巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

「求道者にやさしい(Seeker-sensitive)」礼拝とプラグマティズム(by R・C・スプロール)

 目次

 

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プラグマティズム 

 

アメリカ文化を形成してきた大半の諸哲学はヨーロッパを起源としていますが、プラグマティズムだけは少なくとも、米国産の世界観です。

 

プラグマティズムの諸前提は、ポストモダニズムの心臓部に位置しており、この包括語は、21世紀前半における西洋思想を支配する見解として用いられています。

 

プラグマティズムを奉じる哲学者たちは、究極的・超越的真理がそもそも存在するのかということに関し不可知論的です。「それに、たとい客観的真理が存在するとしても」と彼らは言います。「それは我々には知り得ず、探求するだけの価値さえ持たない。」

 

それゆえ、真理は抜本的に再定義されます。伝統的に、真理というのは、リアリティーに対応するものと捉えられてきましたが、プラグマティズムにおける真理は、何であれ「うまくいく/良い結果を生み出す(what "works")」なにかです。

 

そしてこれは私たちを相対主義に導きます。あなたにとって「うまくいくもの/良い結果をもたらすもの」は、必ずしも私にとって「うまくいくもの」であるとは限りません。

 

キリスト教を信じることで、もしかしたら私は、より幸福な人になれるかもしれません。それなら、それが私にとっての真理なのです。一方、イスラム教徒は、イスラムの教えが彼らを幸いに導くと考えていますので、彼らにとってイスラムは真理です。なぜなら、それは彼らにとって「良い結果をもたらすもの」だからです。

 

理性的な話し合いや最終的規範に訴えるようなやり方は、何が「良い結果をもたらすか」についての意見の不一致に解決を与えることができません。ですから、プラグマティズムが完全に受容される時、その集団の中で一番力のあるグループが勝利を収めることになります

 

もしも同性愛が私にとって「良い結果をもたらすもの」なら、私は権力を掌握し、そうした上で、自分の楽しみを妨害するような文化的障害を作り出す人々をなんとか沈黙させなければなりません。

 

その際、私は自分と意見が合わない人々と理性的な話し合いをしようとはしません。なぜなら、私たちそれぞれが共に拠り所にできるような、そのような普遍的基準はどこにも存在しないからです

 

往々にしてプラグマティズムは、自らの出す諸回答が、長期的スパンでみた時に耐久するものなのかということを考慮することなく、即自的な解決法を探します。

 

プラグマティズムの腐敗した影響は、キリスト教会の中にも見られます。Seeker-sensitive(「求道者にやさしい」)礼拝は、そこに集う会衆の成熟をみないまま、出席数だけを増加させることが可能です。

 

特定の年齢層や職歴層をターゲットにした教会は、そういった層にいる多くの人々を引き寄せるかもしれませんが、そのターゲットにフィットしていない部類の人々に仕えていません。

 

「何が功を成すのか(“what works”)」ということを強調するようなあらゆるミニストリーを警戒しましょう。そしてあなたの教会がプラグマティズムの罠に陥ることがないよう細心の注意を払いましょう。

 

(執筆者:R・C・スプロール) 

 

関連記事および資料


 

「Hey, Haters!」という ↑のショート・ビデオの中で、エレベーション教会(Seeker Sensitive)のスティーブン・ファーティック牧師は、いわゆる「伝統的な」聖書信仰者たちに対し、「あんたたちの時代はもう終わったんだよ!」と挑発的な態度で宣言しています。私たち信仰者が今、どのような時代に生きているのかを痛切に感じさせるクリップです。どうか、私たち一人一人に、時代精神を見極める静澄にして確かなる霊的眼識力が与えられますように。(検証ビデオ:Chris Rosebrough, Doing Church for the Unchurched? For Whom Do Pastors Exist?

