巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

避難すべきか、とどまるべきか?—今後の行き先を模索する聖公会指導者たちの精神の軌跡

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Brisbane Anglican diocese welcoming more women than men to the priesthood - ABC News (Australian Broadcasting Corporation)

 

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Bishop Robertson married at cathedral |The Diocese of Toronto

 

「どの世代にあっても、キリスト教はそれをとりまく文化を転向させるか、あるいはその文化によって転向させられるかのどちらかでなければならない。」ギャヴィン・アシェンデン元聖公会主教

 

↓なぜ女性たちは教会指導者や説教者になるべきなのか?(by N・T・ライト師、聖公会神学者)2019年9月

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エリザベス女王の元聴罪司祭であり、聖公会グループの指導者であったギャヴィン・アシェンデン主教が先月、カトリックに改宗しました。教派内のフェミニズム問題に苦しむ忠実派聖公会司祭や信徒のカトリック・正教改宗は今後一層増加していくと予測されています。下は2017年のビデオですが、この中で彼は聖公会内の女性叙階、同性愛実践者叙階問題に言及した上で、英国聖公会を去る決心をした旨を次のように告白しておられます。

 

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2019年12月19日付『カトリック・ヘラルド誌』でのインタビューにおいてアシェンデン主教は次のように述べています。

 

「どの世代にあっても、キリスト教はそれをとりまく文化を転向させるか、あるいはその文化によって転向させられるかのどちらかでなければならない。西洋の歴史とはこの戦いの歴史だった。

 

 聖公会信徒として、私は自分の信仰を広教会(聖公会において、信仰箇条や礼拝規定を広く解釈する自由主義の立場をいう用語)において理解するという強みを持っていると、しばらくの間は信じていた。だがそれは、聖公会がますます強烈になる世俗文化の妥協なき要求に、突然降伏し始めるまでのことだった。

 

 聖公会が内的な品位の崩壊に苦しみ、世俗社会のポスト・キリスト教文化への転落を大量に飲み込むのを私は見た。なによりもまず、『愛』の再定義である。これは自己犠牲的な慈悲心の価値を、ますます自己に陶酔していく(ナルシシズム)文化に置きかえる。それは物の見方を狭い範囲に集中させ、力による階級、つまり力の再分配といわゆる特権階級というレンズを通してのみ、人類を理解するように視野を制限する。

 

 文化的な複雑さという領域の複雑さに直面し、マルクス主義的な『結果の平等』の追求に突き動かされて、聖公会はキリスト教的な批評を提供する代わりに、それを大量に飲み込んでしまった。非常に多くの自由主義プロテスタント教会がそうしたように。キリスト教文化の解体に対抗する代わりに、懐柔しようとしてしまったのである。西洋の全教会がこれと同じ試練に直面している。」*1

 

参考資料

japanesebiblewoman.hatenadiary.com

 

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東方正教に改宗した元聖公会司祭や信徒たちの証

journeytoorthodoxy.com

pemptousia.com

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