巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

「イマージング・チャーチ・ムーブメントとは何ですか。そしてどのようにしたら私たちはその動きを識別することができるのでしょうか。」(by ジョン・マッカーサー&フィル・ジョンソン)【その2】

その1】からのつづきです。

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Seeker Sensitive Churches(「求道者にやさしい」教会)

 

フィル・ジョンソン:教会史をみても、こういった「文化を聖別しよう」という発想は、各世代に存在していたように思われます。

 

つまり、教会の中の一角に、「この世の人々にリーチするために私たちに今是非とも必要とされていることは、自分たちの考え方や言葉等すべてを、この世の文化で起こっていることに適応させることだ」と考える人々が存在していたということです。現在みられる現象も、そういったものの表れではないかと思うのですが、どうでしょうか。

 

ジョン・マッカーサー:そうだと思います。それにしても、なぜ私たちは、二つの相反する支配的世界観が存在するという事実を見失いつつあるのでしょうか。一つはサタンに属するもの、そしてもう一つは神に属する世界観です。そして両者は完全に互いに相反しており、この二者間を結ぶような迎合・順応(accommodation)の可能性はまったく存在しません。

 

そして、それが聖書の基礎をなしています。そして、「キリスト教は自らを現代文化のモデルに適合させるべく再創作されなければならない」という発想自体が、1)その基礎レベルにおいて明らかに間違っており、2)実際にそれを実行する能力においてほぼ絶望的です。というのも、文化というのはものすごい勢いで動いていくものだからです。

 

それでは彼らのいう「文化」とはどの文化のことを指しているのでしょうか。それは、ポストモダン文化のことです。そしてそこに関わってくるのが主として若者たちです。そうなると、「X世代以上の古い世代は脇に退いてもらおう、解雇しよう」ということになります。年とった人たちは若い世代と全くconnectできないからと。

 

こうして今や神の国は、20代以下の特定層を対象に、この種のトレンドでのみ露呈するようになります。しかしながら、次の5年の内にやって来るさらなる新世代の若者たちは、これまた全く異なる文化の人たちです。ですから私たちの企画してきたことは早くも陳腐化してしまいます。

 

クリスタル・カテドラル教会のロバート・シューラーは教会成長のための真の戦略を発見しました。「人々の欲するものを、施してあげよう」と。それでシューラーは、人々を調査し、彼らの欲しがっているものを与えたのです。

 

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Crystal Cathedral, CA

 

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ロバート・シューラー牧師著『この方法でみんなお金持ちになった、人生の成功者となった!』

 

しかし数十年経った今、それらを見ると、もはや時代遅れ、、、まるで恐竜時代のようになっており、そこに若者は誰もいません。

 

ジョンソン:確かにそうですね。

 

マッカーサー:つまり、もはやシューラーのメソッドでは、18歳の子の気を引くことは全くできないわけです。あるいはウィロークリークのモデルに倣いますか?彼らは彼らで隙間市場(=従来の製品・サービスでは満たされなかった潜在需要に対応する、市場の小さな、しかし収益可能性の高い一分野)をもっていました。そして彼らは一世代をまるごと移動させようと努力しましたが、結局、それらすべてを断念するに至ったと彼ら自身、告白しています。

 

あれだけの年月をかけて成し遂げようとしてきた全企画を断念したのです。なぜなら、彼らは自らの隙間市場の中にがっしり規定されていたからです。こうしてこういった企画も今や陳腐なものとなりました。

 

今でも覚えていますが、オクラホマ州のタルサにいた時、私はオーラル・ロバーツ大のキャンパスをじっと見ていました。彼らはその当時、それをできる限りモダンなもの、最新型のものにしようとしていました。

 

ジョンソン:ええ。

 

マッカーサー:しかし今や、それも古いスターウォーズ映画の宇宙船用の駐車場か何かのようにしか見えなくなってしまっています。非常に異様です。流行の最先端を行こう、モダンであろうという努力とは裏腹に、彼らは完全に時代遅れになってしまいました。

 

ジョンソン:流行遅れ、ですね。

 

マッカーサー:ええ。そしてこのイマージング・チャーチ運動においても同じ事が繰り返されるでしょう。少しの期間、この運動は教会を破損させようとしますが、次の世代の求めるニーズは今のそれとは全く違うものとなりますから、これもまた時代遅れ的なものになっていくでしょう。唯一、時代遅れでないものは、神の御言葉です。そして常に今日性を帯び、常に貫き、常に人々に感銘を与え続けるのは、神の真理です。

