巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

2017-01-01から1ヶ月間の記事一覧

神への恐れ(J・グレシャム・メイチェン)

J・グレシャム・メイチェン (1881-1937) Gresham Machen, The Fear of God(全訳) 「また、からだを殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、からだも魂も地獄で滅ぼす力のあるかたを恐れなさい。」(マタイ10:28) これはジョナサ…

「ローマ16:2の女性執事フィベは、『指導者』であり『支配者』であって、使徒パウロの上に立つ人でした」という主張はどうでしょうか。

ケンクレヤ(フィベの仕えていた教会はこの地域にありました。ギリシャ) フィーベはまた多くのプロスタティスの一人でした、、スィドゥラーは、その言葉は新約聖書の他のどの個所にもなく、他のギリシャ文学の中ではいつも支配者、指導者または保護者を意味…

リベラリズムの道を歩んでいない対等主義の牧会者のみなさまへの公開レター(by ウェイン・グルーデム、フェニックス神学大)

Wayne Grudem, An Open Letter to Egalitarians about Liberalism, June 12, 2013 私が本書(Evangelical Feminism: A New Path to Liberalism)の中で挙げている著者、神学校、出版社に関わっておられる方の多くは、個人的には自分の友人です。

「1テモテ2:12の『許しません』は現在形動詞であり、一時的な命令であることを示しています。よって、ここは『私は今この時・・許していないのです』と訳してしかるべきです」という主張はどうでしょうか。【キリスト教リベラリズムの脅威】

Wayne Grudem, Evangelical Feminism and Biblical Truth, chapter 8 この対等主義見解は次のようになっています。 「ここでのパウロの命令は一時的なものであった。なぜなら、その当時、エペソでは何か普通でない状況が発生していた。おそらく、多くの女性…

1コリント11章「祈りのベール」問答②:髪の長さと、自然と、同性愛

①からの続きです。 Jeremy Gardiner, Are Appropriate Hair Lengths Dictated by Culture? Φύσις (Phusis)=自然 「自然」を定義する ある言葉を定義する際、その用語を使っている著者自身、その語について、なんらかの定義をしているのかを調べてみること…

1コリント11章「祈りのベール」問答①:適切な髪の長さは、「自然」ではなく、「文化」によって規定されるのでしょうか?

Jeremy Gardiner, Are Appropriate Hair Lengths Dictated by Culture? 反論:適切な髪の長さは、「自然(nature)」によって規定されるのではなく、「文化」によって規定されるのです。ネイティブ・アメリカンのように、多くの文化圏では、男性の長い髪とい…

「1テモテ2:12-15でパウロが創造に訴えているのは今日性を持ち得ません。なぜなら、創造に関する創世記の記述自体、文化的に相対的であり得るからです」という主張はどうでしょうか。

Wayne Grudem, Evangelical Feminism and Biblical Truth, chapter 8 これはウィリアム・ウェブによって提唱されている説です。彼は創世記1-2章の記述を取り上げた上で、次のような主旨のことを言っています。 「堕落前のアダムのリーダーシップに訴える…

祈りのベールーーその深さ、美しさ、そして喜び!

実際に食べてみなければ分からない味というのがあり、 行って見てみなければ分からない絶景というのがあり、 信じてみなければ分からない信仰の至福というのがあるように、 実践してみなければ分からない・・・・ それが祈りのベールであり、奥ゆきあるその…

「教会でのリーダーシップや家庭でのかしら性を力説するあなたがたの見解は、ルカ22:26で言われている僕なるキリストの模範と相反していませんか?」

Servant-leadership 日本ルーテル教団 北海道地区総会「女性教職についての分かち合い」より一部抜粋させていただきます。 世界中のキリスト教会で、女性教職を認めている教会がすでにあります。また実際に女性教職はいなくとも、女性教職に理解を示し、肯定…

キリスト教弁証の二つの目的(フランシス・A・シェーファー)

Francis A. Schaeffer, The God Who Is Thereより抄訳 キリスト教弁証には二つの目的がある。一つは擁護(defense)である。そして二番目は、それぞれ自分たちの置かれた世代が理解できる仕方でキリスト教のメッセージを伝えること(communicate Christianit…

主への畏れ(F・W・フェーバーの信仰詩)

