巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

このブログを開くに至ったいきさつ(証し)

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みなさん、こんにちは。まず、このブログを開くに至ったいきさつについてお話させてください。私は福音信仰に立つプロテスタント教会に通う30代の女性で、2014年より「地の果てまで福音を」というブログを書いています。

 

内容としては信仰詩や祈りの翻訳、世界宣教のことなどそれなりに多岐にわたっていたのですが、中でも特徴的だったのが、福音主義フェミニズム(Evangelical Feminism)に関する一連の記事だったと思います。

 

欧米諸国と違い、日本においては、この問題をネット上で体系的に取り扱っている男性(牧師、教師、神学者)の方々が非常に少なかったという特殊な事情の下、二年前より、女性ブロガーである私も、訳語造りから始まり、日本語による諸概念の説明、フェミニスト神学の動きなど、自分のできる限り、自ブログで取り扱ってきました。それゆえに、どうしてもこの分野では深く神学および教義の面に踏み込まざるを得ませんでした。

 

つまり、(実際の講壇ではなくネット上であるとは言え)下手をすると、自分自身、御言葉に反し、「聖書教師」のような立場に自らの身を置いてしまっているのではないかしら、もしそうだったら、私ほどのひどい自己矛盾者はいないのではないかと、内心、憂いおののき、こうしてこの事は、長らく私の心の葛藤の種として自分の内にくすぶっていました。

 

主は私のこの行為をどう思っていらっしゃるのだろう。「女が男を教えたりすることを、、許さない」(1テモテ2:12)というみことばは、基本的に教会での集まりにおける文脈で解釈するべきなのでしょうが、私は女性として自分のおるべき領域を越えてしまった感を拭いきれず、どんなに心をなだめようとしても、良心の疼きは消えませんでした。

 

そうかといって、今度は、自分が反対の極に走り、度を過ぎた保守の殻に閉じこもってしまうことで、愛する姉妹のみなさんに負の影響を与えたり、つまずかせるようなことがあってはならないとの責任感もあり、そこらへんの摩擦がものすごくあり、内的葛藤が続きました。

 

ちょうどそんな折、北米に住む敬虔な神のしもべであり、教会の長老を務めておられるある兄弟との書簡でのやり取りを通し、その方が私のブログのあり方を「神の創造の秩序におけるheadshipの枠を越えてしまっているのではないか」とお考えになっていることを知ったのです。

 

この問題に真摯に取り組み、私に憤慨されることを覚悟でご自分の信じておられることを率直にストレートに言ってくださった長老の言葉は、私の魂を震撼させました。他の領域でももちろん、自分が修正しなければいけない点はいろいろあると思いますが、自分にとっての今回の打撃は、神さまのお定めになったdivine headship orderそのものに対し、もしかしたら、もしかしたら、私は越えてはいけない神聖なラインを越え、越境行為をしているのかもしれない、もし、そうだったらどうしよう、というおののきであり、恐れでした。

 

私は、文字通り、主なる神と、みことばの前におののき(tremble)、その後、何も手つかず、放心したようになり、昼も夜も、みこころを求め祈り続けました。

 

使命とグレーゾーンの狭間で

 

福音主義フェミニズムという、人本主義イデオロギーに対して信仰の闘いをするよう、主は私の心に重荷を置かれました。しかし、いや、そうだから尚更なのでしょうが、主は、その分野における私の中の「グレーゾーン」に対しても隅々に至るまで光を当てようとされていました。

 

主は矛盾のないお方であられます。ですから矛盾がなく一貫性と調和に満ちた主イエスの麗しさ、そして美しさが、神の民の内でわずかにでも映し出されんとするなら、その時、主は、その人たちの中に潜むありとあらゆる自己矛盾の闇に真理の光を当て、そこに霊のメスを入れざるを得ないのだと思います。

 

真理は人を自由にし、癒しますが、同時に、それは峻厳さと決断をも人に迫り、人を砕く「金槌(かなづち)」(エレミヤ23:29)でもあります。そういった真理の前に、あらゆる人間的弁解・言い訳は泡のように消え去ってしまいます。

 

「あなたの御言葉の基準に照らし合わせた時に、私にとっての『ホワイト・ゾーン』とはどこに当たるのでしょうか。それを教えてください。」混沌とした中で私は道を求め必死に祈りました。

 

カテゴリーをできるだけ明確化する試み

 

その中で自分が試みたのが、これまで自分が書いた記事の内容を総点検しつつ、どこが「成人男性に聖書を教える行為」に近いグレーゾーンで、どこがホワイト・ゾーンなのかを分類していく作業でした。

 

