巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

カッパドキア教父たちと三位一体論

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カッパドキア三教父

4世紀のキリスト教世界を混乱させたアリウス派論争の収拾に大きな役割を果たし、ニカイア信仰の確立に尽くしたギリシア教父たち。大バシレイオス、その弟ニッサのグレゴリオス、両者の友人ナジアンゾスのグレゴリオスの3人で、すべて小アジアのカッパドキアの出身のため「カッパドキア三星」ともよばれる。アリウスが提起した問題、すなわち父なる神と子なるキリストとの関係は、ニカイア公会議(325)で、両者が同一実体であるとしていちおうの解決をみたはずであったが、その後約半世紀にわたって激しい論争が続いた。そこで、ギリシア古典の教養を身につけ、キリスト教神学にギリシア哲学の方法を導入したカッパドキア三教父は、アリウス派論争の調停者の役割を果たし、381年のコンスタンティノープル公会議で、ニカイア公会議の決定を確認する形で論争を終結させた。かくしてキリスト教の教義の根幹をなす三位一体論が完成した。(出典

 

目次

 

 

坂口ふみ著『〈個〉の誕生 キリスト教教理をつくった人びと』岩波書店、1996年(谷 隆一郎氏書評、中世思想研究39号)

引用元

 

本書が主として扱っているのは、東方・ギリシア教父の伝統におけるキリスト教教理、 とくに神の子の受肉、 イエス・キリストの神人性ないしヒュポスタシス的結合という教理の形成と展開の歴史である。

 

だが著者はその複雑な経緯を、 大方の教理史の枠組を遥かに越えて、 古代ギリシア哲学以来の「ーと多」、 「分離と混合」といったアポリアをめぐる探究の動向と対比させつつ、 ヒュポスタシス一一それは本書ではあえて〈個〉と訳されているが一一把握に収赦してゆく教理の哲学的意味を洞察し、 ひいてはそこに近・現代の個や人格という概念の「まだ意識に還元されきってはいない」がゆえに、 みずみずしく生命にあふれた原型を見ているのである。

 

この意味で本書は、西洋の思想史全体の位置づけという点でも、人間・個の真の誕生に関わる中心的位相の把握という点でも、まことに豊かな可能性と問題提起を苧んだ本絡的でしかも稀有な書物だと言うことができよう。


著者によれば、 教義の問題は西欧の歴史の「いわば鬼子」として、一般の哲学史などでは多分に疎外されてきたが「ヨーロッパ思想史において、この黙過され無視されてきた〔ビザンツ〕数百年の思想努力ほど画期的であざやかで重大なものはなかった」という。

 

それは「イエスが単純な《隣人の愛》ということばで語ったこと」つまり「古代の理想に叛旗をひるがえす、 世界 (現実) に対する新しい基本的態度」に「普遍的で透明なかたちを与えようとする努力にほかならず」 古代ギリシア的遺産に対するそうした括抗・受容・超克のただ中から「古典古代の価値観の反映である古典古代的存在論にかわるべきキリスト教的存在論」が形成されていったのである。

 

その内実は、たとえばニュッサのグレゴリウスの神秘哲学的かつ修道的作品などに顕著に見られるように基本的にはすでに四世紀、カッパドキアの教父たちにおいて最も豊かな表現に達していたと考えられる。が他方、本来は修道的生そのものと密接に連関している教理の、より整合的な定式を模索してゆくことは後代の人々の手に委ねられたのだ。

 

そこに正統と異端入り乱れての険しい論争過程が生じたが、その核となったのがヒュポスタシス (ベルソナ) という概念ならぬ概念にほかならない。それは「単なるギリシア的個体存在ではなく おきかえのきかない純粋個者、しかもつねに他者との交流 (関係性)のうちにあることを本質とする単独者だ」という。そして著者はかかるヒュポスタシス概念のうちに「キリス ト教思想がギリ シア的思想世界に対して突きつけた〔あらたな〕独立宣言のようなもの」を読み取っているのである。


さて、言うまでもなくニカイア信経以来の定式として、イエス・キリストは父なる神と同一実体なる神であり、 また同時に全く人間であるとされた。 なぜなら「贖罪による救いが全人類を救う最大のものであるためには贖いとして殺される者が神に等しくなければならず」しかも「その受苦と死が単に見せかけではなく真正のものであるためには、 彼は全く人でなければならない」からである。

 

このように、イエス・キリストが「全く神、全く人」だという信を保持しつつ、 しかもそれを「理論的に説明すベく」つとにオリゲネス、アポリナリス、アタナシウス、そしてカッパドキアの教父たち等々による探究が為された。 そしてその後、歴史上一つの結節点となったのが カルケドン信経の定式である。

 

それが成立するに至った複雑な背景については本書に詳しいが、その基礎となったは、当時の大立物キュリルスのネストリウス宛て第二書簡 (ネストリウス論駁の基本文書)と、 教皇レオのフラグィアヌス宛て書簡であり、総じてこの信経は「いわばレオ書簡のキュリルス用語による翻訳という性格が濃い」と評されもする。ともあれその中心部分は、 同ーの主なるキリストが、 神性と人間性というこつの本性 (ピュシス) において「融合せず、変化せず、分割せず、分離せず存在し」しかも「一つのヒュポスタシスへと共合している」というものであった。

 

ちなみに先のキュリルスの書簡では、よりはっきりと「ヒュポスタシスに関して (即して) の結合」という表現が用いられている。ところで大勢としてはそれ以後、神性と人間性が主キリストにおいて「ヒュポスタシス的に結合し」 キリストなるヒュポスタシスが現に誕生・顕現してくる、という把握が正統として定着してゆくとしてよい。

 

ただ実際には、とくに当の「ヒュポスタシス的結合」や、 ピュシスとヒュポスタシスの関わりなどの理解をめぐって、 なおも一世紀におよぶ論争が展開されることになるのである。 しかしその錯綜した論争の過程は、単に特殊な教理史内での内輪もめに留まるものであったのではなくて、著者のいみじくも強調するごとく、プラトンの『ソピステース』などの問題を何らか継承した「存在論的な分離と混合 (または結合) J という主題と格闘するものであった。

 

こうした視点から著者は、プラトン、アリストテレスからストア派、ネオプラトニズムに至るさまざまな「混合論」を精査しつつ、 それらとの緊張した対比のもとで歴代のキリスト教的混合論の意味するところを極めてあざやかに見定めてゆく。 その結果、「新しい存在論の完成形」としてとりわけ注目されるのが「ビザンツ」と「エルサレム」という二人のレオンチウスのヒュポスタシス論にほかならない。

 

そこでまず、 両レオンチウスに共通の把握として刻出されているのが「ピュシス(ないしウーシア) とヒュポスタシスの切断」 つまり「ヒュポスタシスという《個としての個》存在概念の、その他の存在をあらわす概念からの分離独立」ということであった。 ヒュポスタシスはまた「ウーシアやピュシスのもつような一切の規定を持たない純粋の個的動性、存在性」とも着倣されている。

