巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

ロックンローラーたちにハイジャックされたキリスト教会【音楽の領域における惑わし】

 

 

ロックンロール音楽を用いた主日礼拝の様子(エレベーション教会)

 

はじめに

 「全てのCCMがロック音楽という訳ではありませんが、両者の境は往々にして曖昧で混同しています。統計的に、CCMの約90%が、多様な種類のロック音楽スタイルを用いていると推定されています*1こういった現象がもたらされる原因として、教会指導者たちの多くが、曲のスタイルではなく、歌詞に重きを置いていることが挙げられます。

 

  例えば、サドルバック教会のリック・ウォーレン師は、「いわゆる『清く、聖なる』音楽スタイルというのは存在しないということを教会は認めるべき。曲を聖なるものにするのは、そのメッセージなのです・・ですから、『クリスチャン・ミュージック』というようなものは存在せず、そこに存在するのはただ単にキリスト教的歌詞だけです。*2」と述べています。*3

 

サドルバック教会とロックンロール

 

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「私は、ロックンロールの持つ変革力(transformative power)を確信しています。この変革力は、曲の歌詞に付随しているというよりも、、音楽それ自体の中に存在しています。――そうです、音と、そして何よりビートの中に。」

(Robert Palmer, Rock & Roll; An Unruly Historyより抜粋)*4 

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「『誰をも裁きませんよ』という雰囲気作りのため、牧師たちは、「神様はありのままのあなたを受け入れておられますよ」的な哲学を奨励してきました。そうしてCCMとこの哲学は手に手を取り合って進んできたのです・・

 

 こういった教えのなされる所では、自分の人生に神様を受け入れはしたいけど、ライフスタイル自体は変えたくない、――そういう種類の人々を教会に惹きつけてしまうのです・・・

 

 なぜ米国CCM界を去らなければならないのか、、、まず第一に、私はCCM賛美哲学を支えている前提そのものをもはや受け入れることができなくなったからです、、、私たちの支柱とはこれでした。つまり、「音楽は、道徳とは無関係のものである(amoral)」という前提です

 

 彼らによると、神はあらゆる種類の音楽スタイルを受け入れておられる。そして各自の好みや趣向に対して口出ししたり、裁いたりしてはいけない、と。私はこういった主張について調べようと、聖書を掘り下げたのです。しかし分かったのは、そういう考えは、人間中心的であり、非論理的であり、基本的な聖書の原則を正しく反映していない、という事実でした。」(Dan Lucarini, Why I left the Contemporary Christian Music Movement(「私がCCM運動から身を退いた理由」)より抜粋)*5

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「人間の精神(知性、判断力;mind)は、リズム、メロディー、もしくは(音楽)コード進行が、3-4回、反復された後、その働きを中断します。さらに、過度な繰り返しの反復により、私たちの思考コントロール能力が害されます。リズミカルな反復は、自らの推進する音楽の中に、ある種の倫理観を植え付けようとしている人々が使う常套手段です。」(Dr. M.Ballam)

 

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 「ロックは、心臓の鼓動の持つ自然なリズムと全く逆のリズムをとるため、聴く者の内臓を打ち、繰り返しの反復によって脳にそれが叩き込まれるのです。人間が苦痛を感ずる音量は約100デジベルからであるといわれます。ロックコンサートにおけるエレキギターの音は約190デジベルもあるので、苦痛に感ずるほどうるさい音なのです。

 

 絶えず激しく律動するビートは、高いボリュームで長時間続けられると、いつしか催眠術的な効果が生じてきます。どうしてかというと、神経組織が高音で繰り返し襲われるので、通常の聴覚がマヒしてしまうからです。そうすると超越瞑想のようになって、音楽が醸し出すイメージと歌詞のメッセージに対する深い被暗示性が生まれてくるのです。

 

 この状態になると、人々は音楽の持つメッセージとイメージをまともに受け入れてしまいます。その場に、目もくらむようなレーザー光線やスクリーンに映し出されるデモーニッシュな映像があれば、乾いた土が水をまたたく間に吸収するように心の中にしみ込んでしまうのです。(「ロック音楽が恐ろしい本当の理由」より抜粋)

 

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 ビートルズは既に「僕たちの音楽は、情緒不安、行動障害、反抗、革命さえ起こすことができる *6」と語りました。ロックのリズムが、自然の身体リズムと根本的に一致していないということは、医学的にも証明されています。

 

