巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

優しいまなざし

f:id:Kinuko:20201106061543j:plain

出典

かつての学校の先生を20年ぶりに写真で拝見しました。外見も表情もまるで別人のように変わっておられ驚きました。この20年の間に先生の人生に何が起こったのでしょう。なぜこれほどまでに激変されたのでしょう。もしかしたらなにか大きな悲しみを通られたのかもしれません。あるいは、ただ一日一日の「時」の積み重ねにより徐々に彼女は今の彼女になっていったのかもしれません――。


永い時間の隔たりを経、先生は、かつての教え子であった私にどう受け止めてもらいたいだろうと考えました。私がもし先生の立場なら、私は自分が変化していようといまいと、生き生きしていようと老いぼれていようと、栄えていようと朽ちていようと、そういった内外の変化にかかわりなく、私を以前とかわりなくそのままで喜び迎え入れてくれる誰かの存在にとても励まされるだろうと思いました。


迎え入れてくれる「誰かの存在」と考えた時、マリア様のことが心に思い浮かびました。マリア様はきっとこれまでも今も、変わらぬご慈愛の心をもち、優しいまなざしを先生に注ぎ続けておられるに違いないと思いました。

 

こころのホームがあって、そこにいつもやさしい母がいる。私が母を忘れる時があっても母はけっして私のことを忘れず、いつ戻ってきてもいいように居場所をつくり待っていてくれている。マリア様はユダヤ人教授ロイ・シューマンの暗き心の部屋にこの上なく美しく慈愛に満ちた姿でご自身を現わしてくださいました。彼女は涙にくれ一人祈るイスラム教徒ナスリーンの元を訪ねてくださいました。

 

マリア様のいつくしみ深き心とまなざしはすべての人の歩みの上に注がれ、御子を通しその愛の川はどんな暗いところにもどんな荒れすさんだところにも流れてゆくのだと思います。彼女のような優しいまなざしで周りにいる全ての人々を見ることができたらどんなにいいでしょう。どんな状況にあっても戻ってくることができると感じられるようなそんなあたたかい心のホーム造りができたらどんなにいいでしょう。マリア様、母性に満ちたあなたのいつくしみと愛を私たちの心に注いでください。