巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

「エバと同じように、当時エペソの女性も十分な教育を受けていませんでした。しかし今日の女性には男性と同等の教育があります。ですから、1テモテ2:11-15は今日の教会に一般化して適用されるべきではないのです」という主張はどうでしょうか。

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大学の授業風景。引用元

 

Wayne Grudem, Evangelical Feminism and Biblical Truth, chapter 8

 

対等主義者側の主張

1テモテ2:14から分かるのは、当時のエペソの女性たちと同様、エバもアダムより教育がなかったということです。しかし今日の女性は、男性と同等の教育があります。ですから、1テモテ2:11-15は今日の私たちには適用されないのです。

 

ギルバート・ビレジキアンは次のように言っています。

 

「堕落におけるあの運命を決定するようなストーリーの中で、誤った行動をまず先に起こし、自ら誤謬に陥ってしまったのは、『(アダムよりも)情報に通じていなかった(the lesser informed)』エバの方でした。エバは最初に、もしくは〔アダムと〕同時に創造されたわけではありませんでした。彼女はその舞台に遅れてやって来た人でした。そして二人の内、エバの方は、〔禁断の〕木に関する神の禁令を聞くという直接的な経験をしていなかったのです。

 

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 彼女はアダムが来るまで事を起こすべきではなかったのです。というのも、アダムはその掟を神から直接受け取っており、それに関する扱いに対し、より良く準備ができていたからです。彼女の失敗は、まだその準備ができていない段階で、権威を行使するような機能を果たそうとしたことにありました。

 この聖句〔1テモテ2章〕におけるパウロの教えには絶対的かつ普遍的妥当性があります。適性のない人たちが、教えるミニストリ―や権威を行使するような機能に携わることのないよう、献身的にそれらの働きを守るという原則は、恒常的かつすべての教会に当てはまるものです。

 キリスト教共同体は、常に、適切な訓練を受けた人々だけにリーダーシップの権限を与えるよう、注意し続ける必要があります。こういったパウロの原則に従えば、男女ともに、成熟し〔指導者としての〕能力があることが示されるまで、リーダーシップの立場に任命されるべきではないということになります。」

(Bilezikian, Beyond Sex Roles (1985), 180-81. それから、Jacobs, Women of Destiny, 230; Brown, Women Ministers (1996), 297-98; Perriman, Speaking of Women, 165-8; Nathan, Who Is My Enemy, 150, 153も参照)

 

クレッグ・キーナー(Craig Keener)も、1テモテ2章で、女性が教えることをパウロが禁じた最も有力な理由は、彼女たちに十分な教育がなかったからだと述べ、次のように言っています。

 

「第三番目の可能性として〔そして最も有力な理由として挙げられるのは〕、パウロは、『エバが後で造られた』ということと『なぜエバが騙されたのか』ということを関連させようとしていることにあります。神が禁令を出された時、エバはその場におらず、それゆえ、教えという部分でアダムに依存せざるを得ませんでした。換言すると、彼女は十分な教育を受けていなかったのです――ちょうど、エペソの教会の女性たちが十分な教育を受けていなかったのと同じように。」Keener, Paul, Women and Wives, 116 *

 

*1コリント14:34-35を説明する中で〕シンディー・ジェイコブズも同様のことを言い、次のように書いています。「また、当時、大半の女性は読み書きができず、教育を受ける恵みに与ることができずにいたのです」(Jacobs, Women of Destiny, 230). J・リー・グラディーもそれに賛同し、次のように主張しています。「エペソの女性たちは、より指導を必要としていたのです。当時のこの文化圏にいた女性たちは、あらゆる教育の機会を拒まれていました。上流階級のローマ人女性の一部を除けば、当時の中東および小アジア地域の女性たちは、家に隔離され、書物や学びの機会をはく奪されていました。」(Grady, Twenty-Five Tough Questions, 141))

 

回答1.

AD1世紀、多くの男女には基本的な読み書きのスキルがあり、また、それ以上の教育を受けていた男女というのは極めて少数でした。

 

古代エペソの専門家であるスティーブン・バウ(Steven Baugh)は、「ギリシャ・ローマ時代、今日で言うところの『小卒程度の教育レベル』以上の、公教育を受けていた人々はきわめて稀でした。」と述べています。(S.M. Baugh, "A Foreign World: Ephesus in the First Century," in Kostenberger, Women in the Church, 46. H.I. Marrou, Education in Antiquity, trans. George Lamb, New York: Sheed and Ward, 1956) しかし、古代世界において、女性たちの多くが基本的な読み書きのスキルを持っていたという証拠がかなり挙がっています。バウは続けて次のように述べています。

 

「古代世界における女性の教育というのは通常、私的なセッティングで行なわれていましたので、私たちはその様子を所々瞥見できるにすぎません。女性の識字率についてですが、上流階級の子女たちは、大所帯のやりくりという責務のため、ある程度の教育が必要とされていました。哲学等の分野においては通常、彼女たちは見い出されないものの、この時期、彼女たちも確かに文学や詩を読んだり書いたりしていました(S.M. Baugh, "A Foreign World: Ephesus in the First Century," in Kostenberger, Women in the Church, 46)

 

実際、―詩や祈りを含めた―女性による書き物のいくつかがエペソで発見されたとバウは言及しています。(同,47. 註140. その他の資料からの追加証拠についてはp46, 註p136, 138-39をご参照ください。)

 

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〔翻訳の途中ですが、ここでひとことシェアリング♡〕

1世紀のエペソで女性たちの書いた詩や祈りが見つかったということを聞いて、かなりウキウキしてきました。私もバウさんの後ろにくっついて、そういったエペソ碑文なんかをルンルンとふきんがけしたり、発見された詩や祈りや文書を読んだりしながら、日がな過ごせたら、さぞかし楽しいだろうなあと、夢心地になりました。