聖書ヘブライ語について(by ウィリアム・バリック)
目次
ウィリアム・バリック, The Master's Seminaryで長年、旧約学および聖書ヘブライ語を教鞭。
William Barrick, A Grammar for Biblical Hebrew, Revised 2004より翻訳抜粋
ヘブライ語の性質と歴史
1.セム語族(アフロ・アジア語族)の言語について
ヘブライ語は、約70言語*1存在するセム語族*2に属しています。
セム語族の諸言語は、パレスティナ地方、メソポタミア、アラビア半島、エチオピアを含む地理的区域に見い出されます。
アフロ・アジア語族の分布(橙色がセム語派)情報源
ヘブライ語はセム語族の中でも北西セム語派に属しています。セム語族の諸言語に見られる一般的特徴に関してはいろいろと議論がありますが、北西セム語派に関しては次のような特徴が一般的に認められています。
①3子音から成る形態学的語幹システムが語形成を支配している。*3
②頭文字のwaw(=w)は、最初の語根文字としてyod(=y)に変換される。(特に、動詞形成において。)
③無声のnun(=n)は、次に続く子音に完全に同化される。
④三つの基本的な格語尾がある。*4主格語尾としては、u-class母音。属格語尾としては、i-class母音。対格語尾としてはa-class母音。
⑤名詞形態の女性形語尾(-at)は、絶対形ではtを脱落させるが、所属形ではtをそのまま保持する。
2.セム語族の語派
北西セム語派は、五つある主要語派の中の一つです。以下に挙げる諸言語は、各語派の代表的な言語です。
① ヘブライ語
ーヘブライ語は、フェニキア語およびウガリット語と密接な関係にある。
ーイスラエルの民はバビロニア捕囚の時までヘブライ語を話していましたが、捕囚後、アラム語がヘブライ語に取って代わるようになりました。(参:ネヘミヤ8章、13章)。
紀元1世紀の終わりまでには、ヘブライ語よりもアラム語の方が、イスラエルで一般的に話される言語となっていました。ヘブライ語は元来、古いフェニキア文字で書かれていました。
バビロニア捕囚およびアラム語への変換が生み出した結果の一つは、ヘブライ語の書き手たちが、文字を表記する際に、アラム語の文字を借用し始めたことでした。そして同じ文字が現在も使われており、Jewish scriptと呼ばれています。
ーヘブライ語は新しく建国されたイスラエルの国語として1948年によみがえりました。
ーヘブライ語の主要な位相は3つあります。
a.聖書ヘブライ語
b.ラビのヘブライ語
c.現代ヘブライ語
②アッカド語
ーアッカド語は、アッシリアおよびバビロニア諸方言を指す一般名称です。初期メソポタミア語は元来、この名称で呼ばれていました。
ーアッカド語は、紀元前10世紀にアラム語に取って代わられました。
ーアッカドは紀元前2300年、メソポタミア地方の初期セム系帝国の主要都市でした(参:創世記10:10)。
③アラム語
ーアラム語は、紀元前10世紀以降、中近東の公用語となっていました。
ーアラム語は紀元70年までに、パレスティナ地方において、完全にヘブライ語に置き換わる言語となっていました。(しかし、そのプロセスはすでに一千年前から始まっていました。)
ータルムードの大部分(ラビの書いた書物)は、アラム語で書かれています。いくつかの聖書のアラム語訳(タルグム)は、紀元6世紀までに完成しました。
ーアラム語は一般的に、紀元7世紀に、アラビア語に取って代わられました。
④エチオピア語
ー(古典)エチオピア語は、紀元4世紀以降、その存在が知られています。
ーアムハラ語(修正されたエチオピア語で今日のエチオピアの主要言語)は、紀元13世紀に、法廷の言語になりましたが、(古典)エチオピア語もまた何世紀にも渡り、神学言語として用いられ続けました。
⑤アラビア語
ーアラビア語は、アラビア全土にまたがる言語であり、紀元前8世紀よりその存在が知られています。
ーアラビア語はイスラム教およびコーランの公的言語です。
3.セム語族(アフロ・アジア語族)の図表
*図表の右上のEblaiteについて。1974年に、テル・マルディク(古代エブラ)で、パオロ・マティエ(Paolo Matthiae)によって発見された粘土板の行政書庫により、セム語研究に新たな進歩がありました。それによると、この言語は、おそらくセム語族における西セム語派および東セム語派の境界線辺りに位置していると分類されるのがベストではないかとされています。*5
4.その他のポイント
ー上に挙げた5つの古代言語の内、ヘブライ語とアラビア語だけが今日も話されています。
ーイディッシュ語
a.この方言名は、ドイツ語のJuddisch(もしくは Juddisch-Deutsch)に由来しています。
b.ドイツ系イディッシュ語は、ヘブライ文字で表記されたドイツ語の単語(と幾つかのヘブライ語の単語の混ぜ合わせ)で構成されています。
c.イディッシュ語は、主としてアシュケナージ系ユダヤ人によって発展し、話されていました(紀元10世紀)。
ーセファルディ系ユダヤ人は、パレスティナ地方からイタリア、スペイン、ポルトガルに移民し、そこから西ヨーロッパへと移民して行きました。そしてその後、彼らは北アフリカに移民しました。セファルディ系ヘブライ語の発音では、二つのa-class母音の間に区別を置いていません。(qames とpatah)
ーアシュケナージ系ユダヤ人は、パレスティナおよび小アジアから、北欧、中欧、そして東欧へと移民して行きました。そして紀元10世紀頃から、イディッシュ語を発展させ、話し始めました。
