巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

トマス主義者とパラマス主義者の会話 ~春の庭園にて~

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出典

 

The Thomist and the Palamite,, Eclectic Orthodoxy, 2014. (拙訳)

 

パラマス主義者:「君は、神のウーシア(本質)とエネルゲイアの間に何ら区別を置いていない。そして、君は『神は有限態において被造物に対しご自身をお与えになった』と言っている。つまり、神的エネルゲイアが有限態において与えられているっていうことだよね。君、それは明らかに不可能なことだよ。

 

 授与されたものは有限であるか(この場合、それは神ではあり得ない)、もしくは、授与されたものは神であるか(この場合、それは有限的に与えられたものではあり得ない)、そのどちらかだ。前者の場合、そこに真の人間神化(テオーシス)はない。後者の場合、人は被造物ではなくなってしまう。どちらのオールターナティブも許容不可能であり、それゆえ、君の理論は間違っているということになる。」



トマス主義者:「こういった問いはいずれも、勿論、深遠なる神秘だ。だが君は僕の思想に対しフェアーな見方をしていない。僕は、‟有限態における神”が被造物に与えられたとは言っていない。そうじゃないんだ。僕が言っているのは、『神は、有限態において、被造物によって受け入れられた』ということなんだ。

 有限性は分有態(mode of participation)にあるのであって、分有された対象(object participated)にあるのではない。そしてここに君にとってのジレンマがある。君は、『被造物は神的ウーシアではなく、神的エネルゲイアにおいて分有している。』と言っているね。
 だが、ここで考えてみてほしい。結局、君の言説に従えば、①エネルゲイアとウーシアは同一であるか、もしくは、②エネルゲイアと分有することによっては被造物は本当には神と分有していない、ということになってしまわないだろうか。前者の場合、君の理論は間違いだということになり、後者の場合、それは真の人間神化を不可能にしてしまっている。」



パラマス主義者:「いや、フェアーな見方ができていないのはむしろ君の方だよ。エネルゲイアは神的であり、それゆえ、神的エネルゲイアを分有することにより、被造物は神と分有している。神は、ご自身のウーシアと同様、ご自身のエネルゲイアにおいてもほんとうに現存しておられる。唯一の違いは、エネルゲイアが伝達可能(communicable)であるのに対し、ウーシアはそうでないという点にある。それゆえ、神はご自身のエネルゲイアにおいて真にコミュニケートされている一方、ご自身のウーシアにおいては伝達不可能なんだ。」

 


トマス主義者:「本当にそれは無茶な話だ。神および神のウーシアは分離し得ない。エネルゲイアが神を伝達しているのなら、それは神のウーシアを伝達している。そしてここにおいて君は、僕の理論を必要とせざるをえなくなる。つまり、『被造物がその被造性を喪失することなしにいかにしてそれが神と分有できるのか』を説明すべく僕の理論が必要になってくるってわけさ。」

 


(上記の会話は、アビングドン庭園でアングロ・カトリック神学者エリック・マスカル(Eric Lionel Mascall, 1905–1993)がロシア正教神学者ウラジーミル・ロスキー(Valdimir Lossky, 1903–1958)と交わした会話を基にマスカルが再構成したものです。)

 

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