 ベース・ギターの低周波振動と、ドラムの追い立てるような拍子は、男女両性の性反応をコントロールするホルモンを生産する脳下垂体腺に直接作用し、ロック・ミュージックの絶え間ないビートは、脳に過度の不調和を引き起こします。最終的には、ホルモンが過剰生産され、それによって道徳的抑制力が低下したり、あるいは全く無くなってしまいます*7

 

 ロックコンサートやディスコでのストロボ・ライトがこれに相乗効果を加えます。これによってあらゆる道徳観の壁が壊され、人は識別力を無くして、なすがままになってしまうのです。絶え間なく変化する色彩と明度は、感覚喪失の原因となり、生まれながらの反射能力を妨げます。

 

 毎秒6-7回も光と闇が交互に出現すれば、深さに対する知覚作用が妨げられるには十分なのです。毎秒26回に達すると、脳のアルファ波が刺激されて、集中力が低下します。

 

 光と闇がこれよりも速い速度で長時間交互に変わると、感覚のコントロールが完全にできなくなるのです。ですから、ロック・ミュージックと照明との相乗効果は、「正気に対する暴力」と言っても過言ではありません。*8

(以上、バジレア・シュリンク著『ロックはどこから?』2章「ロックミュージックの本質と結末」より一部抜粋)

 

考察テーマ① ロック礼拝と偽教理

 

問い:「クリスチャン・ロック」と「偽教理伝播」との間には、はたしてどれくらい相関性があるのでしょうか?前者と後者は、互いを補強・強化する関係にあるのでしょうか?

 

実際的考察 その1新使徒運動とロック礼拝

 

Azusa Street East Launch - Lou Engle | MorningStar Ministries Featured Video

 

 *9

 

実際的考察 その2ダビデの幕屋の回復運動とロック礼拝

 

 *10

 

実際的考察 その3ヒルソングとロック礼拝

 

*11

 

実際的考察 その4エンパワード21とロック礼拝

 

 *12

 

実際的考察 その5マースヒル教会(イマージング・チャーチ)とロック礼拝

 

 

(イマージング指導者の一人であるマースヒル教会牧師(~2014年)マーク・ドリスコル師は、「私は神学的には保守であり、文化的にはリベラルである」と言い、これまで積極的にロックンロールやシャンペンパーティーなどを教会のプログラムに導入してきました。しかしその後のマースヒル教会およびドリスコル師の歩み自身が、神学的に「保守(正統)」で文化的に「リベラル」であるということの不可能性を証言しているといえるのではないかと思います。*13. 

 

考察テーマ② ロック賛美と肉体の動き――Beat Anticipationのもたらす効果――

 

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クリスチャンロック礼拝に集う会衆の方々のbody movement(体の動き)を注意深く見てみますと、国や文化の違いを超え、ロック・ビートが、人々の肉体的動作に、ある共通した特徴を帯びさせているのに皆さんお気づきになると思います。

 

教会音楽研究で有名な、豪州タムウォース・バイブル・バプテスト教会牧師故グラハム・ウェスト師は、こういった独特のbody movementを生み出すロック・ビートをBeat Anticipationと呼び、次のように説明しています。

 

ビート・アンティシペーション(Beat Anticipation)の定義

「アクセントの自然な位置を動かすシンコペーション*を指す。これは、自然にアクセントの置かれたビートの直前において、音楽フレーズの最後の音符のビートを抜け落ちさせることにより発生する。」Syncopation that moves the natural position of the accent by causing the last note of the musical phrase to fall off the beat immediately before a naturally accented beat.)

 

シンコペーション(syncopation、切分法)とは、西洋音楽において、拍節の強拍と弱拍のパターンを変えて独特の効果をもたらすことを言う。主に、弱拍の音符を次の小節の強拍の音符とタイで結ぶ、強拍を休止させる、弱拍にアクセントを置く、の3つの方法がある。シンコペーションの効果について、音楽プロデューサーの亀田誠治は自身がホストを務めた亀田音楽専門学校(NHK Eテレ)にて「メロディーが前の小節に『食い』込むことで躍動感が生まれ、ウキウキとかワクワクといった気持ちにさせる効果がある」と説明している。(シンコペーション - Wikipedia

 

 

シンコペーションを使ったリズムより

 

こうしてビート・アンティシペーションにより、抜け落ち空洞化したビートのその隙間を埋めるべく、私たちの体は独特の反応および動作を始めるのです。その点に関し、ジョン・マクジナ師は、Measuring the Musicという著書の "Rock Music and Body Image”という章の中で次のように述べています。

 