 

 

 

 

Pragmatism Goes to Church by A.W. Tozer

The Seeker Movement by David F. Wells

Straight Talk About the Seeker Church Movement
Bob DeWaay, Why the Church Lacks Discernment, Part 2: Pragmatism

Bob DeWaay, How the Seeker Sensitive Movement Quenches the Holy Spirit

ISSUE 18 Self-esteem, the New Christian "Virtue" Part 2: Robert Schullers New Reformation

ISSUE 37 Why Ecumenism Cannot Produce the Unity of the Faith: The Biblical Definition of the Church Shows Ecumenism to be Futile

ISSUE 56 Robert Schuller and The Seeker Sensitive Church: The Roots and Fruits of Robert Schuller's Verstion of Theological Liberalism

ISSUE 80 The Gospel: A Method or a Message?: How the Purpose Driven LifeObscures the Gospel

ISSUE 85 Redefining the Church: The Church Growth Movement's Unbiblical Definition of the Church

ISSUE 86 “Church Health Award” From Rick Warren or Jesus Christ?: A Study of the Seven Churches in Revelation

ISSUE 89 Faulty Premises of the Church Growth Movement: Rick Warren, Robert Schuller, Donald McGavran, and C. Peter Wagner Mislead the Church

ISSUE 119 Monvee—The New Evangelicalism about Me: A Review of John Ortberg's The Me I Want to Be

 

 

プラグマティズムとマーケティング(ピーター・ドラッカーの経営学原理とSeeker sensitive教会)

 

別府不老町教会牧師の論考より(出典

 

目的主導型教会への第一の疑問は、本来結果である行為が目的化することで、行い中心の教会になってしまうのではないか、ということだった。

 

第二の疑問はその教会形成の手法にある。それは「マーケティング」の手法だ。

 

リック・ウォレン牧師の言葉には「ニーズ」という言葉が多用される。これは、教会に来る人々のニーズのことだ。こうしたニーズを敏感に聞きとり、そのニーズを満たすように教会活動を形成するのである。

 

例えば説教。説教は会衆が最も聞きたいことを語るように工夫する。会衆が聞きたいのは「自分はどうしたらよいのか」ということだ。そこで、「こういうときはこうしなさい」という教えが中心となる。

 

また、教会のミニストリー(奉仕の働き)。これは地域社会のニーズを満たすことが目的だ。そこで、夫婦問題のケア、子供の教育、貧困からどう脱出するか、その他バラエティに富んだ数々のプログラムを用意する。これらによって地域のニーズを満たすことで伝道しようとする。

 

そして、礼拝。讃美歌は現代の会衆が最も好むポップス調。基本的にロックバントのライブとあまり変わらない。歌っている歌詞に「ジーザス」や「ロード」が出てくるので、それが讃美の歌だと気づく。おそらく、英語が全然わからない人が聞いたら、だれもそれを宗教的な歌だとは思わないだろう。こうした讃美が礼拝のなかで多くの部分を占める。

 

こうしたすべての教会形成手法の根元にあるのは、「顧客のニーズを吸い上げ、それを明確に満たすものを提供する」というシンプルな原理である。

 

これは、企業がやっているマーケティングの手法とまったく同じものである。商品を売り込むために企業は顧客のニーズを把握することを徹底する。そして、ニーズをしっかり満たすことで自然と売れる製品を作る。

 

リック・ウォレンはどこから教会活動にマーケティングを取り入れたのか。その源は経営学者のピーター・ドラッカーにある。

 

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↑ ピーター・ファーディナンド・ドラッカー(Peter Ferdinand Drucker、1909-2005年)は、オーストリア・ウィーン生まれの経営学者。父親はフリーメーソンのグランドマスター(自伝『傍観者の時代』より。)リック・ウォーレン師は、このビデオの中で繰り返し、生涯にわたる自分のメンターの一人が「ピーター・ドラッカー」であり、教会形成にあたり、ドラッカーの経営学原理から絶大な影響を受けてきたことを公に告白しています参照.