ヘブライ語発音の分類
サマリア式発音 非サマリア式発音
↓
̠|ーーーーーーーーー|ーーーーーーーーーーーー|
ティベリア式発音 パレスティナ式発音 バビロニア式発音
↓ ↓
̠|ーーーーーーーーーーー| |
セファルディム式発音 アシュケナージ式発音 イエメン式発音
5.ラビ文学
ミドラーシュ
a.ミドラーシュとは「調査」「探求」(darash (דָּרַשׁ)「彼は探し求めた」より)を意味します。これは、旧約聖書の口承および説明的諸解釈から成るラビ学の一分野です。ミドラーシュの口承伝承はエズラの時代にまで溯ります。ミドラーシュ文学の大部分は、紀元7世紀から10世紀の間に作成されました。
b.ミドラーシュには7つのカテゴリーがあります。
1.ユダヤの法についてー例:レビ記に関するSifra
2.モーセ五書を基盤としたハガダー(Haggadah)の取扱いー例:ミドラーシュ・ラッバ
3.預言文学および聖なる書き物
4.さまざまな事項(小さなミドラシーム)
5.神秘主義の観点からみたメシアおよび終末論(例:Zohar)
6.先行するミドラシーム(Yalkutim「収録集」)断片から編集。
7.その他の小規模なミドラシーム
タルムード
a.タルムード(תַּלְמוּד)の意味は、「教訓」です。そしてこれがユダヤ教のラビ的典範の源泉です。*6
b.タルムードは、本文ミシュナとその注釈ゲマーラーの2部から成っています。
☆ミシュナー(「繰り返す、学習する」の意)は、口頭で伝承されてきた宗教法規を集大成したものです。紀元2世紀頃、編纂されました。ミシュナーは非常に霊的であり、神の内在性、簡素なる敬虔さ、そして聖なる生活に力点を置いています。ミシュナーは6つの項目に別れ、それはさらに63の細目に分類されています。*7
ミシュナー、その下のゲマーラー(本論)、左右のラシの注解書とトーサーフォート達の注解書、最下部のハナンエルの注解書(情報源)
1.זרעים (ゼライーム Zeraim) - 11編構成。祈りと祝福・什一税・農業に関する法を扱う。
2.מועד (モエード Moed) - 12編構成。安息日と祭りに関係する。
3.נשים (ナシーム Nashim) - 7編構成。結婚と離婚、誓約に対する作法とナジル人の法に関係する。
4.נזיקין (ネズィキーン Nezikin) - 10編構成。市民の商売と刑罰、法廷の機能と誓約について。
5.קודשים (コダシーム Kodshim) - 11編構成。生贄の儀式に関する、神殿と食事の法。
6.טהרות (トホロート Tohorot) - 12編構成。祭儀的な潔・不潔等の法に関係する。
☆ゲマーラー(「完成、完結」の意)は、ミシュナーに関するアラム語註解であり、紀元200-500年の間に書かれたラビの注釈を収めています。ミシュナーは、バビロンとティベリヤを二大中心地として発展しました。
1.ハラカー:ゲマーラーの約3分の2を占め、法制定や1800人の逐語的処世訓の記録が収められています。
2.ハガダー:ゲマーラーの約3分の1を占め、タルムードを解説する非法的、倫理的解釈で構成されています。さまざまな議題に関する学者たちの言明が、譬えや伝説を交え語られています。
*1:Angel Saenz-Badillos, A History of the Hebrew Language, tans. by John Elwolde (Cambridge: University Press, 1996), 3.
*2:セム語というのは、ノアの息子であるセム(Shem)に由来しています。(参:創10:21-31)。
*3:北西セム語派の形態論的語根は、完全に3子音というわけではありません。多くの2文字(biliteral)な語根もあります。ベルグストラッサーは、3子音性を「セム語族の支配的特徴」と捉えています。-Gotthelf Bergstrasser, Introduction to the Semitic Languages, trans. by Peter T. Daniels (Winona Lake, Ind.: Eisenbraunsm 1983), 6.
*4:聖書ヘブライ語においては、こういった三つの基本的な格語尾は、すでに変遷を遂げていた初期の型の残存である場合がしばしばあります。Gotthelf Bergstrasser, Introduction to the Semitic Languages,17, 60; それから、Angel Saenz-Badillos, A History of the Hebrew Language, 23.
*5:参考:I. M. Diakonoff, “The Importance of Ebla for History and Linguistics,” in vol. 2 of Eblaitica: Essays on the Ebla Archives and Eblaite Language, ed. Cyrus H. Gordon and Gary A.Rendsburg (Winona Lake, Ind.: Eisenbrauns, 1990), 3-29; それから, Cyrus H. Gordon, “Eblaite and Northwest Semitic,” ibid., 127-39.
*6:バビロニア・タルムードは、パレスティナ・タルムードの4倍の長さがあります。また後者の大部分は残存していません。
*7:63細目の内、ただ36項目にだけ、バビロニア・タルムード(5世紀頃完成)のゲマーラーがあります。