ただ単にオープンマインドであるだけでは全く意味がない。精神をオープンにするのは、ーー口を開けるのと同様ーーなにか堅固なものの上にあって再びそれを閉じるためである。そうでなければ、「オープンマインド」とは所詮、なんでもかんでもこれ一様に取り込んでいく、下水管の如きものにすぎない。
― G.K. Chesterton
ミニ所感
「『世界を閉じられた本のようにではなくハイパーテキストのように考える』ということは、すなわちそれを異種なもの、可変的なもの、対話的、オープンエンド的なスペースとして捉える事を意味する」(ジャック・デリダ、参照)というような風潮および、イマージング・チャーチ的「オープンエンドな会話スタイル」が推奨される現代にあって、チェスタートンの「精神をオープンにするのは、なにか堅固なものの上にあって再びそれを閉じるためである。」との格言は傾聴に値すると思います。