西方の四大教会博士(出典)
目次
ブライアン・クロス(Bryan Cross)。マウント・マースィー大学宗教哲学部哲学科助教授。ミシガン大学(B.S.)、カベナント神学校(M.Div.)、セイント・ルイス大学(Ph.D.)
はじめに
本記事は以下の記事の続編です。
教会的信仰(Ecclesial Faith)
「教会論に関し、アクィナスは理神論者ではなかった、、」
それでは私自身がどのような経緯で、自分の教会的理神論に気づくようになったのかお話したいと思います。最初のきっかけは、大学院で受講した、トマス・アクィナスに関する講義でした。アクィナスは一貫して教会の伝統および、教父たちに論拠を訴えていました。
そして私はそういう風なアクィナスの神学的方法論に苛立ちを覚えていました。「神学的議論をするなら、教父たちに訴えるのではなく、聖書からの釈義をしてほしい。」そう思いました。そしてそういった反論を講座を受け持っていた教授に直接伝えました。
すると、教授は「アクィナスは、神の摂理が教父および教会の発展〔史〕を導いていることを信じていたのです」と説明されました。そして「教会論に関し、アクィナスは理神論者ではなかったのです。」と付け加えられました。
アクィナスは理神論者ではなかった、、、、この短い回答は自分にとって相当の衝撃となり、それ以後、私はこのテーマに関し、熟考していくことになりました。なぜなら、その当時、私は、教会の発展に関し、アクィナスのような非理神論的な捉え方をしていなかったからです。
教父たちの諸見解に信頼が置けなかった理由
もちろん私は当時においても、神の摂理を堅く信じていました。しかしアクィナスが論拠として訴えていた教父たちの言明や見解には信頼を置いていませんでした。
というのも、当時の自分の考えの中では、教父たちに訴えることは何をも確立・立証することにならなかったからです。教会は福音の純粋性から逸脱し、腐敗していたのですから、教父たちに訴えるのはそれこそ異端者たちに訴えるに等しいのではないでしょうか。
しかしアクィナスにとっては、教父たちが何かを教示する際、ーーとりわけ、それらの教父たちが教会博士であったり、当該主張が、その他多くの教父たちによって広範囲に信奉・教示されている場合は尚更ーー、それは私たちにとって、一種の家督(patrimony)としての権威性を示していました。なぜなら、聖霊こそが誤りなく、教会の諸発達をすべての真理に導き入れてくださっているからです。
この点において、自分とアクィナスはなんと違っているだろうと私は気づきました。そして彼の著述を精読するにつれますます、その相違は自分にとって明らかなものとなっていきました。アクィナスは、「キリストに対する信仰は必然的に教会に対する信頼を伴う。なぜなら、キリストはご自身の教会の進行を導き、守ることにおいて失敗し得ない御方であるからである」と考えていました。
キリストを信頼するとはどういうことだろう?
「自分はこれまで完全にはキリストを信頼してこなかったのではないだろうか?」そう思うようになりました。いや、主が信頼するに足りない方だと思っていたわけではありません。そうではなく、私は、キリストが目に見えるみからだをお建てになり、ご自身がそのかしらであられ、みからだを再臨の時まで守り、保持し続けると約束してくださっている事を自分は本当には理解していなかったのではないかーーそう思ったのです。
私はキリストが確立された教会的器官というものを理解していませんでした。そしてその器官を通し、みからだを構成しているメンバーは主に信頼していくことができるのだということを理解していませんでした。
キリストへの信仰というのは、私の心から直接キリストの御座へと(あたかも永続する牧者たちの系譜をキリストが任命されなかったかのように)、不可視的に行使されるなにかではないのかもしれないーーそう考えるようになっていきました。
内なる信仰は外的に行使されなければならず、それはキリストがお遣わしになりお建てになった牧者たちを通しキリストに信頼することによって為されるのではないだろうか?そう思いました。
イエスはこう仰せられました。「あなたがたに耳を傾ける者は、わたしに耳を傾ける者であり、あなたがたを拒む者は、わたしを拒む者です。わたしを拒む者は、わたしを遣わされた方を拒む者です。」ルカ10:16
これは、信仰におけるサクラメント的な観念です。つまり、単にそれ自体としての信仰ではなく、「~を通しての」信仰です。そしてこれは、教会に関するサクラメント的な観念であり、キリストというご人格(ペルソナ)の中で祭司が語るための基盤となっています。
教会観の見直し
これが分かり始めてきた頃から、私は自分の教会軽視型信仰はあまりにも卑小なものであるということを把握し始めました。教会というものを抜きにし、私はキリストに対する信仰をなにか完全に内的なものであるかのように考えていました。