 

著者によれば、キリスト教の真髄たる「神への愛と隣人への愛」にあって「愛のめざすものはいつもかけがえのない単独者としての単独者であり」そこにこそ 「個としての個」という古典的ギリシア的思考の射程内では自己矛盾でしかない概念の誕生してくるゆえんが存するのである。


両レオンチウスのヒュポスタシス論はそれぞれに特徴ある精微なものであり、解釈のむづかしい点も少なくないが、いま本書の見事な論究に即して基本線のみ取り出すとすれば「ビザンツ」では「キリストが単なる人でも神でもない新たな全体と考えられ」「エルサレム」では「キリストはあくまで神であって、それが人性を吸収併合する」という「観点の差」が存する。

 

つまり「ビザンツ」では「いわば神人の本性的またヒュポスタシス的諸特性が集まって一つのヒュポスタシスを決定することがより強調され」、「エルサレム」では。 「ロゴス・ヒュポスタシスが人性をも、 またその特性をもっくり出し併せもつという、基体であるヒュポスタシスの能動性がより強調されることになる」という。

 

換言すれば「エルサレム」では「ビザンツ」よりむしろ簡明に 「先在ロゴスのヒュポスタシスがただ一つのよりどころとされ」 そうしたロゴスのヒュポスタシスは「受肉のあとでは、 それぞれのピュシス の端的な特性が、 ロゴスのヒュポスタシスのうちでより多なる特性へと積み重ねられることによって」「より総合的J」になるのだ。

 

大略こうした方向での教理の集大成はいわば「ギリシア形而上学の枠組を受けつぎながら、その内部からそれを修正し〔隣人との、イエスとの真実の出会いによる〕新しい直観にかたちを与える仕事であった。」著者はそこに、 現在に至るまでヨーロッパの思想的営みが突き動かされている源泉を見て、それを「ビザンツ的インパク 」と呼んでいる。

 

というのも、 へプライとギリシアの両伝統の交錯するビザンツ初期の歴史的状況の中でこそ、キリスト教は自らを「普遍に対抗する個」「本質に対抗する存在」の思想として形づくりえたからである。 そしてその中心に現存するキリスト・ヒュポスタシスなる存在こそは 「この世界と絶対者が〔自己を失わずに差異と区別を保ちつづけながら〕一つに結合する場所であり、 絶対者が自らを世界のために失うところであり、 逆に世界が自らを失って絶対者に参与するところでもある。」と望見されているのである。

 

以上は、本書の奥行き深く豊かな内容を僅かに跡づけたものに過ぎないが、 次に少しく感想ないし聞いを記しよき対話・探究のための一助としたい。

 

(1)エルサレムのレオンチウスも言うように「個的なピュシス(人間性など)は それ自体で前以って存立しえず、 先在するロゴス・ヒュポスタシスの存立のう ちではじめ て存在を得る。」この意味では、真のヒュポスタシス存在たることは現実の我々にとって、 それに成りゆくべき究極のものであって、 すでに確保されているものではない。

 

だが我々が何らか神性に結合され、 神的ロゴス・ヒュポスタシスに与る神化の道をゆくのは、恐らく個々の有限な対象・人への、そして畢寛自己への執着が超越的神的な霊の働きによってどこまでも否定され無化されてゆく契機を介して、はじめて生起しうるであろう。 (この点では、多分に神なき自律を旨とする近代的個とは対極的ですらある。)

 

そのことなくしては自己は自己ですらなく、またロゴス・ヒュポスタシスの現成に共に参与してゆくべき他者・隣人も真実には存在しないのだ。とすれば、本書において、「個としての個への愛」「個人的で真実なこと、隣人との交わり」が探究の礎ないし場としてとくに重視され、しかもヒュポスタシスがあえて「個」と訳されるとき、 我々はある意味ではじめからキリストの位置に立つことになり、そのため、神化の道行きへと無限に関かれた険しくも切実なダイナミズムが、 何か無時間的論理の場に置きかえられる嫌いがないであろうか。

 

(2)キリストが「全く神、全く人」たることは、救いのための要請だという。 が、 キリストを主語とするそうした表現が原初的に語り出される場とは、当の使徒たちの出会いの経験、彼らの信という志向的自己超出的な愛のかたちそのものであろう。つまりキリストの神人性とは、 使徒の「信という魂のかたち」すなわち神化の何らかの萌しの、成立根拠でありかつ究極目的として、ほかならぬその信のかたちそのものの自己認識の道において、志向的に語られえたものではなかろうか。

 

それゆえ「・・・を信ずる」と、 かの信経のはじめにあるのは当然のことであるように見えてその実、 受肉をめぐる教理なるものが、本来は何らか客体的知の領域のはなしではなく、自他の在ることの根拠に関わる根本的な経験、換言すれば神化へと開かれ「既に、かつ未だ」という緊張したダイナミズムの経験それ自身の、志向的意味の表現であることを示すものであろう。

 

その限りでは、 両レオンチウスの論は論理的整合性という点では確かに最も彫琢されたものでありつつも、それはなお多分に両義的な性格を併っているのではなかろうか。そして恐らく、教理の理論化(限定) を目指すその論の全体は、東方教父の修道的な伝統の根底に漲る、無限なるものへと徹底的に聞かれた「神化」の文脈に再び晒されるときには、アリストテリズム導入の功罪という点も含めて、何らか新たな方向づけ・変容を受ける余地を残しているとも考えられるのである。

 

ー終わりー

 

バシレイオスのウーシア - ヒュポスタシス論(土橋茂樹氏、中世思想研究 (51), 25-41, 2009)

 

引用元

 

 

古代末期の東方キリスト教圏を揺るがしたアレイオス論争は、その終息を図って 325 年に召集されたニカイア公会議以降も、父、子、聖霊の三つの位格の同一本質(ホモウーシオス)性をめぐって正統・異端入り乱れ、さながら嵐の中の海戦のごとき混乱の様相を呈していた。*1

 

そうした混乱を生み出した元凶ともいえるものの一つが、ニカイア信条にも組み込まれた「ウーシア」と「ヒュポスタシス」という二つの根本術語をめぐる根深い哲学的かつ神学的な混乱である。そもそも四世紀東方にあって、両概念は多くの論者にほぼ同義とみなされていたが、そこに新たに明確な区別を導入することによって父・子・聖霊という三つのヒュポスタシスを一つのウーシアとして統一すべく、かかる神的一性の実相に肉薄し、その後の正統教義形成に大きく寄与したのがカイサレイアのバシレイオスである。

 

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本稿では、バシレイオスによる二つの主要教義書『エウノミオス論駁 *2』と『聖霊論』を中心に、彼の新ニカイア派とも称すべき三一論的見解に基づくウーシア - ヒュポスタシス論の展開を追ってみたい。

 

