巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

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「放蕩娘」の帰郷――アテネ大学法学部マリア・コルナルーさん(21)へのインタビュー記事

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アギオス・エレフテリオス教会(Church of Agios Eleftherios)

目次

 

*このインタビュー記事は、マリアさんの聴罪司祭アステリオス神父様の認可および祝福の下に書かれています。

 

生い立ち

 

聞き手(私):マリアさん、読者のみなさんに自己紹介してくださいますか。


マリア:マリア・コルナルー(Μαρία Κορνάρου)と申します。21歳です。ギリシャ共和国アテネ生まれアテネ育ちで、海外には一度も行ったことがありません。現在、国立アテネ大学法学部4年生です。


聞き手:あなたは2年半前にキリスト信仰を持つに至ったそうですね。どのような経緯で信仰に導かれたのか、これまでの歩みを分かち合ってくださいますか。


マリア:はい。私は、その他のギリシャ人の若者たちと同様、生まれてすぐ正教会で幼児洗礼を受けました。*1 ですが、私の家族は共産党員であり、無神論者でこそなかったものの正教キリスト信仰は全く持っておらず、それゆえ私は教会とは無縁の環境で育ちました。

 

煙草、パーティー、マリファナ

 

中学校に入った頃から世の中の不正や不条理に対し失望し、反抗心が芽生えてきました。煙草を始めたのもこの頃です。高校に入ってからは友達とのパーティーに夢中になり、そこからドラッグの世界に入っていきました。マリファナをやりました。どんどん中毒状態になっていきました。常習的に嘘をつき、親に反抗しまくり、親の財布からお金も盗みました。

 

この時期、あるヒップホップ歌手の虜になり、それだけでなく彼とロマンチックな恋愛関係に入りました。彼もドラッグをやっており、私の他にも多くのガールフレンドがいる人でした。私の方だけを見て、私だけを愛してほしい。それなのに彼はそうしてくれない。。私は自分がひどく価値のない存在のように思われ傷つきました。それでますますパーティー生活とドラッグにはまっていきました。サイケデリックな世界に浸かり、私はニヒリストになっていました。キリストとの出会いがなかったら、私はその内自殺していただろうと思います。自分自身が自分に対するよそ者であり他者でした。

 

魔術の世界へ

 

大学に入学し、その年の12月に私は書店で魔術の本をみつけ、それを購入しました。その書店の店員は私にその他の魔術関係の本をも勧めてくれたのですが、その時私はなぜかこの店員がすごく怖いと感じました。その一方、人生に何も目標がなかった自分にとってWitchcraftという世界は一つの到達目標のように思えました。翌朝、目を覚ました時、私は複数の悪霊の存在を身近に感じ、心底震え上がりました。悪霊の世界のドアを開けてしまったのです。私はそれまで怖いもの知らずで何でも平気でやってきましたが、その日と次の日の二日間、余りの恐怖心から煙草も吸えませんでした。その時本能的に「これはマジでやばい」と感じました。


私はアテネの中央にあるミトロポレオス大聖堂に行ってみようと思い立ち、その方向に歩いていきました。なぜだか知りませんが涙が出ました。教会の中に入ってみることにしました。しかし魔術の本を持参していたためか、大聖堂に入った時、自分が歓迎されていないように感じました。そこで例の書店に戻り、その本を返却し、そうした上でもう一度大聖堂に入ったところ、今度は自分が迎えられているのを感じました。

 

私は正教会の教えについては無知でしたが、一応正教キリスト教社会に生きてはいたので、告解の秘跡とかそういうものがあることは知っていました。それで中にいた神父様の所に行き、「魔術の本を買いましたので、懺悔したいと思います」と言い、告解の秘跡を受けました。神父様は赦しの祈りを祈った後、12日後に御聖体を受けることができますよと言ってくださいました。そして実際、12日後にはじめて御聖体をいただきました。しかしその時点ではまだ私は自分の罪深いライフ・スタイルを悔い改める気持ちはありませんでした。そして引き続き、悪魔に憑りつかれている感覚が離れませんでした。罪の中に深く沈んでいる状態は悪魔に属していることの現れです。


