巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

祈りの姿勢、東向性の意味について(聖大バシレイオス)

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「しかし、わたしたちの国籍は天にある。そこから、救主、主イエス・キリストのこられるのを、わたしたちは待ち望んでいる。」フィリピ3章20節

 


私たちは皆、祈る際に東の方角(toward the East)を向いていますが、そうすることによって実は自分たちが古の故郷を再び憧憬し欣求しているということを自覚している人はわずかです。古の故郷――、そう、エデンを臨む「東」に植えられしパラダイスのことです。

 
週の初めの日〔主日〕に私たちは起立して祈りを捧げていますが、その理由を皆が皆知っているわけではありません。キリストと共に復活し、上にあるものをひたすら求めつつ、復活に聖別されたこの日に真直ぐ立ち祈ることを通じ、自分たちに注がれている恵みを思い起こすだけでなく、この日が、ある意味において、やがて来たるべき時代の像(イコン)でもあり、それゆえに私たちは起立して祈りを捧げているのです。

この日は実際、第八日でもあり、現在の〈時〉につづく後の豊満性――決して没することなく、終わることのない日――を表象しています。

それゆえ、教会はこの日、信徒たちが直立して祈るよう教導する必要があります。こうして終わりなきかの日を絶えず心に刻印することにより、〈旅路〉に必要な糧を備えることを忘却しないためです。


直立の姿勢は、言ってみれば、私たちの魂をして、現在という地から未来の地へと旅立たしめるものです。一方、跪いて祈り、起き上がる時、その行為を通し、私たちは罪が私たちを地にうち落とし、〔にもかかわらず〕創造主なる神の愛が私たちを再び天に呼び戻してくださったということを示しています。


聖大バシレイオス『聖霊について』Basil of Caesarea Treatise On the Holy Spirit, 27 (PG 31,192) 拙訳

 

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