巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

神からの贈物としての美

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地上にこれほどまでに美しい光景があろうか。

その壮麗さがかくも心を打つ光景を

見過ごして行き去ってしまう者を私は鈍感を呼ぼう。

 

この都は今、まるで華やかな衣装のような

朝の美しさを身にまとっている。そしてもの言わず、あらわに、

船や、塔や、円屋根や、劇場や、教会が、

広野と大空とにその姿を見せている。

 

あかあかと、煤(すす)一つない大気のなかで煌めき、

太陽がかつてかくも美しくその曙光に

谷や、岩や、丘を浸したことはない。

 

かつてかくも深遠な静寂を見聞きしたことはない。

河はみずからの甘美な心の赴くがままに流れる。

神よ、家々はまさに眠るがごとく、

この大いなる都の鼓動はいままさに止んでいる。

 

William Wordsworth, Composed upon Westminster Bridge, Sep.3, 1802.

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旅や仕事でくたくたに疲れた日、私が慕い求めるのは美です。読まず、立ち止まって美の中に入ることをしていない時、私の中のことばは干乾びます。何も書けなくなり、人との会話も貧しいものになります。人間づきあいも億劫になります。

 

そんな時の自分は、走っても走っても緩慢にしか進まないおんぼろ車のようです。なんらかの形で美の中に浸り憩うことができない時、私の心はギスギスとなり、内に引きこもってしまいます。

 

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「〈美しいものに対する感覚〉--これは神が人間の魂に織り込んでくださったものである。」ゲーテはそう説明しています。私たちは動物と違い、御使いや、神ご自身とも異なる存在です。ですが動物も御使いも神のかたちに似せては造られておらず、そのように創造されたのは人間だけです。

 

私たちは独自の存在として、私たちの存在の芯奥において神を心象し、美を知りそれを愛でるその能力の内に神を心象し、ーー子ども達や庭、美術、音楽などーー神が与えてくださるものを養い育む営為の内に神を心象しています。

 

美というのは私たちが愛で楽しむようにと贈られた賜物であるということに気づきました。私たちは詩のことばを味わい楽しむことが許されています。また、斜陽のかがやく栄光、そして夜空を走る真っ赤な流れ星を見つめ、歌の持つ高揚に感動で胸が張り裂けんばかりになったりもします。

 

美それ自体が賜物であるということを知ることーーそれが賜物ではないかと思います。これは神を知り、神に知られるべく私たちに贈られた贈り物です。

 

私たちを讃美へと導くものは美です。そして美は、敬拝の場へ私たちをひき寄せるべく同行してくれる伴(とも)です。そしてそれ自身の内に招き入れ、私たちが神の内庭にいることに気づかせてくれるのも美です。美は私たちをさらに上に、そして内に導いてくれます。

 

みなさんはそのことにお気づきになっていましたか?

 

Johanna Byrkett, Have You Noticed Beauty?(抄訳) 

 

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ふとして、愛の力に満たされたなにかが、そっと私たちの人生の中に入り込んでくることがあります。そしてそれは、ほんのひととき、永遠の世界を私たちに垣間見せてくれます。

 

いえ少なくとも、「永遠なるもの」の一面を示してくれるーーそういう時があります。そしてこれらのうち最もすぐれているものは愛です(1コリント13章)。

 

それは私たちの上に、あるいは私たちのかかわる事がらの中に、やわらかく、そっと触れてくるなにかであるかもしれません。木々の葉を夜明けの風がそよがせるような軽やかさで触れてくるなにか、人にはとらえることのできない、またことばで人に語ることのできないなにかが・・・。

 

けれども私たちは知っています。ーーそれは私たちの主だと。そしてその時おそらく、私たちのいる部屋の花と家具と本が存在しているよりもさらに身近な存在感をもって、主が臨在してくださいます。そして心はあの古い讃美歌が歌うような甘美な世界に引き入れられるのです。

 

Amy Carmichael, If (抄訳)

 


ラテン語・英語対訳

chantblog: A Matins Invitatory for Trinity: Deum verum