巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

いつも心にChristos Anesti.ーー復活のキリストを喜び、歌う。

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自然界の動物たちにも慈しみ深く接するセラフィム(出典

 

サロフのセラフィム(1759-1833;Серафим Саровский, Seraphim of Sarov)は、18世紀のロシアに生きた東方正教会の聖人です。彼の清い生き方や信仰は私にアッシジのフランチェスコ(1182-1226)を思い出させます。

 

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フランチェスコと小鳥たち(出典

 

さて、森の隠遁者セラフィムの元には、巡礼者が絶えることなく訪れ、それらの巡礼者たちに対し、セラフィムはとても親切に接していたそうです。

 

そして、来訪者に対し(イースターの時期だけでなく)いつも、「Christos Anesti(キリストは復活されました!)」と彼は声をかけていたそうです。なぜかというと、「セラフィムは復活の喜ばしい福音を来訪者といつでも共有しようとして*1」いたからです。

 

現在でも正教会圏では、イースターの時期、家族や知人たちとの間で、

Christos Anesti("Χριστός ἀνέστη!" "Christ is Risen!"; キリストは復活されました/ハリストス復活)

Alithos Anesti("Ἀληθῶς ἀνέστη! " -"Truly He is Risen!" まことに〔彼は〕復活されました)」と挨拶を交わします。

 

しかし特定の時期に拘らず、出会う人すべてに「キリストは復活されました!」と声をかけていたというセラフィムの伝記を読み、私は聖パウロの次の言葉を思い出しました。

 

「私は、キリストとその復活の力を知り、またキリストの苦しみにあずかることも知って、キリストの死と同じ状態になり、どうにかして、死者の中からの復活に達したいのです。」ピリピ3:10

 

「私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。もし私たちが、キリストにつぎ合わされて、キリストの死と同じようになっているのなら、必ずキリストの復活とも同じようになるからです。」ローマ6:4-5

 

パウロやセラフィムの中では、「キリストの復活」という歴史的事実は、毎瞬間、いのちをもたらす真理として彼らの中で生き、それが信仰のことばとなって周囲に溢れ出ていたのだろうと思います。

 

願わくば、雲のように私たちを取り巻いている多くの証人たち(ヘブル12:1)の模範にならい、私たちの心の神殿の内でも、Christos Anesti!という喜びの歌がつねに鳴り響き、御霊によって、周囲の世界が永遠なる希望で満たされていきますように。

 

①コイネー・ギリシャ語での讃美


Christos Anesti ek nekron, thanato thanaton patisas, kai tis en tis mnimasi zoin harisamenos.

Χριστός ανέστη εκ νεκρών, θανάτω θάνατον πατήσας, και τοις εν τοις μνήμασι ζωήν χαρισάμενος.

ハリストス死より復活し、死を以て死を滅ぼし、墓に在る者に生命を賜へり。〔正教会訳〕

 

②ヘブライ語での讃美

 

המשיח קם מבין המתים רמס מות במותו וחיים למתים נתן

 

*1:ここを参照