巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

「まことに、あなたは、私のたましいをよみに捨ておかず。」ーー墓の彼方を眺望しつつ詩篇16篇8-11節を歌う。

どのくらい前になるのかは分かりませんが、エジプト中部のベニ・スエフ(بني سويف)近郊の小さな町で世界最古の詩篇(歌)集(Psalter;詩篇、聖詠)が発見されたそうです(紀元4世紀)。ではその町のどこで発見されたのかというと、ある年若い娘さんのお墓の中だったそうです。そして娘さんの頭はその詩篇の上に横たえられていたとのことです。

 

mudil codix

 ムディール古写本 (The Mudil Codex, MS. 6614)、エジプト、コプト博物館蔵(参照

 

記事を読みながら、この娘さんのことに想いを巡らせました。クリスチャン・ホームに生まれ、夭折した若い女性。詩篇を個人的に所有できていたということは、おそらく彼女のご両親はそれなりに裕福だったのかもしれません。

 

また、発見されたこの詩篇は、コプト語の中でも、中部エジプトで話されていたオクシリンコス方言で書かれていたそうですから、彼女の家庭の中ではきっと(コイネー・ギリシャ語ではなく)この方言で祈りが捧げられ、また詩篇歌が歌われていたのではないかと想像します。*1

 

亡骸と共に大切な詩篇を安置したのは、ご両親が熱心な信仰者だったからなのでしょうか。それとも、この年若い女性が生前、詩篇を愛していたからなのでしょうか。いずれにせよ確かなのは、1700年余り前、かの地に、詩篇を愛しキリストを愛する信仰者の一家庭が在ったということだと思います。

 

娘を亡くし、喪失の苦しみを味わった家族もまた死に、その後数百年の後にはイスラーム侵略により、彼女たちが歌い祈っていた言葉であるオクシリンコス方言も死に絶えていきました。

 

古の杜甫は「国破れて山河あり」と言いましたが、聖書は、有為転変は国の情勢だけに限らず、自然界それ自体もいずれ焼けてくずれ去ると明記しています。

 

「しかし、主の日は盗人のように襲って来る。その日には、天は大音響をたてて消え去り、天体は焼けてくずれ、地とその上に造り出されたものも、みな焼きつくされるであろう」(2ペテロ3:10)。

 

全ては移ろい去っていきます。しかし私たちの神は不変にして不滅なるお方です。4世紀にエジプトの地を満たしていた初代キリスト教会の輝く灯も、信仰者の母語であり賛美と祈りの音を美しく紡いでいた口語コプト語の大部分も、今となっては遠い過去の追憶となりました。

 

しかし、墓の中に眠っている少女が復活のいのちを持っているように、彼女たちが読み、歌い、愛した神のみことば(聖書)、そしてロゴスなるイエス・キリストは永遠に不滅です。歴代の聖徒たちの祈りは、地上の被造言語の限界を突き抜け、時空を超越し、金の鉢を満たす香となって御前に覚えられています。

 

詩篇16篇8-11節は有名なメシア預言です。ペンテコステの日に、聖霊に満たされたペテロがイエス・キリストの死からの復活を力強く証しながら引用・説教したのも、まさにこの箇所でした(使徒2章24-32節)。

 

「それで後のことを予見して、キリストの復活について、『彼はハデスに捨てて置かれず、その肉体は朽ち果てない。』と語ったのです。神はこのイエスをよみがえらせました。私たちはみな、そのことの証人です。」(31、32節)

 

願わくば、このメシア預言の詩篇歌を歌う私たちも、ペテロのように聖霊に満たされ、見える世界・見えない世界に向かい、「確かに神はイエスをよみがえらせました。彼はハデスに捨てて置かれず、その肉体は朽ち果てませんでした。そして主イエスをよみがえらせた方が、私たちもイエスを共によみがえらせてくださいます(2コリ4:14a)」と信仰を持って大胆に証することができますように。

 

使徒信条にも明記されているように、私たちは「からだのよみがえり(σαρκος ανάστασιν)」を信じます。

 

「死者の復活もこれと同じです。朽ちるもので蒔かれ、朽ちないものによみがえらされ、卑しいもので蒔かれ、栄光あるものによみがえらされ、弱いもので蒔かれ、強いものによみがえらされ、血肉のからだで蒔かれ、御霊に属するからだによみがえらされるのです」(1コリ15:42-44a)。

 

「まことに、あなたは、私のたましいをよみに捨ておかず、あなたの聖徒に墓の穴をお見せにはなりません」(詩16:10)。

 

♪Before me constantly I set the LORD alone(1節)。主よ、どうか私たちを被造物への愛着から解き放ってくださり、絶えず目の前に主だけを置くことができますように。そして身も心も魂もすべてをこの御方のみに捧げ尽くすことができますように。

 

 


 

詩篇16篇8-11節(英語歌詞は Sing Psalms, 2003;旋律はGolden Hill)

 

8 Before me constantly I set the LORD alone. Because he is at my right hand I’ll not be overthrown.

(私はいつも、私の前に主を置いた。主が私の右におられるので、私はゆるぐことがない。)

9 Therefore my heart is glad; my tongue with joy will sing. My body too will rest secure in hope unwavering.

(それゆえ、私の心は喜び、私のたましいは喜んでいる。私の身もまた安らかに住まおう。)

10 For you will not allow my soul in death to stay, Nor will you leave your Holy One to see the tomb’s decay.

(まことに、あなたは、私のたましいをよみに捨ておかず、あなたの聖徒に墓の穴をお見せにはなりません。)

11 You have made known to me the path of life divine. Bliss shall I know at your right hand; joy from your face will shine.

(あなたは私に、いのちの道を知らせてくださいます。あなたの御前には喜びが満ち、あなたの右には、楽しみがとこしえにあります。)

 

*1:コプト語には、オクシリンコス方言以外に4つの代表的方言があります。最も有名なのが、サイード方言。それから、ボハイラ方言、アクミーム方言、ファイユーム方言です。

当時のエジプトは東ローマ帝国の統治下にあり、公用語のギリシャ語と、その影響を強く受けた日常言語としての「初期コプト語」を使用するバイリンガリズム状態にありました。しかしイスラームの侵略と征服によりアラビア語が行政言語としてギリシャ語にとって代わり、エジプト人は新たなバイリンガル言語環境に置かれることになりました。

↑はコプト語・アラビア語対訳文で,旧約の一節と思われます(コプト語4行目・アラビア語3行目にイスラエルの名があります)。出典:シルヴェストル, J.B. 著;田中一光 構成(1984)『文字の博物館』(白水社)

 

およそ3世紀〜4世紀の間はコプト語を日常言語とし、アラビア語を公的な言語とするこの種のバイリンガリズム(時にはかつての公用語であるギリシャ語をも加えたトライリンガリズム)が続いたそうですが、段々とアラビア語が優勢になり母語置換を起こすようになったそうです。

こうして下エジプトでは遅くとも11世紀までにはアラビア語が支配的になり、上エジプトでも14世紀までにはアラビア語が支配的な日常言語として使われるようになったそうです。現在では、コプト語は主として、正教会の典礼言語として残存しています。(参照