ギリシャ旧暦派(Greek Old Calendarists)分離グループへ


自分の罪深いライフ・スタイルはそのままでしかも魔術の呪いから解かれる方法はないものだろうかとインターネットで検索している内に、「ギリシャ旧暦派」という分離主義諸グループの存在を知るようになりました。

 

1923年までは全正教会はユリウス暦を使用していましたが、主に政治的な理由が元で、ギリシャ正教会は修正ユリウス暦というものを用いるようになりました。これを聖伝からの逸脱と捉える伝統派司祭や信徒たちが猛烈に反対し、彼らはギリシャ正教会における司教とのコミュニオンを絶ち、独自のグループを始めました。(*アトス山修道院やロシア正教会なども旧暦を用いていますが、彼らは使徒継承を持つ司教とコミュニオンを保っているので合法性を持っています。それに対し、ギリシャ旧暦派諸グループはそれを拒絶した上で母教会から分離したため、非合法な状態にあり、司祭叙階もサクラメントも非合法かつ無効です。それゆえこれらの分離派グループは教会の外側にいます。)*2

 

叙階や秘跡の内に恵みがなく真の効力がないため、皮肉なことに私の行った旧暦派グループの中には魔術の霊から解放されず、それどころか依然として現役の魔術者としてグループ内で活動している人々もいるほどでした。

 

ある時、その人たちが私を車に乗せ、コリント市近郊にある彼らの家屋に連れていきました。まず彼らは私をアルコールで酔わせました。オリーブ庭の中にベッドが二台置いてあり、彼らの一人がペンダントを用いユリ・ゲラーのような超能力を行ない、その後、私にまじないをかけました。

 

私は常に自分自身に対し偽ってきたので、この罠から逃れることができませんでした。『カラマーゾフの兄弟』の著書の中で、ゾシマ長老が好色漢フョードルに対し、自分自身に対して偽ることをまずやめなければならないと諭している場面があったと思いますが、私もまさにその状態にありました。彼らはこれら一切の儀式を無料で私に行なってくれていました。「なぜ無料なのだろう?」――酔っていて頭が正常に働いていなかったせいかもしれませんが、私はその時、彼らの真の魂胆は私を悪魔儀式の中で生贄にすることなのではないかと思い、パニックに陥り、ダッシュでその場から逃げ出しました。

 

その後私はこの魔術グループから離れたのですが、悔やまれることに、私は自分の友人を以前このグループに紹介し、彼女はその後そこに深入りしていったのです。私は自分がどんなに罪深いことをしてもそれはあくまでも自分の選択であり、他の人には迷惑をかけていないのだからOKだと思っていました。しかし今私は、自分の行なった選択(=魔術グループへの参加)が自分の友人を破滅の道に誘因するきっかけとなったことを目の当たりにし、自分の罪は自分だけにとどまるのではなく、他の人をも巻き込み、彼らに害を及ぼすものでもあることを思い知ったのです。


エヴァンジェリカル教会の姉妹に出会う


同じ時期にある人を介して福音主義教会に通う女性と知り合いになりました。彼女は聖書を開き、御言葉からいくつかの良いことを語ってくれました。そこの教会のユース・バイブルキャンプにも参加しました。若者たちは朗らかで生き生きしていました。でもそこで行なわれていたプレイズ&ワーシップ礼拝は、ただひたすらに感情(エモーション)に訴える、この世的で現代アメリカチックなものでした。こういう場所に聖霊が宿っているとはとても思えませんでした。*3

 

Youtubeを通し、プロテスタント系のチャンネルを多く観、そこで「ラプチャー(携挙)」とか「終末預言」等にも一時期はまりました。かたくなに自分の罪の悔い改めを拒んでいたために、私は、次から次に偽りの教えや偽りの諸霊の罠に陥っていくという悪循環の内にありました。


