さまざまな空想の妄から解き放たれた心は、それ自身の内に聖く神秘的な思念を生み出すようになるだろう。それはあたかも、穏やかなる海で、魚が跳ね上り、イルカたちがはね回るのを見るかのごとくある。
バトスのヘシュキオス*1
〔黙想的な祈りの〕豊満性は、知性を排除するものではありません。そうではなくそれは知性に肥料を与え、より肥沃にするのです。教父たちの霊性は反知性的ではありません。彼らにとり、人間とはlogikos(λογικός, 理性的、合理的)な存在です。人間はロゴスのかたち(image)であり、意味を理解し、理に適った論理を打ち立てることができるのです。
知性が神の光と愛によって満たされてゆけばゆくほど、それはますます清められ、純化され、広げられ、良心的かつ美しい思念が可能とされていきます。バトスのヘシュキオスはそのことをイルカに譬えています。飛び跳ねるイルカが空と海を織り合わせるがごとく、聖められた知性のなす思いや考えもまた、人的なものと神的なものとを結び合わせているのだと。
(イルカは、初期キリスト者たちにとっては勿論、人性と神性が結び合ったキリストを象徴するシンボルでした。*2.)
―オリヴィエ・クレマン