そのために、

(Ⅰ)まず両概念各々の思想背景を概観した上で、ストア派起源のヒュポスタシス/エピノイア区分を準拠枠として、バシレイオスと新アレイオス主義の雄エウノミオスのウーシア - ヒュポスタシス論を比較考察する。次いで

(Ⅱ)バシレイオス自身の神学者としての経歴からすれば比較的前期の作といえる『エウノミオス論駁』およびその後に書かれた書簡から、その時期に彼が直面していた問題をギリシア哲学に根差したウーシア - ヒュポスタシス論の展開として見た後、

(Ⅲ)晩期の作『聖霊論』において最終的に彼が到達したウーシア観がいかなるもの
であったかを究明していきたい。このようにして彼のウーシア - ヒュポスタシス理解の深まりを、三一論における論敵たちとのその都度の神学論争を手掛かりにして哲学的に跡付けていくこと、それが本稿の意図するところである。


Ⅰ バシレイオスとエウノミオス


1.ウーシアとヒュポスタシス


ほぼ同じ時期にカッパドキアに生まれた二人は、一方のバシレイオス(c.330─ 379)が二十代前半のアテナイ留学やオリゲネスからの詞華集『フィロカリア』の編纂などを介して、他方エウノミオス(320 年代末頃─ 394)がコンスタンティノポリスやアレクサンドレイア、とりわけアンティオケイアにおける師アエティオスからの修辞学の教えを通して、両者ともにギリシア哲学諸派およびそこから影響を受けた初期キリスト教思想家たちの多くのテキストにほぼ申し分のないほど精通していたものと思われる。

 

その意味で彼らは、思想背景から時代の雰囲気に至るまで、かなりの部分を共有していたに違いない。本稿の主題であるウーシアとヒュポスタシスという語の使用状況に焦点を絞れば、二人が活動を開始した 4 世紀中葉は、それら二つの概念が未整理のまま混用されていた時代であった。

 

その顕著な一例が、325 年に作成されたニカイア信条のアナテマ部分に見いだされる。そこでは、「『〈子〉は〔〈父〉とは〕異なるヒュポスタシスやウーシアから成る』と言う者たち……を普遍的な使徒的教会は断罪する*3」と述べられているが、後に両概念が神学的術語として定着した時期(381 年)のコンスタンティノポリス信条から振り返るならば、〈子〉が〈父〉とは異なったヒュポスタシス(位格)から成ることは、正統の証でこそあれ、決して異端として非難されるべきことではない。言いかえれば、子イエスの神的位格の独立性・個別性を意味し得る語彙が、ニカイア公会議以後 4 世紀後半に至るまでなお未成熟なまま、ウーシアとヒュポスタシスの両概念が曖昧な形で併用される混乱期が続いたということである。*4


しかし、両概念には明確な違いもある。「ウーシア」は聖書には一切登場しないが、「ヒュポスタシス」は新約、七十人訳旧約いずれにおいても使用例があるという点である *5。そのことも含め、両概念の概要から見ていきたい。


まず「ウーシア」という語は、もともと「人が所有するもの、財産」を意味する一般的な語彙であったが、動詞εἰμί との明確な語源的繋がり(おそらく、女性分詞οὖσα からの派生、あるいは語形上、たとえばγέρων「長老」から γερουσία「元老院」が派生するのと同様に男性分詞 ὤνからの派生)によって、もっぱら存在の意味を問い続けてきた哲学の術語としても使用されるようになったものと思われる。*6

 

そうした哲学的用法の初出事例としては、ピュタゴラス派フィロラオスの断片 6
(「諸事物の永遠なる本質」)が挙げられるが *7、「実体ウーシア」としての哲学的な意味区分を明確に示したのは言うまでもなくアリストテレスであり、彼の『形而上学』第 5 巻 8 章では、こう纏められている。

 

要するに、実体ウーシアは二通りの仕方で語られる。すなわち、その一つは、もはや他のいかなる基体・主語の述語ともならない究極の基体(τὸ ὑποκείμενον ἔσχατον )であり、他の一つは、〔そうした基体のうちに 内 在 する〕「こ の 何 か」(τόδε τι)であ って離 存可能なもの(χωριστόν*8.)、すなわち各々のものの型(μορφή)や形相(εἶδος)である。*9


このように個体性と普遍性、あるいは物質・質料性と本質・形相性の両極の間での緊張を保留したまま、ウーシアの哲学的語義はアリストテレス的「実体」として一応の定着を見たのである。しかし、ヘレニズム期に入り、ストア学派ではまったく異なった存在論が立てられていく。すな わ ち、彼らにとってウーシアとは、質料的基体(τὸ ὑλικὸν ὑποκείμενον )としての実体を意味していた。これは、「性質づけられていない質料」(ἄποιος ὓλη)あるいは「性質づけられていない実体」とも呼ばれ、あらゆる変化を通じて揺るぎなく持続する基体として前提されているが、性質づけられない限り物体としては独立自存し得ないとされた。*10


さらに、アリストテレス哲学に対するプラトニスト注解者らの影響も相俟って、ペリパトス派の衰退後は、アリストテレスの体系的なウーシア観は必ずしも正確に継承されたわけではなかった。その一方で、2 世紀のグノーシス主義派キリスト教徒によって「ホモウーシオス」(ὁμοούσιος:普通、「同一実体の」(consubstantial)あるいは「同一本質の」(coessential)などと訳される)という「ウーシア」系列の語彙が導入され、やがてオリゲネスによってそれが初めて三位一体論に適用された後、ニカイア信条作成の際、「〈父〉とホモウーシオスであるその方〔主イエス・キリスト〕」という後の大論争の火種ともなる文言に組み込まれることとなる。こうしてニカイア公会議以降、東方教父たちは「ウーシア」および「ホモウーシオス」という哲学的色彩のきわめて濃い概念をめぐって否が応でも議論せざるを得なくなったのである。

 

対して、「ヒュポスタシス」は動詞ヒュポステーナイ(ὑφίστημιの第2 アオリスト、ラテン語なら動詞 subsistere)の名詞形であるが、その一般的な語義は、動詞 ὑφίστημι の中動相「基に存する」と能動相「支える」から派生したものである。前者からは、基に存するものとして「沈澱物」「堆積物」、さらには「基体」という意味が、後者からは、心理的に支えるものとして「確信」という意味が派生した。

 

「ヒュポスタシス」が初めて哲学的な意味で使用されたのは、ストア学派のポセイド
ニオスからであるとされるが*11、それ以降もストア学派においてヒュポスタシスは「客観的・具体的に現象として露わになる現実存在」として、人間の独立した思考領域を表示する概念「エピノイア」と対比されるような術語的意味を担うことになる。

 

