巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

使徒信条について(『ベイカー福音主義神学事典(Evangelical Dictionary of Theology)』より)

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目次

 

Walter A. Elwell, ed., Evangelical Dictionary of Theology, Second Edition, 1984("Apostles' Creed"の項を全訳)

 

(執筆担当者:O.Guy Oliver Jr., B.D. Louisville Presbyterian Theological Seminary)

 

使徒信条について

 

何百年もの間、クリスチャンは、「使徒信条の作者は十二使徒たちである」と信じてきました。古代の見解によると、それぞれの使徒が一節ずつ作成し、こうして全体としての信条が完成したとされてきました。今日、ほとんどの学者たちはこの見解が伝説的なものだと捉えています。

 

ですが、多くの学者たちは今も尚、この信条の基本的教えが、使徒時代の神学形成に一致しているという理由から、使徒信条が本質的に使徒性を有していると考えています。

 

現在私たちの目にしている使徒信条(ラテン語:Symbolum Apostolicum, 英語:Apostles' Creedは、紀元700年頃に生じたのではないかと考えられています。しかし、その中の断片は、古いものでは実に紀元2世紀のキリスト教著述にまで溯ることができます。使徒信条の最も重要な前身は、「古ローマ信条」であり、それはおそらく2世紀後半に発達したものです。使徒信条への付加内容は、古ローマ信条と、使徒信条を比べた時、明確に表れています。(訳者注:以下、古ローマ信条英訳文は、『ベイカー福音主義事典』からそのまま抜粋。日本語対訳は、「新聖歌」の中の使徒信条日本語訳を基本ベースに、ブログ管理人が訳出したものです。)

 

古ローマ信条 

I believe in God the Father Almighty.

我は全能の父なる神を信ず。〔訳注:使徒信条には「天地の造り主(ποιητην ουρανου και γης)」が付加されています。〕

 

And in Jesus Christ his only Son our Lord, 

我はその独り子*、我らの主、イエス・キリストを信ず。*訳注:使徒信条には "τον μονογενη (=begotten)" が付加されています。古ローマ信条にはない表現です。〕

 

who was born of the Holy Spirit and the Virgin Mary;

主は聖霊および処女(おとめ)マリヤより生れ、

〔訳注:使徒信条は、聖霊によりてやどりσυλληφθέντα, conceived)、処女マリヤより生れγεννηθέντα, born)と、二つの異なる動詞を使い分けているのに対し、古ローマ信条では "born" と一つの動詞だけが使われています。〕

 

crucified under Pontius Pilate and buried;

ポンテオ・ピラトのもとに、十字架につけられ、葬られ〔訳注:使徒信条は「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ」となっています。〕

 

the third day he rose from the dead; he ascended into heaven, and sits at the right hand of the Father, from thence he shall come to judge the quick and the dead.

三日目に死人のうちよりよみがえり、天に昇り、御父の右に座したまえり。かしこより来たりて生ける者と死にたる者とを審(さば)きたまわん。〔訳注:使徒信条では、「御父 "Father"」の代わりに、「全能の父なる神(θεου πατρος παντο δυνάμου, God the Father Almighty)」という表現が使われています。〕

 

And in the Holy Spirit; the holy Church; the forgiveness of sins; the resurrection of the flesh. (the life everlasting).

我は聖霊を信ず。聖なる教会、罪の赦し、身体のよみがえり、(永遠の生命)を信ず。

〔訳注:使徒信条には、「聖なる公同の教会」と「公同の(καθολικην, catholic)」という形容詞が付加されています。また古ローマ信条には、「聖徒の交わり(αγίων κοινωνίαν, communion of saints)」という表現はありません。上記の英訳古ローマ信条が the life everlasting を括弧でくくっている理由についてですが、調べてみると、ラテン語訳(Tyrannius Rufinus)には the life everlastingという句がないのに対し、ギリシャ語訳(Marcellus of Ancyra)にはこの句(ζωὴν αἰώνιον, the life everlasting,永遠の命)が存在するという違いに起因しているようです。私たちの用いている使徒信条の中には(カトリック教会の"Symbolum Apostolicum"ヴァージョンも含め)全て、「永遠の命」が記されているのを確認いたしました。参照

 

古ローマ信条よりも年代的に古い断片も複数残存していますが、それらは次のようになっています。「我は全能の父なる神、および、その独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。そして聖霊、聖なる教会、身体(からだ)のよみがえりを信ず。」

 

使徒信条は、教会生活の中で、多くの方法で用いられ機能していました。まず一つ目に、それは、洗礼を受けようとする者の信仰告白そして、その告白を通し聖徒の交わりに入れられるという意味での役割を果たしていました。それに加え、教理問答のための指導は多くの場合、使徒信条の主要教理を基に行なわれていました。

 

その後次第に、各地の教会でなされているキリスト教の教えに連続性を与え、また、真正なる信仰と異端的な逸脱信仰を明確に見分け、分離させるいわば「信仰の規則」といった意味合いでの第三番目の使用法も発達していきました。

 