しかしキリストが(ご自身がかしらであり、またそれを保持すると約束してくださった)可視的にして階層的に組織されたみからだをお建てになったということが分かってくるにつれ、キリストを信頼する道とは、主がかしらであるご自身の教会を信頼する道であり、それは、初期クリスチャンたちが使徒の教えに信頼することによってキリストに信頼を置いていたこととまさに同じではないかと考えるようになりました。
使徒たちに信頼を置くことはキリストに対する彼らの信頼を減ずるものでもなく、互いに競合するものでもありません。その反対に、イエスが使徒トマスに「見ずに信じる者は幸いです」(ヨハネ20:29b)と仰せられた時、主が含意しておられたのは、主を見ることによってではなく、使徒たちの証しを信じることによってキリストに信頼を置く者たちにはより大いなる信仰が要求され、また表されるという事でした。
そしてイエスは「ただこの人々のためだけでなく、彼らのことばによってわたしを信じる人々のためにもお願いします」(ヨハネ17:20)と祈られた時、そういった信仰の在り方のことを言及していました。
信仰理解に関する二つの道
信仰理解に関する上記のような二つの道の違いは、故リチャード・J・ノイハウスの言明の内にもみられます。
リチャード・ジョン・ノイハウス(Richard John Neuhaus, 1936 – 2009)
「二種類のクリスチャンが存在します。一番目は、いわゆる‟教会論的クリスチャン(ecclesiological Christians)”と私が呼んでいる種類のキリスト者であり、二番目の人々にとっては、クリスチャンであるというのは主として個人的決断に関わる事がらです。前者にとっては、キリストへの信仰行為と、教会への信仰行為というのは信仰において一(いつ)です。一方、後者にとっては、キリストへの信仰行為は信仰行為であり、教会への信仰行為は(そのようなものがあるとすればですが)、それは二次的、三次的なものにすぎません。*1 」
こういった二種類の信仰の間の相違は、「教会に関するグノーシス的観念」と、(生ける、ヒエラルキー的に統一されたみからだとしての)「教会に関する聖書的観念」の違いに起因しています。そして「キリストへの信仰行為と、教会への信仰行為というのは信仰において一(いつ)である」ということがみえてきたなら、私たちは教会的理神論と袂を分かたなければなりません。
「疑念の解釈学」としての教会的理神論
この点において、教会的理神論は、不信仰の一形態、懐疑的スタンスとしての「疑念の解釈学(‘hermeneutic of suspicion’)」であり、それゆえに、信仰における欠陥です。
しかしだからといって、教会的理神論に相当する考えを持っている皆が皆、キリストに対する意識的不信ゆえにそうしているわけではありません。かつての私もそうでしたが、おそらくそういった人々は、キリストがご自身の教会をお建てになった際にキリストが実際に何を建てられたのかということに対する認識が不十分なのではないかと思います。
教会史を振り返りますと、こういった‟疑いのスタンス”を採っていた初期異端グループを見い出すことができます。(例:モンタヌス聖霊運動、ノヴァティアヌス派、ドナチスト派等)。彼らの抱いていた不信感は、キリストが群れのためのお立てになった正統的牧者たちに対する不信の内に顕れています。
しかしカトリックは、キリストが任命し、ご自身の名によって治めるようにと権威を与えてくださった牧者たちに信頼することにより、キリストへの信仰を行使します。これはキリストへの信仰を教会に対する信仰に置き換えることではなく、まさにキリストの教会を信頼することを通してキリストに信頼しているのです。
二つの誤り
しかしながらこれは私たちがキリストご自身と関係を持つ必要がないということを示唆しているのでしょうか。もちろん、違います。ここには二つの誤謬が考えられます。(一つの徳に関連した二つの悪徳のように。)
そして次に挙げるこの二つの誤りはどんなサクラメントにおいて起こり得ます。なぜならすべてのサクラメントには質料原則と形式原則その両方があり、そのため、場合によっては、どちらかが主となる余り、もう一つを排除してしまう可能性があるからです。
一番目の誤りは、上述しましたように、グノーシス的もしくはモンタニスト的誤謬です。この誤謬は、(主の元に来、サクラメントの中で主からの恵みをいただく媒介としての)教会をキリストがあたかもお建てにならなかったかのようにして、教会を軽視しています。
そして二番目の誤りは、合理主義的もしくは儀式主義的誤謬です。この誤謬においては、教会のかしらである方および、サクラメントを通して私たちに与えられる主のいのち、そして主との祈り深いコミュニオンの中でいただく主との交わりがおろそかになっています。
両ケースにおいて、信仰の眼は失われていますが、それぞれ異なった仕方で喪失されています。前者においては、キリストのいのちを受けることを通した質料(matter)を見失うことによって、そして後者においては、この質料の中で私たちに提供されているキリストのいのちを見失うことによって、です。
ー終わりー
訳者所感--このもやもやをどうしよう?