聖書での用例に目を移せば、新約では 5 例の用例(内 4 例*12は「確信」という一般的な意味)の内、『ヘブライ人への手紙』1 章 3 節「(〈子〉は)神のヒュポスタシス(本性)の押印」という用例が、また七十人訳では 20 例の内、『知恵の書』16 章21 節「あなた〔神〕のヒュポスタシス(本性)が子供らへのあなたの優しさを表した」という用例が、共に神学的に重要である。しかし、ここにおいてもウーシア概念との混同の可能性は払拭しきれぬままである。


2.二つのエピノイア論


以上のような状況にあって、ウーシアとヒュポスタシスの語義区分をバシレイオスとエウノミオスに明瞭に動機づけたのが、彼ら各々に固有の「エピノイア」解釈である。周知のように、ギリシア哲学において、人間の思考活動を、思考対象から独立し客観的現実に対峙する人間精神に固有の自律的領域として確保することを可能にしたのは、ストア学派による「エピノイア」概念の形成に拠るところが大きい。おそらく初出となるアンティステネスの断片を収めたアンモニオスの証言が、その後のストア的語法の典拠を与えている。すなわち、

 

アンティステネスは、類や種はただ思考の内にのみある(ἐν ψιλαῖς ἐπινοίας)と述べてこう言った。「私は馬を見るが、馬性を見はしない」と。*13


純然たる思考の領域を確保することによって、ストア派においては、多様な思考様式の区別が可能となった。すなわち、感覚的表象によって感覚対象に関する観念がまず生じ、次いで表象からの様々な転移方式によって、例えば類似性、類比、置き換え、結合、反対性によって諸々の観念が得られるのである。思考によって得られた諸観念 エピノイアは、人間の思考に固有な領域として、客観的現実 (ヒユポスタシス)と対比される。

 

このような対比に基づくのが、後に ens naturae/ ens reale と ens rationis の区分へと受け継がれるストア派出自のヒュポスタシス/エピノイア区分である。さらにエピ
ノイア概念は、ペリパトス派によっても用いられ、「普遍的な人間(ὁ καθόλου ἂνθρωπος)は、……思考の内にだけ(ἐν ἐπινοίᾳ μόνῃ)存在をもつ*14」というように、普遍や数学的存在の存在論的位置づけにも有効に機能したものと思われる。*15


こうしたヒュポスタシスとエピノイアのストア的根本区分は、キリスト教圏における三位一体論争においても様々な立場から有効に用いられた。まず、サベリオス主義者によって、「〈父〉と〈子〉はエピノイアにおいては二であるが、ヒュポスタシスにおいては一である*16」という形で自説を強化するためにこの区分が利用された。これに対し、オリゲネス、盲目のディデュモス、アタナシオス、そしてカッパドキア教父たちは、父、子、聖霊という三つの神的ヒュポスタシス(位格)の個別性を認め*17」、サベリオス主義的一神論を退けた上で、むしろ各々の神的位格とその神的属性との関係にストア的区分を活用した。

 

たとえば、ディデュモスによれば、聖霊をもつ者は、聖霊の多くの賜物をもつ。それらは、ウーシアにおいては一であるが、エピノイアにおいては多くの善きものである。神もまた、ウーシアにおいては一であるが、さまざまなエピノイアによって多くのことが語られる。たとえば、〔神は〕善、不動、不変、源泉、光〔である〕というように。救い主も同様に一であるが、その基体には「生命」や「真理」が述べられる。*18


しかし、このように三位格の個別性が確立されることでかえって露わになったのは、三位格をいかに統一し多神論を回避し得るかという問題である*19。多神論にもサベリオス主義的一神論にも陥ることなく第三の途を模索するというこの難題を前に、新たに議論の焦点となったのがエピノイア、すなわち人間の思考の神認識における位置づけ、役割である。この点でエウノミオスとバシレイオスは真っ向から対立する。

 

まずエウノミオスは、人間の思考(エピノイア)によって(κατ' ἐπίνοιαν άνθρωπίνην)語られるもの、すなわち名(ὀνόματα)は、名自身とそれが発話された音声の内において以外にその存在を保ち得ず、したがってそれらの名は音声と共に消滅する、と考えた*20。なぜならば、そのような名は、人間の思考が生み出す概念(ἐπίνοια)に一致してはいるものの、そうした呼応・一致関係は真の実在性に即した(κατ' ἀλήθειαν)ものではないからである。

 

ここでストア派の根本区分、すなわち「意味するもの」(τὸ σημαῖνον 言語)と「意味されるもの」(τὸ σημαινόμενον 意味)の二つの領域に即して言い換えるならば、エウノミオスの主張は、音声言語の可滅性に基づき意味領域をいわば空虚化し、人間の思考活動とその所産であるエピノイアを常に「空虚な表象」(ἀνυπόστατος φαντασία)にだけ結びつけ虚構化、無力化していくものとなる。*21

 

しかしその一方で、エウノミオスの真の意図は、同じくストア派による「真理」(ἀλήθεια)と「真なるもの」(ἀληθές)の対比をここに持ち込むことにあったと解することもできる。すなわち、「真なるもの」とは、非賢者が所有可能なその都度の妥当な対象ヒュポスタシス把握、つまりは何故それが真であるかを知り得ない限りでの真なるドクサを意味し、そのような知のあり方がエピノイアへと配されるのに対し、「真理」とは賢者のみが知りうる存在根拠たる神のウーシアの知とみなされるのである。その限りで、前者は有限な被造物を対象とする虚偽の可能性を常に内包した認識であるのに対して、後者は永遠の存在根拠である神から啓示されたまったき真理認識であると言えるであろう。したがって、そのような真理に即した仕方で神を称えようとするならば、「神にもっともふさわしいもの」(ἀωαγκαιότατον ὂφλημα)すなわち、

「神がそれであるところのものであることの告白」(ἡ τοῦ εἶναι ὃ ἐστιν ὁμολογία)を神にささげなければならない。この「神がそれであるところのものであること」こそ神のウーシアであり本性(φύσις)であって「生まれざるもの」(ἀγέννητος)という名がそのウーシアと真理に即した仕方で一致するのである。もしそうであるならば、「生まれたもの」(γέννημα)である限り独り子キリストは、そのウーシアを父なる神と共
有しておらず、それゆえ、ウーシアにおいて〈父〉とは非相似(ἀνόμοιος)である、と結論できよう。


以上のようなエウノミオスの主張に対して、バシレイオスはあくまでエピノイアの神認識における重要性を擁護し、人間の思考がもつ本質構成的な機能を確保しようとする。まず、彼は思考(ἐπίνοια)の身分を問い直す。「語られるものは、思考(エピノイア)
によって考察される。つまり、思考は音声とともに立ち消えたりはせず、思考する人の魂のうちに定着する」*22

 

それゆえ、一見すると独立自存するものとして認知される対象も、思考(エピノイア)を介して様々な位相で分析可能となる。次いでバシレイオスは、ヘテローニュモス、つまり意味は異なるが同一のものが指示される語法に訴え、思考を介してウーシアに漸近する方途を示す21)。*23