検証記事:

 

サドルバック教会はドラッカーの経営学と、伝統的な教会との融合によって生まれたものである。ドラッカー流に教会を再解釈し、経営学の原理をキリスト教会に導入したのだ。それが目的主導型教会の本質である。

 

マーケティング、経営学の原理で教会形成がなされた場合、どんなことになるのか。

 

マーケティングどは、「顧客のニーズ」の把握を第一とする。この場合、顧客とは教会の会衆や地域の住民だ。こうした人々のニーズを満たすことを優先していくと、大事なことが置いてきぼりにされる。

 

それは「神のニーズ」だ。教会は基本的に人間のニーズを満たす場所ではない。むしろ、神が求めておられることをなしていくのが教会なのだ。神を求めるなかで、結果的に人間も満たされるのである。

 

神が求めておられることをするためには、時に人間と対立することもありうる。旧約の預言者や使徒たちが「人間よりも神に従わなければなりません」と戦ったように。

 

ところが、マーケティングは人のニーズを神よりも優先することになりがちだ。すると、「神よりも人間に従わなければなりません」という人間中心の教会とならざるをえない。神はその人間をよりよくするためのツールに過ぎなくなる。

 

最も影響が大きいのは、教会が企業となることだ。マーケティング手法は、企業の原理であり、教会はそれとは別次元で動かなくてはならない。ところが、この手法により教会は企業となっていく。

 

するとこうした教会の特性として、この世での経済的繁栄、事業拡大、利益追求の体質となっていくことを免れることができない。十字架と復活のキリストのお姿からほど遠くなっていってしまう。

 

これが目的主導型教会への疑問だ。

 

教会は人間の組織というより、神の組織だ。だから、神の恵みの力によって世の終わりまで存続する。

 

ところが、教会が人間中心の人間の組織に変容してしまったら、企業に当てはまるのと同じ法則が当てはまる。つまり、人間の知恵と力が尽きたとき、これらが通用しなくなったとき、その組織も没落する。

 

これが目的主導型教会への疑問である。インターネットや書物の情報を見る限り、私はどうしてもこの疑問を払拭することができない。

 

補足:プラグマティズム前期の歴史

 

プラグマティズム前期の歴史は、1870年代のマサチューセッツ州・ケンブリッジで2週間ごとに開かれた学生たちの集まりから出発します。

 

この時代は、一つの国が二つに分かれ、60万人以上の人間が死んだ南北戦争が終わり、科学が急速に発達し、ダーウィンの進化論が発表され、「進化論を信じつつ、しかもキリスト教徒足り得るか」が重大な問題となった時期です。

 

また、デカルトに始まり主観・客観の2項対立図式を前提としたヨーロッパ大陸の観念論哲学が意識に確実な知識の基礎を求めるときに生じる「外界存在」や「他我認識のアポリアに対する哲学上の問題の解決」が求められる時代でもありました。

 

そのような時代に皮肉の意味もこめて「形而上学クラブ」と名付けられたこの集まりは、チャールズ・サンダース・パースウィリアム・ジェームズのほか、ジョーゼフ・ウォーナー、ニコラス・セイント・ジョン・グリーン、チョーンシー・ライト、オリバー・ウェンデル・ホームズ・ジュニアの6人程度で構成されていました。

 

プラグマティズムの思想家たち、パース (左上)、ジェームズ (右上)、ジョン・デューイ(左下)、ジョージ・ハーバート・ミード (右下)

 

彼らは、「進化論哲学」を「宗教」と結びつけたジョン・フィスク、ユニテリアンの牧師で、イエスをただ一人の救世主として認めず「客観的相対主義」を唱えたフランシス・エリングウッド・アボットなどの影響を受けています。

 

特にアレグザンダー・ベインズの「信念とは、ある人が、それにのっとって行動する用意のある考えである」という定義を引用して、哲学の議論から無用な意見を整理する基準をもうけたグリーンは、パースによって「プラグマティズムの祖父」と呼ばれています。(参照