「キリストに対する信仰は必然的に教会(Church)に対する信頼を伴う。なぜなら、キリストはご自身の教会の進行を導き、守ることにおいて失敗し得ない御方であるからである。」
本稿におけるブライアン・クロス氏の批評は的を得ているのではないかと私は考えています。そしてなぜ、「教会的理神論」に対する彼自身の自己批判(プロテスタンティズム批判)が、プロテスタント神学者であった彼を最終的にカトリシズムに向かわしめたのか、その流れもよく理解できます。
それはよく分かるんです。この理論だけを追っていくと、クロス氏のおっしゃっていることは実に筋が通っていると納得します。でも、、と、ここから私のもやもやが始まります。
例えば、現在、多くの伝統的カトリック信者の方々が「第二バチカン公会議後の教会の路線は本当に正しいのだろうか?」という疑問を持っておられ、信徒の方も聖職者も共に公に議論しておられます。
仮にこういった堅実な方々を ‟懸念するカトリック信者(the concerned Catholics)”とお呼びすることにします。そうしますとクロス氏のおっしゃる「キリストに対する信仰は必然的に教会に対する信頼を伴う。」の「必然的に」は、少なくともこれら ‟懸念するカトリック信者” の方々に限っては当てはまらないということになるのでしょうか?どうでしょうか。
というのも、これら敬虔なカトリック信者の方々はおそらく現在、本当にやむをえない事情により、「教会に対する信頼」がきびしい状況におかれていると思うからです。
しかしそうだからといって、彼らが ‟懸念していない” その他のカトリック信者に比べて「キリストに対する信仰」が欠落しているかといったらそうではないと思います。(むしろこの場合、彼らの真摯なる「キリストに対する信仰」が彼らをして必然的に「教会に対する信頼」への切望/揺れ/失望を生起せしめているようにお見受けします。)
そして、仮に、(典礼でのロック音楽やエキュメニズム問題などを)懸念するカトリック信者の方々の提示しておられる「疑問」がまっとうなものであるとします。
そうしますと、21世紀におけるこういった「疑問」提示と、16世紀における(「贖宥状の販売」問題などを)懸念する当時のカトリック信者の方々が提示していた「疑問」提示との間には、質的にどのような違いがあるのでしょうか。(ここでいう ‟当時のカトリック信者の方々” とは、例えばマルティン・ルターのようなカトリック聖職者を指しています。)
つまり、結果として(残念ながら)ルターは破門されてしまいましたが、‟懸念するカトリック信者” であったという点では両者の間にはオーバーラップしている共有域があるのではないでしょうか?
私はここでルターの見解の是非を云々しているわけではありません。実は義認論にしても、5つのソラにしても、私自身、ルターの解釈や見解に現在いろいろと疑問を感じ始めています。
ですが、仮にルターの諸見解が多少エキセントリックなものであったとしても、それでも贖宥状販売という当時の教会の悪弊に対し「疑問」を提示した彼の内部改革者的アクションそれ自体はーー現在の ‟懸念するカトリック信者” のアクションと同様ーー肯定的に評価されてしかるべきなのではないでしょうか。
しかしそれを肯定的に評価するとなると、クロス氏の言っておられる「教会的信仰」との間に軋轢が生じてしまいます。なぜなら、この「教会的信仰」というthesisは、一般プロテスタント信者のジレンマを明るみに出すと共に、カトリック教会内の ‟懸念する信者たち” の「プロテスト」行為に内在するジレンマをも明るみに出していると思うからです。
さらにここから、〈カトリック的プロテスタント〉と〈プロテスタント的カトリック〉の境界線はどこなのだろうという素朴な問いも生まれてきます。この境界線は常にくっきりはっきりしているものなのでしょうか。それとも、これらの境界線は案外、ファジー(fuzzy;ぼやけ、不明瞭)なものなのでしょうか。みなさんはどう思いますか?
ー終わりー
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