巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

イスラム教徒に「伝道」する南欧のピースフルな犬やネコたち

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アクロポリスの麓でお昼寝するネコ(アテネ、出典

 

ある時期に、中東の某国から政治亡命をしてきたO弁護士夫妻に出会いました。奥さまは幼い時から預言者イッサーが好きだったそうで、福音に対しすでに心が開かれていました。

 

しかしご主人の方はいろいろと神学的・哲学的な課題ーー特にキリスト教の三位一体の教義ーーを抱えており、真摯な求道をしつつも、非常に葛藤しておられるようでした。O弁護士は、↓ のビデオを観るよう私たちに強く勧めてこられました。

 


これはスウェーデンのスタンリー牧師と、イスラム教弁証家アフメッド・ディーダット氏の公開ディベートの収録記録であり、O弁護士の見方によると、全体的に言って、スタンリー牧師のキリスト教擁護の弁証よりもディーダット氏のイスラム教擁護の弁証の方がより説得力があり、これを観ている大勢のイスラム教徒もそう感じているだろうと言っておられました。Millions of Christians convert to Islam after watching this lecture by Sheikh Ahmed Deedat - YouTube

 

しかし、スタンリー牧師ができなかったこと(つまり、O弁護士が納得できる形でパワフルに福音の真理を伝えること)を、なんと、道ばたの犬やネコたちがやってのけたのです!

 

何を通して?ーーそう、彼らのピースフルな昼寝の姿を通して、です。

 

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道ばたで気持ちよさそうに熟睡する犬(サントリーニ島、出典

 

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シエスタの時間(パロス島、出典

 

シエスタ(ギリシャのどこかの穴、出典

 

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ぐっすり熟睡(サントリーニ島、出典

 

Three sleeping dogs | Flickr - Photo Sharing!

みんなでお昼寝(出典

 

O弁護士によると、彼の祖国であるイスラム教国では、人間だけでなく、犬やネコもストレスと恐怖と抑圧の中でビクビクしながら生きているそうです。

 

特に犬は「不浄な生き物」という宗教的規定があるため、一般に大切に扱われず、子ども達からは石を投げつけられ、いつ誰に攻撃されるか分からないという不安の中にあり、虐げられる傾向が強いと聞きました。第5代将軍徳川綱吉の出した「生類憐れみの令」のちょうど逆バージョンなのかもしれませんね。

 

ギリシャに亡命後、Oさんは道ばたに長々と体をのばし、幸せそうに昼寝している犬やネコを見て心底驚きました。

 

「彼らは人間から襲われるという不安や恐怖がないのだ。だからこんなに安心してくつろいで寝ていられるのだ。イスラム教国ではこんな事はあり得ない。なぜあり得ないのだろう?なぜ、キリスト教の存在する土地や空の下で生きる動物はこんなにもピースフルなのだろう?」

 

彼はこの問いに対する回答を持たない自分の世界観に不安を感じました。「いや、回答がないのではない。もしかしたら僕はもうすでに回答を知っているのかもしれない。ああでもそんな事、今さら誰が認められるものか!50を過ぎた身で。それを認めてしまうと、これまでの全てが崩壊してしまう。それはできない。神は一つ(واحد)である。神に三人格があるなどという教義は僕にはどうしても受け入れられない。」

 

しかし犬やネコたちはその無垢なピースフルさで彼の魂になにかを語りかけていました。動物たちは何かのフリをするわけでもなく、証しのためにクリスチャン「らしく」振る舞わなくちゃというような人為性もなく、ただそこに存在するある不可視的リアリティーをそのまま映し出しているのでした。

 

彼はヨハネの福音書を読みました。「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。」(ヨハネ14:27a)。

 

〈キリストの平安、、か。クリスチャンといわれる人々が住む地域にはおそらくこの「キリストの平安」というのがあり、それをこの地に生息する小動物たちも何らかの形で感じ取り、平安さを享受しているのだろう。自分が目の前でみている被造物のピースフルさは、もしかしたらこの「キリストの平安」の反映なのかもしれない。

 

 それに、僕の目にクリスチャンという人々は、言っていることとやっている事が一致しているように見える。キリスト教の聖典は、「神は愛だ」と言っている。「互いに愛し合いなさい。」「赦し合いなさい。」と言っている。確かにこの地には自分の祖国とは比べられないほど、人の親切と善意が溢れていると思う。通りで喧嘩している人々の姿を見たことがない。教会の人々は親切だ。人にも、小動物にも親切だと思う。〉

 

こうして、二つの世界の間で彼の魂は激しく揺れ動きました。三位一体の教義のことでクリスチャンたちに多くの質問し、話し合いを続けました。イスラム神学者たちの手による三位一体論反駁の論文をも読みました。

 

またこの時期、かねてほとんど夢をみることのない彼が、続け様に霊的に深遠な夢を見ました。あらがうことのできないある力が彼の魂を十字架のイエスの元に引っ張っていっているかのようでした。

 

こうして今年、Oさんは、ついにキリストに捕えられ、信仰を告白し、バプテスマの恵みに与りました。人の弁論の力が尽きた時、神は思いがけず犬やネコたちというちいさな「弁証家たち」を用い、彼の魂に触れてくださったのです!