巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

神への暴力と対等主義的ユートピア【ソビエト集団主義化する進歩的キリスト教】

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 「進歩の理論はあらゆる人間的世代、あらゆる人間的人格、あらゆる歴史的時期を、終極の目標に対する一個の手段、一個の道具に変えてしまう。。進歩の宗教は死の宗教であって、復活の宗教でない。永遠の生のために生きとし生けるものを復活させる宗教でない。。

 かかる未来の幸運児的世代の神化を本領とする進歩の宗教は、過去と現在に対しては血も涙もない態度を取る。それは未来に関しての無限の楽観論(オプチミズム)と、過去に関しての無限の悲観論(ペシミズム)とを結びつける。それはすべての世代、すべての死者、父祖と祖先のあますところない復活というキリスト教的期待と深刻な対立をなしている。。この進歩の理論は、神的摂理の存在そのものを疑わせるものである。なぜなら、こうしてすべての人間的世代には背を向け、歴史の頂点に立つ世代にのみ接近を許すような神性は、人類の大多数に対しては、不正と暴力を発揮する吸血鬼のような神性であろうから。イヴァン・カラマーゾフが神に対してその入場券を返したのは、この理由によるのだ。しかし実際にはかかる神は存在しない。」ニコライ・ベルジャーエフ著『歴史の意味』より

 

昨年12月、スウェーデン、マルメ市にある聖パウロ教会に『パラダイス』と題する祭壇画が掲げられました。創世記のアダムとエヴァ像が、同性愛者カップル像に置き換わっています。

 

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『パラダイス』

 

当教会主任牧師であるヘレナ・ミーステナー女史は、「この日曜日に、新しい歴史が刻まれました。スウェーデン唯一のLGBT祭壇画が聖パウロ教会に受け入れられたのです!私たちは歓喜し、この画を誇りに思っています!」とコメントしました。


しかし、ここに行き着くまでには漸進的諸段階がありました。1940-50年代には女性が「牧師/司祭」になるということはスウェーデンにおいてさえ考えられないことでした。それが聖書の御言葉に反する偽であるということは大半のキリスト信者に共有された歴史的コンセンサスだったのです。1960年、スウェーデン国教会は初の女性牧師按手を施行しました。

 

こうして対等主義的再解釈が施された上で「偽」が「真」であると宣言され、実践に移されました*1。そうなるともうこの流れを食い止めることはできなくなります。再解釈に次ぐ再解釈が施され正当化され、こうして対等主義的政治アジェンダという新しい鋳型に合うよう、神の御言葉は剪定・歪曲・削除されていきました。「正義」「平等」「人権」という文化的マルクス主義スローガンの下、教会人たちによって神の義は無慈悲に蹂躙されていきました。


一度、対等主義エスカレーターに乗ってしまうと、もうその後は「進歩」という名の変質・退化あるのみだということをメインストリーム聖公会/プロテスタント諸教派の60年史は証左しています*2。その政治的圧力とリベラル濁流はカトリック教会だけでなく東方正教会にも押し寄せています。ここギリシャでも現在壮絶な闘いが繰り広げられています。

 

意識的に抵抗し闘わなければ私たちは流されます。それほどに濁流はすさまじいのです。全体主義の性質を帯びているからです。ソビエト集団主義化した進歩的キリスト教は「神の国とその義」(マタイ6:33)を――「人のことを思う」(マタイ16:23)取り違えた‟善意”により――教会から締め出し、その真空部分を埋めるべく「対等主義ユートピア(egalitarian utopia)」という虚像をこしらえそれを拝みつつ、反キリストの到来に加勢しています。


様子をみる/だんまりを決め込むという姿勢は中立ではなく敵への降伏およびキリストにある同志たちへの積極的背信を意味しています。対等主義エスカレーターに乗っていながら乗っていないフリをするのは偽善です。今は傍観の時ではなく、闘いの時です。

 

ー終わりー

 

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