巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

二つの深淵ーー「放縦主義」と「ユダヤ主義」の狭間を歩むキリスト者のけわしい道

Image result for a high cliff at night

 

振り子は右から左、あるいは左から右へと振り切れやすいものです。私は元来、白黒はっきりさせたいタイプの人間であるため、他の人以上に「振り切れ」の潜在的危険性を持っています。そして忍耐深く憐れみに富んだ主は、さまざまな形で私のそういった弱点を矯正しようと日々働いてくださっています。

 

さて、近年、「ヘブル的ルーツ運動(Hebrew Roots Movement)」という新興ムーブメントが盛んになってきています。この運動を推進する人々は、「イェシュア("イエス"のヘブライ語発音表記)」を信じる信仰と共に、私たちクリスチャンはモーセ律法全体をも遵守する必要があると説いています。

 

この記事ではヘブル的ルーツ運動の教えの詳細には入らず、まずそもそも、なぜ人々がこの運動に惹きつけられているのかという「Why」の部分を考えてみたいと思います。

 

かつてヘブル的ルーツ運動(以下HRM)の団体に関わり、その後、脱会した人々の多くが、「私は、ジム・ステイリー先生のIdentity CrisisというVTRを観て、HRMの世界に入っていくようになりました」と告白しています。そこで私もステイリー師のその講義ビデオを観てみることにしました。

 


これを観ると、まず、みことばを正しく理解し解き明かしたいというステイリー師の真面目な姿勢と情熱が伝わってきます。また、彼は、自分の生育した教会では、「旧約聖書とは何か?」「新約聖書とは何か?」といった基本的な学びさえ十分に施されていなかったという旨のことを語っています。

 

事実、世界中に蔓延している「求道者にやさしい」タイプの教会においては、牧師たちが聖書を深く学ぼうとする教会員たちを褒めるどころか、「聖書知識を増やしたいと欲を出すあなたはパリサイ人。なぜ知識ばかり蓄えようし、失われた魂のことを心にかけない?『より深くdeeper』知りたいだって?それはあなたが自己中心である証拠」と逆にけなしているケースもあるほどです(実例)。新しいタイプの教会的いじめです。

 

こうして十分な霊的糧を得る道を阻まれ、やせ細った羊たちは、もっと深い学びをしたい、信仰において成長していきたいと切に望み、良い教師を求め、あちこち放浪するようになります。

 

HRMは1960年中盤に生まれた新興運動ですが、類似の運動はそれ以前にもありました。実にそれはある意味で、古代エビオン派まで溯ることができるのではないかと思います。1937年に始まった「聖なる名の運動」(Sacred Name Movement)、そして同じく30年代に起こったWorldwide Church of God(WCG;別称 Grace Communion International)、そしてそれらの教えを吸収・統合する形で60年代にHRMが形成されました。(参照

 

Image result for 119 ministries hebrew roots

「信仰のヘブル的ルーツ」(by 有名なHRMの宣教団体119 Ministries

 

HRM系列のキリスト教団体であるOpen Church Ministriesの教師ディーン・コーゼンズ氏は、この運動を次のように位置付けています。

 

「神様は、20世紀に、主要な4つの運動を予定しておられました。それは、①ペンテコステ運動、②Faith-healing運動、③カリスマ運動、そして④ヘブル的ルーツ運動です。この預言の中で、ヘブル的ルーツ運動は、キリスト再臨前における『エンパワーメントのための最終段階』だとされています。」(引用元

 

ステイリー師は熱心に説きます。「This message will change your life!(このメッセージがあなたの人生を変えます!)」と。ーー自分の人生を変えるような劇的な聖書メッセージがあるのなら、ぜひ聴いてみたい。教えを受けたい。。このビデオをきっかけにHRMの世界に入っていった何千何万という方々は、きっと皆、非常に真摯でまじめな信仰者だったのではないかと想像します。

 

ステイリー師の確信に満ちた説教を聞き、さまよい飢え渇く羊たちは思ったことでしょう。「ああ、2000年余り、この大事な真理ーーつまり、私たち自身が失われたイスラエルの10部族であるということーーは〈異教的キリスト教〉の間違った教えによってずっと覆われ、歪曲されてきたのだ。どうりで私は自分のアイデンティティー問題で苦しんできたわけだ。でもステイリー先生の聖書の解き明かしによって私はついに今、自分が誰であるのかが分かった。こんな見事な聖書の解き明かしはこれまで聴いたことがなかった。これから私も、イェシュアに従う者として、既存教会を巣食っている〈異教的キリスト教〉から分離し、ひたすら『ヘブル的ルーツ』を追い、真正なる信仰者となりたい!」

 

ーーー

私たちの歩む道は狭く険しいものです。右をみると、そこには奈落の深淵が拡がっており、ハードロックな〈放縦主義〉〈世俗主義〉が魅惑的なビートで私たちの肉を誘惑してきます。「ああ主よ、助けたまえ!」ーー私たちはこの深淵に落ち込まないよう必死に主に叫び求めます。

 

しかし多くの人は左側にもう一つの深淵ーー〈ユダヤ主義〉〈律法主義〉という古の奈落ーーがある事実に気づいていません。特に真面目な信仰者であればあるほど、右側の惨状から逃れることに全パワーが消耗され、左への警戒がなおざりにされやすいのです。

 

しかも左側は、ちゃらちゃらした右側とは違って、一見したところ、主に対する「真摯さ」「熱心さ」に満ちており、それゆえに一層、見分けが難しくなります。人間性の悲劇の一つは、人がとことん真摯であり、且つとことん間違っていることがあるという事実ではないかと思います。

 

使徒たちは「神の恵みを放縦に変える」(ユダ4)右側のにせ教師たちに対峙すると同時に、「ほかの福音」(ガラ1:6)を宣べ伝えようとする「真摯で熱心な」ユダヤ主義の教師たちとも全面対決しなければなりませんでした。そしてその戦いがいかに激しかったかは、初期キリスト教護教家たちの著述からも痛いほど伝わってきます。

 

主よ、私たちが右にも左にも落ち込まず、汝の狭き道を歩み続けることができるよう助けてください。そしてよろめきそうになった時には、どうか汝の力強い御腕で私たちを抱き上げ、元の道に引き戻してください。アーメン。