巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

2017-03-01から1ヶ月間の記事一覧

異教文化を「聖別」?――ゴスぺルフラ現象の背後に潜む新神学および「土着の民の運動(Indigenous People’s Movement)」について【文化と宣教】

Gospel Hula (情報源) 先月、私は、フラダンスを用いたキリスト礼拝のあり方について次のような記事を書きました。 元々女神に捧げられていたハワイの異教ダンスを「聖別し」、「贖い(redeeming)」、伝道や礼拝のために「善用する」というこの新しい宣教…

女性牧師問題とフェミニスト聖書解釈――「軌道解釈(Trajectory Interpretation)」に対する応答(by ウェイン・グルーデム)【後篇】

〔前編〕からの続きです。 Wayne Grudem, Evangelical Feminism and Biblical Truth, chapter 9より翻訳抜粋 回答3.この「軌道解釈」は、旧約聖書とは区別される新約聖書の特異性(uniqueness)について理解し損なっています。 R・T・フランスは次のような…

被造物への愛着心

被造物への愛着心はなんと強力なものでしょうか。それは時に大波のように激しく心を揺さぶり、かき乱し、本来、主だけで占められるべき奥の部屋に抗い得ないような力で押し入ろうとしてきます。

女性牧師問題とフェミニスト聖書解釈――「軌道解釈(Trajectory Interpretation)」に対する応答(by ウェイン・グルーデム)【前篇】

Wayne Grudem, Evangelical Feminism and Biblical Truth, chapter 9より翻訳抜粋 対等主義側の主張:「軌道解釈(Trajectory Interpretation)」 パウロを始めとする新約記者たちは、完全な形での女性リーダーシップに向けての「軌道」を移行中でした。しか…

二種類の謙遜――謙遜と確かさは両立可能(G・K・チェスタトン)

G.K. Chesterton G.K. Chesterton, Orthodoxy [reprint, San Francisco: Ignatius, 1995], 36-37より翻訳抜粋 今日の私たちの災難は、誤った位置に置かれている「謙遜」である。謙虚さは、「熱望」の器官から移動し、今や「確信」の器官の上に落ち着いてしま…

失われつつある聖書の権威――教会の女性化(feminization)と聖書的男性像の喪失〔フランスにて〕

現在、フランスでは、アラブ系の移民子弟だけでなく、一般のフランス人若者たちもまたイスラムの教えに惹き付けられ、ISISに加入していることが社会問題になっています。パリ近郊で滞在した家庭には高校一年生の男の子がいましたが、数週間前、彼の級友のフ…

「聖書的」であることの意味について

「何かが『聖書的である』という時、それは一体どういう意味なのでしょう。私たちは『聖書的』という言葉を、記述的な意味(つまり、「聖書に見いだされるもの」)というよりも、「何を神様が望んでおられるか」という規範的な意味で使うことに慣れっこにな…

ユダヤ・キリスト教的な時間観について――時の螺旋(らせん)構造と歴史認識

時というものには、創造から終末に向かう「線分」という側面と、「円環」という側面があり、したがって聖書的な時間観というのは螺旋(らせん)的である、というとても興味深い記事を読みました。それをみなさんにも共有したいと思います。 以下、苫小牧福音…

イマージング運動――昔風のリベラリズム(by ボブ・デウェイ)【後篇】

〔前篇〕からの続きです。 目次 オーソ・パラドクシー:逆説と矛盾の受容 結語 Ideas Have Consequences: A Partial Paraphrase and Review of Modern Fascism by Gene Edward Veith Back to Nature Martin Heidegger the Fascist The Rejection of the Valu…

イマージング運動――昔風のリベラリズム(by ボブ・デウェイ)【前篇】

Doug Pagitt and Tony Jones, Emergent Manifesto of Hope, An (emersion: Emergent Village resources for communities of faith) Bob DeWaay, Emergent Old Fashioned Liberalism 最近、出版されたドーグ・パジット/トニー・ジョーンズ共編『希望のイマー…

神はわれわれの人知を超えた仕方で動かれる。(ウィリアム・クーパーの信仰詩)

神はわれわれの人知を超えた仕方で動かれ、 ご自身のみわざを成し遂げられる。 主はご自身の足跡を海の中に植え、 嵐の上を進まれる。 計り知れない鉱床の深淵にて、 けっして誤ることなき巧腕にて、 主はご自身の輝かしいご企図を護持され、 至上の聖意(so…

それでも歌鳥はうたう。(エミー・カーマイケルの信仰詩)

主よ、汝のしもべは、家になにも持っていません。 共用のオイル一杯でさえも。 なぜなら、冷酷で強硬な〈あの人〉が、 ――人が「苦痛」と呼ぶ、武装した〈あの人〉が、 繰り返し、繰り返し、私のまずしい家を襲い、 荒らし回るからです。

教会の性質と目的――「教会」と「イスラエル」について(by ウェイン・グルーデム、ジョージ・ラッド他)

目次 ウェイン・グルーデム著「教会とイスラエル(The Church and Israel)」『組織神学』第44章 【追加資料】【歴史的プレミレ】ジョージ・ラッド著『終末論』(第2章 イスラエルについてはどうか。)より 【追加資料2】【歴史的プレミレ】ディスペンセ…

ローマ帝国の迫害とクリスチャン殉教者の信仰【後篇】

〔前篇〕からの続きです。 ディオクレティアヌス帝治下における迫害 さて、教会はローマ帝国による最後の大迫害に直面した。神は摂理的配慮によって、この迫害に耐え抜いた暁に教会の勝利を約束しておられたのであった。 ディオクレティアヌスは284年に即…

ローマ帝国の迫害とクリスチャン殉教者の信仰【前篇】

(執筆者:日本基督改革派南浦和教会牧師、日本基督神学校講師 泥谷逸郎師、情報源) われわれの祖国日本では現在、靖国神社を国家護持しようとする動きが盛んである。この動きに多少反対を試みたものとして、考えざるをえなくなる問題は、過去における日本…

はたして「文化」が、私たちクリスチャンのあり方を規定するのでしょうか?――初代教会クリスチャンの「文化」に対する姿勢

グラディエーター(剣闘士)、3世紀、キプロス 先日、私は、次のような記事を書きました。 そして、その中で、私はみなさんに、「はたして現代文化が、みことばに対する私たちの従順を規定するのでしょうか?それともその逆でしょうか?」という問題提起を…