巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

真摯なカトリック信徒の問い

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出典


マイケル・ロフトン(ローマ・カトリック):視聴者の皆さんに投票アンケートをお願いしたく思っています。あなたは「東方正教」を巡るテーマに関したビデオにより関心がありますか。それとも、「伝統派カトリック内の諸テーマ」を取り扱ったビデオにより関心がありますか。


K・T・ベル(ローマ・カトリック):第二バチカン公会議文書の中に見受けられる明らかな諸矛盾に対し、それらをより明瞭に説明してくれるビデオを作成してくださったらありがたいです。今日の教会風潮においては、たとい私たちが良い意図をもって質問したとしてもそれらの問いは歓迎されない傾向があります。こういう類の問いを発すると通常、私たちは「分離主義者」と呼ばれます。そしてとにかく理性を放棄し、理解・納得のいかないそのなにかに恭順することが暗黙の内に求められているわけです。ですが、自分たちの中では依然として「やっぱりそれは真ではないのではないか」という懐疑がくすぶり続けています。

 

人々が質問を発すること自体は本来問題ないと思うのですが、あなたが批評している種類の伝統派カトリックや東方正教徒たちはしばし、「諸回答」を提供します。例えば、『信教の自由に関する宣言』(DIGNITATIS HUMANAE)の中で規定されている「信教の自由」という本当に新規なる教え(でも必ずしも間違いではない)のことに関してです。やはり私たちが知的に実直であるなら、この教えと、それ以前の教導権における諸教えの間に調和をもたらすことはそう容易ではないと思うのです。『信教の自由に関する宣言』には、伝統的な教えは拒絶していないとだけ記してあります(⇒教会と国家の関係、誤った宗教の公的実践等)。

 

ですが、それがどのような形でそれ以前の伝統的教えと矛盾していないのかに関する説明はなされていません。それで、読み手である私たちは混乱したままです。そういうこともあって、『信教の自由に関する宣言』が伝統的カトリック教義と具体的にどのように調和し得るのかについて、ビデオの中でいろいろ取り組んでいただけるととても助かります。


多くの真摯なカトリック教徒は、教導権の教えの中に見受けられるこういった種類の諸矛盾に悩み、それをなんとか調和させようと努力します。でもその努力もむなしく解決がどうしても見つからないと感じる時、人々は、東方正教やセデヴァカンティズムの方向に引っ張られる誘惑に駆られるのではないかと思います。確かにこういった地道な努力をしない伝統派カトリック教徒が多くいるのは事実です。しかし、中にはその努力をし、懸命にもがいたのにも拘らず、それでもどうしても「連続性の解釈(hermeneutic of continuity)」を見出すことに困難を覚えている人々もいます。

 

カトリックYoutube界で実際にこの領域における神学的取り組みをしているチャンネルは少ないのが現状です。そしてそれに代わり、多くのYoutuberたちは、――リベラル派であろうと伝統派であろうと――、「断裂の解釈(hermeneutic of rupture)」を採用するに至っています。

 

保守派は口先では自分たちは連続性の解釈に同意していると言っています。けれど彼らはそれが一体何なのかについては説明しようとしません。もしも保守派が今後も、真剣な問いを問う信者たちに対し信頼を勝ち得たいと思うのなら、彼らは「教会は非変節(indefectible)」という議論以上のなにかを提供してしかるべきだと思います。「教会が非変節」であることは教義としてみんな知っているわけですから。口先だけでなく、それが真であることを実際に私たちに示してください。

 

そうでなければ、今後、さらに多くの信者たちが分離主義者になってゆくでしょう。なぜなら、私たちの大半はこの問題に関し麦ともみ殻を選り分けるための十分な時間も教育もないからです。


ー終わりー

 

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