実際、このように使徒信条を発達させるべく古ローマ信条にいくつかの句が付加されていった主要要因は、教会生活におけるこういった変化の中において〔使徒信条が〕その有用性を保つためだったと考えられます。

 

6、7世紀までには、使徒信条は、西方教会の公的典礼(礼拝)の一部として認められるに至っていました。同様に、個々の敬虔なキリスト者たちも、朝夕のデボーションの中で、主の祈りと共に、この使徒信条を用いていました。

 

また、宗教改革の諸教会も喜んで、この信条に対する忠誠を示し、それを宗教改革教理集の中に加え、礼拝の中で用いていました。*1

 

三位一体説を重んじる使徒信条の性質は誰の目にも明瞭です。まず「天地の造り主、全能の父なる神」への信仰が肯定されています。しかし何といっても、使徒信条の中心は、「その独り子(ひとりご)、我らの主、イエス・キリスト」についてのものであり、イエスの生まれ、誕生、苦しみ、十字架上での死、復活、昇天、来るべき審判に関する出来事に特別な焦点が置かれています。三項目では聖霊に対する信仰が表明されています。

 

三位一体の神に対する信仰告白に続き、聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体(からだ)のよみがえり、永遠(とこしえ)の生命に関する項目が記載されています。

 

使徒信条の論争的性格もまた明白です。神の御父性と主権との統一性を強調することにより、使徒信条はそれを否定するマルキオン派を論駁しています。

 

福音記者ヨハネとシノペのマルキオン(右)を描いた絵画(11世紀頃・ニューヨーク・モルガン図書館蔵)

 

またキリストの人間性及び歴史性のリアリティーを肯定することにより、「イエスというのは、誕生し、苦しみ、死ぬことのできるような、完全なる人間ではなかった」という、マルキオンおよびキリスト化現説(Δοκητισμός, docetism)の異端者たちの主張を否定しています。

 

また主が聖霊によってやどり、処女(おとめ)マリヤによって生まれ、復活後に昇天されたという信仰告白はイエスの神性を肯定するものであり、この告白により、それを否定する者たちを論駁しています。

 

その他の項も、当時の教会が直面していた重大局面に関わっていたと考えることができるでしょう。例えば、罪の赦しに関する告白は、三世紀に起こった「洗礼後に信者が犯した罪に関する論争」に関連しているのかもしれません。

 

それと同様、聖なる公同の教会を肯定することにより、当時の教会は、ドナティスト論争*2及びそこから引き起こされた分裂になんとか対処しようとしていたのかもしれません。

 

ドナトゥス派と論争するアウグスティヌス(18世紀に描かれた絵画)

 

使徒信条は、今日も、過去と変わらず、洗礼時の信仰告白、教理の要点、異端に対する防衛、信仰の要約、礼拝の中での信仰是認(宣言)等として、教会の中で大切に用いられています。そして、全世界のクリスチャンの間で最も広範囲に受け入れられ、用いられている信条として、今日に至るまでその特性を保ち続けています。

 

ー終わりー

 

〔文献〕Barclay, Apostles’ Creed for Everyman; S. Barr, From the Apostles’ Faith to the Apostles’ Creed; P. Guhrmann, Great Creeds of the Church; J. N. D. Kelly, Early Christian Creeds; W. Pannenberg, Apostles’ Creed in the Light of Today’s Questions; J. Smart, Creed in Christian Teaching; H. B. Swete, Apostles’ Creed; H. Thielicke, I Believe: The Christian’s Creed; B. F. Westcott, Historic Faith.

 

(以上、執筆者 O.G.Oliver Jr.)

 

【参考資料1】古ローマ信条のラテン語訳とギリシャ語訳

 

古ローマ信条ラテン語訳Tyrannius Rufinus

 

Credo in deum patrem omnipotentem;
et in Christum Iesum filium eius unicum, dominum nostrum,
qui natus est de Spiritu sancto ex Maria virgine,
qui sub Pontio Pilato crucifixus est et sepultus,
tertia die resurrexit a mortuis,
ascendit in caelos,
sedet ad dexteram patris, unde venturus est iudicare vivos et mortuos;
et in Spiritum sanctum,
sanctam ecclesiam,
remissionem peccatorum,
carnis resurrectionem.

 

古ローマ信条ギリシャ語訳Marcellus of Ancyra

 

Πιστεύω οὖν εἰς θεòν πατέρα παντοκράτορα·
καὶ εἰς Χριστὸν Ἰησοῦν, τὸν υἱὸν αὐτοῦ τὸν μονογενῆ, τὸν κύριον ἡμῶν,
τὸν γεννηθέντα ἐκ πνεύματος ἁγίου καὶ Μαρίας τῆς παρθένου,
τὸν ἐπὶ Ποντίου Πιλάτου σταυρωθέντα καὶ ταφέντα
καὶ τῇ τρίτῃ ἡμέρα ἀναστάντα ἐκ τῶν νεκρῶν,
ἀναβάντα εἰς τοὺς οὐρανούς
καὶ καθήμενον ἐν δεξιᾳ τοῦ πατρός, ὅθεν ἔρχεται κρίνειν ζῶντας καὶ νεκρούς·
καὶ εἰς τò ἅγιον πνεῦμα,
ἁγίαν ἐκκλησίαν,
ἄφεσιν ἁμαρτιῶν,
σαρκὸς ἀνάστασιν,
ζωὴν αἰώνιον.(出典

