巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

CCM(コンテンポラリー・クリスチャン・ミュージック)に関する自見解に対する反省的考察

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本ブログの中で私は「CCM礼拝」の持つさまざまな霊的・神学的諸問題に取り組んできました。CCM礼拝形態は、プロテスタント(福音派、聖霊派)や一部のノヴス・オルド現代カトリック教会の中に見出すことができます。

 
私の反省点は、「CCM」というキリスト教音楽ジャンルと、それが、日曜礼拝の中心部分に取り入れられるに至った「CCM礼拝」というこの二つを区別してこなかったという点です。古ければ何でも良いという訳ではなく、新しいものが全て間違っているということにもなりません。実際、「現代」という今の時を共有している同胞クリスチャンの信仰告白や賛歌が美しいメロディーを伴い私たちの耳に入ってくる時、それは他のものでは代用することのできない同時代的励ましと慰めを与えてくれると思います。

 

↓リラの賛美(プロテスタント)

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↓フランス、Mission Timothéeの賛美(プロテスタント)

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ギリシャ正教会のコミュニティーにおいても、大学生たちが率先して作詞・作曲を手掛け、毎年(現代ギリシャ語による)新しいアカペラ賛美や伴奏付きの賛美が生み出されています。これなども東方正教版のCCMということになるかと思います。

 

↓ギリシャ正教会 若者グループによる賛美(テサロニケ市)

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ただ、私の観察する限り、東方正教とエヴァンジェリカル教会/一部のノヴス・オルド・ミサのCCM取扱いの違いは、前者がそれを聖体礼儀やその他の公式リトルジーの中で決して用いていないのに対し、後者はそれらが礼拝の中に用いられているという点です。


それではなぜ東方正教では公式リトルジーの中にCCMが用いられていないのかということを考えてみた時、そこには典礼に対する正教神学や伝統が強く反映されているのではないかということに思いが及びました。典礼の中に賛歌が取り入れられる際、それに至るまでには長い長い歳月とあらゆる方向からの神学的検証と教会全体のコンセンサスとが為されなければなりません。相当に注意深いその過程を経なければ新しいものは決して入ってくることはできません。そして私が思うにこれが正教の強みだと思います。

 

↓今日の正教会礼拝ライブ

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ギリシャ国内にも他の諸国と同じように様々な世俗思想や新奇な教えが流入してきています。これらの濁流の教会流入をいかにして食い止め、攻防するのか?異端が蔓延し、さまざまな種類の異端諸教理がCCM歌詞を通しても諸教会内に入ってきていることは多くの弁証家が指摘するところです。


新しいものをやみくもに全部抜き取ろうとするのではなく(←誤った「伝統主義」)、むしろ生み出されてくる新しいものをいかにして選り分け、剪定し、教会全体の益のために善用していくのか、あるいは識別した上で拒絶・攻防していくのか――。堅固さと柔軟性の絶妙なるコラボレーション。「昔あったものは、これからもあり、昔起こったことは、これからも起こる。日の下には新しいものは一つもない。」(伝道者の書1章9節)。古代教会の知恵から学びたいと願っています。