「ロックのダンス性は、過度に強調されたそのシンコぺート・リズムに主因しています。それにより、聴衆は、――精神的に、あるいは肉体的一連の動作を通し――、脱落している第一番目および第三番目のビートの空白を埋めようと働くのです。」

 

グラハム・ウェスト師も同様のことを述べています。

 

「生来、強いビートが(バックビートないしはシンコペーションによって)アクセントから取り外される時、私たちの精神や体に、『そこに生じたギャップを埋めよう』とする、強度な心理学的・生理学的衝動が起されます。」*14

 

(*デイビッド・クラウド師は、CCM賛美体験を特徴づける要素を次の6つに分類しています。

シンコぺートされたダンスのリズム(Syncopated dance rhythm)

宙に浮いた音楽コード(Unresolving chords)

肉感的ボーカル・テクニック(Sensual vocal techniques)

エレクトロニックな転調(Electronic modulation)

激しい上がり下がり(Rise and fall in intensity)

反復(Repetition)

尚、①のシンコぺートされたダンスのリズムは、1) バック・ビート(the back beat)、2) サイレント・ビート(the silent beat)、3) スタッカート・ビート(the staccato beat)、4) ビート・アンティシペ―ション(beat anticipation)の4つに分類され、論考において、それぞれの特徴が詳しく説明してあります。*15

 

考察テーマ③ ロックと脳内ベータ波――脳神経学的観点から――

 

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情報源

 

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C・バーデイル師は、 講義シリーズの中で、ロック音楽が私たちの脳波および思考領域に及ぼす影響について詳説しています。

 

師の研究によると、前頭葉が正常に働いている通常の状態において、私たちの脳内には、ベータ波(β波)が作用しているそうです。このβ波は、脳内に入ってくるさまざまな情報を、ダイナミックかつ批判的・論理的に分析する働きをしています。

 

 

Brain state chart

上から三番目が、アルファ波で、「視覚化(Visualization)」や「瞑想(Meditation)」モードです。そしてベータ波(下から二番目)は、通常の覚醒(Wakefulness)状態です。(情報源

 

 MIT neuroscientists found that brain waves originating from the striatum (red) and from the prefrontal cortex (blue) become synchronized when an animal learns to categorize different patterns of dots. 

前頭葉前部皮質(PreFrontal Cortex;図のブルーの部分):識別力、倫理、霊性、人格、意思、選択、神礼拝などにかかわる脳領域。主としてベータ波は、この前頭葉(frontal lobe)から発信されます。(マサチューセッツ工科大学ニュース

 

ロック音楽の持つビートおよび繰り返しの反復により、物事の善悪を峻別・検証し、理性的に取捨選択する働きをするベータ波が消失し、その代りに後頭葉occipital lobeおよび頭骨頭頂部parietal lobeから生じるアルファ波が主として私たちの脳に働くようになります。

 

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出典:Stuart Ira Fox, Human Physiology, Chapter 8 The Central Nervous System(『人間生理学』第八章 中枢神経系)

 

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大脳の外観(出典

 

このアルファ波は、自分の中に入ってくる情報(や霊)を吟味・識別することなく、無批判に受け入れる脳波であるため、東洋瞑想やマントラ、ニューエイジ、センターリングのテクのほとんどが、私たちをこのアルファ波状態に持っていかせることを常套手段としていますが、バーデイル師の研究によると、ロック音楽もまた、ベータ波を喪失させ、その代りにアルファ波中心モードにする、危険な霊的状態に私たちを置くそうです。

 

ここにおいて、考察①の「ロックと偽教理」の相関関係がより明確になってくると思います。つまり、ロック賛美でハイな状態になり、識別力をつかさどるベータ波を失ってしまっている会衆者たちは、講壇から語られる教えがはたして正統教理なのか、それとも異端の教えなのかを批判的に峻別する能力をはく奪されている―――そのような危険な状態に置かれているということになるのです。*16

 

さらに、悪魔は、ロックによってハイな状態になっている無防備な信者の耳もとに、「さあ今、あなたは聖霊で満たされているんですよ」と嘘を吹き込み、このロック・モードに対する中毒症状および渇望を本人に気づかせないよう、懸命に働きかけているのです。

 

ロックの根本哲学――Do What Thou Wilt(何であれあなたが欲するように為せ)

 

1950年代以降、ポピュラーになっていったロック音楽ですが、その根本哲学は、「あなたが欲することを為せ」という自己礼賛です。

 