 

たとえば、小麦が思考を介してヘテローニュモスに「種子」「実」「パン」という多様な位相で把握されるように、子イエスも、「光」「ブドウ」「道」「牧者」という多様な概念 (エピノイア)を介してヘテローニュモスに*24、つまり一つの現実の多様なアスペクト、多様な意味として、ストア的に言うならば、諸々の固有性質がそれについてあるところの実体ウーシア、アリストテレス的に言うならば、諸々の属性がそれについてであるところの基体ウーシアの理解へと漸近していくことになる。言うまでもなく、バシレイオスにとって神のウーシアは不可知であるが故に、このように三つの神的ヒュポスタシスから始めて、各々のエピノイアを介して漸近していく先のウーシアがはたして同一本質 (ホモウーシオス)となるのか、相似本質 (ホモイウーシオス)となるのか、それが彼にとってまさに喫緊の問いとなる。


Ⅱ ホモイウーシオス(相似本質)期のバシレイオス


『エウノミオス論駁』執筆にわずかに先立つ 360 年頃に書かれたと推定されるラオディキアのアポリナリオス宛ての書簡 361 では、旧弊なニカイア右派的同一本質 (ホモウーシオス)理解から相似本質 (ホモイウーシオス)派への移行とも取れる叙述がは
っきり見て取れる。すなわち、

 

〈父〉のウーシアとしてどのようなものが想定されようと、それは、必ず〈子〉のウーシアともみなされねばならない。したがって、誰であれ、もし、〈父〉のウーシアを「永遠の、生まれざる、可知的光」(φῶς νοητόν, ἀΐδιον, ἀγέννητον)と述べるのであれば、その者は独り子のウーシアをも「永遠の、生まれざる、可知的光」と述べるであろう。そのような意味における限り、「変わらざる相似」(τὸ ἀπαραλλάκτως ὃμοιον )という句は、「ホモウーシオス(同一本質)」よりふさわしいように私には思われる。というのは、異なる物体のうちにある光同士は同じではあり得ない。なぜなら、それぞれは、「固有の存在(ウーシア)領域のうちに」(ἐν ἰδίᾳ περιγραφῃ τῆς οὐσίας)あるからである。しかし、その場合でも「ウーシアにおける、まったく変わらざる相似」という表現は、ただしく述べられているように私には思われる。


確かに、ここにはホモイウーシオス(相似本質)派に特有の表現、「ウーシアにおける相似」(o{moion kat= oujsivan)が見出される。この点で研究者の解釈は別れるのだが*25、いずれにせよ、この段階では、〈父〉〈子〉〈聖霊〉はあくまで個体(実体)として理解される限りで異なるのであって、位格特性における異なりとしては明確に説明されておらず、したがって、それらの統一も同一性によるのか類似性によるのか不明のままである。


先の引用にも見られたように、バシレイオスは、特殊実体を指すのに、しばしば「ウーシア」という語を用いる。その結果、彼はウーシアをめぐるディレンマに直面せざるをえない。すなわち、もし、具体的な個体(ヒユポスタシス)のうちに存在性をもたないウーシアは現実には存在しえないのだとすれば、それ自体、一つの統一体として分割不可能なはずのウーシアは、三つの独立固有の位格 (ヒユポスタシス)において、既に予め分割された仕方でしか存在しえないことになる。

 

それゆえ、〈父〉と〈子〉の実体同士が異なると主張するエウノミオスら新アレイオス派に対して、バシレイオスはウーシアの個別特殊面からその共通面へと強調点をシフトせざるをえない事情にあった。その要請を満たしてくれたのがストア派のウーシア説である。

 

その名が異なるものは、必然的に「ウーシアにおいても」異ならねばならない、などと付け加える者が誰かいるだろうか。というのも、ペトロやパウロ、さらに一般にあらゆる人たちの名は異なるけれど、彼らすべてのウーシアは一つだからである。……われわれは、各々の特性と思われるものによって、一方を他方から区別してきた。(固有)名はウーシアを意味しているのではなく、各々に固有の特性を意味しているのである。したがって、ペトロという名を聞くとき、われわれはその名によって彼のウーシアを理解しているのではない。(ここで私は、質料的基体(τὸ ὑλικὸν ὑποκείμενον)のことを「ウーシア」と呼んでいる)。*26


確かにこの箇所では、質料的基体をウーシアとみなすストア的実体観を取入れているように見えるが、もう一箇所、同書においてストア的実体としての質料を論じる箇所では、明らかにそれをウーシアとみなす考えを退けている。「もし、実体ウーシアの共有(τὸ κοινὀν τῆς οὐσίας)をそのように先在する質料(ἐξ ὓλης προϋπαρχούσης)からの何らかの分割、区分として考えると言うのならば、私たちはそうした考えを決して受け入れないだろう」*27と。近年の研究では、バシレイオスへのストア派の影響の大きさが強調されるが、少なくともウーシア概念に関しては、彼の態度はきわめて両義的であると言えるだろう。とりわけ、直前の引用の直後、つまり『エウノミオス論駁』第 1 巻19 章において、バシレイオスはむしろアリストテレス的とも言うべきウーシア観を持ち出してくる。すなわち、

 

もし人が、実体ウーシアの共有を以下のように受け取るのであれば、すなわち、〈父〉と〈子〉両者において、一にして同じ存在定義(ὁ τοῦ εἶναι λόγος)が観取されるように、またもし仮に〈父〉が基体としての限りで光と見られるならば、独り子の実体も光であると認められるように、さらにまた、何であれ〈父〉に帰せられる存在定義と同じものが〈子〉にも当てはまるように、そのように実体の共有が受け取られるならば、それが私たちの見解である。*28

 

ここでのウーシアは、明らかにアリストテレス的な本質形相のロゴスを意味している。ここまでくれば、その執筆が 376 年に確定された書簡236 において、ウーシアとヒュポスタシスの区別に普遍(κοινόν)/特殊(ἲδιον)区分を重ね合わせた解釈へと後一歩となる。

 

ウーシアとヒュポスタシスは、普遍と特殊とがもつ区別をもつ。たとえば、「生き物」が「この人」との間にもつ区別のことである。したがって、われわれは、あれこれとその 存在定義 (ホ・トウ・エイナイ・ロゴス)を多様に語らぬために、神を一つのウーシアと呼び、他方、〈父〉〈子〉〈聖霊〉についてわれわれがもつ観念 (エンノイア)が混乱のない明白さを保つために、ヒュポスタシスを特殊個別なものと呼ぶのである。神性は普遍であり、〈父〉性は特殊なものである。そして、それら両者を結合して我々は、「私は〈父なる神〉を信じる」と言うべきなのである。


しかし、ここでの特殊と普遍の区別は、アリストテレス的な具体的個物(第一実体)と類・種としての第二実体の区別として理解できる以上、ここで共有された神的な一性とはいかなる本質的な原理でもなく、むしろ抽象的で概念的な「普遍」ということになるだろう。


