巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

真理とは何か?ーーマークス・グローダイ師の探求と苦悩、そして人生の道程【その2】

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書斎(出典

 

目次

 

【その1】はココです。 

Marcus Grodi, What Is Truth? ; By What Authority do you Preach?(抄訳)

 

釈義と註解書

 

今日私たちは、自分が真の福音を宣べ伝えているのか否かをいかにして知ることができるのでしょうか。

 

神学校で私は説教準備のためのメソッドを教わりました。それによると、各種註解書にあたる前に、私はまず自分で聖句の釈義および原語研究をしなければなりません。その後、「これが当該テキストが教えている内容である」と自分が考え判断した諸結論を、その他の注解書でチェックしなければならないと教わりました。

 

しかしある日、自分の書斎にずらりと並ぶ各種註解書を手に取り、調べものをしていた時、ふと気づいたのです。自分の注解書コレクションというのはなんと選択的なものであろうと。それらはまず先行的に私によって厳選されていました。

 

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出典

 

つまり、これらの書物は皆、自分がすでに同意している一流の福音主義著述家たちの書いた註解書でした。そうなると、どうでしょう?釈義した後、自分の持つ各種註解書で、自分の出した諸結論を「チェックする」時、結局私がやっているのは、自分自身の諸前提に対する自分の諸結論を単に再確認しているだけということにならないでしょうか。

 

それにたとい自分とは違う見解の注解書に実際にあたったとしても、自分の書斎に住む大多数の著作家たちのコンセンサスと違っているような注釈は、あっさり拒絶するのが常でした。多忙な牧会スケジュールの中にあっては、「自分の限られた北米長老派諸前提というのが実際には、現代キリスト教界に存在する、無数の諸意見によるカコフォニー(不快音)大音響の、ほんのわずかなささやき声でしかない」という事実を発見する暇がありませんでした。

 

「投票」と負け戦

 

自教団の中で、神のことを「御父」ではなく「御母」もしくは「両親/ちちはは」と呼ぶようにという動きが起りました。そして同じ教団内の牧師や信徒の中にはそういった動きに反対の意を唱える人々もおり、私もその中の一人でした。

 

ある日、地区の長老会が開かれ、その席で私は、反対派の人々の見解を代表するスポークスマンとなり、御言葉とキリスト教伝統に訴えながら自分たちの立場を擁護しました。

 

しかしがっかりしたことに、私たち側のグループは教団内ですでに少数派となっており、自分たちは負け戦(いくさ)を戦っているのだということに気づきました。つまり、この問題は、御言葉や教会史に訴えたしっかりした根拠を土台に解決されるのではなく、「投票」によって解決されるのです。ーーそしてもちろん、投票の大多数は、ジェンダー包括語支持のリベラル主義者たちで占められていました。私は、この時はじめて、プロテスタンティズムの中心に存在するアナーキー的原理に目を覚まさせられました。

 

こういったリベラル主義者たち(神のことを、御父、御子、御霊の位格ではなく、単なる‟造り主、贖い主、清め主”としての諸機能に還元させようとする彼らの政策は悲劇的に誤っています。)は、しかし、普通に善良なプロテスタント信者たちでした。

 

皮肉なことに彼らは、宗教改革者たちによって打ち出された「プロテスト」の道程を辿っていました。つまり、「ある教えが正しく聖書的であると『私が』信じない限り、私はその教えを受け入れない」という宗教改革の格言が、ーー神の男性名詞に対する彼らのプロテスト(抗議)という行為を正当化すべくーーこれらリベラル主義者たちによってかき立てられていたのです。

 

投票数が数えられ、私たちの側は敗北しました。失意落胆のさなか、突如として私は、全き唯我論的栄光とその自然的傾向〈プロテスト〉の中にあるわがプロテスタンティズムの世界を見たのです。

 

リベラル傾斜していく自教団の中で

 

この時期、プロライフ・危機妊娠センターのディレクターをしていた妻が、私たち夫婦のプロライフ信条と、自教団のプロチョイス信条という矛盾をどう思うかと私に訊いてきました。

 

