巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

古(いにしえ)の福音と神秘的典礼――伝統的リトルジーを求める若者たち

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出典

目次

 

求道者たちは現代文化が提供できない〈なにか〉を求めている。(by ジェームズ・K・A・スミス教授)

 

そういうわけで礼拝は歓待(hospitality)によって特徴づけられている必要があります。つまりそれは魅力的なものである必要があるわけです。しかしそれと同時に、礼拝は求道者を教会および教会の無比なるストーリーや言語の世界に歓待し、そこへ導き入れる必要があります。礼拝は異文化的な歓待のまたとない機会であるべきです。

 

次の例で考えてみてください。私がフランスに旅行に行くとします。そうしますと私は当然、かの地であたたかく迎えられたいと望むことでしょう。でもそうだからといってフランスのホストファミリーが「うちに来る彼がアットホームな気持ちになれるよう、私たちはアメリカ人にならなければならない」とか、そういうことを私は期待しているわけではありません。彼らが英語を話し、ピザを注文し、ニューヨーク・ヤンキーズのことを話題にするようなことも期待していません。実際、もしそういうことを望んでいるのなら、私はそもそもフランスなどに行かず、自分の家にいるべきです。

自分が望んでいるのは、そうではなくむしろ、彼らのユニークなフランス文化の中に迎え入れられることです。だからこそフランスに来たのです。そしてこの過程において自分の側で努力しなければならないこと、適応しなくてはならないことがあるのを自分は承知しています。違っていて当り前なのですから。いや、まさに違うからこそ、その違う部分を私は求めているのだと思います。

 

歓待に満ちた礼拝にも同様のことが言えるかもしれません。求道者たちは現代文化が提供できない〈なにか〉を求めています。多くの人々は、自分たちがモールで気軽に手に入れられる種類の宗教バージョンは求めていません。ポストモダンもしくはジェネレーションX世代の求道者たちはまさにそうでしょう。彼らはミュージックテレビ(MTV)などが決して提供することのできない種類の超越性(この世のものを超えたなにか)を求めているからです。MTVを真似たバージョンの福音ではなく、彼らは古(いにしえ)の福音の中に存在する神秘的な諸慣習を探し求めているのです。

ジェームズ・K・A・スミス*1

 

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カトリック教会ミサと東方正教リトルジーに行ってみた!――ミレニアル世代オースティン君の冒険記録


エヴァンジェリカル教会の若者クリスチャン、オースティン君が、伝統諸教会のリトルジーに関心を持ち、ミサや聖体礼儀に参加したり、そこにいる神父様たちに質問をしたりして、それをyoutube上でアップロードしています。


彼はエヴァンジェリカリズムをけなしているわけではなく、「こういう部分はやっぱり福音主義の良いところじゃないかなぁ」と素直に表現しつつ、それと同時に自分とは異なる伝統やコミュニオンに対しても心開かれ、一生懸命学ぼうとしています。

 

↓恍惚となるほど光耀なカトリック大聖堂に行ってみた!

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↓はじめての聖体礼儀!

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↓カトリックのミサに行ってみた感想。

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↓東方正教の神父様にインタビューしてみた。

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↓カトリックの神父様にインタビューしてみた。

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↓東方正教の神父様にインタビューしてみた。

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↓ある日、ラテン語ミサと、ノヴス・オルド・ミサ、どちらにも行ってみた。その感想。

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↓東方正教会を案内してもらった。

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↓カトリック教会男性バイブル・スタディーに参加してみた。そこで学んだこと。感じたこと。

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*1:James K.A. Smith, Who's Afraid of Postmodernism?: Taking Derrida, Lyotard, and Foucault to Church