巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

「ヘブル人への手紙の著者は女性であった可能性が非常に高い」という意見はどうでしょうか?

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Wayne Grudem, Evangelical Feminism and Biblical Truth, chapter 7より翻訳

 

対等主義側の見解:ヘブル人への手紙の著者は女性であった可能性が非常に高いのです。

 

この議論は、ギルバート・ビレズィキアンによって展開されています。ビレズィキアンはこう言っています。

 

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「プリスキラが何人かの教会指導者からの委託を受け、〔ヘブル書の中で〕二契約の相互関係について言及したという事は非常にあり得ます、、その当時のユダヤ・キリスト教教会環境に存在していたアンチ女性的な偏見ゆえに、彼女は匿名で〔ヘブル書を〕執筆するよう指図されていたのかもしれません。」(Bilezikian, Beyond Sex Roles, 302)

 

回答1.男性としてのヘブル書記者のアイデンティティーは、ヘブル11:32に明示されています。

 

ヘブル11:32において、記者はこう書いています。

 

「これ以上、何を言いましょうか。もし、ギデオン、バラク、サムソン、エフタ、またダビデ、サムエル、預言者たちについても話すならば、時が足りないでしょう。」

 

英語訳:"And what more shall I say? For time would fail me to tell of Gideon, Barak, Samson, Jephthah, of David and Samuel and the prophets."

 

ギリシャ語:"Καὶ τί ἔτι λέγω; ἐπιλείψει με γὰρ διηγούμενον ὁ χρόνος περὶ Γεδεών, Βαράκ, Σαμψών, Ἰεφθάε, Δαυείδ τε καὶ Σαμουὴλ καὶ τῶν προφητῶν."

 

英語では〔それから日本語文でも〕、この節からは、記者についての事はあまり表示されていないように見えます。

 

しかしギリシャ語では、「話す」という語は、「私に*」を修飾する分詞ディエーグーメノン〔diegoumenon; διηγούμενον〕であり、この分詞は男性形です。

 

(ちなみに女性形の場合は、ディエーグーメネン〔diegoumenen;διηγούμενεν〕という表記になります。)

 

ですから、ヘブル書の記者は自分のことを男性だと表しているわけです。

 

*訳者注:「私に」の箇所ですが、塚本訳は、「私に」のμε(英:me)をしっかり訳出しています。11:32 なおわたしは何を言おうか。ギデオン、バラク、サムソン、エフタ(等の士師)、ダビデ(王)とサムエルと(多くの)預言者たちとについて話すには、わたしに時が足りない。)

 

しかしある人々はこの事実に対し次のように言うかもしれません。「でも、そうすることにより、記者は自分が女性であることを人々に悟られまいとしていたのであり、その意味で、これは見せかけの一部なのです。」

 

しかしこういった主張の抱える問題は、そうなると、ヘブル書の記者は不正直な人であったということになります。つまり、この記者は、全てのギリシャ語読者に自分のことを男性だと思わせるべく、その事をあえて意図していた、ということになるのです。

 

しかし実際はそのような事はありません。これは明白な不正行為であり、そのような行為は聖書の記者としてふさわしくありません。