汝に対する私の畏れは、おお主よ、わが血流を奔る いのちのように感喜しています。愛の神聖なる痛みの一つである、この畏敬。人生のさまざまな道程の中で、神の御目の下に、あるいはかしこみ、あるいは慄きはばかる甘美なこの畏敬の念のごとく、魂を喜ばすも…

「マリヤを褒め、マルタをたしなめた時(ルカ10:38-42)、イエスは当時の家父長制文化が女性たちに課していた社会通念を覆し、ひっくり返されたのです」という主張はどうでしょうか。

以下、日本福音同盟 女性委員会のHPリンクより抜粋 「女性の行動範囲は、主に家庭であり、彼女は不貞から守られるべきでした。その結果、女性は会話において啓発するようなものは殆ど持っておらず、公の生活における誘惑に立ち向かう備えが殆どできていない…

「女性たちに対するイエスの積極的なとり扱いは、1世紀の家父長制的ユダヤ教を打ち破り、『新しいパラダイム』をもたらすものではなかったのでしょうか。よって、すべてのミニストリーの門が女性に開かれるようになったのではないでしょうか。」

足なえの女性を起こされるイエス様 Wayne Grudem, Evangelical Feminism and Biblical Truth, chapter 5より翻訳 福音書を読むとイエスが女性たちに尊厳と敬意をもって接しておられたことが分かります。そして対等主義の人々は、「こういったイエスの、女性…

ウィリアム・ポール・ヤング著『神の小屋』書評(ノーマン・L・ガイスラー&ビル・ローチ)

Norman L. Geisler and Bill Roach, The Shack: Helpful or Heretical? A Critical Review (here) より一部抜粋 『神の小屋(The Shack)』は、現代文化に触れ、それを理解するという点では得るところがあるかもしれませんが、キリスト教真理への妥協は避け…

突然のすさまじい落雷の晩に。(1697年8月20日、イサク・ワッツ)

イザヤ13:9-22 9 見よ。主の日が来る。残酷な日だ。憤りと燃える怒りをもって、地を荒れすたらせ、罪人たちをそこから根絶やしにする。 10 天の星、天のオリオン座は光を放たず、太陽は日の出から暗く、月も光を放たない。 11 わたしは、その悪のため…

ポスト近代におけるキリスト教弁証への召命

「兄弟たち、父たちよ、いま申し上げるわたしの弁明を聞いていただきたい」(使徒22:1) Ἄνδρες ἀδελφοὶ καὶ πατέρες, ἀκούσατέ μου τῆς πρὸς ὑμᾶς νυνὶ ἀπολογίας. Apologetics(弁証)という言葉は、απολογουμαι(<απο, 強意+λογος, 言葉 / apologeo…

「三位一体の中で、御父もまた御子に恭順(submit)しているのです。ですから、御子との関係において、御父に固有の権威があるわけではないのです」という主張はどうでしょうか。【三位一体論とフェミニズム】後篇

人間の友に向けられる中傷に対し、われわれは憤りを覚えている。 しかるになぜ、我々の神が、これほどまでに卑劣きわまりない中傷をお受けになっている現状をみながら、われわれはここまで平気でいられるのだろう? J・グレシャム・メイチェン Wayne Grudem,…

「三位一体の中で、御父もまた御子に恭順(submit)しているのです。ですから、御子との関係において、御父に固有の権威があるわけではないのです」という主張はどうでしょうか。【三位一体論とフェミニズム】前篇

以下は、ウィリアム・P・ヤング著『神の小屋』の中で、「イエス」が、三位一体の神のことを説明する場面です。 「イエス」が主人公のマックに言うセリフ: これこそ、パパ(御父)およびサラユ(聖霊)と私(イエス)の関係にある美しさなんだ。 私たち[三…

聖潔を求める祈り(ピューリタンの祈り)

主イエスよ、私は罪を犯してしまいます。ああ、私がそのことで嘆き悲しむことをやめるような事が決してありませんように。そしてそのような自分自身に慣れ切ってしまったり、あるいは「霊的に高い位置に自分はすでに到達した」などと間違っても思うことがあ…

「でも、1コリント11:15に、『被り物=長い髪』とあります。ですから、被り物というのは『女性の長い髪』のことを指しています」という主張はどうでしょうか。

(執筆者:ジェレミー・ガーディナー) 反論:聖書では、女性は祈る時や預言をする時にかぶり物を着けなければならないといっています。しかし、この箇所は、女性の頭の上にのせる(布やレースなど)人工的なかぶり物として理解すべきではありません。なぜな…