そしてこれは「自己を否み、十字架を負い、わたしについて来なさい」と仰せられ、私たちの罪の贖いのために、「自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われた」神の御子イエス・キリストの従順な霊とは対極をなす霊であり、反逆のスピリットです。(参 マタイ10:38-39;マタイ26:39;ピリピ2:6-8)

 

「いつでも、自分の欲することをしていいんだ」(“I’m Free,” ローリングストーンズ、1965年)

 

「これは俺の人生で、俺は自分の欲するままに何でもやる/これは俺の思考で、俺は自分の考えたいように考える。」(The Animals、1965年)

 

「お前は自分の行きたい所へ行くべき/何でも心の欲するままに為せ。」(Mamas and Papas, 1965年)

 

「それはお前のもの/お前のやりたいようにやれ。」(Isley Brothers,1969年)

 

「ロックンロール魂は、ずばり自己の礼賛だ」(Daryl Hall of Hall and Oates, interview with Timothy White, 1987, Rock Lives, p. 594)

 

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Daryl Hall of Hall and Oates

 

「ロック音楽は昔から同じメッセージを授かっている。それは、反宗教的、反国家主義的、そして反モラルだ。しかし今、君たちがしなければならないこと、それは、このメッセージを、ちょっとしたハチミツで味付けしながら、力強く効果的に伝えて行かなきゃならないってことだ。」(ジョン・レノン。亡くなる少し前の発言。1980年。Pop Goes the Gospel, p. 84)*17

 

 

ロックの起源――ブードゥー教

 

ジャーナリストのミカエル・ヴェントゥラは、Hear that Long Snake Moanという論考の中で、ロック音楽のブードゥー起源について次のように書いています。

 

「アフリカのアボメイでは、霊媒師を通して語るこういった精霊のことをヴォドゥン(vodun)と呼んでいます。この語は『秘義的』という意味です。そして彼らのこのヴォドゥンに、私たちの『ブードゥー』は由来しています。そして私たちのロックンロール音楽の起源は、まさしくこのブードゥーにあるのです。」

 

「ブードゥー儀式の目的は、神憑りになることです。」

 

「ブードゥー儀式を通しての神憑りは、ロックンロールにおける米国パフォーマンスの基準になりました。エルヴィス・プレスリー、リトル・リチャード、ジェリー・リー・ルイス、ジェームス・ブラウン、ジャニス・ジョプリン、ティナ・ターナー、ジム・モリソン、ジョニー・ロトン、プリンス等・・・彼らはロック音楽の中に感じられる霊に支配されるよう自らを委ねました。」*18

 

ロックの霊

 

この点に関連し、アマゾンのジャングルで宣教師として奉仕しているイヴォ―ル・グリーンスレイド師は、安息年で母国に一時帰国した時のことを次のように回想しています。*19

 

「宣教地から一時帰国し、初めてロック音楽を耳にした時、私と妻は驚いて互いに顔を見合わせ言いました。『これは、私たちが宣教地で四六時中、耳にしているものじゃない?』と。ロック音楽は、私たちにとって全く新奇なものではありませんでした。それはジャングルの音楽と非常に似ていたのです。

 ある年、宣教地に帰った際、うちの子ども達がCCMの一ジャンルである、クリスチャン・ロックのテープを一つ、かばんの中に忍び込ませていました。そして子ども達がそのテープを聞き始めるや、現地人の改宗者のクリスチャンたちが、私たちに訊ねたのです。『なぜあなたたちは、デーモン(悪霊)の音楽を聞いているのですか?』と。そうです。彼ら現地人クリスチャンはその霊をすぐさま識別したのです。」*20

 

ロックの漸進性

 

またクリスチャン・ロックには、漸進性があります。最初はソフトなロック・バラード系の賛美曲で始まったものが、次第によりハードなものへと変貌していきます。下り坂を転がり始めた石のように、一度、ロックを教会に迎え入れると、もう後には取返しがつかないのです。

 

元CCMリーダーであったダン・ルカリニ師はその漸進性について次のように証言しています。

 

「〔私たちが最初に導入した〕ロックはソフトなものでした。しかし、それは依然として、否定しようもなく私たちの肉感に訴えるロック・リズムを宿していました。そうすると、聴衆者たちはまもなくそれを渇望していくようになりました。ドラッグ中毒者と同様、もう後戻りはできなくなります。そして時の経過と共に、それは従来のあらゆる礼拝讃美をうち捨て、最新にしてコンテンポラリーなスタイルへと移行させる、着実なる下り坂を滑り落ちていくようになります。」*21