以上のように、三つの位格(ヒュポスタシス)の固有性を保持しつつ、それらを一つのウーシアへと統一しようというバシレイオスの試みは、ギリシア哲学をその都度の手段としつつ、かえってその手段の思考的枠組みに囚われて、ややもすると一なる神のウーシアが備えるべき力動性を見失い、静態的な図式的理解に陥りがちであった。彼がこうした窮状を脱するには、晩期の『聖霊論』を俟たねばならない。


Ⅲ 『聖霊論』における力動的ウーシア論への展開


1.プロティノスの影響


『聖霊論』という、聖霊の神性を認めないプネウマトマコイと呼ばれた人々に対する論難の書にあって、きわめて思弁的な語り口による第 9章は、何らかの異教哲学から、とりわけプロティノスの『エネアデス』V1 からの影響が詮索され続けていた個所である。たとえば、その典型的な個所が以下である。

 

聖化を必要とするものはすべてそれに向かっており、徳に従って生きるものはすべてそれを希求している。……それは他を完全ならしめるものとして、……「生命の付与者](ζωῆς χορηγόν)であり、付加によって増大するのでなく、そのままに充満であり、自らの内にとどまり、しかも至るところにある。それは「聖化の原因」(ἁγιασμοῦ γένεσις)であり、……あらゆる理性的能力に、真理を見出すために一種の明るさを与える叡知的光(φῶς νοητόν)である。*29


「生命の付与者」という、アレクサンドリアのクレメンスやオリゲネス、さらにグレゴリオス・タウマトゥルゴスらに見いだされる定型表現がポイントとなる。プロティノスにも 4 例(VI 9、 9、 50(一者を指す);IV 7、3、 16(魂);V 1、 2、 9(世界魂);V 1、 2、 10)見出されるが、彼によれば、魂は自己自身を全体として与えるのであって、その力はあらゆるところに遍く現在すると言われている。同様に『聖霊論』においても、生命の付与者は自らを部分としてでなく全体として与え、その働きは至るところに臨在していると述べられる。


プロティノスからの影響をより一層強く鮮やかに示したのが H.Dehnhard である*30。彼は、『聖霊論』と『エネアデス』V1 の間に、若きバシレイオスの作とみなされる『霊について(De Spiritu)』を置き、その書がオリゲネスやグレゴリオス・タウマトゥルゴスの聖霊論の基本思想を理論的に展開するために、『エネアデス』V1 をほぼ逐語的に下敷きにした書き換えであることを立証した。この解釈については、さっそく J. Gribomont や J. Daniélou らの大御所が、基本的には彼の解釈の可能性は認めるものの確証は得られないという批判的な論調の書評を発表し、今もって議論の決着はついていない。最大の争点は、『霊について』のバシレイオスによる真筆性をめぐるものであり、J. M. Rist もまた、この解釈を批判的に考察し、最終的にバシレイオスがプロティノスのテキストから直接の影響を受けた可能性に強い懐疑を示している。*31


しかし、筆者としては、仮に『霊について』がバシレイオス自身の筆によるものでないとしても、その小品を彼が読み、それに影響を受け自らの『聖霊論』に何らかの形で取り入れることは、当時の「テキスト共同体*32」的な著作状況に鑑みれば何の不思議もないと思われる。むしろ注目すべきは、〈父〉や〈子〉のようにいわば実体視しやすい位格と異なり、その非物体的遍在性が取り沙汰される聖霊を論ずるにあたって、プロティノスの当該テキストにおける魂の非物体的な存在性格が必要となった点にある。ストア学派やアリストテレス哲学の語彙によって自説を補強してきたバシレイオスにとって、このことのもつ意味は決して小さなものではなかったと思われる。

2.共に数えられる三位格


その意味を、『聖霊論』で用いられる「共に数える」「下に数える」という特殊な表現の解釈を通して探っていきたい。というのも、「聖霊は〈父〉と〈子〉と共に秩序づけられ、共に数えられるもの(συναριθμούμενον)ではなく、彼らの下に秩序づけられ、下に数えられるもの(ὑπαριθμούμενον)である」*33というエウノミオスやプネウマトマコイの主張に対し、バシレイオスが展開する議論は、ホモイウーシオス期とは明らかに異なるからである。

 

そもそも、「いかなるものも自分自身とホモウーシオスではなく、あるものは別の何かとホモウーシオスなのである」*34。その限りで、三つのヒュポスタシ
スの離存・個体性は予め前提されている。にもかかわらず、同時にそれらをいかにして「共に数える」か、つまり一つのウーシアとして把握するか、というのは極めてパラドクシカルな問いである。

 

バシレイオスはこの問いに対し、神の超越の観念に訴え、慎重に答えていく。まず、そ
のウーシアが人間知性には語ることも思考することもできない不可知な神は、同時に数を超えた加算不可能なものでもあることを彼は強調する。可能な方途は、「語り得ないものを沈黙のうちに称えるか、あるいは聖なるものとして敬虔な仕方で数える」*35しかない。

 

結論から先に言えば、バシレイオスの解決策は、この二者択一を一つに合致させることにある。すなわち、敬虔な仕方で数えるとは、沈黙のうちに父と子と聖霊に対し一なる崇敬をささげることにあるといえる。既に見たように、三一の神を前にしてギリシア哲学諸派のウーシア論は悉くその限界を露呈し潰え去った感があるが、もっとも素朴な物質的実体観の残滓は容易に消えることがなかった。そもそも神的位格が三つと数えられるのは、たとえば三人の人との類比によるものに過ぎない。

 

バシレイオスは数え挙げ行為そのものにメスを入れる。数とは「基体の多さによって測られた記号」*36、「量の認識のための記号」*37であり*38、数え挙げは、数え挙げられる事物と共通の「種」を単位メトロンとすることによって成立する。たとえば、ペトロとパウロは単位としての「人」によって一人一人と数え挙げられ、合計二人となる。それゆえ、特殊位格に共通な普遍である「神性」を単位にする限り、われわれは三つの神々を認めざるを得ない。個体・実体性の残滓がウーシアの伏在的なイメージとして払拭しきれずに残っている限り、「共に数える」ことは叶わない。


そこでバシレイオスが最後に採った途は、「ホモウーシオス」理解からそこに伏在していた個体・実体的な含意を取り除き、三つのヒュポスタシスの関係性を脱実体化し、力動的な関係へと変容させることであった。彼は神的な権威、栄光、神への賛美、崇敬に焦点を合わせ、物体的な実体ウーシアの代わりに非物体的な力、いわば生命付与の根拠をウーシアとして導入した。

 

