喜びは 小さく 隠れたままで生きることです。

 

最愛のイエスのお望みをはたすこと

それが私の喜びです。

 

私は何も恐れずに 進んでいきます

夜も 昼も どちらも好きです。

 

イエスの存在まで疑うときこそ

私の愛のしるしをふやします。

 

訳者メモ

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1897年が明け、テレーズは24歳の誕生日を迎えました。病状が悪化し、彼女は姉のポリーヌに、「私はきっと今年中に死ぬと思います」と言いました。

 

1月21日に、テレーズはポリーヌの祝いにちなんで、この『私の喜び』と題する信仰詩を贈りました。しかし、この時期、彼女の霊は、暗い夜にひとりうち置かれ、信仰の過酷な試練の道の途上にあったのです。

 

この詩を姉に贈った同じ日に、テレーズは一修道女に、次のように心を打ち明けていることからも、その苦悶が読み取れます。

 

「私は永遠のいのちが信じられません。この世の朽ち果てる生命のあとには、もう何もないように思えます。私にとっては、すべてが消え去りました。私が落ち込んでいる暗闇を言い表す言葉もないのです。私には、もう愛しか残っていません。」

 

もし、主が長く生きることを望まれるならば、そのように生きたい。もし、主を楽しませることになるなら、主に従って天国に行きたい。そう歌ってから、テレーズは次の言葉で詩を結んでいます。

 

「天の御国の愛の火が、たえまなく私を焼き尽くしています。

死ぬこと 生きること それは問題ではありません。

イエスよ、私の喜び それは、あなたをお愛しすること、、、」

 

伝記記者の菊地多嘉子氏は、こういったテレーズについて次のように書いておられます。

 

「目には見えないが、暗い夜のただなかに臨在するイエスこそ、テレーズの唯一の喜びなのである。信仰の過酷な試練の道の途上で、自分が味わう苦しみを、すべての兄弟姉妹の幸せのために捧げたいと、テレーズは切に願い続ける。」

 

むしられたばら

 

ばらが修道院の庭を装う五月に、テレーズは一つの詩をつくりました。アンリエットという元院長の依頼に応じるためにです。アンリエット修道女は当時、重い病に侵される中で死を恐れ、すべてのことに懐疑的になっていました。

 

彼女としては、このような否定的な詩の題をテレーズに送りつけることによって、ある意味、彼女に(そしておそらく神様に対し)挑戦の意を込めていたのかもしれませんが、テレーズはやさしくこの依頼に応えました。

 

詩『むしられたばら』

 

「無造作に、気どることなく、

 全くありのままに、あますところなく自分を捧げ尽くす。

 苦しみの人イエスの十字架に向かう足元に敷かれて。

 

イエスよ、

あなたの愛のために

私は自分のいのちも 前途も費やし尽くしてしまいました。

 

人の目には色褪せ、しぼんでしまったばらのように

私は死なねばなりません!

 

あなたのために死ぬ。御子よ、至上の美よ。

ああ、なんという幸いでしょう。

自分をむしりとりながら、あなたへの愛を証ししたい。

 

私の宝イエスよ、

この世では、ひそかに生きたい。

 

そして、カルワリオへの丘を登るあなたの最後の歩みを

ばらのはなびらで、やわらげたいのです。」

 

この詩を受け取ったアンリエット元院長は、「上出来だけど、ただ未完成です」と言ってきました。彼女曰く、「死のとき、神はこの『むしりとられたばら』のはなびらを拾い集めて、永遠に輝く美しいばらに作りかえてくださる」という一節を加えるべきだというのです。

 

しかし、テレーズはこれに応じませんでした。

 

「アンリネット修女は、たりないと思われる部分をご自分でお作りください。私は何もつけ加えません。神様をお喜ばせするために、永遠に摘み取られたままでありたい、ただそれだけです!」

 

「小さい道」の発見

 

小さいノートももう終わりに近い。

 

えんぴつを持つ力さえ尽き果てようとしていたテレーズは、手記の中で、「神さまが自分になさった最も偉大なみわざ、それは『私の小ささ、無力さを示されたことです』」と語っています。

 

「おお、イエス様!私を天にまで上らせるエレベーター。それらはあなたのみ腕なのです。ですから、私は大きくなる必要はありません。かえって、ますます小さくならなければなりません。神様!あなたがしてくださったことは、私の期待をはるかに超えています。それで、私はあなたのあわれみを歌いたいのです。」

 

「うれしいことに、主をお愛しすると心は大きく広がり、利己的でなんの実も結ばない愛にこり固まっている心とは比較にならない大きな愛情を、親しい人々に注ぐことができます。」とテレーズは言います。

 

「一歩ごとにつまずき、転び、また自分の十字架を弱々しく担うことしかできなくても、この無力さを認め、これを愛してください。そうすれば、恵みによって英雄的な行為を意気揚々と果たし、自己満足感を満喫するよりも、もっと多くの益をえるでしょう。」

 

「福音書に目を向けさえすれば、すぐにイエス様のご生活の香りがして、どちらの方向に走ればよいかがわかります。私が飛んでいくのは上席ではなく、末席です。そう、私は感じています。」

 

「ピラトはイエス様に真理を聞くことを拒みましたが、私は決してそのようにはしませんでした。いつも神様に、『私はあなたのお言葉をうかがいたいのです。私が謙虚に、真理とはなんでしょうかと申し上げるとき、どうぞ、お答えください。そして、物事をありのままに見、何にも目をくらまされることのないようにしてください』と申し上げています。」

 

「、、『見せかけ』は大嫌いです。」

 

〔死の当日に院長に答えて〕「はい。私は真理以外には、何も求めなかったと思います。」

 

それでは、最後に、「愛のかまど」に伴わせてくださるイエス様への希望を歌った彼女のメッセージをご紹介いたします。

 

最愛の「鷹」よ、

いつの日か、きっとあなたは小鳥を迎えに来られ、

愛のかまどに伴ってくださるでしょう。

 

そして、小鳥がいけにえとして身を捧げた愛の燃える淵に、

永遠に沈めてくださるでしょう。

あなたの慈しみを言い表すことはできません。

 

万が一、私よりももっと弱い、

もっと小さい魂をお見つけになることがあれば、

その魂が信頼して、あなたのあわれみに身をゆだねる限り、

かならず、さらに豊かな恵みでお満たしになるでしょう。