 

Seeker-sensitiveとイマージング

 

ジョンソン:ええ、実は私も、ここ20年余りの教会の状況を調べていて、そういった波があることに気づきました。例えば、少し前の波は、ウィロークリーク教会型のいわゆる"seeker-sensitive"(「求道者にやさしい」教会)でしたね。イマージング・チャーチ・ムーブメントに関するあなたの批評は、こういった"seeker-sensitive"型の教会に対する批評にも相通じるものがあるように思うのですが、どうでしょうか。この二つの運動はどういう点で似通っていて、どういう点で異なっているのでしょうか。

 

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Seeker Sensitive Church

 

マッカーサー:基本的に両者とも同じ哲学です。鍵は、「人々が欲しがっている物を与えよ」です。それで、文化によって人々の趣向も方向づけられているわけですが、その流れの中で、人々の趣向が変わると、当然あなたもそれと一緒に変っていく、というわけです。

 

例えば、ウィロークリークの開拓期には、彼らは「同性愛はOK」とは言わなかったでしょう。なぜなら、その当初、大きな論争点は同性愛ではなく、フェミニズムだったからです。ですから、まず彼らはフェミニズムを受け入れました。

 

ジョンソン:なるほど。

 

マッカーサー:それで彼らはフェミニズムを教会に取り込み、彼は自分の妻に説教をさせ、そしてギルバート・ビレズィキアンを〔長老に〕抜擢しました。(*ビレズィキアン→代表的な福音主義フェミニスト神学者。)当時、最もホットな議題がフェミニズムだったので、彼らはそこで時代の先端を行こうとしました。時代の先端をいく――、つまり、フェミニズム受容です。そしてその次の波は同性愛です。

 

そういう流れで、今、ブライアン・マクラーレン(Brian McClaren;代表的なイマージングの指導者)たちがいて、次のように言っているわけです。「ええ、うちの教会には同性愛の人々がいますよ。でも教会の中には、チョコレートを好きな人がいたり、肥満気味の教会員がいたりもしますよね。そういうことです。」彼らにはそういったものの間にある相違が分からないのです。ですから、世俗文化の中で目下、寛容が示されなければならない罪を――それがどんなものであれ――彼らは受け入れます。

 

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つまりそれは、文化的迎合の次なる波に過ぎないわけであって、今トレンディーとされている罪や、トレンディーな思想を受け入れるべくそれに合わせてキリスト教を再定義していきます。でもどのみちそれは同じ事です。どちらの運動であっても、それは社会に自らを適合させるべく神の御言葉から離脱していきます。

 

そして、この二つの運動の中間に、リック・ウォーレン氏がいるでしょう。彼は成功、そして人生において人々がいるべき場所に彼らを導き、気持ちよくさせ、そして人生に目的を持つこと、、等を説いていますが、非常に人間中心的な教えをしています。

 

ROCKHARBOR Dance @ Saddleback Church: Shackles


 

しかしいずれにしても、トレンドはいつも、「何を人々が欲しがっているのか、それを探し当てよう!彼らを熱中させるホット・スポットを探し当てよう!」という一事を巡って行われています。そして彼らは聖書の教えにおいていつも弱く、聖書を脇に追いやる傾向にあります。

 

必ずしもあからさまに聖書を否定するわけではありませんが、ウィロークリークでは人々の気持ちに訴える何かがあるとそちらの方を優先させるべく〔その部分における〕御言葉を脇にうちやる傾向があり、サドルバックもその路線であり、そしてポストモダンのイマージング・チャーチも同様のことをしています。

 

彼らは聖句をいたるところに投げ散らかしています。最近、ロブ・ベル(*著名なイマージング運動指導者)の書いた記事を読みましたが、その中で彼は「自分の教えには聖句がいたるところに振りかけてある」と述べていました。しかしそれはどういう意味でしょう。「自分は聖書の意味するところを解し得ない」と告白しながら同時に聖句をまき散らすというのは?そこにはある種の欺きがあると私はみています。

 

その3に続きます。

 

【参考になるビデオ】:Church of Tares: Purpose Driven, Seeker Sensitive, Church Growth & New World Order


追加資料

vimeo.com

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