日本のあるクリスチャン・サイトに次のような悩み相談が寄せられていました。
「私が通っている教会の牧師は女性です。 テモテ2:12に、女性が教えたりすることは許さない、と書いてありました。どう解釈すればいいのでしょうか? 牧師先生ご本人にはとても聞きづらいのです。」
それに対し、ある方が、女性牧師を是認する立場から、次のような回答を冒頭の質問者に出しておられました。
この回答者の方の主張(もしくはそれに類似した主張)は、多くの福音主義フェミニスト文献の中で、「女性牧師是認の論拠」として用いられています。少し長いですが、参考資料として、全文引用させていただきます。
〔以下引用文〕
J. Lee Grady, 10 Lies The Church Tells Women (「教会が女性たちに語る10のウソ」), Charisma House, p65より翻訳
(ブログ管理人註:ジェンダー・フェミニズムに関する J. Lee Grady氏の霊的・神学的立ち位置に関しては、次の記事をご参照ください。 対等主義の教会 検証シリーズ③:体験指向の対等主義者(Experience-Oriented Egalitarians) | 地の果てまで福音を)
奇怪なグノーシス的異端が、当時、その地域(訳注:エペソ)に蔓延していたことが聖書学者らによって報告されています。これらの偽の教えが、まだ誕生して間もないその地域の諸教会に脅威をもたらしていたのです。そこで、パウロはテモテに宛てた手紙の中で、偽の教えに如何にして対抗するかについて、多くのことを述べました。実際パウロは、女性たちが危険な教義を広めていた事実を述べています(1テモテ4:7、5:13)。
訳注:1テモテ4:7について。新改訳聖書では、「愚にもつかぬ空想話」と訳されている箇所は、欽定訳聖書では、「old wive's fables」/「年をとった妻たちの空想話」とされています。原典のほうでも、「年をとった女性の」という意味の単語が「空想話」の前についています。
パウロは、テモテへの手紙を執筆した理由について、こう書いています。「私がマケドニヤに出発するとき、あなたにお願いしたように、あなたは、エペソにずっととどまっていて、≪ある人たち≫が違った教えを説いたり、果てしのない空想話と系図とに心を奪われたりしないように命じてください」(1テモテ1:3~4)。
≪ある人たち≫と訳されている部分には、ギリシャ語の不定代名詞であるティシが使われています。不定代名詞というものには、性別がありません。ですからパウロは、「≪ある人々≫が違った教えを・・・」と言っているのです。1テモテの後半に入ると、違った教えや空想話をしていた人々の中に女性たちが含まれていたことが明らかになります。1テモテへの手紙全体が、女性たちによって行われていた非聖書的な教えを矯正することを中心的な目的として書かれていたのです。
著書「I Suffer Not A Woman」の中で、リチャードとキャサリン・クローガーは、ギリシャの多産女神であるダイアナの女性司祭が含まれるカルト的な礼拝行為が、当時の教会に浸透していたと述べています。
(ブログ管理人註:著者のキャサリン・クローガー女史は、ゴードン・コンウェル神学校の教授をされており、福音主義フェミニズムの立場から、多くの影響力ある論文を書いておられます。詳しくは、対等主義の教会 検証シリーズ⑤:どちらの立場を採るべきか決めかねている、あるいは決断を差し控えているグループ | 地の果てまで福音をの記事をご参照ください。)
その女性司祭たちは、性行為や霊性に関して、冒涜的な概念を広めていました。時には、儀式の中で男性を呪うような言葉を発することすらありました。それは男性を低め、女性の優越性を主張するためでした。この教えが、エペソ教会の女性たちの一部に、不健全な態度をとらせる原因になったことは確かです。
J. Lee Grady, 10 Lies The Church Tells Women, Charisma House,P65より翻訳
本の著者は、上記のような歴史的背景があったことが1テモテ2:12が書かれた理由であって、同聖句の内容を、こんにちの教会に一般化して適用すべきではないという趣旨を述べています。」
〔以上、引用おわり。傍線、強調はブログ管理人によります。〕
次に続きます。