  

グラハム・ウェスト師も同様の警告を発しています。

 

 「一度ソフト・ロックを聴き始めるや、あなたはさらにアグレッシブな形のロックへと滑り坂を下って行き始めます。ソフト・ロックは、――メロディーを中心としたこれまでの音楽的方向感覚性からあなたを引き離し――それに代わって、リズムを中心とした音楽感知へとあなたのあり方全体を新たに方向づけていくようになります

 

 そうすると、あなたの音楽的趣向が変化していきます。こういった新たなる方向付けが人の内でなされると、その人にとって、従来の讃美は、――新たに獲得された音楽趣向に比べると――、もはや味気なく、つまらないものに感じられるようになっていくのです。

 

 これは連続した進行です。私はこういった現象を数多くのクリスチャンの人生の中に見てきました。それは下向きの螺旋(らせん)降下です。そしてこの螺旋降下現象は、個人の生活の中に起こり、家庭生活の中に起こり、そして教会全体としての信仰生活の中に起こっていきます。

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 ポップ・シンコペーションに関する無知というグレー・ゾーンが存在しています。そして、悪魔は、この好機を逃さないとばかりに、洗練されたプロの音楽家を装い、強固な聖書信仰の教会に忍び込み、CCMロック・バラードの商品を提供します。そして実際、それは聞くに実に心地良いのです。

 

 そこにはドラムもなく、荒いエレキ・ギターもなく、はっきりしたバック・ビートもありません。ただ静かなピアノやギターや歌い手がいるだけです。しかもこういったロック・バラード賛美曲は、――リズムの所を除けば――従来私たちが歌っていた賛美とほぼ同じような感じで歌うことすらできるのです。 『だからきっと大丈夫・・だよね?』と私たちは自分に言い聞かせます。それは確かにすばらしい賛美だし、それに教会のユースがとても気に入ってくれているから・・です。

 

 しかしここで問題となるのは、リズムがその微妙なtripをする時、それは――1950年代に開始されて以来の、あらゆるロックン・ロールの基本的・特徴的なリズムの形態を内包しているという事実です。このようにして、気づかぬ内に、あなたはサタンの巧妙な戦略に取り込まれていくのです。

 

 そしてこれは、サタンが好機を掴んでいる、私たちの盲点です。ある教会がロック・バラードを受け入れるや、遅かれ早かれ、全面降伏はほぼ不可避なものとなる、という事をサタンは熟知しています。

 

 また、用心深く、慎重で真面目なクリスチャンたちを取り扱う際、サタンは、滑り坂の一番てっぺん付近で、彼/彼女にとても繊細でやさしいロックを聴かせることから始めなければなりません。そうでないと、彼/彼女の良心が「この音楽、何か間違っている!」と叫び出さないとも限らないからです。ですが、とにもかくにも、聴かせることに成功したなら、サタンはもう勝利を自分のものにしているのです。

 

 なぜなら、ドラック密売人と同じように、サタンは、その使用者たちが、そのセンシュアルで肉感的なリズムを『もっと、もっと欲しい』と渇望していくようになることを知っているからです。」*22

 

どこへの「橋渡し」?

 

ドラッグと同様、〔クリスチャン〕ロックにも中毒性があるため、ここから抜け出るには、正しい健全な知識と共に、信仰による祈りと闘いが必至だと思います。

 

「若者伝道のため」という大義名分で30-40年ほど前に、教会礼拝の中に取り入れられ始めたロック音楽ですが、皮肉なことに、クリスチャン・ロックは今日、世俗の若者を教会に導き入れる「橋渡し」というよりはむしろ、教会内で葛藤しているクリスチャンの若者たちを、徐々にハード・ロックな「この世」へと迷いこませる、外向きな肉的「橋渡し」となっている――それが現実ではないでしょうか?

