巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

元教皇座空位論者(ex-Sedevacantist)の探求と人生を駈けた問い【不可謬性についての考察】(シリーズ2)

シリーズ1〕からの続きです。

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部屋に象がいるのに気づいてないフリするの、もうやめようよ!(セデヴァカンティズムのサイトNovus Ordo Watchより)

 

目次

 

John C. Pontrello, The Sedevacantist Delusion: Why Vatican II's Clash with Sedevacantism Supports Eastern Orthodoxy, 2015, Preface(拙訳)

 

元セデヴァカンティスト、ジョン・C・ポントレーロ氏の回想記(その2)

 

問題に正面から向き合いたい

 

神が最終的に自分たち側の立場の潔白を証明し、彼らに勝利をみさせると確信している教皇座空位論者とは異なり、私の内にはもはや神が自分の下した諸結論をいずれ是認してくださるだろうとか、自分の書く内容が誰かの人生を変えるだろうとか、そういう期待は全く残っていません。

 

神の承認に対する自己確信や変革への意欲とかいったものは私の大望ではありません。私の願いはただ自分自身に対して偽らず、どこまでも真実であることです。

 

もはや教皇座空位論者側にも、第二バチカン公会議教会側にもつけない理由は、両者が共に、彼らが自らそうであると主張しているところのもの——すなわち、不可謬にして非変質なる教会の真の顕現に遠く及ばないからです。

 

この主題について書く上での困難は、教皇座空位論者たちの教会論的アリーナで自分は本当に彼らと論争したいのか否かという点でした。そうする事を選ぶなら、私は実際にはリアルでない世界に再び入り込むことになります。

 

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米国カンザス州に在住の教皇マイケル1世(Modern Alternative Popes 16: Michael I – Magnus Lundberg

 

しかし教皇座空位論を信奉する人々にとってこの世界はリアルであるばかりか、殉教か、奇跡のみが彼らの未来を握っているのです。それゆえこの事項に関する私たちの受け取り方はまるで異なっていますが、それでもこの問題に正面から向き合う必要性を感じました。

 

実にこのイデオロギーは私の人生の最も前途有望な年月を燃焼し尽くすほどの力があったのです。おそらく今自分が悟るに至ったことをあの当時知っていれば・・・と後悔している元セデヴァカンティストは私一人だけではないと思います。

 

とマイナスなことを書きましたが、大部分の教皇座空位論者が善意に満ちた人々であることも同時に私は強調したいと思います。

 

St. Gertrude the Great 

 

これらの人々はいわばやむを得ない状況の中で神学的袋小路に追いやられており、それは決して彼ら自身の咎ゆえではないのです。そして彼らは諸矛盾を必然とする状況から脱しようと最善を尽くしています。私はこの苦境を身を持って知っています。自分もその中にいたからです。

 

不合理的思考

 

自分が命をかけてでも遵守しようと信じてきた重要な事柄が神話であったことを知った時の辛さを私は確言できます。理想化された信仰体系の中に見い出された諸矛盾は認知的不協和音をもたらします。そして、そこで生じる精神的ストレスが防御メカニズムとしての本来の目的を果たさず、諸幻想を脱構築する必要な対決を引き起こさないのなら、その時、不合理的思考が必然的に付随してくるようになるでしょう。

 

そういった不合理的思考の一例を挙げます。全てのセデヴァカンティストは教会変節の「可能性」を否定すると同時に、「実際には」変節が起こったことを立証しています。

 

彼らがなぜそのように混乱しているかといいますと、①教会の明白なる変節(defection)を認識しつつ、それと同時に、②それは決して起こり得ないということを ‟認知している” からなのです。しかしながら、一たび変節が証明されるや、提案され得る諸反論および、教会を救い得る諸運動の余地は全く無くなります。

 

教皇座空位論者は第二バチカン公会議後の教会の変節を立証しているでしょうか。私見では、彼らは立派に立証していると思います。あらゆる形態および多様性における伝統的カトリシズム、とりわけセデヴァカンティズムは、ローマ・カトリック教会の変節を立証してきました。

 

Antipope Francis’ Notable Heresies and Apostasy from December 2015 to January 2016(by Brother Michael Dimond)

 