1)グレーゾーンだと判断した内容

福音主義フェミニズム関連の反証記事。その他、終末論、カルヴィニズム五教理に関連する記事など。

2)ホワイトゾーンだと判断した内容

信仰詩や祈りの翻訳、自分でつづったエッセーやポエム、宣教師の伝記、救いの証、祈りのベールの証、歴史小説や真理のための弁証論文の翻訳など。

 

反省と修正、そして改革

 

そうした自省の結果、私は次のような改革を自分に施すことにしました。

 

ーグレーゾーンに属すると思われる内容は、今後は、自分で執筆するのではなく、男性聖書教師の記事や論文を翻訳することにする。(*しかし繰り返し強調しますが、私は女性がこのような内容をブログや本に書くことが罪だと言っているわけではまったくありません。おお、そうではないのです!どうかこの部分を分かってください。この方針変更の試みは、あくまで私という一女性が、主との関係の中で、どのようにすればもっと透明感と一貫性をもってご自身の福音メッセージを証してゆくことができるのかを考え、模索する試行錯誤のプロセスだと理解してくださればさいわいです。ありがとうございます。)

 

新ブログについて

私としては、このラインを尊守することにより、(女性は成人男性に聖書を教えてはいけないという)「みことばの掟」および神さまのお定めになった創造の秩序における「Headshipの枠内」に確実にとどまりつつ、尚且つ、主より与えられた使命を果たしてゆくことができるのではないか―、そう思ったのです。

 

創造の秩序の中での女性として

 

そして、最初は、試験的に、一人黙々と、翻訳記事をPCに入力していったのですが、主は私の心に平安を与えてくださいました。これまで自分の内にくすぶっていた良心の疼きや呵責から解放され、心が軽くなった感じがしました。

 

また、headshipの観点でみた時に、家庭や教会だけでなく、インターネット上においても、自分が「メイン」ではなく、もう少し「サブ(=sub、補助)」としての位置にいることができることに、なんだかとってもほっとする思いがしました。他のベールの姉妹たち(=headcovering sisters、1コリント11章)と同様、私も、ひっそりと谷間に咲く一輪の野花のようでありたい―、そんな願いを持っています。

 

これは実際、国籍、年齢、人種、時代を超え、被り物の姉妹たちの間に脈々と流れている共通したスピリットであり、「祈りのベール」という聖書のシンボルが、―聖餐のパンや葡萄酒などのシンボルと同様―、それを信仰によって受け入れ遵守する者のうちに、普遍的にして深遠なる内的変化をもたらすものであることを、この世界に証するものではないかと思います。

 

ブログを一つの「家」に例えるなら、今、私は自分が「表玄関」や「客間」ではなく、一歩「奥まった部屋」にいると感じています。以前と同様、キリストの兵士として信仰の闘いをしていることには変わりがないのですが、今やポジション的にもはっきりした形で男性教師の方々が前の方に立ってくださっており、私は霊的にも精神的にも自分が守られていると感じています。この「守られている」というsecurity感は、女性にとって、とても大切なものだと思います。

 

創造のはじめに、最初の女性であるエバが男性であるアダムの「助け手」として造られたという深遠な事実――女性という存在の根源的な目的――その神秘的にして永遠なる主の創造のご計画および御心の「中に」いることを人が知るとき、これまで閉ざされていた御言葉の「戸」が開かれ、こうして人はこれまで知らなかったなにかを見るのだと思います。

 

「詩篇119:130

みことばの戸が開くと、光が差し込み、

わきまえのない者に悟りを与えます。」

 

それでは私は(生き方や方向性、方針をも含めた)聖書的女性像をことごとく「見い出した」のでしょうか。いいえ、とんでもありません。矛盾やグレーゾーンはもうないのでしょうか。いいえ、今の今にいたるまで、私の人生の歩み、信仰の歩みは、失敗と試行錯誤の連続です。そして、きっとこれからも私はこの領域で主に聞き、教えられつつ、光の中で一つ一つ修正され、回復の道を歩んでゆくのだと思います。果てしのない探求の旅をつづける一巡礼者として。。。

 

 

♪ おお、帰るべき地上の家をもたない 孤独な渡り鳥たちよ。

共に 天国への巡礼の旅をつづけよう。

 

うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かい、

そうして、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、一心に走ろう!

 

仲間たちよ、揺らがないもの、真実なもの、聖いもの、

そして永遠なるものを追い求めていこう。

 

いっさいの虚偽を後ろに投げやり、どこまでも真実であり続けよう。

そして光の中を生きよう。

 

天国は近く、裁きと解放の日も近い。試練と苦しみの日々もあともう少し。だから友よ、落胆せず、今日もまたこの旅路を歩んでいこう。―永遠のシオンを目指して。」