 

 

この世の人のように振る舞い、この世の人の言葉を使い、この世の手段を用い、この世の音楽性を借用し賛美することで、この世の人々をキリストの元に導こうというSeeker Sensitiveな(「求道者にやさしい」)アプローチに致命的欠陥があることを、近年、この運動を始めた指導者たち自身が気づき始めています。

 

ウィロークリーク教会のビル・ハイベルズ氏は、これまで何十年に渡り、何百万ドルをつぎ込み手がけてきたこのSeeker Sensitive Approachが、数値の上での成功(つまり量的拡大)はしたものの、真のキリストの弟子を育てることに失敗したことを嘆き、次のように言っています。

 

「これまで、うちの教会の人々が霊的に成長する助けになるはずだと信じて何百万ドルをつぎ込んできたものが、――実際、データをみると――あまり功を奏していなかったことが分かったのです。いや、それどころか、自分たちがあまりお金を投資せず、力を注いでいなかった他の事柄こそ、人々が真に叫び求めているものであったということを知るに至りました。」出典*23 

 

「しかしそうではあっても、CCM賛美哲学に反対することは、私たちを硬直した伝統主義者にするのではないか?」そう懸念する方がいらっしゃるかもしれませんが、そんなことはないと思います。

 

前の記事でも申し上げましたように、事は、「現代ワーシップ」VS「(西洋の)伝統的讃美歌」という時系的対立にあるのではなく、神の「聖」という圧倒的にして偉大なる属性が賛美の中で輝き出るべく、人は賛美というものの本質をいかに見、捉え、それを聖書の永遠の光に照らし現代に適用していくのか、という本質追及にあると私は考えています。

 

こういった本質追及をしている聖書主義の教会がフランスにあります。以前にご紹介しましたMission Timotheeです。この教会はCCM哲学の抱える諸問題に真剣に取り組み、ロック音楽と完全に袂を分かっています。

 

それではこの教会には若者は寄り付かないのでしょうか?いいえ。事実はその逆です。私は実際にフランスに足を運び、現地調査をしましたが、ミッション・テモテの教会から次々に生み出される、内容の濃く、正統教理に富み、音楽性にも優れたオリジナル賛美は、フランスの未信者の若者たちの心の琴線に強く触れているのです。

 

福音に対する無関心の蔓延っているこの国において、彼らが路傍で歌い奏でる賛美は、多くの未信者の注目を集めており、すばらしいことに、無神論的フランスの若者たちが、彼らの賛美を通してキリストの元に立ち返りつつあるのです。

 

近年、聖書という神の言葉は、「文化的・時代的に束縛された」書物として取り扱われ解釈される傾向にあり、神の御言葉の持つ時代を超えた普遍性に覆いがかけられがちです。*24

 

しかし私たちが信仰をもってあくまでも本質追及をしていく時、その時、賛美というこの戸からも私たちは時代を貫き諸文化を超越する神の普遍的真理の光を見、そこから溢れ出る霊性を通して、(若者を含めた)この世の人々は、そこに〈なにか聖いもの〉〈なにか永遠なるもの〉を見出すようになると信じます。

 

おわりに

 

福音主義クリスチャンたちによる、ローマカトリックとの合同エキュメニカル運動の祭典、Lifest 2015 賛美礼拝の様子*25*26 

 

上記と同じ祭典。(クリス・トムリンとロック賛美)

 

今日、キリスト教会の礼拝は、ロックンローラーたちによってハイジャックされています。

 

このハイジャック劇の背後には、前述しました seeker-sensitive(求道者にやさしい)伝道アプローチの他、アメリカ・プラグマティズムの教会浸透*27、巨額の富の動くCCM音楽産業、商業マーケット・ドリブン・チャーチ、文化と宣教分野におけるドミニオン神学*28など、複合的な要素が絡んでいると考えられます。

 

「多くの人々は、自分にとって気持ちの良い経験を楽しむべく、そして神の臨在を『感じる』ためなら、あからさまな異端の教えを甘受するのもいとわない――そういった態度でいます。しかし彼らの言う『臨在』というのは、ムード変換のテクによって作り出されているものであり、それは礼拝というよりはむしろ操作(manipulation)に近いといえるでしょう。実際、ある人々は、キリスト教版『低ニコチン』の常用を欲するが余り、操作されることをむしろ望むようになっている、といっても過言ではありません。」*29

 

「教会の中での音楽スタンダードが下がると、服装スタンダードも下がっていきます。そして服装スタンダードが下がっていくと、貞節振る舞いといった分野でのスタンダードも下がっていき、貞節や振る舞いにおけるスタンダードが下がっていくと、神の真理に対する価値観が下がっていきます。そして神の真理に対する価値観が下がっていくと、、やがて私たちは自らの身に霊的アナーキーを招くことになります。」ゴードン・セアーズ師

 

エンターテイメント化され、霊的にたるんだ教会の真ん中に――本来キリストのおられるべきステージの中央に――ロックという「金の子牛」が据えられ、feel goodな感情主義が、本来、聖霊が占めるべき場を占拠し、無防備な信者たちを惑わし飲み込もうとしています。

 

おお主よ、われらを憐れみたまえ。背教的組織から、火の中から、私たちを救い給え。

 

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 関連記事:

www.youtube.com

【文献案内】

Graham West, Music and Your Church(音楽と教会)

Graham West, The Rhythm of Rock(ロックのリズム)

John Makujina, Measuring the Music: Another Look at the Contemporary Christian Music Debate, Paperback – 2002

Dan Lucarini, Why I Left the Contemporary Christian Music Movement: Confessions of a Former Worship Leader, Paperback – July 1, 2002

Gary Gilley, This Little Church Went to Market: Is the Modern Church Reaching out or Selling out?