精神分析家兼司祭の所に相談に行く


その後、やはりプロテスタント系はダメだということに気づき、相談することのできる正教司祭を探し始めました。この過程で、精神分析家でありかつ正教司祭である神父様に出会いました。彼と一緒にある集会に行った後、私は家でお酒を飲みながら「やっぱり教会とかに関わるのはしんどい。もう離れようか」と一人悶々としていました。でもその時、主が私の心を照らしてくださり、私はもはや自分が後戻りできないということを悟りました。私はその場に跪き、「神様。自分の人生をあなたに明け渡します」と泣きながら祈りました。内側から何かが抜本的に変わり始めたのを感じました。


その精神分析家・神父はいくつかの有益な助言をくださいました。しかし彼の著作を読み、この正教神父が同性愛実践を擁護し、LGBTQやトランスジェンダー主義を促進するプログレッシブなサイトに寄稿していることを知り、私はたじろぎました。というのも私自身、男友達とだけでなく女友達ともレズビアン同性愛行為をしていた経験があり、「キリスト者として生きること」と「同性愛を実践すること」は決して共存し得ないことを知っていたからです。私はゲイ・パレードにも参加していました。

 

この神父は「パウロは当時の文化的制約の中で同性愛の非を論じており、従ってパウロの言明は現在の文脈には適用できない」という具合に、ちょうどプロテスタントやカトリックのリベラル派論者と同じようなことを説いていました。使徒パウロや初期教父たちが数行で言明できていた内容を、彼のようなエキュメニカル派の人々は600ページにも渡って長々と新説を展開し、そうして尚、答えに窮している始末です。しばらくして私はこのリベラル司祭の元を離れ、再び聴罪司祭を探し始めました。*4*5

 


真の悔い改め


2年半前の秋、私は一週間、家から外に出ず、ひたすら祈りと断食に専心することにしました。別に誰から教えられたわけでもないのにその時なぜか、祈りと断食をしようという思いが与えられたのです。祈りの中で私は自分の数々の罪がどれほど醜く汚らしいものであるのか示されました。私は自分の罪にも、そして自分自身にも吐き気を覚えました。魂の周りに数多くの情念が汚らしくへばり付いていました。それらの情念をさまざまな仕方でカモフラージュしてきましたが、それらは悔い改めない限り自分から離れないことを悟り、私は今後なんとしてでも霊的バトルをし、神様の元に立ち帰ろうと決心しました。

 

インターネットで検索する中で、昔祖母が通っていた聖大バシレイオス修道会内で開催されている大学生のためのバイブル・スタディーが主日の礼拝後行われていることを知り、そこに行ってみることにしました。ちょうど階段の所で、一人の修道司祭が降りてくるのに気づき、私は「おお、あそこに神父様がいる!」と、一目散に彼の所に行きました。今度こそ真の懺悔でした。悔い改めなければならない罪が多すぎて、全部告解するのに何時間もかかりましたが、アステリオス修道司祭は忍耐と愛をもって最後までじっと耳を傾けてくださいました。そして罪赦され、私は12日後、喜びの内に御聖体をいただいたのです。*6

 
聞き手:あなたの人生の中で働いてくださっている神様のすばらしい御業を褒めたたえます!

 

マリア:最後に日本の皆さんに一言メッセージしてもよろしいでしょうか。


聞き手:どうぞ、どうぞ。


マリア:私は日本および日本文化を愛しています。子供の頃から日本のアニメが好きで、大きくなってからは黒沢明監督の作品などを観賞していました。ギリシャと日本には歴史的相似性があると思います。というのも、両国共に、300-400年という長い歴史的期間、前者は「オスマン・トルコによる支配」、後者は「鎖国」という形をとって、西欧との接触が断ち切られていました。そして両国共に19世紀になり「開国」となりましたが、いずれの国も、前近代の要素を残存させつつ近代国家建設を始めました。20世紀に入ってからのコミュニズム、フェミニズム等による影響、独裁制、戦後の急速な西洋化なども共通していると思います。私は日本人の勇者精神が好きです。もしも日本が正教国だったら、この地からは聖人が続出していたに違いないと私は思います。


