巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

2018-09-01から1ヶ月間の記事一覧

遺物、聖人、そしてマリアの被昇天について(by デイビッド・アンダーズ)

“The Assumption of the Most Holy Mother of God”(Pietro Cavallini作) 目次 遺物、聖人、マリア崇敬に対するマイナス感情 最初のパンチ 一筋縄ではいかない 聖人や遺物は実は聖書的だということに気づく なぜユダヤ人たちはこのような事を信じ実践してい…

エフェソス公会議(431)及びカルケドン公会議(451)について(by ブライアン・クロス、マウント・マースィー大学)

431年に開催されたエフェソス公会議(出典) 目次 全地公会議に対するプロテスタントとカトリックそれぞれの捉え方 エフェソス公会議 告白者マクシモス

「神の母」(=セオトコス)という聖母マリアの称号に関する考古学的発見と、個人的苦悩の告白

目次 「神の母」と私の苦悩 【補足資料】 「スブ・トゥウム」を記した最古の資料 参考文献

私が目ざめるときーーハリエット・B・ストウの信仰詩

私が目ざめるとき、私はなおも、あなたとともにいます。詩篇139:18bWhen I awake, I am still with Thee. 赤紫色に染まりし暁の空。 小鳥たちが目を覚まし 暗闇が消え去るとき なおも私は、あなたと共にいます。

カルヴァンやツヴィングリやウェスレーは聖母マリアのことをどのように考えていたのだろう?

目次 ジャン・カルヴァン フルドリッヒ・ツヴィングリ トマス・クランマー ハインリヒ・ブリンガー ジョン・ウェスレー 参考資料

マルティン・ルターは聖母マリアのことをどのように考えていたのだろう?

「それゆえに、人々は彼女を神の母と呼ぶことにより、彼女の全栄光をこの一語に一括している。何人も彼女の偉大さについて、また彼女に対し、たとい海の砂、天の星、木や草ほどの多くの舌をもっていたとしてもーー、これより以上に言うことはできない。神の…

アレッポの聖所より流れ出る天の讃歌

出典 シリア東北部アレッポにある修道院より

「主よ、あなたをたたえます。あなたの掟を教えてください。」ーー現代英語で歌われる、深く美しいビザンティン詠唱の世界

Fr. Apostolos Hill’s recording “Hymns of Paradise: Hymns of Life and Hope

「ヘブル的視点」の兄弟と「非ヘブル的視点」の兄弟の永遠の和解と再会の場所ーーユーカリストのヘブル的ルーツについて(by ブラント・ピーター、カトリック教会)

全能なる神が、伝統的キリスト教会の中にすでに「恒久的に」ヘブル的ルーツを植えてくださっているため、「回復」のための新運動自体がそもそも必要ないという事実は、私たちキリスト者にとって喜びと慰めに満ちた知らせではないでしょうか。こうして私たち…

第二正典は「聖書」のうちに入るの?(by デヴィン・ローズ)【プロテスタントのジレンマ】

トビト記(出典) 目次 第二正典は「聖書」のうちに入るの? もしもプロテスタンティズムが正しいのだとしたら・・・ プロテスタントは第二正典を拒絶した カトリシズムは真であるゆえに・・・ プロテスタントのジレンマ 正教会の見解

マルティン・ルターと新約正典(by デヴィン・ローズ)【プロテスタントのジレンマ】

目次 もしもプロテスタンティズムが正しいのだとしたら、その時・・ まな板の上の4巻 カトリシズムは真であるゆえに・・・ プロテスタントのジレンマ

なぜ福音主義キリスト教はかくまで力強く人々の心に届くのだろうか?

「福音主義が間違っているのなら、なぜ福音主義者やペンテコステ主義者たちの宣教や愛の奉仕によって、実際的な実が世界中で結ばれているのだろう?」みなさんは、そう思われたことありますか?

「恩寵と自由意志」という問題におけるトマス・アクィナスの立場について

トマス・アクィナス(1225-1274) 山本芳久著『トマス・アクィナスーー理性と神秘』(岩波書店)より一部抜粋(強調はブログ管理人によります。) 目次 「宗教改革」という補助線 ペラギウスの立場 トマスの立場ーー恩寵と自由意志との協働 トマス…

改宗の過程に伴う困難さについて(by パトリック・マドリード)

出典 「ある意味において改宗とは殉教の一形態である。それには、ーー肉体、精神、知性、キリストへの信仰という自己の明け渡しが伴う。またそれは従順性および、真理へと導かれていくことに対する自発性をあなたに要求してくることだろう。実に多くの人にと…

変形された伝統ーーアウグスティヌスのローマ書解釈について(by デイビッド・ベントリー・ハート)

聖アウグスティヌス(354-430)

いかにして聖書を読めばよいのだろうか。(by エイダン・キメル)

Fr. Aidan Kimel.