Neil Postman, Amusing Ourselves to Death: Public Discourse in the Age of Show Business, Penguin Books, 2005

Paul Washer, Unbiblical church music (YouTube)

Paul Washer, Churches are Using Carnal Methods to Attract Visitors (YouTube)

Paul Washer, On Worship, Worship-music, Contemporay Christian Music-Youtube

Paul Flynn, Of Chaos and Confusion: The Modern Church (Full Film-YouTube)

Elliot Nesch, Church of Tares: Purpose Driven, Seeker Sensitive (YouTube)

David W. Cloud, What Every Christian Should Know About Rock Music, 2014 (PDF)

David W. Cloud, Replacing Hymns with Contemporary Praise Music

David W. Cloud, Sounds of Contemporary Christian Music (YouTube)

David W. Cloud, The Transformational Power of Contemporary Worship Music

Tamworth Bible Baptist Church, Sounds of Apostasy

WebTruth.org, Should Christians Listen to Contemporary Christian Music?

Pragmatism | Reformed Bible Studies & Devotionals at Ligonier.org

Don Currin, When the Entertainment God Comes to Church - Sermon Index

Bob DeWaay, Redefining the Church-The Church Growth Movement's Unbiblical Definition of the Church

Grace to You Ministries, Straight Talk About the Seeker Church Movement

Orrel Steinkamp, Schuller Planted, Hybels Watered, Warren (Peter Drucker) Gives The Increase

Deception in the Church, Many Articles about the Unbiblical Nature of the Church Growth Movement

The Problems With The Purpose-Driven Definition of a Christ Follower

Why I Left Your Seeker-Friendly Church

Dennis Castella, The Church Growth Movement: An Analysis of Rick Warren's "Purpose Driven" Church Growth Strategy

Seeker Movement on Critical Issues Commentary Radio (5 different shows)

The Faulty Premises of the Church Growth Movement on Critical Issues Commentary Radio (4 different shows)

Elliot Nesch, Celebrity Pastor is Not a Biblical Church Office

Steven Kozar, The Seeker-Friendly, Purpose-Driven Cornucopia of alse Doctrine

Steven Kozar, "Church... Business... What's the Difference?" Confused Willow Creek Leadership Conference

Bill Hybels Talks About Popeye (Much) More Than Jesus in the Museum of Idolatry

Bill Hybels: "God Uses a Re-Crafted Schedule to Transform Lives" in the Museum of Idolatry

Resistance is Futile: You Will Be Assimilated Into the Community (Fighting for the Faith with more links)

The Andy Stanley Cornucopia of False Teaching, Fast Talking and Postmodern Ambiguity

Seeker-Sensual Church Growth (Fighting for the Faith Episode with Rosebrough, Kozar and Spreeman)

Marcha West, Purpose Driven Dismantling of Christianity

 

*1:Guenter Preuss, “Rock Music and Evangelism”, The Christian and Rock Music, ed.; Samuele Bacchiocchi. Michigan: Biblical Perspectives, 2000, p. 305.)

*2:Rick Warren, The Purpose Driven Church. Kaduna, Nigeria: Evangel Publishers Ltd., 1995, p. 281

*3:以上 Opeyemi T. Oladosu, "Contemporary Christian Music and the Church", The American Journal of Biblical Theology, Volume 18(30). July 23, 2017より一部抜粋

*4:参:How Contemporary Praise Transforms Churches

*5:音楽が、はたしてamoral(道徳性とは無関係のもの)であるか、それともmoral(道徳性と関係あるもの)であるかという命題については、この記事で詳しく取り扱っています。また英文論考としては、Biblical Research Reports, Is Music Amoral? それから、Way of Life Literature,If Music is Neutral等をご参照ください。

*6:Tony Higton, "A Christian Approach to Rock Music," Hawkwell, Hockley, England: Hawkwell Parish Church, n.d., p.2

