Our little systems have their day;
They have their day and cease to be:
They are but broken lights of thee,
And thou, O Lord, art more than they.
私たちのささやかな哲理が、時としてもて囃(はや)されます。
確かに、もて囃されはしますが、たちまち消えてゆきます。
こういった哲理は、汝から洩れてくる木漏れ日なのです。
光の源である汝とは到底比べものにはならないのです。
私たちはただ信じるだけで、汝を知ることはできません。
人間の知識は、見えるものについての知識なのですから。
それでも、知識が汝からの賜物であり、暗黒の中の光であることは
確かなのです。この知識を大いならしめてください。
そうです。この知識をいやましに大いならしめるとともに、
それにもまして、畏敬の念を大いならしめてください。
やがて、私たちの心と魂が、知識と信仰が調和し、
昔のように一つの調べを奏することができますように。
否、昔よりもっと大いなる調べを奏することができますように。
私たち哀れな愚者は、畏れることを忘れ、汝を嘲るのです。
主よ、愚かなる私たちを助け、心驕れるこの世界を助け、
汝の光に浴することを得さしめ給え―光なる主よ!
Alfred Tennyson (1809-92), Prologue to In Memoriam
テニソンのこの深い詩は、讃美歌にもなりました。(第275番「つよき神の子」)
3 知識はうつり すたりゆけど、
ただ信仰こそ とこしえなれ、
ひとの知識は 君のひかり
ほのかに映す ひらめきのみ。
4 知識の増すに いやまさりて
うやまう心 深まりゆき、
こころと魂(たま)と ひとつに合う
たえなる調べ かなでよかし。