「被り物というのは律法主義的であり、律法に逆戻りするものです。」という主張はどうでしょうか。

反論:「被り物というのは律法主義的であり、律法に逆戻りするものです。私たちはキリストを信じる信仰によって救われたのであって、自分たちの行ないによって救われたのではありません。被り物をするしないというのは私たちの救いに影響をもたらすものでは…

「当時のコリント文化では女性が被り物をかぶるのが慣習だったので、そうしない女性は容易に売春婦に間違われたのです。そういった状況は地域的なものだったので、祈りのベールは今日の私たちには必要ないのです。」という主張はどうでしょうか。

(執筆者:ジェレミー・ガーディナー) 反論:「パウロが生きていた当時、売春婦は髪を短くし、かぶり物も着けていませんでした。当時のコリント文化では女性がかぶり物を着けるのが慣習だったので、そうしない女性は容易に売春婦に間違われたのです。そうい…

1コリント11章「祈りのベール」弁証シリーズ④:教会の慣習(Church Practice)

Jeremy Gardiner, Why Head Coverings? Reason #4: Church Practice(拙訳) 「パウロはこの(かぶり物の)慣習を全ての教会に教え、それに従うよう求めていました。この最後の箇所で、彼は普遍的なクリスチャンの慣習に訴えることで、その他全ての議論を封…

1コリント11章「祈りのベール」弁証シリーズ③:自然(nature, φυσις)

Jeremy Gardiner, Why Head Coverings? Reason #3 Nature(拙訳) 長い髪は、男女間の差異という〈自然〉より表示されるものであるから、女性に求められているかぶり物というものも、この〈自然〉が教えているものと同じ線上にある。 -ジョン・マーレー(ウ…

1コリント11章「祈りのベール」弁証シリーズ②:御使いゆえ("because of the angels")

↑は、「御使いのゆえにも」教会の姉妹たちは、被り物を実践しなければならないと説くマーティン・ロイドジョーンズの説教clip。

1コリント11章「祈りのベール」弁証シリーズ①:創造の秩序

Jeremy Gardiner, Why Head Coverings? Reason #1: Creation Order 「、、、ここで最も驚くべきことは、パウロが、コリントのことではなく、創造のことに論拠を求めていることだ。何であれ、地域的習慣を超えるものは創造に根付き秩序づけられているものであ…

時は短い。(ロバート・マクチェーン)

「神に近く生きなさい。そうすれば、永遠のリアリティーに比べ、他のあらゆる事がらが、あなたにとって些細なこととなっていきます。」Robert Murray M'Cheyne 「ロバート・マーレイ・マクチェーン説教集」より一部抜粋(引用元) 「時は縮まっています(the…

「エバが造られる以前、アダムは男ではなく、単に『性的区分のされていない人間』だったのです」という主張はどうでしょうか。【アダム両性具有説 検証】

「女性牧師について」というある日本語サイトの頁に次のようなことが書かれていました。 「みんな誤解してるのが、男の肋骨から女が作られたって話。ところが、創世記にはアダムが男だとはどこにも書いていない。『人』ってあるだけ。パウロの手紙にもあるよ…

宗教改革者たちの叫び(10)―ゲオルグ・ブラウロック(16世紀、スイス・オーストリア)

もしもプルータルコスの『対比列伝』の16世紀ヴァージョンを作れるとしたら、私はスコットランドのジョン・ノックス(改革派)と、スイスのゲオルグ・ブラウロック(再洗礼派)を一組にして列伝したいです。どちらも豪健かつ勇敢な巨漢であり、性格的にも…

「1テモテ2:12で、パウロは権威を表す一般的なことば(エクスーシア)を用いず、比較的まれなことば(アウセンテオー)を使っています。そのため、この意味を正確に知ることは非常に困難であり、よってこの節に重点を置きすぎるべきではありません。」という主張はどうでしょうか。

このテモテの個所におけるもう一つの問題は、「支配する」と訳されているアウセンテインということばの用法です。アウセンテインの意味について統一見解はありません。しかし、一つのことは確かです。それは、もし、パウロが、女性がこのことばの一般的な意…