巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

ある牧師の苦悶と告白

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永続的なものはどこにあるのだろう。私はどうすればいいのだろう。(出典) 

 

By Fr. Doug(Anglican Continuum*1のサイトより抄訳)

 

1989年、私はダラス神学校を卒業し(ThM)、ダラス北部にあるバイブル・チャーチの牧師になりました。

 

その当時、私は教会史家フィリップ・シャフによる、米国プロテスタンティズムに関する鋭敏なる診断については全く知る由がありませんでした。シャフは次のように言っています。

 

「その他の大陸では展開する政治的余地をもたなかった諸現象が、ここ米国大陸では無制限に拡大していきました。ここでは神学的ごろつきや行商人が誰彼となくパスポートや許可証なしに手際の悪い商売を始め、まがいものの商品を意のままに売りさばきました。こういった混沌から今後どんな結果がもたらされるのか、今もって未知数です。」*2

 

シャフがこの予見的言明を記した後、すでに145年という歳月が経ちましたが、私は彼がここで予測していたことを実際目撃しただけでなく、自分自身、それをつぶさに経験しました。牧会職に就いた時、自分の優先事項は神のみことばを教え、神の民を牧することでした。

 

しかし、自分を招聘した教会は信仰教義体系をなんら持たない緩い連合体といった感じでした。それに加え、企画プログラムの増加により、説教者ではなくむしろ運営管理者がより必要とされるようになっていきました。

 

閉塞感に苦しんだこの時期、私はプロテスタント界を彷徨っていました。さまざまな信仰雑誌や神学誌を読みました。プロテスタントの音楽を聴き、TV番組を視聴しました。

 

そこで読み、聴き、目撃したものは自分の心を当惑させました。人々は体重減量のためのウェイ・ダウンに急ぎ、プロミス・キーパーズに足を向け、「これを読めばあなたの人生が変わる」との話題でもちきりだった新刊書『ヤベツの祈り』を、発売初日に購入しようと長蛇の列を作っていました。

 

私は一連のことを茫然と見ていました。ーー自分の目に、プロテスタント教会というのは迷路の中にいる実験用ラットのようにみえました。私たちは熱狂的に、次なる新しい経験を求めて止みませんでした。そして「次なる新しいもの」を求める私たちの食欲は決して満たされませんでした。何をもってしても満たされませんでした。何も長続きしませんでした。全てが変わりゆき、永続するものは何一つありませんでした。前と同じままでいることはできませんでした。そうしようものなら、私たちは飽きてしまい、、そして退屈というのは罪でした。

 

私は霊的旅路の中にありました。自分の歩む現代プロテスタンティズムの道は荒れ地に私を導き、そこでは神が矮小化され、主の教会が周縁化されていました。今でも覚えているのですが、当時私は、日記の中に、自分の中で起こりつつあった変化をなんとか言語化しようともがいていました。書斎の壁から、チャールズ・ホッジやカルヴァン、ジョナサン・エドワーズの肖像画が静かに私を見ていました。しかし彼らからも回答はありませんでした。

 

不毛で乾いた聖所、長い講義、その場で即席に作られる礼拝の間の祈り、真剣なる深慮や神学の欠けた環境、、こういったものを超えるなにかに私の魂はどうしようもなく飢え渇いていました。

 

20世紀前半、福音主義界で尊敬されていた信仰者であるA・W・トーザーは次のように述べています。

 

「私たちのように典礼の形をとらない諸教会は、几帳面に規定されたリトルジー礼拝を見下し、軽蔑する傾向があります、、、しかしリトルジカルな礼拝は少なくとも美しい。そしてわれわれの礼拝は多くの場合、醜い。彼らの礼拝は、できる限り美しさを捕え、礼拝者の間での崇敬の精神を保つべく、長い世紀をかけ、注意深くそれらに取り組んできました。

 

 他方、私たちの礼拝は、その場しのぎの即興的なものが多く、人に推奨できるようなものは何もありません。私たちの集会では、崇敬の念の跡をたどることが難しく、みからだの一致に対する認識、神的臨在に対する感覚、静けさ、厳かさ、驚異、そして神に対する聖なる畏れがほとんど見当たりません。」*3

 

ここでトーザーの言っている「静けさ、厳かさ、驚異」ーー私の魂が切望していたのはまさにこういったものでした。自分を聖三位一体の生活の中に深く沈めるような真剣なる礼拝、そしてサクラメンタルな人生を私は探し求めていました。

 

そしてこの時期、私は自問しました。「私の信仰とは、自分が考案し作り上げたものなのだろうか。それとも、預言者、使徒、古代教父、殉教者たちの信仰なのだろうか。自分の信仰が果たしてどちらなのかを私はいかにして知ることができるのだろう?」

 

こうして次第に、結局、自分が歴史的教会を裁く審判席に就いていることが見えてきました。「何が正統的教理で、何がふさわしい礼拝なのかを裁定する、最終決定者であり権威者は一体誰なのだろう?」--そう、それは自分でした。何を信じるべきでいかに礼拝すべきに関する決定を唯私だけで行なっていました。そして、自分がこれまで否定的に観察していた周囲の人々と自分が結局、本質的には何ら変わらないという事実にショックを受けたのです!

 

ー終わりー

 

「あなたのしもべに御顔を隠さないでください。

私は苦しんでいます。早く私に答えてください。」詩篇69:17

 

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*1:1976年に米国聖公会が女性司祭叙任を認可したことをきっかけに痛ましい分裂が起りました。そして、聖公会内の対等主義化・神学的リベラル化を受け入れることのできない牧師や信徒たちが本来のアングリカニズムを継承していこうとしていく運動および教会共同体がAnglican Continuumと呼ばれるようになりました。参照:Continuing Anglican movement

*2:The Principle of Protestantism, Phillip Schaff, 1844

*3:God Tells the Man That Cares, A.W. Tozer