ですがそれを認めることのできるカトリック教徒は皆無です。なぜなら認めることはイコール、教会の可謬性(fallibility)への暴露となり、教会の存在に不可欠と考えられている根本的信仰体系の土台を切り崩してしまうことにつながるからです。

 

「二つの教会(two Churches)」という理論

 

それゆえに、教皇座空位論者たちは自らの論拠を「二つの教会(two Churches)」という理論の上に基礎づける必要があったのです。二つの教会とはすなわち、①ローマにある背教教会、そして、②彼ら自身、です。こうして、「二つの教会」という前提により、教皇座空位論者たちは、ローマの変節にも拘らず、自らの信仰体系を永続化することが可能とされているわけです。

 

この現象は、幼児虐待の事例における分割化現象に類似しているかもしれません。虐待を受けている子供は、自分が愛されていると信じるための根本的必要をみたすべく虐待者である扶養者に関する二つのイメージを作り出します。

 

ですが実際には唯一の真の像があるのみであり、分割化は虐待されている子供に、置かれている状況の痛ましいリアリティーを回避することを許す一種の防御メカニズムに過ぎません。

 

そしてセデヴァカンティストたちは、リアルなカトリック教会の変節という痛ましい現実を相殺すべく、別のバージョンのローマ・カトリック教会という幻想を必要としています。

 

セデヴァカンティストたちが悟らなければならないのは、虐待を受けて育ったアダルト・チルドレンが悟らなければならないことと同じです。つまり両者共にもはや生き残るべく幻想を必要とはしていない、ということです。

 

正しい問いをしてきただろうか?

 

教皇座空位論の諸矛盾を考察する中で明らかになってくるのは、第二バチカン公会議後に教義上の諸論争が生じた際、伝統的カトリック信者たちは正しい問いをしてこなかった、あるいは、正しい場所に回答を見い出そうとしてこなかったのではないかということです。

 

例えば、不可謬の教義Aと、不可謬の教義Bの間の諸矛盾にかんする事項において正しい諸結論に到達する方法は、実際にはあれかこれか(either/or)ではなかったとしたらどうでしょうか。正しい回答に到達する道は実のところ不可謬性それ自体の真実性ないしは虚偽性にかかっていたのだとしたら?

 

不幸なことに、教会は教皇座空位論者たちが教会の不可謬性に問いを差し挟むことを許していません。なぜならそうすることにより、彼らの理論と、教会の不可謬性・非変節性に関する諸教理との間の調和が不可能になってしまうからです。無理にそれをしようとするとまた別の諸矛盾が生じてきてしまいます。

 

実に、「教会の不可謬性・非変節性という前提を必ず包含する形で諸結論が形成されなければならない」という制約を解かれて初めて人は、そういった諸矛盾を回避することができるのです。

 

選択的記憶——フィリオクェ条項の実例

 

不幸なことにカトリック信者は選択的記憶を持つに至っています。伝統的カトリック信者たちは、第二バチカン公会議信者たちが「教会は第二バチカン公会議をもって突如として始まったわけではない」ということを認識し損なっている点を正当にも批判しています。

 

しかしその一方、伝統的信者たちは、「ローマが以前に規定されていた諸教理に変更を加える大権を持っていると考えたのはこれが初めてではない」ということを認識し損なっている点で批判を受けてしかるべき立場に自分を置いてしまっています。

 

例えば、フィリオクェ条項*1のことを考えてみてください。全地公会議で定式化された「後に」ニケア信条にフィリオクェ条項を書き加えたのは他ならぬカトリック教会の「ローマ典礼側の人々」であったことを決して忘れてはならないと思います。

 

私たちは自らに問わなければなりません。「果たして聖公会議に集った人々は、聖霊の導きの下、かくまで重要な教理を正しく且つ完全に定式化することができなかったのだろうか」と。

 

さらに言いますと、仮に初期全地公会議が信仰箇条のごとき重要事項を正確にそしてその全体において受け取っていなかったのだとしたら、一体私たちローマ・カトリック教徒はいかにして自分たちが現在それを確かに持っていると確信することができるというのでしょう。

 

初代教会は間違いなく自分たちが使用していた公教信条の内容は正しいと考えていたことでしょう。九世紀においてさえ、聖教皇レオ三世はフィリオクェ条項を書き加えることを厳しく叱責していたのでした。

 