家に戻りたい。

出典 3日前に、近所のバングラデシュ人の奥さんのお産があり、病院に付き添いで行っていました。ギリシャでは一般に、経済的に余裕のある人は、サービスの行き届いた私立のクリニックで、そして(私の友人のように)そうでない人々は公立病院で子どもを産み…

ある修道士との対話から学んだこと

ΙΕΡΑ ΜΟΝΗ ΤΙΜΙΟΥ ΠΡΟΔΡΟΜΟΥ ΣΤΕΜΝΙΤΣΑΣ - Μοναστήρια της Ελλάδος 先日、ペロポネソス半島の山岳地帯にあるプロドロモス修道院を訪れました。直角にそそり立つ岩壁の中にある古い修道院です。何百メートルもの下には真っ青なルシオス川が轟々と流れており、…

信仰の眼を通して見える世界ーーW・L・スティッドガーの詩

出典 昨晩、私は見た。 上からの甘雨と共に 神が世界を洗われるのを。 そして朝が来ると、 神は乾かそうと それを干された。

「正統性」とは何だろう?

彼らは「何/誰」によって殺されたのだろうか? 出典 John Foxe, Foxe's Book of Martyrs, Chapter 16(抄訳)

私の辿ってきた道ーーデイビッド・アンダーズ師の信仰行程

David Anders 目次 生い立ち 教会 「人を救うのは信仰であり、行ないではない」 大学入学後ふたたび信仰が息をふき返す ホイートン大学にて トリニティー神学校へ 宗教改革史を専門にすることに決意 博士課程スタートーー「信仰のみによる義認」の教理研究に…

米国長老教会(PCA)の同僚牧会者の皆様へーー心からの告別の辞(by ジェイソン・スティールマン)

Jason Stellman, A Heartfelt Farewell to the Presbyterian Church in America, May 31, 2012. パシフィック・ノースウェスト長老会御中 いろいろな意味で、これは今までの自分の人生の中で最も困難を要する書簡です。どうか本書簡がへりくだりと尊厳の精神…

「プロテスタント解釈パラダイム」と「カトリック解釈パラダイム」(by ジェイソン・スティールマン)

Jason Stellman Resigns from the Presbyterian Church in America - Resurrectio et Vita - UriBrito.com Jason Stellman, On Paradigms Protestant and Catholic, 2012(全訳) 最近のカトリック/プロテスタント間のディスカッションにおいて、‟解釈的パ…

礼拝における規制原理(Regulative Principle of Worship)に対する自見解の見直しと振り返り

家庭礼拝での詩篇歌唱(出典) ブライアン・クロス氏と、ジェイソン・スティールマン氏の対談のPodcast(mp3)を聴きました。 ジェイソン・スティールマン氏は米国長老教会(PCA)の牧師として、2011年6月、(Federal Visionに関し)同僚のピーター・ラ…

正教徒クリスチャンになるために人は必ず「アンチ西洋的」にならなければならないのでしょうか?(by ベンジャミン・ケイブ、東方正教会)

目次 私たちの失敗 なぜこういったエリート主義的態度が蔓延しているのか? 霊的旅路の三つの段階 定義 正教信仰は教会として自らをどう見ているのか 正教会の同胞信者のみなさまへの提言

わが道ではなく汝の道を行かせてください。ーーホラティウス・ボーナーの祈り

おお主よ、わが道ではなく汝の道を行かせてください。 それがいかに暗いものであっても! ご自身の御手で私を導き、 わがための道程をお選びください。

西に向かおうか東に向かおうか?ーーローマ行きを検討している福音主義者への書簡(by クラーク・カールトン、東方正教会)

あれ、なんで道が二つに分かれてるんだろ?(出典) 目次 増加する福音主義出身の改宗者たち 正教と民族性重視主義(Ethnicism) 皇帝教皇主義(Caesaropapism)

ギリシャの秋の色彩

φθινόπωρο(秋)

私の辿ってきた道ーーフレッド・ノールティー師の信仰行程

ノールティー一家(出典) 目次 生い立ち カベナント大学、そしてウェストミンスター神学校へ 自分の中に在る「非聖書的な諸前提」を根絶したい 快適ゾーンから一歩外へ 教会にとっての最終権威は何(or 誰)なのだろう? 今自分が置かれている条件下では解…

「超教派」という考え方について

出典 目次 二つの「超教派」 「超教派」という思想 〈ダミー教皇制〉を受け入れるか否か 公同主義的側面 別れではなく再会