この時点ですでに自教団の指導層は、教団内に存在するラディカル・フェミニスト、ホモセクシャル、中絶促進派、その他の急進的圧力団体からのプレッシャーに屈服していました。一応、表面的には、「個々の教会のメンバーはプロライフやその他の伝統的諸見解を持ってもいい」とされていましたが、彼らは新しい牧師たちを雇用する過程で、厳格なるリベラル主義ガイドラインを各教会に強要していました。

 

さらにうちの教会が一般長老総会に支払っている税の一部がかなりの確率で中絶費用に充てられており、それに対し、私も、うちの教会も何もすることができないという事実を妻に指摘され茫然となりました。

 

どこに行けばいいのだろう?

 

私も妻も、おそらく自教団を離れなければならないだろうと思い始めていました。しかし去ったところで、どこに行けばよいのか?、、そこで私は主要な教団教派のリストが掲載された本を購入し、「どこに通うことができるのだろう」と思案しながら、それぞれの教団教派の特徴を調べ始めました。

 

〈この教団はなかなかいい感じだが、バプテスマに関する見解がちょっとなぁ。。あ、この教派もOKだけど、終末論に関する見解がちょっと度を過ぎてパニック症候的だ。。おお、この教団こそ自分がまさに求めている群れかもしれないぞ。あっ、でも残念!彼らのワーシップ・スタイルは僕には受け付けられない。。〉

 

こうしてさんざん探し回った挙句、結局、「これだ!」と思うような教団を見い出すことができず、苛立ちの内に私は本を閉じました。

 

自分は長老派主義を離れようとしていました。でも、どのグループが参入するに「正しい」教派なのかどうにも見当がつきませんでした。自分の目に、どこのグループにも何かしらおかしいところがあるように思われてならなかったのです。〈自分的に納得のゆく‟完璧な”教会をカスタマイズできないとは残念なことだ。。〉物憂げに私はつぶやきました。

 

牧師仲間との会話

 

ちょうどそんな時、イリノイ州に住む牧師仲間であり友人が電話をかけてきました。彼もまた長老派の牧師であり、人づてに私が長老派教団を去ろうとしているという事を聞いたのです。

 

「マークス、教会を去るってのはダメだよ。」彼は私をたしなめました。「絶対教会を離れちゃいけない。君はこれまで忠実に教会にコミットしてきたではないか?たしかにうちの教団内には突拍子もない神学者や牧師たちがいる。それは分かる。でもそれが教団離脱の理由になっちゃいけない。僕たちは共に教会にとどまり、内部改革を目指さなければならない!どんな代価を払ってでも一致を保つ。これが大切だ。」

 

「もしそれが本当なら、、」イライラしながら私は答えました。「それならそもそもなぜ僕たちプロテスタントはカトリック教会から離脱してしまったのか?」

 

なぜこんなセリフが口をついて出て来たのか分かりませんでした。宗教改革者たちがカトリック教会と袂を分かつことになってしまったことが正しかったのか否かという問いは、これまでの人生で一度たりとも自分の脳裏をよぎったことがありませんでした。分裂とフラグメンテーションを通し、刷新をもたらしていこうとするのがプロテスタンティズムの本質でした。

 

プロテスタンティズムのモットーは、「改革され、常に改革していく」です。(さらに付け加えるなら、「そしてさらに改革し、さらに改革し、さらに改革し、さらに改革し、、、」です。)

 

私には別の教団に移ることが可能でした。ーーなぜなら最悪、自分がもはや満足できなくなった際には私は別の派に移ることができるのであり、あるいは自分が今いる場所にとどまり続け、とにかく批判に耐え続けるという道を選ぶことも可能であると知っていたからです。

 

しかし、自分が今いる場所にとどまる事を私はどのようにして正当化することができるのでしょうか。またなぜ私は、ーーわれわれ長老派信者たちが以前離脱したところのーー以前の教派グループに戻るべきではないのでしょうか?こういった選択肢のどれもが当時の私には妥当に思われませんでした。

 

そこで私は、どの道にゆけばよいのか解決がもたらされるまでは、当分の間、現行の牧会職を辞めることにしました。