巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

「全能なる神は、伝統的キリスト教会の中に『恒久的に』ヘブル的ルーツを植えてくださっているため、『回復』のための新運動はそもそも必要ない。」ーーユダヤ人キリスト者たちの証言

 

新使徒運動アライズ5ネットワーク指導者であるロナルド・サーカ師は、20世紀後半に起こったNAR(新使徒改革)により、キリスト教会がついに再びヘブル的ルーツに結び合わされることになったと述べ、次のように言っています。

 

「使徒的運動〔=新使徒運動〕によってもたらされたシフトの中で最も重要な事柄の一つに、教会がヘブル的ルーツに再び結び合わされたという点があります。」*1 

 

別のサイトにおいても類似のことが語られています。

 

「キリストの歴史において、ユダヤ的なものを一切排除した『置換神学』によって、ヘブル的視点から聖書を理解する道は閉ざされてしまいました、、、教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。」*2

 

最近私は、ロイ・シューマン師およびジェームス・バーンシュタイン師による著述を読みました。両者共にニューヨークの正統派ユダヤ教の家庭に生まれたユダヤ人で、それぞれ不思議な主の導きの下、前者はイエス・キリストに信仰を持った後カトリックの教師に、そして後者は福音主義を経由した後に、最終的に東方正教会の神父になりました。

 

自分にとって興味深かったのが、シューマン師も、バーンシュタイン師も共に、カトリック/正教会が、ユダヤ教との断絶や喪失ではなく、その反対に正統派ユダヤ教の「完成」であることを感動を込め語っていたことでした。

 

バーンシュタイン師は次のように書いています。

 

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「何よりも、オーソドックス教会が古代ユダヤ・キリスト教会との連続性の内にあり、オーソドックス・ユダヤ教の成就であるということを知ったのです。」*3*4

 

また、「旧契約と新契約の間にはどのような関係がありますか。『二契約神学 dual covenant theory』の間違いはどこにありますか?」という取材に対し、シューマン師はカトリックの立場から次のように回答しています。

 

「旧契約と新契約の間の関係を理解するには、ユダヤ教が《メシア以前のカトリシズム》であり、カトリック教会が《メシア以後のユダヤ教》である点を押さえることが重要だと思います。両者は同一のものですが、それと同時に両者は、人として『神が受肉された』という世界史上における中心的出来事が起こった結果としてもたらされた神と人との間の関係性の変化によって分かたれています。そして両者間にみられるあらゆる相違点、あらゆる類似点は、この事実から生じてきています。」*5*6*7 

 

それゆえに、バーンシュタイン師の著書の序文には、福音主義内で生じてきているクリスチャン・シオニズムやユダヤ主義的新興運動に対し、次のような警告が発せられています。

 

「現代福音主義者の多くが、ユダヤ教もしくはシオニズムに対する、強い信奉志向を持っています。しかしながら、オーソドックス・キリスト教がオーソドックス・ユダヤ教の成就であり、それゆえに、そのまことの後継者であります。それとは対照的に、プロテスタンティズムのユダヤ主義化は、両者に対する歪曲行為です。」*8

 

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A.初代教会は~~を喪失した。

B.しかし現在、○○という新運動が起され、これまでキリスト教会がずっと喪失してきたものが回復されようとしている。

 

ABの二本立てで構成されるこういったストーリーラインのことを、フラー神学校の宣教学者であった故ラルフ・D・ウィンター氏(1924-2009)はBOBO理論と呼び、次のように説明しています。

 

「BOBO理論というのはつまり、キリスト教信仰の光はどうしたものか使徒たちの後、すぐさま消滅し(“Blinked Out”)、その後、自分たちの時代もしくはーールターであれ、カルヴァンであれ、ウェスレーであれ、ジョセフ・スミスであれ、エレン・ホワイトであれ、ジョン・ウィンバーであれーーとにかく自分たちの時代の現代‟預言者たち”が現れる際にはいつでも再び点灯(“Blinked On”)するという歴史観のことを指します。そしてこの種のBOBOアプローチから生み出されるのは、『‟初期”の聖徒たちと‟後の日”の聖徒たちは存在しても、その中間には聖徒が存在しない』という史観です。」(出典

 

さらにこういった歴史観から、「教会的理神論 ecclesial deism」という、いびつな神観および教会観が形成されていくと、ブライアン・クロス教授は指摘しています。

 

なぜなら、「これまでキリスト教会が喪失してきたものを今、私たちが回復させようとしている」という考え方の底辺にあるのは、「神は2000年前、ご自身の教会を建てはしたけれど、その後は、その教会が主要真理から逸脱するのを食い止めず(もしくは食い止める力がなく)、教会が主要な真理のルーツから離脱するがままに放置しておかれた」という、一種の理神論的神観がそこに在るからです。

 

しかし聖書は、主の教会が「真理の柱また土台」であり(1テモテ3:15b)、「ハデスの門もそれには打ち勝てない」(マタイ16:18b)と宣言しています。

 

したがって、神観、歴史観、教会観を、新旧約の啓示の連続性/非連続性、漸進性、有機的一体性および、神の属性という観点で総合的に考えてみた時、やはり、シューマン師(カトリック)、バーンシュタイン師(正教会)両ユダヤ人キリスト者の証言に正当性があるのではないかと考えざるを得ない気がします。

 

そして何より、この証言により、天にある支配と権威に対し「教会を通して」神の豊かな知恵が示され、それによりそれが、「私たちの主キリスト・イエスにおいて実現された神の永遠のご計画に沿ったこと」(エペソ3:10-11)であるという聖書の真理性が明示され、神の偉大なる力と栄光が一貫性と統合性をもってこの世界に証されているのではないかと思います。みなさんはどう思われますか。

 

ーおわりー

 

関連資料

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Benjamine D. Williams, Orthodox Worship: A Living Continuity with the Synagogue, the Temple, and the Early Church, 2019.

japanesebiblewoman.hatenadiary.com

japanesebiblewoman.hatenadiary.com

japanesebiblewoman.hatenadiary.com

japanesebiblewoman.hatenadiary.com

 

*1:『契約のルーツ-失われた相続物の回復』の書評欄より、引用元

*2: ヘブル的視点から聖書を読み直す (1) - 牧師の書斎、引用元

*3:A. James Bernstein, Surprised by Christ: My Journey From Judaism to Orthodox Christianity

*4:

youtu.be

journeytoorthodoxy.com

youtu.be

*5: Interview with Roy H. Schoeman,Part One

*6:訳注:本書の内容に対するクリティカルな批評と、それに対するシューマン師の応答はココ。確かに、マーク・ドローギン氏が指摘するように、本書には、キーワードの定義の曖昧さという一つの弱点があると私も思います。

*7:関連資料:Jimmy Akin - Judaism, the True Israel, and the End Times - YouTube/Jimmy Akin - What is Replacement Theology? - YouTube

*8:A. James Bernstein, Surprised by Christ: My Journey From Judaism to Orthodox Christianity, Preface.