同様に、『聖霊論』において、誤解を生じやすい「ホモウーシオス」という鍵語が消えて、「ホモティモス」(同じ栄光)という語が新たに神的なヒュポスタシス間の非物体的統一を表すべく登場する。この限りで、「共に数える」ことは限りなく「共に崇める」ことへと重なっていく。すなわち、「聖霊は、同じ栄光に値する仕方で(ὁμοτίμως)、〈父〉と〈子〉と 共 に 数 え ら れ(συναριθμεῖται)、共 に 崇 められる(συλλατρεύεται)」*39限り、「三つのヒュポスタシスを告白してなお、〈一つの神〉(μοναρχία)の真なる教えが失われることはないのである」*40

 

かくして、光源とそこから出た光が同じ光であるように、「〈父〉から出て独り子を経て聖霊に至る」*41かかる同一の崇高で神的な力こそが、三つのヒュポスタシスを統一するウーシアである、そうひとまずは結論できよう。*42


おわりに


以上を顧みるに、エウノミオスら非相似(アノモイオス)派との対決から、相似本質(ホモイウーシオス)派やサベリオス主義的なニカイア右派(同一本質〔ホモウーシオス〕派)、さらにはプネウマトマコイたちとの晩年の論争にいたるまで、ひたすら「三つのヒュポスタシスが一なるウーシアであること」の理解をめぐってなされた数々の議論が、同時にバシレイオスのウーシア - ヒュポスタシス理解をも深めていったことは想像に難くない。その際、アリストテレスやストア派、さらにプロティノスら諸派の哲学が、その都度、彼に及ぼした影響は決して小さいものではなかった。*43


したがって本稿では、まず彼の三一論理解を支えるその都度の哲学的影響をしっかりと見定めることによって、彼のウーシア - ヒュポスタシス理解のいわば発展・深化とでもいうべき経緯を跡付ける試みがなされた。

 

その結果、『エウノミオス論駁』期には、アリストテレス実体論にストア的意味論を無理やり接ぎ木することによって、限りなく相似本質派に近づきつつも、辛うじてなお親ニカイア派であり得たバシレイオスが、その後の『聖霊論』において、プロティノスからの影響のもと、聖霊を〈全体として遍く現在する生命付与の非実体的力〉と解することで、「ホモウーシオス」という概念に伏在していた個体・実体性および本質・実体性の含意を払拭し、三位格ヒュポスタシスを関係づける神的な 力(ドュナミス)という力動的なウーシア観にまで至る、そのおおよその経緯が明らかになったものと思われる。

ー終わりー

 

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*1: Cf. Basilius, De Spiritu Sancto(以下 DSS と略記), ch. 30, 76. なお本稿で使用した校訂版はH. J. Sieben, Basilius von Cäsarea, De Spiritu Sancto, Über den Heiligen Geist, Herder, 1993.

*2:本稿で使用した校訂版は,Basilius, Contra Eunomium[以下 CE と略記], eds. B.Sesboüé, G.-M. de Durand, and L. Doutreleau, 2 vols. SC 299, 305, Paris, 1982-3.

*3:詳細な記録が失われた今、ニカイア信条本文は、教会史家や教父らの著作に再録されたものを参照するしかなく、ここで挙げる版も、バシレイオスの書簡 125 に完全な形で収められたものから抜き出したものである。

*4:それゆえ、「本質」「位格」などと後に術語として定着した語義を表す訳語をこの時期の議論に適用することは、当時の状況を無視し、その理解を妨げることにもなりかねない。
本稿において、敢えて「ウーシア」「ヒュポスタシス」という表記を用いる所以もそこにある。同様の問題は「ウーシア」と「フュシス」および「ヒュポスタシス」と「プロソーポン」の語義区分についても見出され、バシレイオスにおいても晩期の『聖霊論』にあってさえ、それらの語義区分は曖昧なまま併用されていた。なお「ウーシア」と「フュシス」を明確に語義区分したと解釈され得る彼の書簡 38 には従来から真筆性の問題があり、現在ではニュッサのグレゴリオスの手になる書簡とみなす立場が有力である。この点については以下の拙稿参照;“The Theological and Philosophical Background of Basil of Caesareaʼs Trinitarian Theory─Focusing on the Comparison between his Works and “his” Ep. 38,” Scrinium 4 (Revue de patrologie, dʼhagiographie critique et dʼhistoire ecclésiastique), 2008, pp.60-76.

*5:この故に故意に「ウーシア」を避け「ヒュポスタシス」を用いたアレクサンドレ
イアのアレクサンドロスやイェルサレムのキュリロスのような論者もいた。cf. C. Stead,
Divine Substance, Oxford, 1977, pp. 160f.

*6:ウーシア概念の基本構造に関しては以下の拙稿を参照されたい。「ウーシア論の展開として見た三位一体論―バシレイオス研究序説―」『中世哲学研究 VERITAS』第 27 号2008 年1-17 頁。

*7:「諸事物の永遠なる本質(ἁ ἐστώ)と自然そのものは、神的な認識を許容し、人間の認識を許さない」H. Diels-W. Kranz, Die Fragmente der Vorsokratiker, 1er Bd., Berlin,19516, S. 408.(『ソクラテス以前哲学者断片集』第Ⅲ分冊岩波書店1997 年81 頁)。なお,ここで ἁ ἐστώとはドーリア方言でウーシアを意味する。

*8:ここでの「離存可能なもの」(χωριστόν)とは「何があるか」(εἰ ἔστι)に対応する究極の基体すなわち形相と質料の結合体である個体が「端的に(ἁπλῶς)独立離存するもの」であるのに対して「何であるか」(τί ἐστι)に対応する型や形相が「説明規定において(λόγῳ)離存可能なもの」(Met. Ⅷ 1,1042a29)すなわち思考においてのみ独立離存したものとして解され得る,という意味である。

*9:Met. V8、 1017b23-26

*10:上記の「実体」が第一カテゴリーであり,第二のカテゴリーが性質(ποιότητες)である。ストア派において、世界のうちに存在するとは、性質づけられた物質的なものとして個別的に存在することに他ならない。したがって個物は、「個別的な性質」(ἰδίως ποιόν)によって性質づけられており、それら諸個物の間で共有される性質が「共通の性質」(κοινῶς ποιόν)ということになる。第三カテゴリーが「様態」(πῶς ἒχον)、第四カテゴリーが「関係的様態」(πρός τί πως ἔχον)となる。

*11:T. Kobusch, “Die Epinoia─Das Menschliche Bewusstsein in der antiken Philosophie,” in Gregory of Nyssa: Contra Eunomium II, Brill, 2007, p. 6.

*12:Ⅱ Cor. 9:4、 11:17; Heb. 3:14、 11:1.11

*13:Ammonius, In Porphyrii Isagogen, CAG IV/3 40, 6-8.

*14:Alexander Aphrodisiensis, In Aristotelis Metaphysica Commentarius, CAG I 483,23-28.