The Procession of the Spirit: Some Implications

聖教皇レオ三世(出典

 

しかしその後、カトリック教会は公式的にフィリオクェ条項を信仰箇条に採用しました。

 

それなら、今から500年後、女教皇マリア・マグダラ三世が「聖霊は御父、御子、御霊、そして乙女マリアより発出している」と宣言するようなことは決してないと、誰が確信をもって言えるでしょうか。

 

つまりこういうことです。仮にあの当時、ローマが〔フィリオクェ条項に関し〕信仰箇条に変更を加える権力を持っていたのだとしたら、第二バチカン公会議においてローマが信仰諸教理に変更を加える同一の権力を持っていなかったと誰が言えるだろうか、という事です。なぜならそういった教義変更は原則において当時と現在にあっても本質的には同一だからです。教皇座空位論者の方々、この事をどのように説明しますか。

 

両事例において現行の生けるローマ教導権が、それ以前の教導権が宣言していた内容に変更を加える権力があることを主張し、それを実行しました。さらに両事例において、ローマに同意しなかったカトリック教徒たちは「異端者」そして「分離主義者」として知られるようになりました。

 

「教会の外に救いはない」という教義を巡る論争

 

第二バチカン公会議に先立ち、以前に規定されていた教義に変異が生じたより最近の例を挙げますと、例えば、「教会の外に救いはない。Eclesiam nulla salus」として知られている教会の有名なドグマに関する、イエズス会神学者レオナルド・フィーニー(Leonard Feeney)とローマとの間の論争があります。

 

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レオナルド・フィーニー神父(1897 – 1978)

 

この論争は1950年代に噴出しました。公正を期して言いますと、フィーニー神父は、「誰が救われ得るのか」に関する教義的定式が後の世紀に次第に緩和されるようになり、第二バチカン公会議に至るまでの数十年の間に完全に新しい意味を帯びるようになっていったということを認識した最初の一人だということができるでしょう。

 

論争の中核にあったのは実際の自然水によって執行されるバプテスマの秘跡が救いのために ‟絶対的に” 必要か否かを巡る問題でした。

 

これに対し、フィーニー神父はトリエント公会議によって‟不可謬的”に宣言された諸法令およびヨハネの福音書の中のイエスの明確な御言葉に従い、それは ‟絶対的に” 必要であるという肯定的立場をとりましたが、ローマは彼を罷免しました。

 

ここでの問題は、実際のパプテスマの秘跡に置き換わる諸代替物を許容するようなその他の諸教義を、教会がそれ以前の時代からすでに発布してきたことにありました。

 

外見的には「ローマ体系」を保持しつつ、且つ、「教会における不可謬的諸教理の漸進的変異」を説明すべく、フィーニー神父は敵のことを「リベラル派」と命名する事を余儀なくされました。

 

こうして今日多くの人が「フィーニー派(Feeneyites)」と呼んでいるところの、新しいカルト運動が始まりました。この熱狂運動は今日においてもさまざまな諸形態をとり存続しています。

 

不可謬性(infallibility)の教理

 

今日の伝統的カトリック信者の間に尚も永続しているフィーニー派の存在は、「それではフィーニー神父は果して正しかったのだろうか?」という問いに対する偏見なき答えを私たちに要求してやみません。

 

第二バチカン公会議と教皇座空位論との衝突と同様に、ここにおいても不可謬性の教理が論争の中核にあります。そして第二バチカン公会議論争における両サイドと同様、フィーニー神父もまた実際正しく、、そして同時に間違っていました。

 

この事をより明確に理解するべく、私たちは、「諸ルールの作成者(教会)は常にそれらの諸ルールに従ってプレーする義務を負っていない」ということを認識する必要があります。

 

歴史的には稀なことですが、時として教会は矛盾し得ることがあり、その時においても尚、教会であり続けます。教義における諸矛盾が実際に生じた際(例:第二バチカン公会議)、それに後続する諸議論の最終調停者は、それ以前の教導権教説ではなく、教義的公式の厳密なる語句でもないということを理解することが肝要です。

 

この点に関し今日のセデヴァカンティストの多くは間違って理解しています。現行教導権がいかに(不可謬であれ可謬であれ)過去の教導権教説から逸脱していようとそれとは関係なく、あらゆる論争の最終調停者は現行の生けるローマ・カトリック教導権です。