聞き手:ありがとうございます。あなたはさまざまな新聞やE雑誌に信仰や文化、政治に関するテーマで積極的に記事を投稿していますね。すばらしいです。あなたと連絡を取りたい日本の読者の方はどこにコンタクトを取ればよいでしょうか。


マリア:私のEメールは、mariaa.korn@gmail.comです。それからフェイスブックは、https://www.facebook.com/marikamkorn/です。英語もしくはギリシャ語でコミュニケーションを取ることができます。どうぞよろしくお願いいたします。

 

ー終わりー

*1:マリアさん註:私の正教帰郷はマルコ15章の「放蕩息子」の現代バージョンといっていいかと思います。魔術に対し恐怖を覚え、それを拒絶する上で助けになった一つの重要なファクターは、正教会でバプテスマを受けていたことにあります。バプテスマの後、聖霊はその人の心の内で働きます。魔術のあの本を買った後、幼児期に受けた私のバプテスマの秘跡が「活性化し」、聖霊は私を正しい諸結論に導き、悔い改めるよう助けてくださいました。もしも洗礼を受けていなかったら魔術やその他の悪魔的諸実践から守られるすべなく私はおそらくずっと危ない所にひきずられていただろうと思います。幼児洗礼に関しては教派間で異なる見解がありますが、正教会ではこれが実践されています。たとえ人が神との正しい関係になく、罪の内を生きていたとしても、洗礼の秘跡は彼らが崖っぷちにいかないよう抑制し、自分がそうだったようにピンチに陥った時、神様に立ち帰るのを助けてくれます。一説によると、ギリシャやその他の正教諸国において、広範囲に渡る魔術の慢性的問題(例:アフリカ)がなく、連続殺人や非常に歪んだ犯罪ケースが少ないのは幼児洗礼の秘跡ゆえだとされています。アフリカで働いている宣教師の方々の証の中でも幼児洗礼が行なわれている社会では人々の顔つきにも違いがみられ、(それが実践されていない社会に比べ)人々の顔が輝いているというコメントがありました。不幸なことに、ラディカルな脱キリスト教化により、最近では、ギリシャ人の中にも生まれてくる子供たちに洗礼を授けない親も増えてきています。前首相は無神論者でしたが、彼はわが子に洗礼を授けていませんでした。ギリシャ共和国において将来的に、子に洗礼を授けないことが「当たり前」になってゆくのでしょうか。そうならないことを願います。というのも先程申し上げましたように、どん底のどん底にいた時、バプテスマの秘跡は私を助けてくれたからです。また小学校で暗唱したわずかな祈りの句(「主の祈り」。うる覚えでしたが、、、)もまた、暗闇の諸霊に直面していた時、大きな力になりました。しかしながらギリシャ共和国においてこのまま脱キリスト教化政策が続くとなると、次の世代の子供たちは、悪魔の攻撃に対する信仰の守りをほぼ全部剥奪されることになるでしょう。とても悲しいです。

*2:ブログ管理人註:ギリシャ旧暦派を巡る正教会内の論争

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*4:マリアさん註:前述した精神分析家兼神父のように、ギリシャ正教の司祭の中にはLGBTアジェンダを推進しているプログレッシブな人々もいます。ですが全般的にみて、この闘いにおける最後の要塞は正教である可能性は高いと言えます。教会とこの世が別個のものであること、この世は私たちの敵であり、私たちは「あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです」(ヨハネ16:33)というイエス様の御言葉を私たちは認識しています。また全世界は悪い者の支配下にあることを私たちは知っています。それを反映し、例えば正教では現在に至るまで司祭は(スーツではなく)法衣で身を包み、また(ヴァチカンのように)官僚主義的国家を持していません。ですから、この先、たとい正教会の主教たちや総主教たちがLGBTアジェンダに飲み込まれていったとしても、最後まで抵抗を続ける信徒たちーー特にアトス山修道院群の修道士たちーーは消滅することなく存在し、彼らこそが生ける神の教会とされることでしょう。なぜなら彼らだけが最後の最後まで信仰を遵守し続けるからです。

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*6:ブログ管理人:「教会史、秘跡、ユーカリストについて」

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