巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

穏やかな海を跳ねるイルカのごとく(by バトスのヘシュキオス)

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さまざまな空想の妄から解き放たれた心は、それ自身の内に聖く神秘的な思念を生み出すようになるだろう。それはあたかも、穏やかなる海で、魚が跳ね上り、イルカたちがはね回るのを見るかのごとくある。

バトスのヘシュキオス*1

 
〔黙想的な祈りの〕豊満性は、知性を排除するものではありません。そうではなくそれは知性に肥料を与え、より肥沃にするのです。教父たちの霊性は反知性的ではありません。彼らにとり、人間とはlogikos(λογικός, 理性的、合理的)な存在です。人間はロゴスのかたち(image)であり、意味を理解し、理に適った論理を打ち立てることができるのです。

知性が神の光と愛によって満たされてゆけばゆくほど、それはますます清められ、純化され、広げられ、良心的かつ美しい思念が可能とされていきます。バトスのヘシュキオスはそのことをイルカに譬えています。飛び跳ねるイルカが空と海を織り合わせるがごとく、聖められた知性のなす思いや考えもまた、人的なものと神的なものとを結び合わせているのだと。

(イルカは、初期キリスト者たちにとっては勿論、人性と神性が結び合ったキリストを象徴するシンボルでした。*2.)

―オリヴィエ・クレマン

*1:シナイ・バトス修道院長のヘシュキオス、On Sobriety and Virtue, 156 フィロカリアⅠ, 165 拙訳

*2:訳注:

traditionalcatholicism83.blogspot.com