 

ですから問われるべき最も適切な問いは、「どちら側がローマ・カトリック教会に矛盾しているか?」ではなく、「どちら側がローマ・カトリック教会のメンバーとしてとどまることを許している唯一の側なのか?」だと思います。

 

フィーニー神父が苦い経験を通して学んだように、——そしてこれは教皇座空位論者たちにも等しく当てはまりますが——、その答えは次のようになります。すなわち、常に、ローマおよびローマによって任命された司教側につく方であると。

 

救済教義の中に異端者、分離主義者、洗礼を受けていないノン・クリスチャンを含めるべく教会が徐々にその定式を拡大させていき、それが公的に第二バチカン公会議として結実するに至りました。*2

 

ですが、ここでしばし引き合いに出される「リベラル主義者たち」は、救わるために実際にローマ・カトリック教会のメンバーになることを要求するドグマに対する違反の責めを負わせる一種のスケープゴートに過ぎませんでした。

 

実際にはフィーニー神父時代のはるか以前に、教会は全地公会議やその通常教導権(ordinary magisterium)を介し、相矛盾する諸教理を発布していたのでした。(全地公会議も通常教導権も教会の不可謬性の一機関です。)

 

それゆえ、教会の根本的教義の一つを巡るかの悪名高き20世紀のボストン論争はフィーニー神父の時代に溯ること数世紀前にすでに進展しつつありました。それはただ、いつ、どこで、誰によって暴露されるかを待つのみだったのです。

 

そして当然のことながら、それを暴露した個々人が責めを負うことになります。従順に関する最終テストに落第し、フィーニー神父は欠陥ある体系の犠牲者となり、こうして不可謬性という名の祭壇で屠られることになりました。

 

フィーニー神父のような悲劇的ストーリーは、ローマ・カトリック信者が真の諸原因に盲目であり続ける限り今後も繰り返されていくことでしょう。

 

そして今後も私たちは教会の罪の責めを負わせる敵たちのネーム・リストを常に必要とすることになるでしょう。リベラル主義者、ユダヤ人、フリーメイソン、進歩主義者、コミュニスト、官僚、モダニスト等はいずれも、体系を守るべく、今日伝統的カトリック信者が用いているスケープゴートの一例です。

 

ロマン主義化された教会概念

 

あらゆる証拠が第二バチカンの諸矛盾や異端の真の原因としての「可謬的(fallible)」教導権をダイレクトに証左しているにも拘らず、この説明を甘受することのできない人々はやがて、自らの理想主義をあきらめる位なら列福された教皇たちや全地公会議を犠牲にしても厭わないといった姿勢をとるようにすらなります。

 

必要ならカトリック教会が何千ものいがみ合う小分派に引き裂かれても致し方ない。ただ絶対に、体系自体が誤として認識されてはならないと。セデヴァカンティズムの出現により、それらは全て実現しつつあります。

 

第二バチカン革命の考案者たちは、忠実なカトリック信者たちが教会のありのままの実像を直視することのできる貴重な機会を提供してくれました。しかしながら教皇座空位論者たちはそれを直視する代わりに、一つの幻想をもう一つ別の幻想に取り代える道を選んでしまっています。

 

ロマン主義化された教会概念を守り永続化させようとする死に物狂いの思念につき動かされ、彼らは、第21回公会議を介し ‟真の” ローマ・カトリック教会によってローマ・カトリシズムの内の幾つかの諸信条が公的に断絶させられたという痛い真実をどうしても受け入れようとしません。

 

しかしシスマ(schism)のレッテルを除去したいと望むのなら、彼らは最終的にこの真実を受け入れなければならないでしょう。もしも彼らがそれを拒むのなら、今から百年後の世界の人々は、教皇座空位論者たちを、19世紀に聖座から離脱した分離主義グループとしてローマによって認識されている「復古カトリック教徒*3」の類種として捉えるようになるでしょう。

 

この結末を避けたいですか。それならセデヴァカンティストは教会を——可謬的(fallible)という——ありのままの実像として認めるか、さもなくば別の宗教に移るべきです。

 

実際、ローマからの裏切りに遭ったカトリック信者は教皇座空位論者たちが初めてではありませんし、類似の現象が今後も起こるでしょう。