*15:Ibid., I 52, 13-16

*16:Basilius, Ep. 210 (R. J. Defferrari (tr.),Basil,Letters vol. 3,Cambridge Mass.1953. p.208.論敵に対する修辞的表現としてグレゴリオス・タウマトゥルゴスがサベリオス主義の典型を定式化したものをさらにバシレイオスが引用したもの。

*17:例えば,Origenes, Commentarius in Iohannem, II 75「わたしたちは、御父と御子と聖霊という三つの実在 ヒュポスタシスが存在すると教えられています」(『ヨハネによる福音注解』小高毅訳.創文社1984.p. 115)(Pseudo-)Athanasius, Oratio quarta contra Arianos,(A. Stegmann 2, 24-29):「サベリオスに従って〈父〉と〈子〉が同一なのではなく、〈父〉は〈父〉であり,〈子〉は〈子〉であるが故に両者は二なのであるが他方、〈子〉のウーシアは〈父〉のウーシアであり、〈子〉に固有のロゴスは〈父〉のロゴスであるが故に両者は一である。

*18:Didymus Caecus, Commentarius in Psalmos, 109, 16-20.

*19:Cf. Basilius、 Ep. 210 (R. J. Defferrari,op. cit.、 p. 210):「ウーシアの共有(τὸ κοινόν)を認めない者が多神論に行きつくように、ヒュポスタシスの個別性(τὸ ἰδιάζον)を認めない者はユダヤ主義に陥る」。

*20: Cf. Eunomius, Apologia 8 (Richard P. Vaggione (ed.), Eunomius: The Extant Works,Oxford, 1987, pp. 40-42):「「生まれざるもの」(ajgevnnhtoς)と語られるとき、人間の思考(エピノイア)のみによって名だけで神を称えるのではなく、真理によって、あらゆるもののうちでもっとも神に帰すべきもの、すなわち「〔神が〕それであるところのものであること」の告白を神に返すべきであると思われる。なぜなら、思考によって語られるものは、名と音声のうちにその存在をもち、音声と共に消失する本性のものであるが、神は、そうした音声のあるなしにかかわらず、あらゆるものが生じる以前に「生まれざるもの」であったし、またそうあるからである。」

*21:Cf. Gregorius Nyssenus, Contra Eunomium II 11 (GNO I, 229, 29ff). このように意味領域を無化し人間の意識活動の独立性を否定していく反ストア的なエウノミオスの立場を同様にストア派に批判的であったプロティノスからの影響とみなす解釈については T.Kobusch, op. cit., p. 12 を参照。

*22:CE I、 6、 51-54

*23:対して,エウノミオスはポリュオーニュモスすなわち意味も指示も同一の語法に訴え,「私は存在するものである」(ἐγώ εἰμι ὁ ὢν)(Exod. 3:14)や「唯一の主」(Deut. 6. 4)さらに「生まれざるもの」といったエピノイアがすべて同一の意味(σημασία)で一なるウーシアを指示すると主張する。cf. Eunomius, Apologia 16-17 (Vaggione, op. cit., pp. 52-54). 因みに「父」という名はエウノミオスにとっては,神のウーシアではなくその活動エネルゲイアを意味する語であるためにポリュオーニュモスな神名とはみなされない。

*24: Cf. CE I, 7,10ff.

*25:文字通り,この時期のバシレイオスをホモイウーシアンととる立場(例えばHildebrand)、書簡 9 を論拠に、ここでの「ウーシアにおける類似」はホモウーシオスととる立場(Prestige)、あるいはホモイウーシオス派のアプローチとも、アタナシオス的なホモウーシオスへのアプローチとも異なる、確定記述句(ロゴイ)の共有という面から〈子〉の神性を説き明かす立場(Sachhuber)などと多様である。

*26:CE II、 4、 1-11

*27:CE I、 19、 27-30

*28:CE I、 19、32-40

*29:DSS IX. 22

*30:H. Dehnhard, Das Problem der Abhängigkeit des Basilius von Plotin.Quellenuntersuchungen zu seinen Schriften De Spiritu Sancto, PTS 3, Berlin, 1964.

*31:J. M. Rist, “Basilʼs ʻNeoplatonismʼ: Its Background and Nature,” in Basil of Caesarea,ed. by P. J. Fedwick, Toronto, 1981, pp. 193-195.

*32:ここで「テキスト共同体」とは、一方でプラトン、アリストテレス以降蓄積され続けたギリシア哲学系文献と、他方でユダヤ教以降,聖書や教父文書として蓄積されたテキスト群、また修道士の間で公のかたちでではなく命脈を保ち続けたキリスト教的な信念群、そういったさまざまな「共通の観念」(κοιναὶ ἒννοιαι; DSS, ch. 9, 22)が、祈りや典礼の実践と呼応し合い,解釈の地平とすら呼びうるほどの射程で共有され続けてきた古代末期東方の豊かな思想的土壌のことをさしあたりは意味している。

*33:DSS ch. 6,13

*34:Ep. 52、 3; 3-4

*35:DSS ch. 18、 44

*36:DSS ch. 17、 43

*37:ch. 18、 44

*38:バシレイオスによるこの数の規定は,ピュタゴラス派やアリストテレスの規定(「数とは測られた多さ,あるいは単位の多さである」(Aristotle, Metaphysics, Book N,1088a5-8))とほぼ同じものである。アリストテレスにとって「一」は数ではなく,数え挙げの単位である。W. D. Ross(Aristotleʼs Metaphysics, vol. II, p. 473)によれば,おそらく最初に「一」を数として扱ったのはクリュシッポスの後継者だとされる。

*39:Ep. 90、 2; 23-24

*40:DSS ch. 18、 47

*41:ibid.

*42:しかし「ウーシアが相互に区別され得ないなら力(δύναμις)も区別され得ず,働き(ἐνέργεια)もまた同じである」DSS ch. 8, 19とされる限り、ここでは既にウーシアとデュナミス/エネルゲイアをめぐる新たな問題が始まっている。晩期のバシレイオス(e.g. Ep. 189)やニュッサのグレゴリオス(e. g. Trin. 5, 18ff.)が三一論の要として 力(デユナミス)や働き( エネルゲイア)をどのように理解していたのか、その重要な論点については他稿を期さざるを得ない。

*43:それどころか,もしバシレイオスに見いだされる哲学的特徴がどの派のものかが特定できるならば,逆にその特徴の有無によって彼の真筆性問題を解決することさえ可能となるだろう。たとえば書簡 38 の著者問題をめぐっては,彼の三一論理解をアリストテレス的であるとみなす V. H. Drecoll (Die Entwicklungder Trinitätslehre des Basilius von Cäsarea:
Sein Wegvom Homöusianer zum Neunizäner, Göttingen 1996, S. 297-331)のような研究者によって、それはあくまでバシレイオスの真筆と判定されるが、他の多くの研究者たちが主張するように、ストア派からの影響が極めて濃厚だとみなされる限り、アリストテレス的色彩の濃いその書簡は彼のものではなく、むしろニュッサのグレゴリオスに帰されるのが妥当だということになるだろう。