*7:同上

*8:Jean-Paul Regimbal et une equipe de collaborateurs, "Le Rock'n' Roll viol de la conscience par des messages subliminaux" (Geneva, 1983), pp.17-18

*9:教会成長運動から新使徒運動へ 

AGを侵食する新使徒運動 

日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の危機

「ピーター・ワグナーの相関図」

使徒・預言者運動 

リック・ジョイナー マルタ騎士団に

ISSUE 66B The New Apostolic Reformation: A Warning About Latter Day Apostles 

ISSUE 71 Colossian Heresy, Part 3: How Rick Joyner's Claimed Visit to Heaven is a Direct Example of the Colossian Heresy

ISSUE 103 The Roots and Fruits of the New Apostolic Reformation: Exposing the False Teachings of C. Peter Wagner and Bill Hamon

ISSUE 107 Mike Bickle and International House of Prayer: The Latter Rain Redividus

*10:ダビデの幕屋の回復 

ダビデの幕屋

JECと「ダビデの幕屋」の教えとの関係について

『福音主義神学』45号 

Sam Storms, Acts 15:14-17 and the Rebuilding of David's Tabernacle

*11:ヒルソングのルーツ 第6章ーヒルソングの歌詞に見られる「後の雨神学」

ヒルソング、ブライアン・ヒューストンとワード・オブ・フェイス

ヒルソングの『福音』

私がヒルソングを歌うのをやめた理由

ヒルソングの異端性

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ヒルソング牧師ブライアン・ヒューストン著 『あなたにはもっとお金が必要』ーーヒルソングと繁栄の神学

*12:エンパワード21を実によって見分ける 

エンパワード21とケネス・コープランド 

エンパワード21の由来と関係者 

エンパワード21と「新使徒運動」

*13:参:Introducing the Emerging Church, Part 2

*14:Graham West, "The Rhythm of Rock"

*15:参:Replacing Hymns with Contemporary Praise Music

*16:関連記事:音楽の力――リズミックな音によるマインドコントロール(ダグラス・フィールド博士、メリーランド大 脳神経科)The Power of Music: Mind Control by Rhythmic Sound By R. Douglas Fields on October 19, 2012

*17:参:Rock Music: The Babylon Deception (CCM. Heavy Metal. Rap. Techno. Illuminati Music.

*18:ブードゥー教についての説明はブードゥー教 - Wikipediaをご参照ください。

*19:参照

*20: ロック音楽とブードゥー教についての検証記事: Is There a Connection Between rock Music and Voodoo or African Paganism?, The Beat-Amazing Discoveries, K.B.Napier, Rock Music is Voodoo Music, Debra Devi, Possessed: Voodoo’s Origins and Influence from the Blues to Britney-HoffPost, Tracing it to its Origins-Inside Rock Music 

*21:Dan Lucarini, Why I Left the Contemporary Christian Music Movement 

*22:以上、Graham West, "The Rhythm of Rock"より抜粋

*23:関連記事 「イマージング・チャーチ・ムーブメントとは何ですか。そしてどのようにしたら私たちはその動きを識別することができるのでしょうか。」(by ジョン・マッカーサー&フィル・ジョンソン)【その2】 、主日礼拝とはまず第一に信者のための集まりです。(by R・C・スプロール)

*24:参:「神中心の神学」と「人間中心の神学」――ポストモダン思想の三大特徴(スティーブ・ゴールデン) - 巡礼者の小道(Pursuing Veritas); Vern Poythress, In the Beginning Was the Word: Language--A God-Centered Approach, 2009; Vern Poythress, Inerrancy and Worldview: Answering Modern Challenges to the Bible, 2012 

*25:参加者の一例:Toby Mac, Casting Crowns, Skillet, Newsboys, Steven Curtis Chapman, Chris Tomlin, Matt Redman, Needtobreathe, Third Day, dc Talk, Rebecca St. James, Michael W. Smith, Switchfoot and Superchic, Jars of Clay, MercyMe, TobyMac 等

*26:参照:WebTruth.org, Should Christians Listen to Contemporary Christian Music?/関連記事:愚弄される「神の子イエス」と、敬われる「預言者イエス」

*27:「求道者にやさしい(Seeker-sensitive)」礼拝とプラグマティズム(by R・C・スプロール) - 巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

*28: Berean Research, Dominionism and The NARBob DeWaay, The Roots and Fruits of the New Apostolic Reformation

*29:Gary Gilley, This Little Church Went to Market: Is the Modern Church Reaching out or Selling out?より