 

【参考資料2】カトリック教会、聖公会、プロテスタント教会それぞれの訳文

① カトリック教会

A.使徒信条

天地の創造主、全能の父である神を信じます。

父のひとり子、わたしたちの主イエス・キリストを信じます。

主は聖霊によってやどり、おとめマリアから生まれ、

ポンティオ・ピラトのもとで苦しみを受け、十字架につけられて死に、葬られ、陰府(よみ)に下り、

三日目に死者のうちから復活し、天に昇って、全能の父である神の右の座に着き、

生者(せいしゃ)と死者を裁くために来られます。

聖霊を信じ、

聖なる普遍の教会、聖徒の交わり、罪のゆるし、からだの復活、永遠のいのちを信じます。

アーメン。

ー2004年2月18日、日本カトリック司教協議会認可(出典

 

B.使徒信経

われは、天地の創造主、全能の父なる天主を信じ、

またその御独り子(おんひとりご)、われらの主イエズス・キリスト、すなわち聖霊によりて宿り、童貞マリアより生まれ、

ポンシオ・ピラトの管下にて苦しみを受け、十字架に付けられ、死して葬られ、

古聖所(こせいしょ)に降りて(くだりて)三日目に死者のうちよりよみがえり、天に昇りて全能の父なる天主の右に坐し、

かしこより生ける人と死せる人とを裁かんために来り給う(きたりたもう)主を信じ奉る。

われは聖霊、 聖なる公教会、諸聖人の通功、罪の赦し、肉身のよみがえり、終りなき命を信じ奉る。

アーメン。

ー旧文語訳(出典

*日本のカトリック教会では、口語訳の「使徒信条」が2004年に認可されて以降、それまでの文語訳の「使徒信経」は個人的な使用を除いて使用しないよう求められています。(参照:ニケア・コンスタンチノープル信条と使徒信条の口語訳 カトリック中央協議会)

 

② 聖公会(英国国教会)

A.使徒信経

わたしは、天地の造り主、全能の父である神を信じます。

また、その独り子、わたしたちの主イエス・キリストを信じます。主は聖霊によって宿り、おとめマリヤから生まれ、ポンテオ・ピラトのもとで苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、よみに降り、三日目に死人のうちからよみがえり、天に昇られました。そして全能の父である神の右に座しておられます。そこから主は生きている人と死んだ人とを審くために来られます。

また、聖霊を信じます。聖なる公会、聖徒の交わり、罪の赦し、体のよみがえり、永遠の命を信じます。

アーメン。

ー日本聖公会「祈祷書」より(出典

 

B.使徒信経

我は天地の造り主・全能の父なる神を信ず。

我はそのひとり子・我らの主イエス=キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、おとめマリヤより生まれ、ポンテオ=ピラトのとき苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、よみにくだり、三日目に死にし者のうちよりよみがえり、天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。かしこよりきたりて生ける人と死ねる人をさばきたまわん。

我は聖霊を信ず。また聖公会、聖徒の交わり、罪の赦し、からだのよみがえり、限りなき命を信ず。アーメン。

 ー『日本聖公会祈祷書(1959年版)』より(出典

 

③ プロテスタント

A.使徒信条

我は天地の造成者(つくりぬし)、全能の父なる神を信ず。

我はその獨子(ひとりご)、我等の主、耶蘇(イエス)基督(キリスト)を信ず。

即(すなは)ち聖靈によりて胎(みごも)られ、處女(をとめ)マリヤより生れ、ポンテオ、ピラトのもとに苦を受け、十字架につけられ、死して葬られ、(陰府に下り)第三日に死者のうちより復活(よみかへ)り、天に昇りて、全能の父なる神の右に座し給へり、彼所(かしこ)より來たりて生ける者と死ねる者とを審判(さばき)たまわん。

我は聖靈を信ず、聖なる公同教會(こうどうのきょうかい)すなはち聖徒の交通(こうつう)、罪の赦、身躰の復活、永遠(かぎりなき)の生命(いのち)を信ず。アーメン。

 ー〔1890(明治23年)制定〕(旧)日本基督教會 信仰の告白より(出典

 

B.使徒信条

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。

我はその独り子(ひとりご)、我らの主、イエス・キリストを信ず。

主は聖霊によりてやどり、処女(おとめ)マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府(よみ)にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。かしこより来たりて生ける者と死にたる者とを審(さば)きたまわん。

我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体(からだ)のよみがえり、永遠(とこしえ)の生命(いのち)を信ず。アーメン。

 ー「新聖歌」より(出典

 

*尚、東方教会(正教会、東方諸教会)は、使徒信条に告白されている内容は否定しないものの、使用はしていません。(出典

 

【補足資料】

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J.I. Packer, Affirming the Apostles' Creed, 2008(PDF 

R.C.Sproul 説教「One, Holy, Catholic, and Apostolic Church」

*1:〔関連記事〕

*2: